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【本の紹介】湯本香樹実『夏の庭』【あらすじと感想】

オススメ度:★★★★★

中学生に本を紹介するとしたら絶対にこの本を入れるでしょう。

 

小学6年の3人の少年たちが「人が死ぬところが見たい」という純粋な好奇心から近くに住む独居老人を観察しだす、というところからストーリーが始まっていきます。

死をテーマにしていますが少年たちの一夏の思い出を描いた、爽やかで夏らしいストーリーとなっています。

 

あらすじ

ある夏の日、小学6年生の3人の少年たちが親戚の死をきっかけに死に興味を持ち始め、近くに住む今にも死にそうな独居老人の死ぬところを見ようと計画する。ひそかに観察を続けていたが、夏休みに入ったある日3人は老人に見つかってしまう。それでも少年たちは老人のもとに通い続ける。

 

顔見知りになっていった少年たちと老人は次第に交流を深めていく。また老人も活力を取り戻し元気になっていく。

少年たちは老人と過ごす中で今まで誰にも教えられてこなかったことや、経験してこなかったことをたくさん学んでいった。

 

夏の終わり頃、合宿から帰ってきた3人は息を引き取った老人を見つける。

老人は死んでしまったが少年たちの心に残り続け、彼らはそれぞれの道に進んでいった。

 

 

少年の心の変化

この話でもっとも変化があったのは主人公である少年たちじゃないでしょうか。

といっても、起きたのは価値観を180度変えてしまうような変化でも、何かに目覚めたような変化でもありません。

 

誰にでも起こりうる、しかし長い時間をかけてじわじわと浸透してくるような静かで確実な変化です

 

*****

 

もともとはいつも通りの学校・塾、多少の問題を抱えた家庭(何も問題のない家庭なんてないと思いますが)くらいしか接点を持たなかった少年たちが、今にも死にそうな独居老人というもっとも離れた世界の人間と触れ合います。

 

おじいさんとの交流の中で少年たちは丸々一個のスイカ、庭一面のコスモス、クマが好きそうなキイチゴの味など、これまでの生活の中では見ることのなかったものを見て、経験していきました。

 

はじめはただの老人だったおじいさんは、彼らにとってかけがいのない存在になっていきます。

元気になっていったおじいさんでしたが、少年が虫の知らせを受け戻ってきたときには安らかに息を引き取っていました。

 

*****

 

これらの経験を通じて得た気持ちやおじいさんの考え方は、おじいさんが死んでしまったあとに少年たちのこころの中に残り続けました。

 

死後もこころの中に残ったおじいさんの存在は少年たちのこころを広げ、またこころを豊かにしました。

 

3人の少年はおじいさんとの交流の中で成長していきました。

そしておじいさんの死は死が人の終わりでないことを明らかにし、おじいさんが少年たちに残していったものを強調しているのです。

 

 

老人の心の変化

少年たちが変わっていった一方で、老人のこころにも変化が起こりました。

 

*****

 

観察対象であるおじいさんは戦争に行ったことのある人です。おじいさんのいた部隊は厳しい戦いを余儀なくされ、食事もままらないほど苦しい状況にありました。

 

その環境の中で部隊は食料を手に入れるため近くの村を襲うことを決断します。村には女子供しかおらず、疲弊し切った部隊が襲撃するには格好の的でした。

襲うからには一人の生存者も残すわけにはいきません。もし途中でチャレンジがバレてしまえば、逆に襲われ部隊は壊滅してしまいます。

 

部隊が村を襲う中で、おじいさんは一人逃げる女を見つけました。おじいさんは必死に女を追いかけ、ついに殺してしまいます。そして死んだかどうか確認するために女を確認すると、女が妊婦だったことがわかりました。

2人分の命を奪ったと知ったのです。

 

戦争が終わり、おじいさんは日本に帰ってきましたが奥さんの待つ家には帰りませんでした。罪の意識から帰ることができなかったのです。

おじいさんはそれから独り者として、老を迎えるまで生きていたのでした。

 

*****

 

おじいさんはこの話を酷い雨の日に少年たちに語りました。

 

