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【本屋大賞】瀬尾まいこ『そして、バトンは渡された』

オススメ度:★★★★★★

会うべき人に出会えるのが幸せなのは、夫婦や恋人だけじゃない。この曲を聴くと、それがよくわかる。(p.250)

 

瀬尾まいこ『そして、バトンは渡された』

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あらすじ

親の都合により、高校卒業までに苗字が3回変わり家族の形が7回変わってきた優子。血のつながったお父さん、明るく奔放な梨花さん、裕福で懐の広い泉ヶ原さん、不器用だけど真っ直ぐな森宮さん。形は違えど、優子はそれぞれの親たちから存分な愛を受け育ってきた。

愛情の形は食事やピアノの音色に変わり、優子や家族の心に浸透していく。

そして今度、優子が家族を持つ番になる。

 

 

感想

「これも幸せな家族の一つの形」という言い方がある。

両親が揃っていて、兄弟や親子仲がよくて、という従来の幸せな家族観が瓦解し、親が欠けていたり、いびつな関係のなかで暮らしていたりと家族の姿が多様化してきている。その流れのなかで新しい家族の形を肯定する言葉として、「これも幸せな家族の一つの形」が出てきたと考えている。

 

そもそも「幸せ」は「形」で決まるのだろうか。

幸せを生み出すことのできる「家族の形」をパターン化したり、あるいは「家族の形」によって幸せ・不幸せの線引きができるのであれば、「幸せ」と「形」を対応したものとして理解できる。

しかし実際は同じ構造のなかから幸せが生まれることも、不幸せが生まれることもある。両親が揃っているからといって幸せとは限らないし、片親だから不幸せとも限らない。また不幸せだったのが、幸せになったりその反対もある。

つまり、どういった家族の形態をとっているかということと、本人が幸せであることは必ずしも関係があるわけではない。

 

本作の主人公の優子は、高校を卒業するまでに3つの苗字を経由し、8つの家族の形を経験してきた。

複雑な家族な形に、周囲や教師はみな同情したり、好奇的な目を向けたりと優子は何かと注目されてきた。

この小説を読み始めた人は、初っ端の家族関係の情報量の多さから優子の数奇な人生についての物語が始まるのだと思い込まされる。

しかしこの小説はそのような家族形態の稀有さに注目したものにはなっていない。もちろん入り組んだ優子の家族の形の移り変わりについて書かれてはいるけれど、むしろその特異性よりも普遍性をもった幸せのほうが物語の中で際立っている。

話の各所に散りばめられた「幸せってこういうことだよなあ」と思い出させてくれるシーンやセリフが、読者の心をほっこりと、また胸をじぃ〜んとさせる。

特に私の心に残ったものをいくつか書き残しておく。

 

今一緒にそばにいてくれる人を大事にしよう

小学五年生のときの優子が、大好きだった大家のおばあちゃんとの別れに際し、過去との決別を決心するシーンがある。

親子だとしても、離れたら終わり。目の前の暮らし、今一緒にそばにいてくれる人を大事にしよう。(p.155)

 

幼く、頼れる大人の少ない優子が大好きな人との別れを前に大人になるこのシーンは、読んでいて子供の頃の自分を想起させられ、つと涙が出そうになる。

何かを手に入れたときよりも、何かを失うときのほうがずっと辛い。

何かを失ったあとの心はピースの欠けたジグソーパズルのように「そこにあった気配」だけが残り、より一層寂しさを感じる。欠けているものを探し求め、もし叶うならばもとのピースをなんとか取り戻したいと執着してしまう。

しかし、たいていの場合において失ったものは戻ってこないし、戻ってきたとしても形が変わってしまっていたり、時には求めていたものが幻想の産物にすぎなかったと後から分かることもある。

過去に執着せず、いま・ここにあるものを大事にしようとする態度は幸せに通ずると思う。

 

会うべき人に出会えるのが幸せなのは、夫婦や恋人だけじゃない。

優子がサプライズで森宮さんの高校時代の合唱曲の伴奏を発表しようとこっそり練習し、森宮さんに披露するシーンがある。この時期は思春期に入った優子が森宮さんとの距離感に悩んだり、また周囲との違いに気がついていくなど揺れ動いたタイミングでもあった。

この行動だけでも、優子が森宮さんをいかに大切に思っているか、特別な存在であるか、また優子が大事に育てられたことがわかりジンとくるが、その選曲がまたすばらしい。その曲とは中島みゆきの「糸」だ。

会うべき人に出会えるのが幸せなのは、夫婦や恋人だけじゃない。この曲を聴くと、それがよくわかる。(p.250)

 

もちろんここでの会うべき人は優子にとっての森宮さんになるだろう。しかし私は読んでいてこれまで自分が人生の中で出会ってきた大切な人たちのことが頭にふと浮かび、なんて幸運で素晴らしいことだったんだと、温かい気持ちが広がり涙腺が弛んだ。

「会うべき人」という表現も、どこか縁と奇跡のようなニュアンスを感じさせすてきだ。会うべくして会ってきたたくさんの人たちを、これからも大切にしたいと思った。

 

親になるって、未来が二倍以上になるってことだよ

梨花さんが森宮さんに「優子の親になって欲しい」と口説いたときの話では、親になるということがどんなに奇跡的ですばらしいことかが語られている。

自分の明日と、自分よりたくさんの可能性と未来を含んだ明日が、やってくるんだって。親になるって、未来が二倍以上になるってことだよ。(p.315)

自分じゃない誰かのために毎日を費やすのって、こんなに意味をもたらしてくれるものなんだって知った。(p.407)

 

こんなふうに誰かに言われたら、なんて幸せだろう。またこんなふうに誰かを思えたら、それはもっと幸せなことだ。

子ども産み育てるのには現実とてもお金がかかる。20年以上に渡り継続的な支出も続くし、不安やトラブルも絶えないだろう。こうした背景をもとに実際出生率は下がっているし、子どもの数自体も私が生まれた頃よりずっと減ってしまった。

貧しくなる世の中で子どもを持つということはとても大変な選択になる。けれどもこのように思える人が増えたら、またたくさんの未来を見たいと思えたら、子どもを持ちたいという人の数も増えるのではないだろうか。

私自身はもともと子どもが欲しいなとずっと思っている。これらの文章は「自分が子どもが欲しいと思っていたのは、こういうことのためだったのか」と改めて感じさせてくれた。

 

あの日決めた覚悟が、ここへ連れてきてくれた。

本当に幸せなのは、誰かと共に喜びを紡いでいる時じゃない。自分の知らない大きな未来へとバトンを渡す時だ。あの日決めた覚悟が、ここへ連れてきてくれた。(p.420)

人生は決断の連続だ。

決断は能動的になされることも、受動的になされるのどあるけれど、ともかく自分が選んできたことでしか今や未来はつくられない。

なかには苦しい決断や、難しい決断もある。矛盾に苛まれ直感でしか選べないこともたくさんある。

選ぶのが大変な決断も、自分の将来の幸せにつながっているのだと思えたら、勇気が出そうな気がした。

 

難しいことは抜きに、純粋に家族っていいな、幸せになりたいな、そして誰かを幸せにしたいなと思える小説だった。

小説を読んでこんなに温かい気持ちになったのは久々だったので、評価も5段階で「6」をつけている。

またいつか、自分に大切な人や家族が増えたときにきっとこの本を思い出すだろう。