本と絵画とリベラルアーツ

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生まれてこの方意識して日の出を拝んだことがなかった。

学生の時から朝に弱く、休みであれ予定がある日であれ朝は寝ていられる限界まで布団から出ない悪習が骨の髄まで染み付いている。

そんな生活を送っているため、基本的に外に出る時には太陽はそこそこの高さまで登っているのが常で、太陽を自分の目線にあるようなタイミングで拝むことは、ごくわずかな例外を除いて経験がなかった。

 

今回はまさに例外が起こり、具体的には太平洋の海岸に近い知り合い宅に泊まったのを機に見に行くことになった。

 

朝日観察が結構されたのは、朝からしつこい湿度のベタつく、7月のとある日曜日である。

この日の日の出は4時半ごろの予定で、万が一貴重なタイミングを流さぬよう、余裕を持って朝3時に近くのカーシェアリングでトヨタ車を借りて出発した。

田舎なので周りも静かだと思っていたが、カーシェアスポットの横のダーツバーがあり、その一件だけがこの町で唯一賑やかな笑い声と光を発していた。

 

適度な緊張感を持って、シートベルトを締め車を出発させる。早起きせねばならないのに昨晩は0時まで起きていたため、いざ運転すると頭がクラクラした。

 

早朝の高速は走っている車も極めて少なかった。ルームミラーごしに背後を見ると、鏡には暗闇しか写っておらず内心ゾッとしていた。白線がなければ深い森を走っているのと変わらないくらいだった。

なぜかレンタカーはエアコンの効きが悪く、風量を強にしても生ぬるい風が社会を循環するだけだった。あとで日が昇り本格的に車内の気温に耐えきれなくなってから調べて分かったことだが、ただACのスイッチを入れていないだけだった。

このときはそんなことにも気が付かずただただハズレのレンタカーを引いたと思い込み、少しずつフラストレーションを募らせているだけだった。

 

1時間ほど車を走らせ、目的地近くにたどり着く。

4時を過ぎた空は迫り来る太陽の光を受け、次第にまばらに浮かぶ雲が赤く反射しはじめていた。まさかもう日が出てしまったのではないかと少し焦り、手頃な駐車場を探す。

 

幸い求めていた無料駐車場はすぐに見つかり、大洗朝前神社付近のに車を止める。絶好のロケーションで日の出を拝める人気のスポットと聞いていたが、駐車場の埋まり具合はそこの4割程度だった。

 

砂浜近くの舗装された道まで不安定な階段を少し降り、海上の岩場に立つ鳥居が見られる場所まで移動する。駐車場からは2分ほどの距離。

 

海のそばの寄ると、気持ちのいい波の音と磯の香りが立ち込めてくる。

鳥居の前はやはり人気のようで、日の出15分前にはすでに50人ほどの人が静かに海を眺めたり、立派な一眼レフの調整を行っていた。近くの宿から館内着のまま降りてきたような人たちもいたようだった。

各々がまだかまだかと、日の出の時間を再確認したり待ち遠しそうだった。

 

4時35分ついに太陽がその顔を覗かせた。

心待ちにしていた人たちは小さく歓声をあげたり、待ってましたとばかりに写真を撮っていた。

 

私は初めて見る朝日に息を呑んでいた。綺麗なオレンジで、いつも見ている太陽の3倍ほど大きいように感じられた。

濃い光を纏った太陽は、その明るさを雲や海や建物に分け与えていく。

 

これまで日本国旗の日の丸と太陽がいまいち同じものだと感じられていなかったが、このとき初めて日の丸が日の出の太陽であったのだとわかった。

 

かく奇跡が365日、人々が気がつことも気がつかなくとも、世界のすべての場所で起きているということに不思議と希望を覚えた。

 

出るまではあんなに私たちを焦らしていた太陽も、一度出てしまうと昇っていくのはあっという間であった。動いていないように見えた観覧車が近くではとても早く進んでいるように、太陽もまじまじ見るとこんなにも早いだと驚いた。

太陽がその最後の姿まで見せきると、魔法から解けたように人々は一様に散って行った。

 

あんなにも早起きして見た朝日はものの数分で終わってしまったが、太陽と太平洋と鳥居が三位一体でつくりあげていたそのすばらしき風景は、心の奥深いところに仕舞われたような気がしている。

ふと海に目を向けると、中規模の漁船がポツリポツリと連なるようにして進んでいる。これらの漁船で漁獲された魚が、この町の開店前の市場に並んで行くのだろう。

これからこの町の一日が始まり、また日本全体の一日も始まる。

 

普段は日が昇ってからのそりと布団を這い出し、すでに上映している映画に遅刻して参加するがごとくその日一日に合流していた。

一日が始まる起点に立ち会えたことで、普段は得られない充足感が全身を包んでいった。