きっと今まで誰にも話すことなく、これからも墓場まで持って行こうと思っていたことでしょう。自分はもう社会から認められてはいけないと、何十年もひとりで抱え続けたこの事実でした。

 

しかし、少年の反応は意外なものでした

ずっと深刻だったはずのこの問題も受け取り、その上で老人を認めたのです。

こうして老人は初めて、人生を前向きなものとして考えられるようになったのです。

 

このことを証明する象徴的な場面があります。

老人が河原で知り合ったアベックと談笑するシーンで、老人がこんなことを言いました。

 

「そんなに大事なら、いっしょになればいいじゃないか」

 

これは妻に対して罪の意識を少しでも拭いきれぬうちには決して出ることがないセリフです。老人は少年たちとの交流を通して、自分の人生を肯定できるようになったのでした。

 

 

感想

『夏の庭』はテーマが死にも関わらず全体を通して爽やかさを感じることのできる不思議な作品です。

 私が初めてこの本に出会ったのは高校1年生の時でした。もともと夏の空がいきいきと青い様子が好きな私はすぐにこの作品の雰囲気にハマりました。

 

経営コンサルタントの大前研一は「人が変わるのは時間配分・住む場所・付き合う人を変えるとき」だと主張しています。

この話は付き合う人を変えたときの話で、少年たちも老人も確実に変化が表れています。新しい人との交流が考え方を変え、こころを豊かにすることにつながっているのです。

自分をいい方向に導いてくれる人と出会うのは難しいですが、私もそんな人と出会えたらいいなとこの本を読みながら思いました。

 

 

【宅浪の思い出4】宅浪とセンター試験

今年でセンター試験も終わりを迎えます。

 

3年間もお世話になった(?)身としては懐かしいことやいろいろ思うことがあるのでこのような記事を書いてみました。

 

宅浪とセンター試験

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センター試験が終わる

共通一次から数えると40年以上に行われてきたセンター試験が今年で終わります。

 

親世代も受けてきた試験がここまで続いてきたと考えると、なかなか凄いことなんじゃないかなとも思います。

 

他にこんなに続いた国の試験あるかなと考えていたら、科挙を思い出しました。

科挙は6世紀末から20世紀初頭まで1300年間にわたり行われてきたそうです。多分一生越せないですね。

 

*****

 

この度のセンター試験廃止および共通テスト導入には個人的にかなり不信感があります。

確かにセンター試験は暗記を中心とする学習を促す傾向はありましたが、これはセンター試験の改良で対応できたんじゃないでしょうか。

 

各大学が受験生に求める技能があるならば各大学の2次試験に盛り込むべきで、国に負担をかけ民間企業に利益をもたらすようなやり方には賛同しかねます。

 

センター試験は上位大学が、受験生が自分の大学を受ける上で最低限の知識を持ち合わせているか確認できれば十分ではないでしょうか。

 

暗記を必要以上に忌避する姿勢にも疑問があります

確かに現代社会をみたときに考えられることが知っていることに優越することは分かります。

 

しかしそもそもものを知らずに思索することなどできるのでしょうか。思索が得意な人でものを知らないなんて人は見たことがありません。

知ったから考えられるようになるのであって、考えることだけを抽出して身につけさせようなんてもことは不可能なのです。

 

例を挙げるとすれば、世界史を世界近代システム論や唯物史観で見ようとしたするならば、これを使いこなせずためには事前に相当の世界史の知識があることが求められます。

前提が満たされているからこそ、これらの考え方を使って未知の事象についても考察できるのうになるのです。

 

*****

 

共通テストの導入に対してはいろいろ思うところもありますが、今回のメインは思い出話なのでそちらの話をしていきたいと思います。

ちなみに今回の話は2浪目、通算3回目のセンター試験の話になります。

 

 

1日目:文系科目

センター試験で緊張したことはこれまでの過去2年なかったのですが、2浪目のこのテストはかつてないほど緊張しました。

 

会場は家から近い大学だったので落ち着いて30分前くらいに着くように行くと、まだ人もそこまで集まっておらず寒い中立って待たされました。

 

