本と絵画とリベラルアーツ

本と絵画の解説

【オススメ】センター世界史で満点を取った勉強法【独学】

 受験暗記科目の中でもボリューミーな世界史。

範囲が横に広いため一通り勉強してある程度の点がとれるようになったとしても、そこから満点に持っていくのはなかなか大変です。

80点は安定していくようになったが、そこから伸び悩んでいるという人も多いのではないでしょうか。

 

私も80点半ばあたりで点数が停滞し、なかなか伸びずに悩んでいました。

しかしいくつかのポイントに重点を置いて勉強することで点数が上がり始め、最終的にセンター試験本番では満点を獲得することができました。

 

今回はその中でも特に重要な3つのポイントに絞って解説していきたいと思います。

 

この記事をオススメしたい人

・センター世界史を勉強して一通りは覚えたが、満点にはとどかない。
・2次試験でも世界史を使うのでじっくり勉強したい。

 

 

 

世界史の勉強で年号を覚えることは最重要

 世界史で満点を取りたいならば絶対に欠かすことが出来ないのが年号暗記です。年号暗記抜きに世界史でいい点を取るというのは無謀なことです。

 

≪年号はタテとヨコのつながりを明確化する≫

世界史はタテとヨコのつながりでできています。

このタテとヨコのつながりを明確にしてくれるのが年号になります。

 

タテとヨコがしっかりつながって覚えているということは、その出来事がいつ起こったか理解して覚えているということです。何か出来事や事件について考えたときに、「ああこれは15世紀だからスペインが建国したときと同じだな、だから領土はこうなっていて、、、」と考えることが出来なければそれはしっかりと覚えられているとは言えません。

 

センターで満点をとれるレベルになっていると、頭の使い方は選択問題というよりか記述問題に近くなっています。

 

選択肢を見るときもこれが正解だなと思って答えていくだけでは不十分で、間違っている選択肢がなぜ間違っているか正確に答えられる必要があります。もしそれができないようであるならば、たまたま当たっている段階からまだ抜けられていないと言うことになります。

 

そしてこの記述問題のための頭の使い方というのが、まさに年号をフックに記憶をつなげていく作業になります。年号をたよりに出来事の順番を考えたり、遠く離れた地域との比較を行っていきます。

 

予備校講師や学校の先生の中には年号の暗記を否定する人たちもいます。

大事なのは出来事と出来事のつながりであるから、年号を覚えることは本質ではないというのが否定論者の言い分です。

 

確かに年号自体は世界史おける本質ではなく、世界史を勉強すること通じて獲得できる最大の利点が年号暗記にあるわけでもありません。私もこの点については納得しています。

 

それでも年号を抜きに世界史を覚えていくのはとても現実的ではありません。

年号抜きでも皇帝や支配国の順番を覚えることはできますが、年号が無い場合他の地域とそれらを比べることが出来なくなってしまいます。皇帝の順番を覚えたところで、ではその皇帝の時の世界の様子はどうであるか、と考えることができないのです。

タテとヨコをはっきりとさせるためにも、年号の暗記は不可欠なのです。

 

 

≪優先して覚える年号≫

いくら年号が重要だからと言って、すべての年号を覚えることはできません。

戦略的にもある程度の優先順位をつけて年号を覚えていくべきです

 

オススメする年号の優先度は、戦争の始まりと終わり>国の始まりと終わり>有名な王の即位年です。

戦争は複数の国がからんで起きるので、特に離れた国同士の戦争の場合隔たりのある地域を結びつけてヨコのつながりを理解するのに役立ちます。ヨーロッパとモンゴルがぶつかった1241年のワールシュタット(リーグニッツ)の戦いはいい例です。

 

国の始まりと終わりも地図を覚える上で重要です。13世紀のヨーロッパを思い出そうとしたときに、国や王朝の時代を覚えておくことでその時代の理解がしやすくなります。

 

有名な王の行ったことについてはしばしばテストに直接出題されます。その際違う王と混ぜてひっかけてくるので、時代を正確に抑えておくことで誤りをすぐ見つけることができます。

 

 

地図を覚えるコツは自分で地図を書いてみること

 世界史を学ぶ上で国同士の位置関係をしっかりわかっているとういうことは重要です。国と国の国境はどのようにして決まったのか、その国の首都はどの川にそって建設されたものなか。このあたりの地理が分かっていないと貿易や戦争をきちんと理解することができなくなってしまいます。

 

