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【本の紹介】太宰治『ヴィヨンの妻』

オススメ度:★★★★☆

「僕はね、キザのようですけど、死にたくて、仕様が無いんです。生れた時から、死ぬことばかり考えたいたんだ。皆んなのためにも、死んだ方がいいんです。それはもう、たしかなんだ。それでいて、なかなか死なない。へんな、こわい神様みたいなものが、僕の死ぬのを引きとめるのです」(p.138)

 

太宰治『ヴィヨンの妻』

著者:太宰治(1909〜1948)

東京帝国大学仏文科中退。本名は津島修司。自殺未遂、麻薬中毒と破滅的な生活を送りながら作品を次々に執筆。1948年未完の『グッド・バイ』を残し愛人と玉川上水にて入水自殺した。

 

 本書のエッセンス
・人間の弱さと矛盾とその肯定

 

あらすじ

クリスマスイブの夜中、妻と4歳の子供の待つ家に夫が息を荒らしながら帰ってきた。泥酔し深夜に帰ることはままあるが、その日はいやに優しく様子が違った。

しばらくして玄関口に4,50歳の夫婦が怒り心頭でやってきた。咄嗟に逃げだそうとする夫を男が止めると、夫はジャックナイフをちらつかせ逃亡した。

妻は夫婦を家に上げ、話を聞くことにした。

夫婦によると2人は中野で小料理屋を経営しており、その店で夫が現金の盗みを働いたらしい。夫は元々バーの年増女に連れられ訪れ、それ以降そこの常連となっていたが、"つけ"も散々溜まり夫婦は困っていた。

妻は明日中にお金を工面して返すから警察沙汰は待って欲しいと頼み、夫婦に引き上げてもらった。

次の日妻はとりたてて策もなかったが子供を連れ小料理屋に行き、今日中に必ず払えるアテがついた、今日は自分が人質となってお店を手伝わせて欲しいと伝えてそのようになった。

夜九時をすこしすぎたころ、綺麗な女性をつれた仮面の男がやってきた。夫であった。

夫も妻に気がついた様子だったがスルーしていると、つれの女性から店のご主人を呼んで欲しいと告げられた。

三十分足らず会話したのち、その女性の立替でどろぼうしたお金はすっかり返済された。つけの料金は妻がこのお店で働き返すことになった。

 

感想

太宰の(特に後期の)作品からは、人の弱さと矛盾とその肯定が多くテーマになっていると感じられる。

 

表題作である『ヴィヨンの妻』の主人公の夫は、弱く矛盾をかかえた人間である。

 

年末に小料理屋からお金を奪い、その金で京橋のバーでクリスマス・プレゼントだと言って散財する。

結局盗んだお金はバーのマダムに建て替えてもらうのだが、そんな挙句妻に金を盗んだのは、妻子にいいお正月をさせたかったからで人非人ではないと話す。

 

ほんとうに妻子のことを思うならば、バーで散財など到底できないのではないかと思われてしまうが、ここに人間の矛盾がある。

夫はきっと、ほんとうに妻子のことを心の奥底で大切にしているが、それを行動に起こし続けるだけの勇気がないのだ。そしてこの理解されない矛盾に良心の呵責を感じている。

弱さと矛盾はこのときだけの話ではなく、おそらく彼の人生の間ずっとついて周り、これからも繰り返される。

「僕はね、キザのようですけど、死にたくて、仕様が無いんです。生れた時から、死ぬことばかり考えたいたんだ。皆んなのためにも、死んだ方がいいんです。それはもう、たしかなんだ。それでいて、なかなか死なない。へんな、こわい神様みたいなものが、僕の死ぬのを引きとめるのです」(p.138)

 

読み手は夫の矛盾を不快に思ういっぽうで、自分の中にも同じような矛盾があることに気が付かされる。

弱さと矛盾を自分の中に認めながらも、作中の夫婦のように生きてゆけることが分かってくる。

 

人間は弱い。ときに目の前の現実から逃げたり、目を背けたり、ごまかしたりする。

その度に自分の中に生まれる矛盾と折り合いをつけ、自分のイヤな部分を知りながらも生きていく。

 

このことに気がつき、他人を赦し自分を赦すことで生きやすさを獲得できるのではないだろうか。