天候にもよりますが、この季節(特にセンター試験の日)は寒いことが多いのであまり早く来ない方が身体のためかもしれません。

開場前はトイレにもいけないのでなかなか辛かったです。

 

*****

 

センターで一番焦ったのは問題を綴じているビニールの袋が全然開かなかったということです。

手が以上に乾燥していたのと緊張とで全然開かなくて焦りました。

 

特に対策のしようもありませんが、別に自分で開けられなくても開けてもらえるのでここで開かなくてもパニックに陥らないようにしておいた方がその後の試験のためです。

 

試験自体で覚えているのは世界史がよくできた手応えがあったことと、リスニングが絶望的に出来なかったことです。

あまりにリスニングが出来なかったので終了後友人にこんなラインを送っていました。

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どうやらこの日はプリンを食べたそうです。

 

 

2日目:理系科目

前日早く寝たおかげで、2日目はすっきりと目覚めることができました。

なんとなく上手くいく気がしてとてもいい気持ちでした。

 

いつものコンビニでいつもの昼飯セットを買い、同じように会場に向かいます。

受験の昼ごはんについてはこちらにも書いているのでよかったら参考にしてみてください。 

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*****

 

2日目は理系科目になります。

理系の日ですが私は国立志望だったので朝9時半の集合でした。理系は両日ゆっくりで羨ましかったです。

 

2日目はシール貼りもビニールもないので気が楽ですね。

 

そのおかげかこの日の試験は比較的大きなミスもなく、メンタルをいい感じに保ったまま終わらせることができました。

 

こして私のセンター試験は終わりを迎えたのでした。

 

 

終わった後

終わった後は今までに味わったことのない満足した気持ちを感じました。

やり切ったという気持ちと、まだその日が半日残っているという期待感でどこかにひさびさに遊びに行きたいような気分になったのです。

この解放感がのちのち悪い影響をもたらすのですが、ここでは置いておきます。

 

高校時代の友人に声かけると多くがテスト前ということで乗ってくれませんでしたが、ご飯ならいいという人がいたので電車で2.30分かけて高校方面に向かいました。

 

 

着くとなんとなく飲みたい気持ちになってきたので近くの鳥貴族に入りました。

センター試験後の居酒屋は2浪したんだなというのを強く私に感じさせます。

 

普段はビールなんか飲まないのですが、自然と手が伸びて注文しました。

これがめちゃくちゃ美味しかったのです。

 

今まで飲んだビールの中で最高でした。

大人たちが労働の後に安い酒を美味しそうに飲んでいたのはこういうことだったんだなとそのとき初めてわかった気がします。

 

散々話を聞いてもらった後早めに解散して帰りました。

 

*****

 

受験もセンターもいろいろありましたが、最後に思うのは頑張った分くらいはなんとかなるということです。

 

最終的に第一志望の国立には落ちてしまいましたが国立には入れましたし、思い返せば自分の努力量に対して妥当だったんだろうなと思います。

 

受験も大変だとは思いますが、やった分はかえってきます。

良かろうが悪かろうがそれが自分の努力の結果だったと思って受け止めるのがいいんじゃないでしょうか。

 

雑にまとめてしまうならば、なるようになるのです。

 

 

 

 

【受験生必見】模試や入試でオススメの昼ごはん【注意点も解説】

みなさんは模試や入試の際、お昼ごはんに何を食べていますか??

たかがお昼ご飯と言えど、食べるもの次第でその後テストのパフォーマンスを上げることも逆に下げてしまうこともあります

 

この記事ではどんなものをお昼ごはんに食べれば良いのか、そしてどんなものは避けるべきなのかを解説していきます。

正しい昼食をとって、テストで良い結果を残していきましょう。

 

**受験生はこちらも必見**

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模試・入試の昼食の注意点

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そもそも食べるべきか

まずはそもそも食べるべきか?という疑問について。

食べることのデメリットとして、胃に血がいってしまうために眠くなってしまうことや若干ですが勉強時間がとられてしまうということが挙げられます。

それを踏まえた上で、私は基本的には食べるべきだと思います。

 

