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【本の紹介】マルクス・ガブリエル『わかりあえない他者と生きる』【完全平等は可能か】

オススメ度:★★★☆☆

私たちの社会で分極化が進んだのは偶然ではありません。相手を見て、においをかいで、触れていないからです。(p.76)

 

マルクス・ガブリエル『わかりあえない他者と生きる』

 本書のエッセンス
・自国民と移民の完全平等は可能か?
・相互理解にオフラインのコミュニケーションは不可欠

 

感想の書き散らし

他者について考えるときは、他者を自分とまったく同じように考えなければなりません。(p.63)

2015年のドイツがシリアから数百万の難民を受け入れた際、ミュンヘン市民は歓迎の意を示すため拍手した瞬間があった。ガブリエルはこのときの態度が誤りであると痛烈に批判している。

 

ドイツが難民を受け入れた時点で難民たちはドイツにおけるすべての人権を得ており、"権利を与えてやるドイツ国民と与えられたシリア難民"という構図が生まれてしまう。そこにはドイツ国民とシリア難民の平等性がないのだ。

他者には常に自分とまったく同じ権利や尊厳を認めなくてはならない。またそういった目線で他者と接することで、接し方が変わるとガブリエルは主張する。

 

この考え方はかなりラディカルである。「もし自分が相手であった可能性を想定する」という考え方ははロールズに近いものである。

思想としては理想的であることを認めつつも、その急進性ゆえ現時点ではなかなか日本では受け入れられないかと個人的に感じた。単民族国家である日本では日本人とそれ以外を明確に区別しており、それらを同じであることに違和感を覚える。

もちろんこれは右派に顕著であるだろうが、実際には左派の大部分も感じでいるところであろう。

しかし平等の輪が広がり続けていることを考えると、100年後、1,000年後のリベラル思想としてスタンダードになっているのではないだろうか。

 

ガブリエルは相互理解において実際に会い、五感で相手を感じることの重要性を説いている。

私たちの社会で分極化が進んだのは偶然ではありません。相手を見て、においをかいで、触れていないからです。(p.76)

 

この問題は仕事していく上でも強く感じている。

いくらオンライン会議やチャットのやり取りでコミュニケーションを取っていても、実際に会って話すと印象が変わることがよくある。印象が変わるということは相手に対し誤解が生じていることの証左であり、この誤解が積み重なっていけば大きなすれ違いを生んでしまうことも想像に難くない。

たとえオンラインとオフラインで同じ内容をコミュニケーションしたとしても、印象や感覚は異なる。この差異の正体こそが、ガブリエルの主張するにおいといった非言語情報なのだろう。

 

デジタル化によって表面上の利便性は向上しているかもしれないが、本質は置いてけぼりのままになっている。