そしてその国の場所を覚える前提として、大陸の形をわかっていることが大切です。

世界史を勉強していると全然外国の形なんか分からないことに気づきます。今までしっかりと意識してみてこなかったためヨーロッパの国境さえまともに引くことができません。

 

センター世界史で満点を取るならばここを避けて通るわけにはいきません。なんとかして覚えていく必要があります。

 

覚えるときのコツはとにかく自分で手を動かして書いていくことです。自分がその日勉強する地域を白紙に地図帳を見ながら移していきます。そしてその中に国境や首都の位置を書き入れ、その他戦争があればその位置を随時書き込んでいきます。

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世界の形が分かると昔の船の通り道や首都のよく置かれる場所などが分かってきます。これはまさに今流行の地政学そのものです。

初めうちは少し時間がかかるかもしれませんが、何度も書いていくうちに何も見なくても書けるようになるので時間は少しずつ短縮していきます。

 

 

自分だけのタテの軸をつくる

 世界史は暗記科目なので実際に問題を解くときには思い出してとくことになります。

勉強法というとどうしても覚えるコツが中心となりますが、ここではうまく思い出すためのコツについて解説していきます。

 

パッと思い出せるときには何も問題ありませんが、すぐに思い出せない場合には別のルートをつかって記憶を手繰り寄せていく必要があります。

そのために記憶の目次となるものを、あらかじめ頭の中に作っておきます。

 

記憶には理解して覚えている物と、理解していないが体に染み込んでいて覚えている物の2種類があります。前者の例は英単語で、意味と読み、スペルや用法をひもづけて頭の中に保存してあります。一方で後者にあたるのが「寿限無」です。「寿限無」は落語のひとつで、縁起のいいものをすべて子供の名前につけたらとんでもなく長くなってしまったという笑い話です。子供の頃一生懸命練習して覚えたと言う人も多いでしょう。

 

この寿限無を覚えるときにひとつひとつ意味を理解しながら覚えていった、という人は少ないと思います。あまり考えずになんどもなんども口で繰り返していくうちに自然に覚えっていったはずです。体に染み込んでいるのか、不思議とこのようにして覚えたものはなかなか忘れません。忘れないどころか自分がびっくりするほど正確に覚えていることもよくあります。

 

これを勉強に応用したのが九九です。初めて小学2年生で九九を覚えるときには計算をして覚えていくのではなく、なんどもなんどもそらんじることで覚えていったと思います。

こうして体で覚えたものは忘れにくく、さらに口で覚えただけの九九もその後の訓練によって掛け算という概念をいつの間にか獲得しています。

このように体で覚えたものをあとから理解するということは有効な手段なのです。

 

これを世界史にも応用していきます。

まずどこか為政者の移り変わりの激しい都市や地域を決めます。オススメはソグディアナや小アジアです。そしてそこを支配してきた国を紀元前から近代まで順番にまとめて覚えてしまうです。この時に口で覚える方法を使い、あまり頭では考えずに繰り返し声に出すことで覚えていきます。

 

テストでつまった時にはこの時間のタテ軸を使って記憶を掘り起こしていきます。体に染み込ませて覚えたことは出力も早いので、あまり悩まず記憶を呼び起こすことができます。

そしてその思い出した部分から答えを徐々に近づいていくのです。

 

 

最後に

 勉強が進んでいくとほとんど出ないようなマニアックなところをついつい深追いしがちになってしまいます。確かに難関私立ではとんでもないところから悪問が出題されることもありますが、大事なのは結局基礎であることには変わりません。

 

いくらエジプト古王国の王の名前を覚えようともアメンホテプ四世を忘れてしまってはセンターで点は取れませんし、カラヴァッジョの絵画が分かってもベラスケスを忘れてしまってはしょうがありません。

 

とにかく基礎となる部分を何回もくどいくらいに復習することがセンターを初めとする王道のテストでいい成績を収めるコツになります。ここが盤石になった上で初めて二次で出る専門的な知識の学習に臨めるのです。

 

何度やっても覚えられないことや忘れてしまうことがあって投げ出したいこともあると思いますが、継続して勉強していく中で少しずつ世界史に詳しくなっていきます。どうか最後まであきらめずに頑張ってください。

 

 

 

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「辞める」技術

何もかも似ていない私の兄弟で、ただ一つ似ているところがあるとしたらそれは嫌なことはすぐ辞めるということだろう。

 

バイトでもタスクでもストレスがかかればすぐ辞める。妹は1日でバイトを辞めたし、私は3時間で辞めたこともある。

 

