オススメ度:★★★★★
決して少なくない人が、自ら何らかの中毒に陥りたがっているということです(p.181)
朝井リョウ『イン・ザ・メガチャーチ』

あらすじ
物語は3人の視点から語られる。
久保田慶彦
レコード会社に勤める49歳のサラリーマン。かつては自身の好きな洋楽部門でバリバリ働いていたが、現在は経理財務部でうだつの上がらない状態が続いていた。
あるとき同期でアイドルプロデューサーとして時の人となっていた橋本から声がかけられる。一緒に働いていたときのように力を貸してほしいとの誘いに心沸き、思っていたのとは違う角度でアイドル運営へと関わっていく。
武藤澄香
内気な大学生。昔から洋楽や洋画が好きだったことから留学を志していたものの、内向的な性格ゆえ周囲の雰囲気が合わず、自己嫌悪に陥る日々を送っていた。
苦しい日々の中でたまたま出会ったアイドルに強いシンパシーを感じるようになり、推し活へとのめりこんでいく。
隅川絢子
30代、独身、非正規雇用。会社の先輩との推し活を唯一の拠り所として生きている。
しかし推しに関する突然のニュースにより状況が一変、彼女と彼女の周りが目まぐるしく変化していく。
怖いほどの作家
朝井リョウが怖い。
この本を読みはじめでは「朝井リョウすごい」だった感想が、終盤ではすごいを通り越して怖ろしさへと変わっていた。
例えば、宇宙の形をすべて知ることができたとして、それを絵や図に起こしきることはできるだろうか。
それは宇宙の形を理解するよりも、ずっと難しいことのように思える。
同じように、日本の現代社会をすっかり知ることができたとして、それを何か形あるものに表現することができるだろうか。
物事を頭で理解しているうちには抽象的な状態にしておけるので、複雑なことも考えることができる。
しかしひとたび思考から外に出し表現しようとすれば、表現の制約を受けてしまう。表にしようとすれば二次元にする必要があり、図であれば三次元までに押し込まなければいけない。
文章の場合は次元で表すのは難しいけれど、わかりやすい、きれいな文章を書こうとするときにはどうしても階層化を意識した制約に押し込まれる。
この作品は、時間・空間・役割・対比が3人のストーリーを縦横無尽に飛び回っていく。それでありながら文章の分かりやすさ、テンポそして物語の整合は常に保たれ続け、まったく違和感を覚えることなく最後まで読み進めることができる。
なぜこんなにも複雑な体系をひとつの物語の中にきれいに収めることができるのか。
それもきれいにゾーニングされ小奇麗に収まったお弁当のような作品ではなく、フランス料理のような調和がある。
どんな頭のつくりをしていれば抽象的な内容をだれしもが共感できる具体として表現ができるのか。尊敬を超えて畏怖すら感じさせられた。
視野が狭まるのは楽しいですか
この小説に残ったのが、この「視野が狭まるのは楽しいですか」というセリフである。
作中ではなかなかグサリとくるタイミングで、効果的に使われていた。
視野が狭まるというのはどういう状態か。
例えば推し活のなかで、同じ推しの缶バッチを何十、何百と集めたり、受験期にゲームにのめり込んだりする状態がそれにあたるだろう。はたから見れば狂気的にさえ見えるが、本人からすればそれは絶対的に正しい行動であり、突き進むほかないと信じている。
このような視野が狭まっている人の行動は客観性や社会通念をも遮断し、ひたすらに精鋭化する自分の価値観や思い込みによってのみ突き動かされている。
のめり込みすぎれば次第に実生活に影響を及ぼすようになることもある。
もちろんネガティブな文脈だけで使われるわけではない。仕事にやりがいを見出し没頭したり、スポーツにひたむきにひたむき打ち込んでいるときも同様に「視野が狭まっている」わけで、必ずしも視野が狭いというのが悪い方向に向くわけではない。
ただ一般的には「視野を広く待て」と言われるように、狭窄に陥っているよりかは広く持てている方がよいものとされている。
振り返ってみれば、どんなモチベーションよりも自分を強く突き動かしてきたのは、いつだって「視野が狭まったとき」であった。
アラジンの魔法の洞窟で数千、数万の煌めく宝飾品のなかからたった一つ目に入った宝石が無限に輝き、それ以外はなにも見えなくなり、それが本物であると信じて手を伸ばしたときのように、根拠のない確信が全身の細胞ひとつひとつを突き動かす。
「これだ」と感じた瞬間、からだ中が喜びで震える。雷に打たれたように脳が痺れ、五感が冴え渡るようでありながら何も感じなくなる。
そんなときの行動はたいてい後から間違っていたなと激しく後悔する。もしかしたら、行動中でさえ間違いに本当は気が付いているような気もする。
もはや理性の声は届かず、捉えきれない感情の渦にあっという間にかき消されていく。
「視野が狭まった」ままぐんぐん歩みを進め、手を伸ばす。脳内は感じたことのない多幸感であふれ、もはや過去も未来もどうでもよくなる。
ただいま目の前の一点、それだけが全てであり、それが一生分の普通の幸せよりも大きいのではないかという錯覚に飲み込まれる。
「飲まなきゃよかったなあ」「買わなきゃよかったなあ」「行くんじゃなかったなあ」「告白すべきじゃなかったなあ」と、重軽はさまざまにしろ、衝動を抑えられず悪夢に突き進んでいくさまは一様に同じである。
そんな瞬間はこれまで何度もあった。その度に嵐のように思考と現実をぐちゃぐちゃに荒らし、後悔だけを残して去っていく。
「視野が狭まるのは楽しいですか」に自分なりに答えを出すとするならば、「最悪に楽しい」が答えになるだろう。
セリフとセリフの間のセンス
朝井リョウの作品の魅力のひとつは、シンプルに朝井リョウの文章がうまいことだと思う。もちろんストーリー全体の質の高さも言うまでもないが、文単体でのセンスがとてもいい。
見てみたい。この人たちが、たった一の情報から、千を超えて万の、億の、兆の布教に励むところを。(p.266)
自分の分も早く溶かさなきゃ。
そうしないと、また、独りだけ取り残されてしまう。
何もない海原に。
あの、ただただ広くて大きいだけの海原に。(p.250)
含みを持たせた言い回しが想像力を掻き立て、その光景がありありと眼前に現れてくるようである。オシャレでオリジナリティある言い回しなのに読みにくさを感じさせず、ほんとにセンスがいい作家なのだと感じる。
今回読んでいてて気が付いたのが、セリフとセリフの間の表現の秀逸さである。
前のセリフに対し、その時の言い方がどのようであったか、登場人物たちがどのように受け取ったのかを会話のテンポを崩さぬように端的に表現している。
子どもから玩具でも取り上げるように、国見は言った。(p.176)
濁音が、まるで小さな爆発音のように響く(p.178)
セリフの応酬が長く続く場面だと幼稚な文章に見えてしまうところを、適切な合いの手を入れることで、読者の頭の中のイメージをアップデートさせ続け、緩急を生み、惹きつけられる文章へと変えている。
大作家としての文章力の高さをあらゆる面から見せつけられた作品だった。



