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【諦めかけたあなたへ】太宰治『走れメロス』【感想】

オススメ度:★★★★★

私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。走れ!メロス。(p.177)

 

太宰治『走れメロス』

著者:太宰治(1909〜1948)

東京帝国大学仏文科中退。本名は津島修司。自殺未遂、麻薬中毒と破滅的な生活を送りながら作品を次々に執筆。1948年未完の『グッド・バイ』を残し愛人と玉川上水にて入水自殺した

 本書のエッセンス
・この一冊で太宰が天才だとわかった
・短編集全体で太宰の随筆と作品が入れ子の関係として楽しめる
・『走れメロス』は仕事で挫けそうになった時にオススメ

 

感想

この一冊を読んで、太宰はほんとうに天才なんだとわかった

 

『人間失格』『斜陽』『ヴィヨンの妻』に続く太宰治4冊目として『走れメロス』を読んだ。

『走れメロス』(新潮文庫)は表題作『走れメロス』を含む9編から成る短編集で、主に中期太宰の作品を中心に構成されている。

 

この短編集の完成度を確固たるものにしているのが、全体の構成である。

もちろん、収録作品それぞれのクオリティが高いのももちろんだが、それ以上に頭から読み進める中でどんどんと太宰を理解し、引き込まれ、ファンにさせられてゆく。

 

巻頭作品は『ダス・ゲマイネ』という、25歳の大学生の初恋や仲間たちとの悩みや葛藤を描いた作品。

イメージとしては森見登美彦に近い読み味がある。自意識に苛まれた青春を軽快に描いた作品で、当時の言葉遣い、例えばテエブルやニュウスといったものに無理なく慣れることができる。

ちなみにこの作品には太宰治という名前の新人作家も登場する。

 

続いて『満願』という3ページの超短編でひといきついたあと、『富嶽百景』という随筆にはいる。『富嶽百景』は作家の井伏鱒二がこもって仕事をしていた甲府の茶屋に太宰も泊まり込み、しばしの間の執筆活動や来客とのやりとり、結婚の様子を記した作品である。

この随筆で読者は太宰という人間のプライベートな一面に触れ、より身近に感じられるようになる。

 

さあここまでで読者は太宰作品を味わう"下地"ができた状態になる。そうしてここから傑作『女生徒』『駆込み訴え』『走れメロス』という怒涛の作品に一気に引き込まれてゆく。

 

『女生徒』はある女生徒目線で全編書かれた短編作品で、太宰の少女の感情への解像度の高さに度肝を抜かれる。

 

主人公の少女が鏡で自分の目を見ながら物思いにふけるシーンで、

青い湖のような目、青い草原に寝て青空を見ているような目、どきどき雲が流れて写る。鳥の影まで、はっきり写る。美しい目のにとと沢山逢ってみたい。(p.87)

と可憐で少女らしい一面を見せたかと思えば、次のページでは

おまえは誰にも可愛がられないのだから、早く死ねばいい。(p.88)

と語り(おまえ=ペットの犬のカア)、

私は、カアだけではなく、人にもいけないことをする子なんだ。人を困らせて、刺戟する、ほんとうに厭な子なんだ。縁側に腰かけて、ジャピイの頭を撫でてやりながら、目に浸みる青葉を見ていると、情けなくなって、土の上に坐りたいような気持ちになった。(p.88)

自分の個性みたいなものを、本当は、こっそり愛しているのだけれども、愛していきたいとは思うのだけど、それをはっきり自分のものとして体現するのは、おっかないのだ。(p.99)

 

とその直後には一転自己嫌悪に陥る。このロマンチックさと残酷さ、そして自己愛と自己不振という不安定さはすべてが三位一体のように少女に備わっている性質であり、それらを見事すぎるまでに描いている。

 

電車の中でお気にいりの風呂敷を膝の上に出したシーンでは

電車の中の人にも見てもらいたいけれど、誰も見ない。この可愛い風呂敷を、ただ、ちょっと見つめてさえ下さったら、私は、その人のところにお嫁に行くことをきめてもいい。(p.102)