血糖値の上昇は少し工夫することで小さくすることができますし(後述)、勉強する時間が減るといっても10分程度です。食べながら勉強することもできますので、勉強時間が減ってしまうことはそんなに心配しなくて良いと思います。

 

それ以上に糖分不足で頭が回らなくなってしまったり、空腹でストレスを溜めてしまうほうがよっぽどパフォーマンスに悪影響を及ぼしてしまうでしょう。よほど食べると過剰に眠くなる体質だ、ということでもない限り昼食は取ったほうがいいと思います。

 

糖分をとる

模試や入試で昼ごはんを食べる最大の目的は糖質を摂取することにあります。

 脳みその栄養になるのはブドウ糖だけで、他のものは脳のエネルギーとしては使われません。テストでハイパフォーマンスを発揮するためには、十分な量の糖質をとっておくことが大切になります!

 

*血糖値の上昇に注意

糖質を取る上で注意しておかなければならないことがあります。

それは、血糖値を急激に上げないことです。血糖値が急激に上がると、一時的には元気になります。しかしそのあとで体が反応し血糖値の急激な低下が起き、眠気が襲ってきてしまいます。

 

*血糖値を急激に上げないためには?

それでは血糖値をあげないようにするためにはどうしたら良いでしょうか。よく言われているのはサラダ→タンパク質→炭水化物の順に摂取していくと血糖値の上昇を抑えられるというものです。

ですが時間のない試験の合間にサラダから悠長に食べている余裕はありませんね。

そこで今回は昼休みでも簡単にできる対策を紹介してます。

 

炭水化物×タンパク質で対策

まずは昼食の選び方からです。昼食はお米かパンのどちらかという人が多いと思います。

この時、お肉や魚が入ったものを選ぶようにしましょう。

 

「野菜のほうが身体に優しいんじゃないかな?」という気もしますが、血糖値を抑えるという意味では炭水化物はタンパク質と取ったほうが効果的です。

 

 

食後に軽く散歩する

食後すぐの軽い運動も血糖値の上昇を抑える上で有効です。

 

また散歩はリフレッシュにも繋がることができます。普通、試験中は外に出ることができません。一日中エアコンのガンガン効いた乾燥した部屋で過ごすことになります。締め切った部屋に多くの人間がずっといるので酸素の量も減っていき、空気はどんどんとよどんでいきます。

よどんだ部屋の中では気分も重くなっていき、ひどい時には体調の悪化につながってしまうこともあります。

 

そんな中外は散歩に出ることはとてもリフレッシュになります。景色が変わり、新鮮な空気を吸い気持ちを上向いくでしょう。身体のためだけでなくメンタルのために食後は外に散歩に出ることをオススメします

 

一つ注意すべきこととしては外に出る際受験票を忘れないことです。会場によっては一時外出でも受験票がないと戻れなくなってしまう場合があるので、忘れずに貴重品と一緒に持ち出すようにしましょう。

 

食べなれたものを食べる

もう一つ試験の昼ごはんに食べるもので注意しておきたいポイントが食べなれたものを食べることです。理想としては、いつも同じ店で買い、同じものを食べるといいと思います。

 

*毎回同じものを食べる

まず同じものを食べるメリットとして、自分の胃袋の心配をしなくて済むようになることです。初めて食べるものには、「これで食べすぎじゃないだろうか」「口に合わなかったらどうしよう」「これでお腹を壊したらどうしよう」と、余計な心配が湧いてきます。毎回同じものを食べることで、これらの心配がなくなります。

もし入試のために模試にいくときには、なるべく同じものを選びながら試行錯誤していくといいと思います。そして本番にはベストな量と好みで望むようにしましょう。

今回は昼ごはんを買う前提で話を進めていますが、家で毎回同じものを作るならばお弁当を持っていくのもありでしょう。

 

*同じ店で買う

加えて同じ店で買うところまで徹底できるといいと思います。

 

決断疲れという言葉を知っていますか??人間が合理的に選択できる1日の上限は決まっており、それを超えて選択しようとすると不合理な選択をしてしまうという状態を指します。

