オススメ度:★★★★☆
慌てるな、坊や。慌てるな、坊や。(p.252)
小川洋子『猫を抱いて像と泳ぐ』

あらすじ
"大きくなること、それは悲劇である"
唇と唇がくっついたまま寡黙な生まれた少年は、トラウマから大きくなることを忌避し、十一歳の身体のまま成長を止めた。
内気な彼が心を通わせたのは、大きくなりすぎたためにデパートの屋上遊園地に取り残され、生涯地上へ下りることが叶わぬまま生涯を閉じた像と、家の壁に埋められた少女のミイラだった。
彼は廃バスで暮らすマスターからチェスを教えられ、みるみる頭角をあらわしていく。彼は高名なチェスプレイヤー・アリョーヒンを模した「からくり人形」を操り、ホテルの地下にあるチェス倶楽部でチェスを通して世界を広げてゆく。
感想
美しい小説だった。
文章も場面も物語も、すべてが美しい小説だった。耽美的でありながら退廃性を持たず、読んでいて小さな花が蕾から花を咲かせ、散っていくところをみているような気持ちになった。
アメコミのようにダイナミックな戦いがあったり、衝撃的な展開で興奮するといったことはなかったけれど、全編を通して形を変えながら美しさが維持され、小説を読む醍醐味を味わえた。
この小説の美しさは、テーマ × 構図 × 文章力に分解できる。
この小説で主たる要素になっているのが、チェスとからくり人形である。
チェスは異国情緒や、上流階級のエレガントさ、知性、彫刻としての芸術性のイメージをもつ。
またからくり人形というものからは、どこか耽美性や哀愁が漂ってくる。ふつうの人形は人間を模してつくった無機物の塊という感じがするけれど、からくり人形は人間から魂を抜き去ったようである。死んでいるのでなく、生きて、魂がない。ゆえに冷たさと美しさをあわせ持つ。
さらにマスターのバスで使われているインテリアや、深い海、白い鳩、猫、家具職人、屋上遊園地、ゴンドラ、文通、暖炉といったエッセンスもまた、その言葉の持つイメージによって美しさを醸しだすことに一役買っている。
この小説に幻想的な美しさを添加しているのが、話の構図である。
この小説が日本を舞台にしていながら異国の町に迷い込んだような錯覚をもたらすのは、わたしたちが社会規範、自然主義的な「客観的な」色眼鏡をかけて日本社会を見ているのに対し、リトル・アリョーヒン彼自身の「主観」によって見えた日本が描かれているためである。
彼の主観を通して見た世界では象の足跡に海ができ、家の壁にミイラが埋まっている。これらの"幻想"は現実とからまり合い、新たな世界を生む。物理的に見れば単なる駒の形をした質量の運動が、彼の世界では閉じ込められていた象の大移動へと解釈を変える。
幻想はけっして虚偽ではない。幻想は主観を通した現実の世界である。彼の生み出した世界はわたしたちの見ている幻想とは遠く離れているので、読み手は彼の幻想に異国を見出す。
そして小説の美しさを決定的なものにしているのが、一文一文の美しさである。
彼女は澄んだ瞳で盤を見渡し、慈しむように駒を握り、励ますように新しい升目に置いた。(p.303)
「きっと他のところに特別手を掛けて下さって、それで最後、唇を切り離すのが間に合わなくなったんじゃないだろうか」(p.27)
言い回しや表現ひとつひとつに魂が込められており、文章自体が芸術品のような美しさをもっている。
これらの要素が合わさり、美しい小説となっていた。