と表現し、風呂敷一枚からこんな文書が書けるのかと衝撃を受けた

これが天才の文章なのかと確信し、畏怖するほどすばらしい作品だった。

 

次は『駆込み訴え』という、男が激しく興奮した様子である男を殺してほしいと打ち明けるシーンからはじまる作品である。読み始めはなんの話をしているのかわからない状況からはじまり、次第にパズルのピースが埋まるように全体像が浮かび上がってくるのが面白くてたまらない。

ミステリーにも近いこの作品の詳細はぜひ実際に読んで確かめてもらいたい。

 

そして次が誰しもが知る『走れメロス』である。

メロスと親友セリヌンティウスの友情にフォーカスされがちな作品だが、私が強く惹かれたのはメロスが王のもとに向かう途中、あまりの辛さに諦めかけたシーンである。

 

濁流を超え、山賊を退け走り続けたメロスであったが、あまりの披露に心が折れかける。

身体疲労すれば、精神も共にやられる。もう、どうでもいいという、勇者に不釣り会いな不貞腐れた根性が、心の隅に巣食った。私は、これほど努力したのだ。約束を破る心は、みじんも無かった。

 

もう自分は十分頑張った、頑張ってダメだったのだから非難されるいわれはないと自分を正当化し、足を止めてしまう。決心が揺らいだわけではない、ただもう無理なのだと諦めようとする。

しかしそのとき、水の流れる音を耳にする。メロスは静かに近づき、その水をひと掬い飲みほす。するとメロスのなかに一筋の光がさし、希望が戻る。

日没までは、まだ間がある。私を、待っている人があるのだ。少しも疑わず、静かに期待してくれている人があるのだ。私は、信じられている。私の命なぞは、問題ではない。死んでお詫び、などと気のいいことは言って居られぬ。私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。走れ!メロス。(p.177)

 

そしてメロスはさっきまでのネガティブは"悪い夢"だと切り捨て、友の元へ一目散に向かう。

 

疲労困憊のなかで、始めの決意自体は変わっていないものの達成に対する執念がゆらぎ、静かに自分を正当化する様、そしてそこからハッと目覚めて執念の炎を再び燃やすまでの心理状況の変化に心から共感できた。

仕事がつらくいつまでも終わらないとき、もういいかと思うときがある。これだけ頑張った、頑張ったうえでダメならみんな認めてくれるだろうと弱気になる。

しかしそんなとき、ふとしたきっかけでもう一度頑張れると気がある。たとえばオフィスの窓から夜遅くまで頑張っている他の会社の窓からもれた光が見えたり、過去のお客さんの言葉を思い出したりと、意図しない瞬間が、"悪い夢"から目を覚まさせ、もう一度頑張る勇気をくれる。

 

学生時代読んだときには味わえなかった、逆境をがんばる今だからこそ感じられた文章に心打たれた。

 

ここからの3作品は再び太宰の随筆である。

『東京八景』は青森から東京へ出てきて、人生がどうしようもなくうまくいかず、周りに生かされているなかでもクズを治せない太宰の辛い日々とそこから立ち直るまでを描写した随筆である。

大学も留年を繰り返し、長兄にうそをつきながら仕送りを請うなかでこれまでのことを全て遺書に残そうと『晩年』に取り掛かる。

警察の世話になり、住みかを転々とし、薬に手をだしどうしようもなかった太宰が立ち直っていく。

 

そして『帰去来』『故郷』は恩人に手引かれて勘当されていた故郷の青森に帰ったときの様子が描かれており、太宰と実家との関係性がよくわかる作品になっている。

 

***

 

この一冊で、東京に出てから堕落し、苦悩しながらも作品を発表し、『女生徒』『駆込み訴え』『走れメロス』という傑作を書き上げ、故郷に再び戻るという太宰の半生と才能をどちらも味わうことができる。

『人間失格』や『斜陽』から太宰に入った人は後期太宰の暗い側面のイメージが強いかもしれないが、この『走れメロス』を読むことで、それ以外の太宰の一面に触れることができると思う。

 

きっと今後もなんども読み返すと確信した一冊になった。