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【本の紹介】村上龍『限りなく透明に近いブルー』

オススメ度 : ☆☆

1976年に発行、同年第75回芥川賞を受賞した登場24歳だった村上龍によって書かれた彼の代表作「限りなく透明に近いブルー」。

単行本・文庫本の発行部数の合計ではおよそ370万部で芥川賞受賞作の中で史上1位の大ヒット作。

 

市のおよそ3分の1を在日米軍基地で占める福生市を舞台に、ドロップアウトし、快楽と陶酔に溺れる若者たちの淡白で不思議な関係が描かれている。

 

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「69 sixty nine」

オススメ度:☆☆☆

私にとって村上龍の小説は「限りなく透明に近いブルー」で2冊目で、以前には「69 sixty nine」という作品を読んだことがありました。

「69 sixty nine」は、1969年長崎県の佐世保を舞台にその抜けにバカで楽しそうな高校生がマドンナの気を引きたい一心でバリケード封鎖を試みたり、イベントを開催したりとエネルギッシュに駆けずり回る様子がコミカルに描かれています。

 

村上龍本人が書いていてこんなに楽しい作品は他にないというほどで、登場人物のほとんどが村上龍の若い頃の周りの人物をモデルとしています。

 

この本は読んでいて自分の高校時代が想起されました。

青春を楽しんで生きた人間であれば必ず懐かしい気持ちになり、もし青春を楽しめなかった人ならばこんな若い時を生きたかったと、羨望するに違いありません。

 

とてもテンポの良いストーリー展開で、スピーディーでスッキリとした読み味で、読み終わってみてとても心地が良かったです。

ライトな青春小説を読みたいというひとには是非オススメです。

 

「限りなく透明に近いブルー」

さて同じ基地の街を舞台とした青春物語でも、「69 sixty nine」と「限りなく透明に近いブルー」とでは色がまったく違います。

 

「69 sixty nine」が灰色のキャンバスに赤や黄色、青や紫が弾け飛ぶイメージならば、「限りなく透明に近いブルー」は海の底に沈んだ黒、干からびた青、拭われた赤がどこか遠くで塗りつぶされたという雰囲気です。

 

キャラクターも特徴的でありながら没個性的で、行き着くとこまで行き着いてしまった若い男女が、消去法的に交わり、余り物の絆で結ばれたコミュニティの中で生きています。

 

読んでいくとドロップアウトし、カーストの底に沈んでいるはずの主人公たちにもかかわらず、それが何でもないかのような錯覚に陥っていきます。

読者が登場人物に感情移入できないだけでなく、お互いにぶつかり合っている登場人物さえも外から傍観しているような、不思議な感覚がします。

 

一方で過激でショッキングなシーンは詳細に描かれており、リアルから遠い場面であればあるほど現実味を帯びているようで読んでいて吐き気がします。

 

主人公のリュウは夜な夜な友人の女や黒人の米兵、そしてその仲間を集めパーティーを開催します。

何でも有りなある日のパーティーでは、白人女性がリュウの腰にまたがり、また屈強なアメリカ人の男がリュウの顔にどっしりと乗りかまえています。

しかし慣れない苦しみに反射的にえずいたリュウは、男の逆鱗に歯を当ててしまいます。

リュウの粗相にキレた男は拳でリュウの顔面を殴り、リュウは口を切ってしまいます。

 

ディストピア的な世界で繰り返される行為はなべて生々しく描かれ、私たちの現実と非現実の行き来を狂わせます。

 

まとめ

純文学の作品らしく緻密な情景描写で描かれたこの作品ですが、個人的にはあまり作品に入り込むことができませんでした。

 

終始小さな電球の切れかかった薄暗い部屋で重い昔話を聞いているようで、読んでいて何度かページを閉じてしまうこともありました。

ドラスティックな内容でありながら起伏が少ないのも読んでいてテンポをつかみにくかった一因かもしれません。

 

しかし緻密な情景描写自体は耽美的で美しく、小説家の小説を読んだという満足感はありました。

 

芥川賞作品を読んでみたい、有名な純文学作品が読みたいという人にはいい本かもしれません。