2019年4月6日(土)から6月23日(日)までパナソニック汐留美術館にて「ギュスターヴ・モロー展-サロメと宿命の女たち-」が開催されています。東京での展示の後は7月13(土)から9月23日(月)まで大阪のあべのハルカス美術館で、10月1日(火)から11月24日までは福岡市美術館でそれぞれ展覧会が開催予定です。
今回はギュスターヴ・モロー展をより楽しむための予備知識をおよそ5分で読める量にまとめました。
ギュスターヴ・モローとは
ギュスターヴ・モローは19世紀末に活躍した象徴主義を代表する画家です。
主に、聖書や神話を題材にした作品を多く残しました。古典主義やロマン主義を引き継ぐ時代の過渡期に活躍した彼は、様々な技法や作風を融合させながら神秘的で幻想的な作品を数多く描き上げました。
晩年は美術学校の教授となり、マティスやルオーといった偉大な画家を輩出しました。
<生涯>
モローは1826年4月6日パリで、建築家である父と音楽家である母の間に生まれました。父は放任主義で、モローは自由な環境の中で育ちました。
体が弱く家で過ごすことの多かった彼は、芸術家の遺伝子を受け継ぎ、6歳のころからデッサンをするようになりました。
20歳の時本格的に画家を志したモローは、美術学校に入学しました。しかし直後にテオドール・シャセリオーの作品を見たモローは衝撃を受け、わずか2年で学校を辞め、シャセリオーに弟子入りします。
シャセリオーはアングルやドラクロワに影響を受けたロマン主義の画家で、二人は子弟という垣根を超えて、友人のような親しさで付き合いました。モローはシャセリオーから多くの影響を受け、交友は1856年シャセリオーが37歳の若さで病死するまで続きました。
最愛の師を失ったモローは翌年よりイタリアへ2年にわたる旅行を行きました。この留学で彼は巨匠の研究を行い、技術の確立に努めました。
帰国後、モローは「オイディプスとスフィンクス」の制作に取り掛かると、これがナポレオン3世の従兄であるナポレオン公の目に留まり買い上げられ、彼の画家人生の全盛期を迎えます。
晩年は美術学校の教授となり、アンリ・マティスやジョルジュ・ルオーといった偉大な画家を輩出しました。一方で、伝統的なテーマを取り上げながらも革新的な面を持っていたモローは、伝統を重んじる美術アカデミーの他の会員から反感を買うことになります。モローは次第にサロンから離れるようになり、最後は自分の屋敷で創作を続けました。
モローの死後、彼の厖大な作品やデッサンは遺言により「ギュスターヴ・モロー美術館」にて公開され、初代館長は弟子であるルオーが務めました。
<性格と画風>
弟子であるルオーはモローの性格を「尽きざる好奇心」と言い表しています。モローはたびたび他の画家に陶酔しました。モローの好奇心は、彼の研究の動機付けになりました。シャヴァンヌやドラクロワにも熱中し、特に師であるシャセリオーからは多大な影響を受け、彼の画風が形成されていきました。
モローは興味を持った画家から好奇心のままスタイルやテクニック吸収し、実験を繰り返しながら自分の作品の中に取り入れていきました。
彼の作品は、彼が影響を受けた画家のスタイルが複雑に組み合わされ、独特の雰囲気を放っています。彼の作品にはアングルの新古典主義、ドラクロワのロマン主義、ミケランジェロのルネサンス、そして師であるシャセリオーの幻想さという相異なる様式が、奇跡的な調和を保ちながらモローの世界観をつくり出しています。
サロメと宿命の女とは
今回の展覧会の題は「ギュスターヴ・モロー展 ― サロメと宿命の女たち ―」になっています。「サロメ」や「運命の女」は聞きなれない言葉ですが、いったい何を意味するのでしょうか。
