オススメ度:★★★☆☆
読書とは「何が書かれているか」ではなく「自分がどう感じるか」だ(p.5)
見城徹『読書という荒野』
本書のエッセンス
・見城徹は"究極のロマンチスト"
・読書によって思考するための言葉が得られる
・見城と生きた作家たちとの秘話
感想
幻冬舎社長・見城徹が読書を通じて得ようとしているもの、そして見城徹が学生時代、そして編集者時代を通じて愛読してきた作家とその作品について書かれている。
読むだけで見城徹がどれだけ血と汗を流してきたことがわかる。
内容は『たった一人の熱狂』と被る多く、こちらのほうが編集時代の作家との関りが細かく書かれている。自己啓発としては『たった一人の熱狂』のほうがオススメ。
見城徹という男
見城徹とは一言でいえば「高い感受性を持ったロマンチスト」ではないだろうか。
幼いときから高い感受性ゆえに劣等感をもち、居場所をもとめ読書に逃避、そしてのめりこむ日々を送った。
慶応大生時代には時代背景も相まって学生運動に参加する。理想主義をかかげ左傾化していくが就職や逮捕といった「現実という踏み絵」をついに踏み抜くことができずサラリーマンとして働きだす。
しかし自己に対しても社会に対しても理想を実現するというロマンチシズムは変わらず、岩もを通す努力で無理を通し道理をひっこめていき、破天荒な結果を残し続けてきた。
読書で思考する言葉を手に入れる
人間と動物を分けるものは何か。それは「言葉を持っている」という点に尽きる。(p.5)
人間だけが言葉を持ち、社会や自己について思考し、相手に思いを伝えることができる。このとき正確な言葉を持っていなければ、考えていることも伝えられることも限定的になってしまう。
ただし辞書的に言葉や結論を集めていても意味がない。自身の琴線に触れてこそ思考の軸として生きてくる。
読書とは「何が書かれているか」ではなく「自分がどう感じるか」だ(p.5)
見城と生きた作家たち
この本では見城徹と生きた作家たちについても多く触れられている。
ここで紹介されている作家たちの多くは野性的で太い作家ばかりである。三島由紀夫、石原慎太郎、村上龍、林真理子、山田詠美など言葉に力があり、プリミティブな感覚が中心にある作家の名前が挙がっている。
付き合い方も野性的かつ太く、人生のどこかを時期を飲み明かして過ごしたり、強烈な方法で口説き落としたり、海外に何度も訪れたりと豪快なエピソードにことかかない。
私も好きな石原慎太郎の晩年の仕事である『弟』『天才』も見城徹との関係の中で生まれたことがこの本でわかる。
常人には耐ええぬほどの激務であったことは容易に想像できるが、これだけ太く豪快に生きることができたらどんなに素晴らしいかと思った。日に日に細りゆく自分の仕事を見ると、見城徹の1%にも満たない濃度で生きていると自己反省させられてくる。
太く生きられるのは、見城徹にせよ各作家にせよ、強烈に実現したい価値があったからである。自分はどんな価値をこの社会に生み落としたいのかを内省することで、少しでも近づけるのではないかと妄想した。