大抵こういう話をすると根性なしのように思われて印象が悪くなる。確かに雇用主からすればすぐ辞められちゃたまらないし、都合の悪いやつらだと思う。

こちらから合わせてもらえば速攻やめるほうが度胸があると思うのだが、世間はそうはみてくれないらしい。

 

 

辞めることは悪ではない

そもそも辞めることは悪いことでは決してない。

仕事でも結婚でもイヤイヤ続けていいことは少ない。好きなことであったとしても続けるということはストレスのかかるものである。ましてや嫌なことを続けるストレスといえば計り知れない。

 

人生の目的が幸福である以上、どう考えても幸福に結びつかないと判断したものは切っていくべきである。

 

片付けのプロによると、物を捨てるか捨てないかな基準はときめくかときめかないかであるという。

これは行動においても同じである。資本になりえないときめかない行動はどんどん捨てていくべきだろう。

 

この広い世界で、捨てて拾えないものなど何もない。仕事だって人間だって自分に向いてるものがあるはずだ。

天職は見つけられなくとも、自分の負担にならないレベルの相性の仕事は見つけられるだろう。

 

経済学や株の世界では損切りという言葉が使われる。ダラダラと負け続けるより、サッパリ切ってしまったほうが全体の利益が大きくなることをいう。

そうであるならばダラダラと好きでもないことを続けるほうが全体から見て悪では無いだろうか。

 

 

なんでもやめられる

あまりに嫌だ嫌だ言う人に辞めることを進めると、大概の場合「いや、事情があるんだよ」と返ってくる。

確かに金銭的事情や係累など、人は多くの人に縛られている。それまで築いてきた地位やプライドが行動を制限する場合もある。

 

だが、どんなに枷に縛り付けられがんじがらめだとしても全くやめられないことなどない。

 

親から離れたいならば縁を切ればいい、配偶者と別れたければ離婚すれば良い、子供を育てられないなら養子に出すか施設に預けることもできる。

土地に不満があれば引っ越せばいいし、日本が嫌ならば出ていくことも出来る。

お金がなければNPOを頼りに生活保護を受給することもできるし、そもそもこの日本でお金がないことが理由で死ぬことは逆に難しいとも言える。

 

 

なんにせよ、自分のプライド以外に本当に自分を縛り付けるものなどないのだ。

もし何かに縛られて苦しいと感じている人がいるならば、きっとそれは自分自身ではないだろうか。

 

自分の人生を生きるために、ときには辞めることも重要である。何かを始めることと同じように辞めるということもまた、能動的な行動であり、自分の人生を選択することなのだ。

 

【本の紹介】恩田陸『蜜蜂と遠雷』【感想】

オススメ度:☆☆☆☆☆

久々に恩田陸さんの小説を読んだ。

前に高校生の時に読んだ『夜のピクニック』以来、数年ぶりに読んだ。

 

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調べてみると『寄るのピクニック』も『蜜蜂と遠雷』も本屋大賞を受賞した作品らしく、いいとこどりしてしまったなというもったいなさがある。どちらもとても面白かったので是非とも他の作品も読んでみたい。

 

 

あらすじ

舞台は優勝者がのちのコンクールで結果を残してきていることから、近年評価を伸ばしてきている芳ヶ江国際ピアノコンクール。 

 

5ヶ国で行われたオーディションのうち、パリ会場の審査員を担当していた嵯峨三枝子は突如現れた型破りな天才・風間塵に衝撃を受ける。彼は2ヶ月前に逝去した大物音楽家・ホフマンの愛弟子であった。

 

この年に行われた芳ヶ江国際ピアノコンクールには風間をはじめとし、消えた天才少女・栄伝亜夜やジュリアードの王子様と呼ばれるマサル・カルロス、そして妻子持ちのサラリーマン・高島明石が集い、さまざまなドラマが生み、交錯しながら最後には劇的な結末を迎えることとなる。

 

 

感想

≪恩田陸の真骨頂≫

恩田陸はなんといっても本全体の世界観、登場人物の世界観をそれぞれ創り出すのがうまい。またそれらを一つの世界に配置するときも、決して水彩絵の具に新しい色を落とした時のように濁り混ざることなく、それぞれの登場人物の世界観を保ったまま全体の調和が保たれている

 

登場人物それぞれの視点にドラマがあり、それらは同じ時間・空間で起こっていることながら全然違って見える。

 

