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【本の紹介】太宰治『津軽』

オススメ度:★★★☆☆

いつ死ぬかわからんし、などと相手に興覚めさせるような事は言えなかった。(p.172)

 

太宰治『津軽』

 

 

 本書のエッセンス
・太宰の死の4年前に書かれた
・故郷津軽をめぐる
・真の目的は母代わりの"たけ"と人生の最後に会うこと

 

たった一つの旅の目的

没する数年前の太宰が、小山書店の依頼を受けて書いた旅行記的なエッセイ。

生まれ故郷を訪れ、旧友や知人と共に津軽のあちらこちらを周るが、正直最後の目的地を訪れるまで面白いと感じられなかった

読み途中ではこの本が太宰治の作品の中で評価されているのかと、いささか疑心を抱いた。

 

新たな地を訪れるたびに事典から引用したような(なかには実際に引用している箇所もあるが)文章が続き、正直青森にそこまで関心のない自分としては読み飛ばそうかと思うほどだった。

しかし一番最後の目的地での出来事を読み、「なんだ、そういうことだったのか」とすべて納得がいった

 

***

 

この旅のおわりに、太宰は自分の子守りを担当してくれていた「たけ」の元を訪れる。

訪れるといっても住んでいる村がわかっているだけで、詳しい住所や最近の動向もわかっていない。

 

朝早く起こしてもらい、太宰は1日に1本しかないバスに乗り小泊村に向かった。

村へ着くと太宰は見境なく村民に声をかけ、たけの住む家を探す。

 

そうしてやっとのことで家を突き止めるが、戸には鍵がかかっており、どうやら留守のようである。

 

半ば諦めかけるが、わずかな望みにかけて捜索を続けていると、その日は村の学校の運動会へ出ていることがわかる。

太宰は学校を訪れ、たけと数十年ぶりに再会する。

 

旧家の生まれの太宰にとって、家族とは厳かな存在であり、甘えられる対象ではなかった。そんな太宰にとって肩の荷を下ろして話せる間が女中や使用人であり、そのなかでも子守がかりのたけには母にちかい特別な感情を抱いていた。

 

『津軽』の冒頭で太宰はこのようなことを言っている。

「正岡子規三十六、尾崎紅葉三十七、斎藤緑雨三十八、国木田独歩三十八、長塚節三十七、芥川龍之介三十六、嘉村磯多三十七」

「それは、何の事なの?」

「あいつらの死んだとしさ。ばたばた死んでいる。おれもそろそろ、そのとしだ。作家にとって、これくらいの年齢の時が、一ばん大事で」(p.32)

実際に太宰が自死したのはこの旅から4年後のことだが、この時点で太宰の頭の中では人生の最後がよぎっていたことは間違いない。

そして人生が終わる想像をしたとき、太宰の頭をかすめたのが母代わりであった、たけのことであった。

 

つまりこの小説もこの旅も、目的はただ一つ。母としてのたけにもう一度会うことだけであった。太宰はただたけに会う口実をつくるためだけに津軽を一周し、小説を一冊書き上げたのだ。

そう気が付いたとき、会えてよかったなと心から思った。そして会った以上、太宰が死ぬのも時間の問題だったのだろう。