サロメとは新約聖書の『マルコ伝』6章に出てくるある少女の名前です。サロメはこの話の中で重要な役割を担っています。話はイエスを洗礼した聖ヨハネがユダヤ王ヘロデ・アンティパスを非難するところから始まります。
ヘロド王は自分の兄弟の妻であるヘロデアをめとりました。これに対しヨハネは「兄弟の妻をめとるのはよくない」とヘロドを非難します。ヘロドは激怒したが、ヨハネが正しき聖者であることを知っていたので殺すことはできませんでした。
ヨハネを殺すチャンスは思わぬところで巡ってきました。
ヘロド王が自分の誕生日の祝いに宴会を催したときのことです。妻ヘロデアの連れ子が入り、舞を披露し人々を喜ばせました。そこで王は少女に「なんでも欲しいものを褒美にやる」と約束すると、少女はヘロデアのもとに行き、母に何がいいか伺いを立てに行きました。するとヘロデアは「バプテスマのヨハネの首を」と答え、少女はこれを王に伝えました。王はこれに困惑しましたが、約束を履行すべく、すぐに衛兵に指示しました。
衛兵は獄中のヨハネの首を切り、盆にのせ少女に与えると、少女はこれを母に渡しました。
これを聞いたヨハネの弟子はその死体を引き取り、墓に納めたのでした。
もうお分かりの通り、サロメとはヘロデアの娘でヨハネの首を受け取った少女のことです。
この場面は多くの画家によって描かれていますが、特にモローは好んでこの場面を数多く描き残しました。
なぜモローはサロメを多く描いたのでしょうか。その答えはモローの女性観にあります。
ロマン主義から象徴主義に至る文学シーンの中では、しばしば“男性=善=プラスのもの”と“女性=悪=マイナスのもの”のイメージが対立して扱われました。
モローの作品にもこの二項対立構造が表れています。しかし、それは男性優位を主張したというものではありません。むしろモローは悪のほうに惹かれていったのです。
これはおかしなことではありません。現代においてもサタンに憧れる人がいるように、圧倒的な邪悪には人を引き付ける不思議な魔性があるのです。
彼は、女性の“悪”というものの魅力に取りつかれたのでした。
悪魔的な魅力で男を惑わし、死に至らしめる女を芸術の分野では“宿命の女(ファム・ファタール)”といいます。ファム・ファタールについてはロセッティやムンクの記事でも触れているので是非読んでみてください。
母からのおぞましい伝言をためらうことなく王に伝え、ヨハネの首を受け取ったサロメは間違いなく悪女です。少女と悪と死の取り合わせはとても背徳的でぞくりとした美しさを醸し出しています。モローは宿命の女としてのサロメに惹かれ、この場面をテーマに多くの作品を残したのです。
展覧会の見どころ
以上のギュスターヴ・モローのバックグラウンドを知った上で、この展覧会を楽しむためのポイントが3つあります。
一つ目は、多くの画家のスタイルを取り合わせたモローだからこそ出せる画風の多様性です。普通の画家の場合、ある程度画風が固まってしまうと同じような絵が多くなり、この人っぽいなというのが出てきます。
しかしモローはルネサンスから印象派まで幅広い影響を受け、それを自分の画の中に取り込んでいったので、一人の同じ画家とは思えないバラエティ豊かな作品が生まれました。
二つ目は、モローが異常なまでにこだわった装飾の細部です。ジョブズは「神は細部に宿る」と言いましたが、モローの描く細工の精妙さは彼の執着を感じます。
のちにゴーギャンはこれらを見て「要するに、彼は金銀細工師にすぎないのだ」とまで言いました。展覧会でも是非画に近づきその精巧さを楽しんでください。
最後はなんといっても目玉である、モローの描くファム・ファタールです。ロセッティともムンクとも違う、象徴主義らしい耽美的な邪悪の魔力に惹かれてください。モローの画には画面全体が暗いものが多いです。その中でしっとりとたたずむ女性があなたを虜にしてくれることでしょう。