登場人物の世界が交わるわずかな領域はまるでファンタジーで、そこに出てくるどの登場人物にも感情移入できるため物語の壮大さと物語に対する愛着が増していく。

 

 

≪浮かんでくるキャラクター像≫

恩田陸の作品を読んでいるとキャラクターの全体像がありありと浮かんでくる。まるで前から知っていたかのような、ずっとその人を知っているかのような気持ちにさえなってくる。

 

他の方とどこまでイメージを共有できるか分からないけれど、自分なりに浮かんできたイメージをまとめてみた。

 

風間塵:身長はやや低く、髪型は毛量の多い黒髪がところどころはねている。瞳は大きくキレイで、見ていると吸い込まれそうな色をしている。耳が大きい。普段は服に着られているような印象を受けるが、ピアノを弾いている間はその存在感から服も彼のために仕立て上げられたかのようにぴったりになる。寝起きがいい。

栄伝亜夜平均より少し高い身長に、一般人離れはしない程度にすらっとしたスタイル。髪はほんのり明るい黒で、腰ほどまで伸びたその髪は艶から若さを感じさせる。口元は軽くきゅっと閉まっている。気を抜くと猫背になりそうだが、基本的にはいい姿勢を保っている。赤いヒールと黒ドレスがよく似合う。化粧映えする顔。

 

マサル・カルロス王子様。高い身長でスタイル抜群。普段は愛想のいい笑い方をしているが一人の時や考え込んでいる時には年の割に貫録のある顔を見せる。手が大きく、指がきれい。一人の時間がないと耐えられない。

 

高島明石日本人にしては身長も高く、スタイルもいい方だが学生時代と比べるといくらか太った。大きくて厚みのある優しい手をしている。メガネ。落ち着いた緑や茶色など秋を思わせる色が好きで、服もこれらの色が多い。食べ物の好き嫌いは少ない方で特に焼き魚が好き。

 


映像だけでなく音楽さえ浮かんできて、まさに映画を見ているような感じだった。知らない曲は頭が勝手なクラシックを割り当てて流れていたが、もしもっとクラシックの知識があれば楽しめたのかなと思う。

さすがは本屋大賞らしく、誰が読んでも面白いと思える作品であった。

10月には映画も公開されるということで、そちらにも注目していきたい。

 

蜜蜂と遠雷(上) (幻冬舎文庫)

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蜜蜂と遠雷(下) (幻冬舎文庫)

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原爆ドームは平和の象徴なのか

先日始めて広島を訪れ、原爆ドームを見た。

 

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夏休みということで家族連れや外国人が多くみられ、特にアジア系の人が多かった。

ガイド付きのツアーで来ているグループも何組か見かけ、原爆ドームが世界的に有名なスポットになっていることがうかがえる。

 

 

原爆ドームは先の戦争の悲劇を後世に残すために保存されている遺産である。

元々はチェコ人のヤン・レツルによって建てられた広島県物産陳列館である。

昭和20年8月6日に爆心地から160mという至近距離で被爆し、全壊は免れたものの今の痛々しい廃墟へと姿を変えた。

 

風化する記憶

原爆ドームの前ではガイドに連れられ説明を受けている人やじっと見つめて何かを考えている人のほかに、家族や友人たちと並んで笑顔で写真を撮っている人を何組か見かけた。

 

原爆ドームを何か知ってか知らぬかは分からないが、彼らにとって原爆ドームはスカイツリーや雷門と変わらない観光スポットの一つにすぎないのだろう。

 

 

形あるものがすべからく壊れていくように、記憶もまた風化していくのをさけられない。

原爆ドームもまた、戦争の悲惨さを伝える力を失っていっている。

 

これは仕方のないことだ。

例えどんなに知識として戦争が残虐だということを知っていても、それを肌で感じるのは難しい。

 

その時はみなが共通して持っていたであろうマンモスが怖いという感覚もハンニバルが来ると言う恐怖も富士山が噴火する衝撃も、私たちは忘れてしまっている。

どんなに大事に抱え伝えて行っても、手で掬った水のように少しずつこぼれていってしまう。

 

原爆ドームを見て戦争の悲惨さを感じられる人は確実に減っていく。

 

 

平和の象徴として

観光地化しつつある原爆ドームであっても、原爆ドームを見て戦争を考えない人は少ない。

 

第二次世界大戦がどれだけ悲惨で人々を苦しめてきたかを本当の意味で理解することはできないが、少なくとも次に世界大戦が起こればこれ以上の被害が出ることは理解できる。

 

