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【芥川賞受賞作】市川沙央『ハンチバック』

オススメ度:★★★★☆

 

市川沙央『ハンチバック』

 

あらすじ

私の背骨は、右肺を押し潰すかたちで極度に湾曲している。

その不自由な身体ゆえ、社会から疎外され生きる私の社会との接点は、コタツ記事のライターの仕事と通信大学、そして親が遺してくれたグループホームの食堂。

 

安定した日々を送る私であったが、ある日ヘルパーの田中から弱者を見下す発言(攻撃)を受ける。このような発言をする田中もまた、インセル=弱者男性であった。

さらに田中に性的な内容を呟いているTwitterのアカウントがバレていることが発覚し、弱者同士の関係は拗れていく。

 

 

感想

ヴィクトル・ユゴー原作で、ディズニーのアニメーション映画に『ノートルダムの鐘』という映画がある。

 

モンスターと形容され、ノートルダム大聖堂の鐘撞堂に幽閉され育てられている"せむし"の男が、愛を知り外の世界に踏み出す話だ。

 

この『ノートルダムの鐘』の原題は『The Hunchback of Notre Dame』というが、この"Hunchback"すなわちせむしが差別用語にあたるとして、邦題はこのように付けられている。

このような背景から、今回『ハンチバック』という名称で書籍が発売されたことには、いささか驚いた。

 

この小説を読んでいて感じたのは、筆者の社会に対する苛立ちと諦念である。

障害者への配慮の無さや、社会の鬱憤が弱者に向けられている現実に辟易している。

 

障害を持つ子のために親が頑張って財産を残し、子が係累なく死んで全て国庫行きになるパターンはよく聞く。生産性のない障害者に社会保障を食われることが気に入らない人々もそれを知れば多少なりとも溜飲を下げてくれるのでないだろうか?(p.16)

 

小説の流れだけを考えれば、この文章は必ずしも必要ではない。

これは小説の文章というより、本音を吐露しているようにもみえる。

 

何十回、何百回と叩きつけられた言葉に怒る気力も失い、興奮した野犬が落ち着くのを待つように、諦めと共に耐え忍んでいる。

 

***

 

もう一つ本書で特徴的であったのが、普段聞き馴染みのない言葉たちである。

マチズモ、インセル、ミオパチー、侏儒。平均よりは読書しているつもりの私であるが、この本の中ではいくつもの知らない言葉に出会った。

 

厚みが3、4センチはある本を両手で押さえて没頭する読書は、他のどんな行為よりも背骨に負荷をかける。(中略)5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。その特権性に気づかない「本好き」たちの無知な傲慢さを憎んでいた。(p.26)

 

ちなまにマチズモはマッチョと同じ語源を持ち、「男性優位主義」の意。インセルはinvoluntary celibateの略で、俗的な言葉にすると非モテや弱者男性が近い。

ミオパチーは筋肉疾患の総称、侏儒は小人のこと(中国の後漢書等に出てくる小人の国こと侏儒国は、日本の種子島だと言われている)。

 

同言語の話者であっても、実際に用いるボキャブラリーの集合は異なる。

構造主義的な見方をすれば、自分が用いる或いは用いる可能性のあるボキャブラリーは、その人の思考に影響を与える。

異なるボキャブラリーを用いるということは、思考体系が異なるということで、ボキャブラリーが異なるもの同士では、常日頃見えているものが異なる。

 

私たちは、異なる思考体系の他者がいることを認知し、理解しようと努められているだろうか。

 

本書に綴られた筆者の社会に対する苛立ちと諦念から、そのようなことを考えさせられた。