 スティーブ・ジョブズら著名な経営者の中にもこの仮説を支持する人は多く、彼らの中には余計な決断を極限まで減らすために持っている服の種類を1種類にしてしまう人までいます。たしかにジョブズを思い出すといつも同じ服を着ていたイメージがありますね。

試験というのは合理的決断の連続です。不必要に脳を使ってしまうことのないように、あらかじめ買うものを決めておくことは有効なのです。

 

また試験会場の近くで昼飯を調達しようとすると混んでいたり、欲しいものが売り切れている可能性があります。食糧調達には品揃えをある程度把握してある最寄りのコンビニなどを利用すると良いでしょう。もし遠方の試験などで家の近くで買えない時でも、なるべく同じコンビニで買い物をすることでいつもと同じルーティンを守ることができます。

 

*その他避けるべきもの

他に注意すべき点としては、冷たいもの・脂っこいもの・重いものはお腹のためにも避けるべきですね。また匂いの強いもの周囲のひんしゅくを買うのでやめておきましよまう。

 

オススメの昼食

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以上のことを踏まえたオススメの昼食を紹介していきたいと思います。

今回はおにぎりとパンを想定して、2種類のモデルを紹介します。

 

ケース1:おにぎり

・おにぎり2コ(鮭・好きな具)
・お茶500ml
・チョコ1箱
 
おにぎりの具のうち一つに鮭を入れたのは、お米をタンパク質と一緒に取れるようにしたためです。タンパク質と一緒に炭水化物を取ることで血糖値の上昇を抑えます。

 

もう一つは好きな具でいいと思います。毎回同じものを食べるべきと書きましたが、実際昼食は試験の中のわずかな楽しみです。メンタル的にも好きなものを取ることをオススメします。

 

ケース2:パン

・サンドウィッチ1コ
・コーヒー
・チョコ1箱
 
パンは肉や魚が入っているもので、なるべく脂っこくないものがいいでしょう。サンドウィッチなんかがサクッと食べられていいと思います。コーヒーはカフェインが入っているので眠気覚ましにはなりますが、一方で利尿作用があるので飲み過ぎには注意しましょう。
 
 

まとめ

これまでをまとめたものが以下になります。

・糖分をとる(血糖値に注意)
・いつも同じものを食べる
・食後に軽く散歩をする

 
大事な試験、昼食で失敗したなんてことにならないようにこれらのことを意識して試験にのぞんでください。

 

勉強のやる気がでないあなたへ最強の一冊

 
 
*オススメ記事 

【感想】『超筋トレが最強のソリューションである』を読んで腕立てを始めた

オススメ度:★★★★☆

みなさん筋トレは好きですか!?

私は運動全般が苦手なので筋トレにもいいイメージがなかったのですが、そんな私でも読んだその日から腕立てを始めてしまうような、そんな強力な本です。

 

感想

最初に見つけた時は「またクセの強い自己啓発本が出たな」くらいに思って読み始めましたが、筆者の揺るぎない信念と圧力に次第に飲み込まれていきました。

 

ざっくりいえばこの本の要素は筆者であるTestosterone氏が固く信じている「筋トレはあらゆる問題を解決する」ということと、それを裏付けるエビデンスで成り立っています。

 

筆者の言葉はどれも破壊力抜群で、

・死にてえと思ったら筋肉を殺そう

・ダンベルと自分だけは生涯裏切らない

・世界のハイパフォーマーは必ずと言っていいほど筋トレしている

とどれもやる気の出るものばかりです。

 

さらにそれでもやらない理由を探す人に対して徹底的に言い訳をつぶしてまわります

 

一番響いたのが忙しいを理由に筋トレを避けようとする人に贈った、

「オバマがやっているんだから、時間がないという言い訳は通用しないというのは反論できない」

という主張です。

もうこれ言われたらどうしようも無いなと思いました笑。

 

 

とりあえず一気にこれを読み終えたあとは家に帰って腕立てをしました。

いつまで続くか分かりませんが、きっかけを与えてほしい人間にとってはとても優れた本だと思います。

 