なかなか普段の生活の中で具体的に戦争をイメージし、考えることは少ない。

原爆ドームは見る人に戦争のリアリティを与え、考えるきっかけを作ってくれる。

 

 

原爆ドームの横には広く穏やかな川が流れ、周りの公園には緑色の木々が生い茂っている。

近くの端から原爆ドームを眺めると奥には建てている途中の大きな建築物が見え、広島という町が生きていることが分かる。

 

色を失ったままの原爆ドームはそんな中に鎮座し、訪れる人に一瞬だけ戦争の気配を感じさせてくれる。

 

80年間保存してきた色の無い建物を、私たちはいつまで残していくことができるのだろうか。

 

 

 

個別指導塾における雑談の4つの目的

 個別指導の塾では生徒と講師の距離が近いため、しばしば雑談が行われる。一見雑談と聞くとサボっているようなイメージを受けてしまうかもしれないがそうではない。

適切に行われる雑談は授業をより豊かにし、巡り巡って生徒の学力上昇にも役立つ。

 

 適切に行われる雑談はどういったことを目的として行われるのか、4つの面からまとめてみた。

 

 

信頼関係を構築する

宗教改革期の人文主義者エラスムスは、教育が成り立つための重要なポイントとは教師が生徒に好かれることだと主張している。

子どもはまず教師を好きになり、次にその教師が教える教科を好きになり、そして最終的に学問自体を好きになる。

 

今まで嫌いだった教科が、先生が変わったことで好きな教科に変わったというのはよく聞く話である。特に男子に比べ女子にはこの傾向が強い印象がある。

 

 

 《大事なのは話を聞いてもらうこと》

指導していくうえで重要なのは生徒に話を聞いてもらうということである。

 

個別指導では教えた後のフィードバックが重要になってくる。このフィードバックがうまく機能するかどうかは、生徒とコミュニケーションがうまく取れているかにかかっている。

コミュニケーションは決して一方通行になってはならない。こちらが投げたボールをしっかり投げ返してもらわないことには指導は成り立たない。

 

しかし飼い犬と違って人間相手にボールを投げて取ってこいというのは通用しない。舐められたと感じれば二度と心の扉は開かなくなる。生徒はお客様である。

 

 

《まずは生徒の話を聞く》

生徒に限らず、だれかに話を聞いてもらいたいならばするべきことはまず話を聞くことである。生徒に話を聞く義務などない。人間話を聞いてくれない人の話など聞こうとは思えない。

話を聞いてもらうためには、まずはこちらから生徒の話に耳を傾けなくてはならない。

 

内容の大小は関係ない。

生徒の話は一見重要性が低く、それは今じゃないといけないのかと感じるものも多い。

しかしこれは講師側の勝手なレッテル張りに過ぎず、生徒からすればその時聞いてもらいたいことなのだからそれをくだらないものと一蹴されれば不快感を覚える。

 

一度この先生は話を聞いてくれない先生なのだと感じられてしまえば信頼関係はたちまち崩壊し、これを再築するのは大変困難な仕事になる。

 

たとえ些細な話であっても、生徒にとっては(意識しているかどうかは別として)重要なことである場合もあり、誰かに聞いてもらえるだけで何か一つ楽になる場合もある。

そうであるならばちょっとした話であっても聞くことは一概にコスパが悪いとは言えない。

 

状況によっては授業を進めなくてはいけないときもある。

そういう時は、「続きは一度後で聞くから一旦こっち進めようか」などと誘導し授業に集中してもらう必要がある。

ただこの方法を使う時に絶対に破ってはいけないのは、後で聞くと言った以上後でしっかり聞くことである。どこかタイミングを見つけて「そういえばさっき言ってた○○ってどうだったの??」と声をかけて聞く。

こちらからしっかり聞くことで相手はちゃんと自分の話を聞いて覚えていてくれたと感じ、好感度にもつながる。前に聞いた話を再度広げる手法は普段から有効である。

 

 

生徒の性格を知る

個別指導の醍醐味は一人一人にあった指導ができることである。そのためには当然ながら生徒の性格を知ることは不可欠である。

 

中には人懐っこくすぐに自己開示してくる生徒もいるが、多くはそうではない。生徒と講師という立場上完全なる対等ではないため、どうしてもどこか足元の高さに違いが出てしまう。特に学年が上がるにつれこの傾向は強くなる。

 

