本と絵画とリベラルアーツ

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妻の墓を暴いた画家

芸術家にはマイペースな人が多いですが、これほど利己的な人間は珍しいでしょう。

 

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティは19世紀のイギリスの画家で、詩人としても活躍した芸術家です。整った顔立ちとカリスマ性を持ち、ロセッティの周りには多くの人が集まっていました。

ロイヤル・アカデミーの学友であるミレイやハントとともに、ラファエル前派のメンバーとしても活動しました。またファム・ファタール(男を惑わし破滅させる女性)を題材として用いた先駆者としても知られています。

 

ラファエル前派とはその名の通り、当時正統とされていたルネサンス期の巨匠ラファエロに代表される古典的な芸術規範に抗い、ラファエロ以前の美術を尊重しようという運動です。当時のロイヤル・アカデミーでも古典的な芸術が重視されていました。

自分たちが学んでいる学校の考え方に反抗していく、とても革新的な青年だったのですね。

このラファエル前派は、19世紀後半ヴィクトリア期のイギリス美術史に多大な影響を及ぼしました。

 

初期メンバーの3人は芸術の方向性の違いや、私情のもつれから次第に散り散りになっていきました。しかし、その後もロセッティのもとにはモリスをはじめとする芸術家が集まり、次世代のラファエル前派を作り上げていきました。

 

ロセッティを語る上で、欠かせない二人の女性がいます。

一人目はエリザベス・シダル(リジー)です。リジーはのちにロセッティによって「ベアタ・ベアトリクス」のモデルとされるように、清純な女性でありました。

彼女は学校で教育を受けていませんでしたが、両親から読み書きを教わっていました。アルフレッド・テニソンの詩に感銘を受け、自分でも詩をつくるようになりました。 
彼女はアーティストの知人を通してラファエル前派に紹介されました。

彼女は初期ラファエル前派の画家たちの多くのモデルを務め、最終的にロセッティと婚約しました。

 

二人目の女性はジェーン・バーデンです。

ロセッティがジェーンと出会ったのは、すでにロセッティがリジーと婚約している時のことでした。ロセッティが気分転換にふらっと立ち寄ったロンドンの下町の劇場で出会った二人は惹かれあい、以後ジェーンはロセッティのミューズとしてモデルを務めるようになりました。

ロセッティは彼女にリジーとは対照的なファム・ファタールを見出し、理想の女性として晩年まで愛しました。

結局、ロセッティは婚約していたリジーと結婚し、ジェーンはロセッティの弟子であるウィリアム・モリスと結婚しました。

しかし結婚した後においても、ロセッティのジェーンに対する思いは変わることはありませんでした。

 

もとより病弱であったリジーは、ロセッティが外で他の女性と関係を結ぶのを耐えることが出来ませんでした。

加えて第一子である女児の死産を経験し、彼女の心は完全に崩壊していました。拒食症であったともいわれています。

苦しみからにアヘンに手を出すようになり、結婚2年目の第二子を妊娠中のある日、彼女はアヘンをオーバードーズし、自殺しました。

彼女が自殺を図ったその時さえも、ロセッティは他の女性と快楽をともにしていたといいます。

 

彼女の死によってロセッティは罪悪感と悲しみにさいなまれました。

 

そして詩人でもあった彼はある決意をします。

それは、リジーが病で苦しんでいる最中看病もせず書き続けた詩集を彼女と一緒に埋葬しようというものです。

その詩はロセッティが彼女のために書いたものであり、彼女の死んだ今、詩集も同時に死んだのです。

 

ロセッティは詩集を彼女の棺に入れ、静かにリジーと詩集に別れを告げたのです。

 

リジーの死後、ロセッティはある作品の制作に取り掛かりました。

それが、ロセッティの最高傑作と名高い「ベアタ・ベアトリクス」です。

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ロセッティ 「ベアタ・ベアトリクス」 1863年

ベアタは英語のblessed(神に福音を与えられた)に当たり、ベアトリクスはルネサンス期の詩人ダンテの恋人ベアトリーチェを指しています。

この絵はまさにベアトリーチェの魂が昇天しようとしている場面を描いています。右後ろに描かれている黒い人はダンテ、左の赤い人は愛が天使の姿で描かれています。

ロセッティは自分と同じ名前であるダンテに特別な思いを持っていました。

彼はベアトリーチェとリジーを重ね合わせ、亡きリジーへの思いを込めました。

一途に愛してくれたリジーを裏切り続け、自殺に追い込んでしまった念が彼に取り付いて離れないのでした。この時ロセッティは35歳でした。

 

時は流れ、ロセッティが41歳になったころ、彼の中にエゴに満ちたある欲望が膨らんでいました。芸術家としての性だったのかもしれません。

彼は愛する妻リジーの死とともに埋葬した彼の詩集を出版したくなったのです。

決心した彼は墓を暴くよう依頼し、そして彼女の棺の中から詩集が取り出されました。なんて利己的で破壊的な行為でしょう。

 

彼はこの詩集にリジーの死後書いた詩を加えて、翌年出版しました。

皮肉にも、この詩集はロセッティの詩人人生において最高の評価を得ました。

その後も画家として成功し、社会的名声を得たロセッティでしたが、その心の中はリジーへの罪悪感とジェーンへの思慕で穏やかになることはありませんでした。

44歳の時には自殺を図りましたが、うまくはいきませんでした。その後も苦しみもがき続けます。

晩年の彼は死んでいるも同然の生活でした。酒と薬に溺れ、夜も眠れなくなり真夜中にろうそくの明かりで絵を描く生活が続きました。

そして53歳の春、腎臓疾患によりこの世を去りました。

 

彼の人生はエゴそのものでした。欲望のまま動き、人を愛し、苦しんだのです。