ダイエットについても多く触れられているので、もし筋トレに興味がある、ダイエットに興味があるというひとは啓発のためにも読んでみるといいかもしれません。

 

 

【本の紹介】鶴見済『無気力製造工場』【サブカルチャー】

オススメ度:★★★★☆

みなさんはサブカルと聞いてどんなイメージがあるでしょうか。

今でいうとビレッジヴァンガードにおいてあるような斜に構えていたりズレているような漫画やコンテンツというイメージがありますが、ひと昔前のサブカルはもっとアングラな世界でした。

 

何が書いてあるか

筆者が世の中に対してモヤモヤしていることや、実際に取材したルポルタージュなどが書かれています。

 

全5章構成で、それぞれのテーマが現代、病、死、脳とクスリ、近ごろのマンガとどれもこれも興味を引くものばかりです。

 

ぶっ飛んでる一般人からカルト宗教まで刺激的な話題がズラリと並んでいます。

 

 

面白かった話

以上のテーマから面白かったものをいくつか紹介します。

 

1.なんで人は電話を持ち歩くようになったのか?(p.17)

現在では誰もがスマホを持ち運ぶ時代になりましたが、この本が描かれた当時は「コードレスホン」なんて名前でした。

鶴見済は部屋の中で重要な電話・テレビ・時計のうち、電話と時計がどんどん体にまとわりつくようになったことから大事なものを"時間"と"情報"と"通信"だと見抜いています。

このことから本質を見抜くことは未来を見通すことに繋がるのだと思いました。

 

2.「日本ネオナチ」の入団式(p.75)

今はもうなくなってしまったネオナチ集団「国家社会主義者同盟」の入団式を取材した記事。

だんだんと見るからに異質なものがなくなってきて、今のような「お行儀のいい」社会では見られなくなってしまったものがまだまだ30年ほど前には残っていたのだなと感じました。

 

3.昭和の文豪はどうやって自殺したのか?(p.161)

自殺した三島由紀夫、太宰治、芥川龍之介、川端康成の死に様をシニカルでありながら唾棄することなく書いた記事。

この手の話はしばしば美化されすぎていたり逆にとことん軽蔑したような視点で描かれることが多い中で、文としての面白みを損なうことなくわかりやすく解説している点がよかったです。

 

 

感想

この本を読んでいて、ショウペンハウエルの『読書について』を思い出しました。

 

『読書について』の中では「読書とは人にものを考えてもらうことであり、それは自らの思索に及ばない」という趣旨のことが主張されています。

 

私たちはものを考えるときに、どうしても今までの経験や読んだ本の影響を拭きれずにいます。

もちろんそれがより深い考察に繋がることもありますが、一方で世の中を色のついたレンズでしか見れなくなるということでもあります。

 

『無気力製造工場』を読んでいて気付いたのは、鶴見済がレンズを外して現実100%を見て語っているということです。  

 

様々な社会の辺境をインタビューして回る中で、普通ならば(社会的に見て)可哀想だ、とかダメなやつだとかレッテル貼りをしてしまうところを、鶴見済はありのままに見て発表しています。

 

だから冷血なようにも毒を吐いているようにも見えることもありますが、現実をクールに語っているだけなのです。

 

大事なのは目の前の現実や問題であり、色のついたメガネを通して見える問題とは本当に私たちにとって重要な問題なのだろうか、ということを考えさせられました。

 

【絵画の解説】フェルメール『取り持ちの女』【自画像】

奥行きの感じられない狭い空間の中に4人の男女が密集しています。

右から二番目の男に注目してみるとその左手は隣の女性の胸元に伸びていて、右手には硬貨を見せているのが分かります。

 

この絵は『取り持ちの女』と言う絵で、取り持ちの女とは売春婦の紹介を生業とする女のことです。

 

フェルメールの家には同時期の画家バビューレンが描いた同じタイトルの絵があり、フェルメールの絵画にはしばしばその影響が感じられます。

実際にバビューレンの『取り持ちの女』はフェルメールの絵の中にも登場しています。

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あまり有名な絵ではありませんが、左の男性が実はフェルメールの自画像でないかと言われていたりと考察するには面白い絵であります。

さっそく秘密に迫っていきましょう。

 

この絵画を見るポイント

・この絵のモチーフ:放蕩息子とは?
・左の男性はフェルメールの自画像だった?

