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【読書メモ】吉本隆明『共同幻想論』【国家はいかにして生まれるか】

オススメ度:★★★★☆

その統一する視点は何かといいますと、すべて基本的には幻想領域であるということだと思うんです。(p.27)

吉本隆明『共同幻想論』

 

 本書のエッセンス
・上部構造≒幻想領域=共同幻想+対幻想+自己幻想
・兄弟の<対幻想>が<共同幻想>に同致するとき共同体は国家となる

感想

正直2割も理解できていないが、将来の自分に向けての伝言としてメモを残す。

この本がなぜ難解かと言えば、文章構成が論点を軸に展開されていないためだと考えられる。現代の一般的な文章である主張・具体・補論・再主張のような構成をとっておらず、複数の複雑なテーマに対し全体が綜合して説明する形で記述されている。

したがって初見では各章のどことどこがどのように結合していくのかが見えないというのがまず難解である一点目の理由。

そしてもう一点が精神が分離(いわゆる現代の統合失調症)したような人物と自己・共同幻想との関係がいまいちつかめなかった。この点については現代とこの本が書かれた当時との統合失調症への見方に違いがあり過ぎるために、用語自体をうまく理解できなかったためだと思われる。

 

『共同幻想論』を読むにあたりとっかり無しは厳しいと判断し『100de名著 共同幻想論』を先んじて読むことととした。

こちらの本によれば吉本隆明は生涯を通じて以下の3つの課題に取り組んでいたという。

①敗戦による価値観の崩壊から復活
②信仰はどこからくるのか
③関係の絶対性

敗戦を通じて自己と国家の価値観の倒錯を目の当たりにした吉本は、「敗戦まで信じられていた価値観がなぜ信じられていたか」というラディカルな課題と直面する。そうした本源的問いの中から、この『共同幻想論』は生まれた。

 

国家の起源の思索から下部構造を捨象して、関係性(対幻想 - 共同幻想)から論理立てていく過程は目新しく映りとても興味深かった。ただただ自分の力不足がもどかしい。

 

各章の概要メモ

〇禁制論

閉鎖的な共同体において、現実と幻想の区別がつかなくなったところに禁制(タブー)が生じる。

 

〇憑人論

入眠幻覚特性を持つ人物によって<共同幻想>の物語は伝承されてきた。

 

〇巫覡論

自身と他者の関係を考えるとき(すなわち相互規定性を想定するとき)、自身を相対化し自信を他者とみている。ちょうど自信と他者という2点を上から俯瞰しているのと同じ。

 

〇巫女論

地域社会の<共同幻想>を<対幻想>としてデフォルメしたものが巫女である。

最初の拘束対象が同性=母である女性は、その逃亡先として<自己幻想>または<共同幻想>を選ぶ。<自己幻想>と<共同幻想>が本質的に一致する女性は共同性に対し宗教的権威を持つ。

 

〇他界論

自分の死にしろ他人の死にしろ、死を体験することはできない。死は常に心の問題であり、その問題のありかたは<共同幻想>による。死の認識は、<共同幻想>による<自己幻想>への浸蝕をもってなされる。

 

〇祭儀論

<自己幻想>は<共同幻想>に逆立する。

 

〇母制論

擬似性的関係である<兄弟>の対幻想が共同幻想と同致するとき、集団は国家となる。

 

〇対幻想論

<性>的な行為が対幻想を生み出した時、人間の男女とった単なる<性>が分化し、夫婦や親子、兄弟姉妹といった家族としての系列を獲得する。

 

〇罪責論

<共同幻想>にそむくかどうかが個体の<倫理>を決定する。

 

〇規範論

経済社会的構成の以降、すなわち<共同幻想>の以降時において、前時代の<共同幻想>はたんなる<習俗>へと追いやられ、新たな<共同幻想>が生み出される。すなわち時代間における<共同幻想>は連続ではなく飛躍する。

 

○起源論

国家の起源は血縁的共同性から脱却(近親相姦の禁止)を契機とみることができる。邪馬台国については国家として進んだ段階(法や統治の整備されている)である。