オススメ度:★★★★☆
「お義母さん、ほら見て。クロコンドルの巣が焼けてます。だから、大丈夫。行きましょう」(p.171)
町田そのこ『ドヴォルザークに染まるころ』
本書のエッセンス
・廃校前の最後の秋祭りが部隊
・生々しい母親たちの会話と心情
・他人からの印象と内面は全く異なる
あらすじ
柳垣小学校は、来年3月に廃校になることが決まっている。
百二十一年の歴史を持つ柳垣小学校であるが、地域の過疎化と校舎の老朽化により、その歴史に幕を下ろすことになった。
最後ということで例年子どもたちの発表を家族が見に来るだけであった「柳垣秋祭り」も地域や卒業生をも巻き込み大規模化され、児童の母親たちは食事の仕込みに前日から追われていた。
類は柳垣小学校に通う男の子をもつ母親で、自身も柳垣小学校の卒業生でこの町から出たことがない。父親が町議会議員を務め、夫の悟志も昔からの幼馴染である。
気の弱い類とわがままな悟志はいかにも"九州的"な夫婦であった。
ずっとこの町で暮らす類は小学生のころ、町に訪れていた若い画家と当時新婚だった担任教師が教室で不貞行為をはたらいているのを目撃したことがある。その後二人は駆け落ちしてしまったが、類の心には象徴的な出来事として刻まれていた。
類が秋祭りの準備をしていると、珍しい男性が訪れてきた。それは画家と担任の行為を共有している唯一の人物である、一つ年下の香坂であった。
香坂との再会に、町に縛られ続けてきた類は新たな感情を抱いていく。
小さな町から出られない人と出て行った人、事実と噂話、今と昔、大人と子供、男と女…。さまざまな属性と状況が対比されながらそれぞれの物語が動いていく。
感想
他人様の事情や感情について、私たちはついつい分かったつもりになってしまう。
他人のつらさは百ある話に思える一方で、自分の苦しみは唯一無二だと思い込む。
この小説では「秋祭り」のなかの出来事を母親たちを中心に多数の視点で描くことで、外から見える印象と本人が抱える感情に大きなギャップがあることを示唆している。
例えば第一章の主人公である類は、地元の名士の家に生まれ、地域に根付いた会社の御曹司と結婚しており、またそのおっとりとした言動と見た目から世間知らずで主張のない人物であると周りから見られている。
しかし実際には類のなかにも出ることのできなかったこの地域に対し檻のような印象をもっており、風景ひとつとっても美しさを感じられずにいた。また夫のわがままを受け入れる良妻に見える一方で、内心は怒りを宿している。
特に印象的であったのが校歌合唱の発表でうまく発表のできなかった麦が、このままでは終われないとリベンジを果たすべくカラオケ大会に出場するシーンである。
6人しかいない同級生に参加を呼び掛けるが実際に参加したのは3人だけであったが、彼女らが歌いだすと地元の中学生が演奏を買って出、いつかの卒業生たちも歌いだし大合唱へと輪が広がっていく。
外からみると一見少女の行動がみんなを動かした美しい話のように思えるが、彼女の視点からは違った。彼女は一体感のために校歌を歌いたかったのではなく、うまくいかなかった6人での合唱をやり直したかっただけなのであった。
でもやっぱり悲しかった。こんなのはあたしが望んだステージじゃない。わたしはちゃんと歌いたかった。きちんと歌えるところをみんなに見てもらいたかった。(中略)だけど、あたしのリベンジの機会は、もう永遠に失われてしまった。(p.231)
相手のことをどれだけわかろうとしても、そこには事情や背景のちがいから一般論では語り切れない部分が必ず残る。そこをわかると言い切ってしまうのはやはり驕りなのであろう。
片田舎の雰囲気と秋の空を感じられる秋にオススメしたい小説であった。