 

フェルメール『取り持ちの女』の解説

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「取り持ちの女」 1656年 アルテ・マイスター絵画館
 
なんだか狭く暗い空間の中に4人の男女がいます。
これは売春婦の斡旋が行われている場面を描いたものです。
 
右側にはフェルメールの故郷デルフトの焼き物であるデルフト陶器のデキャンタが置かれています。右の女はお酒が弱いのかはたまた酔っているふりなのか、頬を赤く染めているようです。
 
フェルメールとしては珍しい構図のこの作品にはどんな意味が込められているのでしょうか。
分かりやすく解説していきます!
 
 
 

この絵のモチーフ:放蕩息子とは?

フェルメールといえば風俗画(普段の生活を描いたもの)の印象が強いですが、彼はキャリアの初期には宗教画を多く描いていました。

この作品はその過渡期を象徴する作品で、一見単なる売春宿の光景を描いた作品(風俗画)に見えますが、そのモチーフは新約聖書の一説である「放蕩息子」だと言われています。

 

「放蕩息子」は新約聖書ルカ福音書の15章に出てくる話で、神の懐の広さを説いたたとえ話です。

*放蕩(ほうとう)・・・酒や女におぼれること

*放蕩息子

ある男に2人の息子がいました。

そのうち次男は早々に財産の分け前をもらうと旅に出て、そのお金を放蕩三昧によって使い果たしてしまいます。

無一文になり次男が帰ってくると、父は宴会を開き息子との再会を喜びました。その様子を見たずっと父を手伝っていた真面目な長男は納得がいかず、父に詰め寄ります。すると父は彼をたしなめて言いました。「お前はいつも私とともにいる。私のものはすべてお前のものだ。しかし弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかった。」

父が問題にしていたのは兄弟の功績ではありませんでした。父は子を平等に扱い受け入れる心を持っていたのです。

 

この話を主題にした作品は当時多く作られ、同じく17世紀のオランダの巨匠であるレンブラントも「放蕩息子」をモチーフに作品を制作しています。

こちらは放蕩息子の帰還を描いたもので、次男の背中と父の顔に優しい温かみのある光が当たり、寛容さが見事に表現されています。

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レンブラント「放蕩息子の帰還」 1663~69年 エルミタージュ美術館

 

フェルメールの描いた放蕩息子は一文無しのズタボロになるまえの放蕩の限りを尽くすドラ息子そのもので、ろくでもない色男の感じがよく出ていますね。

このあと飢饉の中で飢え苦しむと思うといい気味です笑。

 

 

左の男性はフェルメールの自画像だった?

さてこの絵の登場人物が右から、売春婦、放蕩息子、取り持ちの女であることは分かりましたが、そうすると一番左の人物の存在が不自然じゃありませんか?

 

居合わせた人にしては他の三人と距離が近く、また視線も彼らの方ではなく鑑賞者の方を向いていてなんだか変な印象を受けます。

 

実はこの人物はフェルメール本人の自画像でないかと言われています。

この人物には当時の画家たちが作中に自身を登場させるときの特徴がいくつか現れています。

 

まず最初の特徴は、人物がこちら(鑑賞者)の方を向いて意味ありげに微笑んでいるということです。

 

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まっすぐこの絵を眺めていると、この男性と目が合うことが分かると思います。

この視線はたまたまこちらを向いたものではなく、明確にこちら(鑑賞者)を意識してみているように感じられます。

 

他の自画像の特徴としては、異国の帽子をかぶっている、乾杯するようにグラスを掲げている、人々の端にいるなどがあげられ、この絵はそれらを満たしています。

 

*****

 

この人物がフェルメール本人だと思うと、なんだかタイムスリップした彼が目の前にいるような不思議な感じがしてきます。

他の3人が物語の中の登場人物であるのに対し、フェルメールだけがすべてを知っていて物語を進行させているかのようにも見えてきます。

 

きっと掲げられたグラスも、私たちに対するものなのでしょう。

 

まとめ

 以上「取り持ちの女」を鑑賞する上でのポイントをまとめると

①フェルメールが宗教画から風俗画に移るときに描かれたものである
②モチーフは「放蕩息子」
③左の男性はフェルメール本人だと考えられる

です。

 

知っているのと知らないのとでは絵画を見るときの面白さが格段に変わります!