雑談からは生徒に関する多くの情報を得られる。入っている部活動や好きな教科、よく聞く音楽や他の習い事なんかは生徒を知る上で重要な手掛かりになる。

共通点が見つかれば親近感を持ってくれるいいきっかけになるし、意外な一面(おとなしそうに見える子が意外とアクティブなど)に気づけるかもしれない。

プライバシーに十分注意したうえで生徒との距離を縮めていきたい。

 

 

眠気覚まし

生徒の体調はまちまちで、たとえ普段やる気のある生徒でも疲れていたり食事のあとの授業だったりすると睡魔に襲われることがある。

 

こういったとき生徒にいくら起きろと言ったり、多少身体を揺さぶる程度ではほぼ無意味である。本人が起きなくてはならない状況だと理解していても、生理現象に抗うのは厳しいものがある。

 

本当に限界そうなときには一旦数分間寝かせてしまい覚醒するのを待つのも一つの手である。

ただ、眠そうではあるが一瞬で深い眠りに落ちるほどではないときには寝かせようとするのはかえって逆効果である。

 

こういった舟をこぎ出す前の段階においては、生徒に話しかけてあげるのが有効である。

 

 

論理的に話す力をつける

低学年の生徒のなかにはまだ会話力が不十分な子もいる。

そのような生徒には積極的に会話をすることによって日本語の底上げにつながる。

 

具体的には生徒が話してきた内容を掘り下げるように質問していく。「休みに○○を見てきた」と言われればそこまでどうやって行ったのか、どんなところがどうしてよかったかなどを聞いていく。

この様に話を進めることで生徒は考えながら話すようになり、日本語力の向上に役立つ。

 

 

 

天才ホーキングの半生を描いた『博士と彼女のセオリー』【映画の紹介】

オススメ度:☆☆☆☆

 

なぜ天才と苦難と美女の取り合わせはこんなにも美しいのだろうか。

 

学生時代に全身の筋肉に脳からの伝達が伝わらなくなる難病ALSを発症したホーキング。

悲劇に直面しながらも尊厳を失うことの無かったホーキングは、ついに大理論の発表に至り、最後は女王陛下に招かれる。

 

天才的な頭脳を持ちながら一人では生きていくことの出来なくなったホーキングと、彼を支える妻やそれをとりかこむ人々の葛藤を描いた作品。

 

 

この難しい役柄を演じたのはエディ・レッドメイン。彼は数カ月にわたってホーキングについて研究し、この映画に臨んだという。

立ち振る舞いはまさに身体の自由が日に日に奪われていく様が表現されていて、とても演技とは思えない。迫真の演技に心が打たれる。

彼はこの役で初めてアカデミー主演男優賞にノミネートされ、受賞を果たした。

 

 

ホーキング博士とは

イギリス・オックスフォード出身の物理学者。

本名はスティーヴン・ウィリアム・ホーキング。

 

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大学在学中にALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症し身体の自由を奪われていったが、その苦難にも負けることなくそれから半世紀にわたって研究をつづけた。

 

 研究対象は宇宙や時間で、ブラックホールに関するいくつかの偉大な功績を残している。

 

あらすじ

ケンブリッジ大学で物理学を学んでいたスティーヴンは、とあるパーティでジェーンという同大学文学部の美しい女性と出会い恋に落ちる。

 

卓越した頭脳を持つスティーヴンは教授にも気に入られ充実した毎日を送っていたが、徐々に身体の異変に気付き始める。

 

医者に脳の指令が身体に伝わらなくなるALSという病気だと診断され、余命2年という残酷な宣告を受けたスティーヴンは自暴自棄になるがジェーンの愛を強く感じ立ち直る。彼らは周囲の反対を押し切り結婚し、子どもを儲ける。

 

病魔に侵され身体は電動車いす無しで生活することを困難にした。

そんな中でもスティーヴンは研究をつづけブラックホールに関する偉大な論文を書き上げ、理論物理学者としての地位を確立していく。

 

 

一方で育児とスティーヴンの介護の両立に悩むジェーンは段々と疲れがたまっていってしまう。そんな娘の姿を見かねたジェーンの母はジェーンに聖歌隊に入ることを提案し、ジェーンは教会の聖歌隊の練習に通うようになる。

そこで出会ったのが妻を亡くしたピアノ奏者ジョナサンで、彼はホーキング家の事情を勘案し、家族に協力してくれるようになる。

 

