オススメ度:★★★★☆
ほんとうに生きるということは、自分で自分を崖から突き落とし、自分と戦って、運命をきりひらいていくことなんだ。(p.33)
岡本太郎『自分の中に毒を持て』
本書のエッセンス
・岡本太郎が生き方について語った本
・ただ「尖れ」と言っているわけでなはい
・今この瞬間を生きろ
二つの生き方
この本を読む前、タイトルから勝手に「尖って生きろ」というメッセージかと思ったが、実際には全く反対のことが書いてあった。
岡本太郎は大阪万博('60)の「太陽の塔」で知られる芸術家で、「芸術は爆発だ」という言葉もよく知られている。
その岡本の著作の代表作がこの『自分の中に毒を持て』である。
この本で繰り返し主張されているのは「生き方には2つある。<相対的な生き方>と<絶対的な生き方>である。そしてほんとうの生き方というのは<絶対的な生き方>だ」というメッセージに尽きる。
相対的な生き方というのは、価値基準を周囲や世間体にゆだねる生き方である。つまり相対的な生き方というのは他人の人生を生きるということで、ほんとうの生き方ではない。
岡本はこの相対的な生き方を<安全な道>と表している。
絶対的な生き方
一方で岡本が<ほんとうの生き方>と語っているのが<絶対的な生き方>である。
<絶対的な生き方>とは今この瞬間瞬間を生きる生き方である。未来に期待の前借をしたり、過去の功績に執着したりしない。この瞬間に情熱を注ぎ一生懸命打ち込むことで、生きがいが生まれる。
本書冒頭の
人生は積み重ねだと誰でも思っているようだ。ぼくは逆に、積みへらすべきだと思う。(p.11)
とはこの過去に執着しないことを指している。
また未来についても
"いずれ"なんていうヤツに限って、現在の自分に責任を持っていないからだ。生きるということは、瞬間瞬間に情熱をほとばしらせて、現在に充実することだ。(p.58)
と話し、今この瞬間に情熱を傾けることこそがほんとうの生き方だと語る。
この未来に期待することの危険性については、水野敬也『夢をかなえるゾウ』でも同様のことが書かれている。
しかし、このような絶対的な生き方を実現できている人というのは少ない。なぜならば絶対的な生き方は苦痛や苦悩を伴うからだ。
しかし、人間がいちばん辛い思いをしているのは、"現在"なんだ。やらなければならない、ベストをつくさなければならないのは、現在のこの瞬間にある。それを逃れるために、"いずれ"とか"懐古趣味"になるんだ。(p.58)
苦痛の根源はまぎれもなく目の前の現実である。そしてこの現実は外的なものと内的なものの2つに分けることができる。
外的なものとは、人間関係のしがらみであったり、会社からのノルマであったりといった生きていく上で必ずである問題である。
そしてもう一方の内的な現実とは<未熟で不完全な自分>である。
自分が頭が悪かろうが、面がまずかろうが、財産がなかろうが、それが自分なのだ。それは"絶対"なんだ。(p.62)
自分が未熟で不完全だと思い込むと、自信をなくしモチベーションが下がってくる。しかしそもそもこの考え方は違っている。なぜなら人間とは誰もしもが未熟であるからだ。
自分が未熟であることを100%受け入れることができない限り、内的な現実から逃れることはできない、生きる力が湧いてこない。自分が未熟だからチャレンジできないというのは、岡本に言わせれば甘えにすぎない。
未熟な自分を認めるということは、ある種肥大化した自己に対し否定を突きつけることになる。これはとても辛いことである。
しかし自己否定し情熱を燃やさぬかぎり<絶対的な生き方>にはたどり着けない。
岡本は禅宗のある講演の中で以下のように語っている。
「道で仏に逢えば、仏を殺せ」とあるが、実際に京都の街角に立つと何に逢うか。仏ではなく己自身である。己に逢い、己を殺さねばならない。
「道で仏に逢えば、仏を殺せ」の仏とは仏の教えのことで、学びの過程で教えが間違っていれば教えを手放せをいうことを意味している。つまり己に逢えば己を殺せとは、過去の自分を手放せ=自己否定せよといっている。
岡本はどのようにしてこの生き方に至ったのか。
岡本は25歳の時、単身渡ったパリである命題について考えていた。
しかし、社会の分業化された狭いシステムの中に自分をとじ込め、安全に、間違いない生き方をすることがほんとうであるのかどうか、若いぼくの心につきつけられた強烈な疑問であった。(p.19)
すなわち相対的な生き方に違和感を覚え、どのように生きればほんとうなのかをひたむきに考えていた。そして思いつめた中入ったある映画館で、ふと真理と邂逅する。
・・・そうだ。おれは神聖な火炎を大事にして、まもろうとしている。大事にするから、弱くなってしまうのだ。己自身と闘え。自分自身を突きとばせばいいのだ。炎はその瞬間に燃え上がり、あとは無。ー爆発するんだ。(p.218)
神聖な火炎=アイデンティティを燃え上がらせるためにはどうすればよいのか。その道はただ一つ、厳しい道=絶対的な生き方に身を投じることだと岡本は気が付いた。
そして瞬間瞬間の分岐について常に厳しい道を選び、自己否定し、情熱を燃やすことで星のように生きがいが生まれ、無目的に人生が「爆発」する。
生きるということは本来無目的・非合理である。これを科学主義・合理主義で割り切ることはできないし、そんなことをしようとした結果が現在の人生が疎外された状況である。
岡本の<ほんとうの生き方>というのは、神谷美恵子の「生きがい」と本質的に同義である。
冒頭で「尖って生きろ」は誤りだと書いたが、これは尖って生きる=差別化すること自体が周囲との相対的な発想であり、絶対的な生き方とは反対であることがわかる。
生きた実感を味わうには<ほんとうの生き方>を追求する必要があると感じた。