ジョナサンが加わり楽しい日々を取り戻したホーキング家であったが、3男が生まれた際には周囲からジェーンとジョナサンの関係を疑われるようになり、二人は惹かれあっていながらも距離をおくようになる。

 

招待されたフランスのボルドーでのオペラ鑑賞中、スティーヴンは突然倒れてしまう。緊急入院したスティーヴンには人工呼吸器が付けられ、ジェーンはスティーヴンを安楽死させるか声を失ってでも手術するかの選択に迫られ、命がある方を選ぶ。

 

 

声までも失ってしまったスティーヴンのもとに雇った看護師エレインがやってくる。

エレインはスティーヴンのよき理解者となり、スティーヴンもエレインを信頼していく。

 

微細な動きでも文字を入力できる合成音声機を手に入れたスティーヴンは執筆に打ち込みだす。

こうして書き上げた「A Breif History of time(ホーキング、宇宙を語る)」は世界的大ベストセラーになる。

 

ある日スティーヴンはアメリカで行われる授賞式にエレインを連れていくと、ためらいながらジェーンに告げる。

全てを悟ったジェーンは涙を流し、「I have loved you(あなたを愛していたわ)」と伝え、二人は別の道を歩んでいくことになった。

その後ジェーンはジョナサンと結婚する。

 

 

女王陛下に名誉勲章授与のため夫婦として招かれたスティーヴンとジェーンは謁見後陛下の庭を散歩する。

ジェーンがスティーヴンにお礼を言うと、無邪気にはしゃぎまわる子どもたちを前にスティーヴンが「Look what we made(私たちの創り上げたものをごらん)」と合成音声で言い、物語は幕を閉じる。

 

感想

理不尽な悲劇の中でひとりひとりが悩み、苦しみながらも正しく生きようとする姿に感動した。

 

この映画の主な登場人物であるスティーヴンやジェーン、そしてジョナサンはみな大きな悩みを抱えながらもみんなが幸せになることを祈って行動していた。

 

主人公であるスティーヴン・ホーキングは若くして残酷な宣告を受け、絶望の淵に立たされた。これからの長く、素晴らしいと信じていた人生は大きな音を立て崩れ、死ぬまで静かに毒が回るのを指をくわえて眺めていなくてはならなくなったのだ。

何も信じられないような深淵の中で手を差し伸べてくれたジェーンのために、一生懸命信じることを続け、生き抜いた。

 

ジェーンは子供の世話とスティーヴンの介護の両立に限界を感じながらも、愛する家族のために自己犠牲を続けた。愛する人より、愛する家族が幸せになることを選んだ。

 

ジョナサンはジェーンを愛していながらも、ジェーンが大切にする家族を第一に考えた。

 

みんな愛する人が幸せになってほしいという一心で、自分の後回しにしていった。

 

 

きっとこういうことは現実世界でもたくさんあって、お互いがそれを知らずにこらえ続けてるのだろう。そういった優しい人が幸せになれる世界になったらいいと思った。

滅ぼせブラックバイト

何年か前よりブラックバイトという言葉を聞くようになった。

 

ブラックバイトとはサービス残業やパワハラなど違法性のあるアルバイトをブラックバイトに倣って揶揄した言葉で、中京大学の教授によって提唱された。

2014年にはブラックバイトユニオンという学生らによる労働組合も誕生し、その知名度が高まると同時に隠れていた問題が露呈してきている。

 

 なぜそんなバイトが存在しえるのだろうか。

 

現在有効求人倍率は1.6倍を超え、長期にわたって高い水準を維持している。

売り手市場において、選ぶ権利を保持するのは労働者である。労働者が自分の条件に合う仕事を探し、自由に選ぶことができる。

企業は自分の会社で働いてもらうために労働者に対して媚を売るため労働条件を改善し、人が集まるよう譲歩していかなくてはならない。

 

確かに業種によって求人倍率にばらつきがあり、企業側が選ぶということもあるだろう。

しかしよほど特殊なケースを除き労働者は業種も選ぶことができるわけで、劣悪な業界は業界そのものが淘汰されていくはずである。

 

 

ところが実際はそうはなっていない。

ブラックバイトは依然存在し、労働者に対する搾取は絶えず続いている。

 

 

失せぬブラックバイト

なぜブラックバイトは存続できるのだろうか。

 

産業として強固だからか?利回りが良いからか?

そうではない。

 

ただ単に、ブラック環境で働こうとする人間がいるからである。

 

 

 ブラックバイトにも2種類が存在する。

一つはバイトがその異常性・違法性を把握し、その状況に耐えながら働いている場合。そしてもう一つが違法性に気づいていないあるいは許容しているときである。

 

正直違法性に気づいていない、またはそれを許容しているならばとやかく言う必要はない。

たとえ残業が多く時給に換算した際賃金が著しく低かったとしても、その仕事にやりがいや楽しみを感じ、給料以外の恩恵を受けているならば問題はない。

むしろこういった企業をやり玉にあげて騒ぎ立てることは不満なく働いている労働者の働く権利の侵害にほかならず、はた迷惑になるだけである。

例えどんなに辛く劣悪な環境であっても、本人がそれを是とするならばそれは幸福な職場なのだ。

 

 

問題は異常性・違法性に気づきなぜか耐えながら働き続けている場合である。

 

辛い辛いと言いながら、辞めたい辞めたいと言いながら心と身体をすり減らして働いている人がいる。

 

そんなものやめてしまえ!

 

これだけ労働者に有利な就職市場において、劣悪な職場にとどまる理由はどこにあるのだろうか。やりがいや経験を勘定に入れても補完できないのであれば、すぐさまやめた方がいい。

 

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ブラックバイトで働いている人は自分がバイトに生かされているのではなく、ブラックバイトに養分を与え生かしてしまっているということをよく理解しなくてはならない。

あなたがブラックバイトに栄養を与え続ける限りブラックバイトも成長していく。

大きくなったブラックバイトは国難にこそなれど、国益にはならない。

 

そのムーブメントを止めるためには、栄養の方を断ってしまうに限る。

上の記事でも言及している通り、どうしてもそこのバイトをし続けなくてはならない場合などあるだろうか。

 

 

割に合う仕事か考える

働き続けるかどうかは、割に合っているか考えることで決めることが出来る。 

普通バイトの際は時給が高い低いが話題になる。

バイトを決めるときには時給が労働を上回っていれば割に合うということになるから、

これを式にすると 

 

時給 = 賃金 / 時間 ≧ 労働 となる。

 

しかしこれでは重要な要素が抜け落ちている。

バイトにおける最大の負担は労働ではなく、使用者との関係や扱いなど精神面の負担にある。ブラックバイトもサービス残業といった労働に対する不満もあるが、それ以上にそのことを口に出せないストレスの方にブラックたりうるポイントがある。

 

すなわち、割に合うかどうか見極める式は上記の式にストレス(労働以外の不快な面すべて)を加えた以下の式で考えることが出来る。

 

賃金 ≧ 労働量 + ストレス

 

またその仕事によって自分がどれだけ得したか(どれだけハッピーになったか)を示す効用は右辺を移項して

 

効用 = 賃金 - (労働量 + ストレス)

 

と考えることが出来る。

この中で賃金と労働量は大きく増やしたり減らしたりすることが難しい。

とすると、効用を最大化していくうえで重要なポイントはストレスを以下に減らすことが出来るか、ということにある。

 

ブラックバイトではこのストレスが異常に大きい。

理想としてはなるべく大勢がストレスが限りなく小さい環境で働くことで社会全体の効用が大きくなる。

 

 

ブラックバイトを辞める

社会全体の幸福度を上げるためにも、ストレスをつくり出す代表例であるブラックバイトは滅ぼしていかなくてはならない。

 

ブラックバイトをのさばらしている根源は労働者にあり、労働者がブラックバイトに養分を供給し続ける限りブラックバイトはなくならない。

 

 

中にはブラックバイトが向いているというとんでもない体質の人間もいる。搾取されることに快感を覚え、自ら進んで労働力をささげていく。

これは先に挙げたブラックであることに気づいていない、または許容しているとは性質の異なるものである。ストレスを感じているにもかかわらずそれを快感として受け取り、搾取され続ける。経済学では認められないタイプの人間である。

この手の人間は自分では自分の利益にかなうように行動しているが、結果として社会全体の効用を下げてしまう。

 

 

社会のため、巡り巡って自分のためにもブラックバイトはやめていかなくてはならないのだ。文明国として社会全体のモラルを上昇させ行く必要がある。

 

大変じゃない仕事は存在しないかもしれないが、ストレスが限りなく小さいバイトは存在する。そういったバイトは金銭だけでなく心も豊かにしてくれる。

 

健全でストレスフリーのバイトを労働者が積極的に求めていくことが、よりよい社会づくりには欠かせないのではないだろうか。