他のフェルメールの作品についても解説しているので、よかったらご覧ください。

 

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【絵画の解説】フェルメール「ヴァージナルの前に座る女」【ヴァージナルとは?】

ヴァージナルの前の女性が何かに気付いたようかのようにこちらを振り返って見ている。

壁にかかっている絵や身なりを見ると高貴な女性のようです。

 

この作品はフェルメールの画家人生の終盤に描かれたもので、初期のすっきりとした構図に対して晩年特有のごちゃごちゃとした構図をしています。

 

今回はこの「ヴァージナルの前に座る女」について解説していきます!

 

この絵画を見るポイント

・美しいフェルメールブルー
・壁にかけられている絵
・対になる作品

 

「ヴァージナルの前に座る女」の解説

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「ヴァージナルの前に座る女」 1670〜62年頃 ロンドン・ナショナル・ギャラリー

フェルメール作品ではしばしばこの部屋が登場しています。

この部屋は裕福であったお義母さんの家の2階だと言われています。

 

以下ではフェルメールの代名詞でもあるブルーやこの部屋に飾られている絵、対になっている作品について解説していきます。

 

*ヴァージナルとその歴史
ヴァージナルとはグランド・ピアノのような鍵盤楽器のひとつで、多くの場合チェンバロとあまり区別されずに使われています。
フランドル地方では17世紀後半にルッカース一族によって響きが長続きするよう改良され、後のチェンバロに影響を与えました。
長い間活躍したチェンバロでしたが、18世紀に音の強弱表現に長けたピアノが登場すると次第姿を消していきました。

 

フェルメール・ブルー

この絵画の色彩面で特に目を引くのが、女性が召している服やカーテンに使われているブルーです。

 

このブルーはウルトラマリンブルーという色で、ラピスラズリという鉱石を原料とする顔料が使われています。

ラピスラズリは遠く離れたアフガニスタンでしか取れず、当時は金と等価で取引されるほどの高価なものでした。

 

裕福であったフェルメールはこの色をよく使っていたため、このブルーは「フェルメール・ブルー」と呼ばれるようになりました

 

 

壁にかけられている絵

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「取り持ち女」 1622年頃 ディルク・ファン・バビューレン ボストン美術館

絵の右上に目をやると、大きな一枚の絵が飾られています。

この絵はディルク・ファン・バビューレンの「取り持ちの女」という作品で、左から売春婦の女性、リュートを持った売春婦を買う男、その仲介の女(取り持ちの女)が描かれています。

 

バビューレンはフェルメールと同じオランダの画家で、バロック美術の巨匠であるカラヴァッジョの影響を強く受けました。

 

この絵は資産家であったフェルメールの義母が実際に所有していた絵画で、フェルメールの作品に2回ほど登場しています(「ヴァージナルの前に座る女」と「合奏」)。

 

*****

 

2つの絵をよく見ていくと、「取り持ちの女」では、音楽と音楽の持つ軟派でみだらな側面が表現されています。

売春婦の金額を示す取り持ちの女の横で、男が硬貨を見せていることで一層いやらしさが強調されています。

 

対して「ヴァージナルの前に座る女」からは上品な感じがします。

美しく彩色されたヴァージナルの前で、きれいな召し物を着た女性が静かにこちらを眺めている様子は、上品さと高貴さを感じさせます。

 

フェルメールはこのように上品さと下劣さを対比させることによって音楽のもつ二面性や多義性を表現しました。

 

 

対になる作品:「ヴァージナルの前に立つ女」

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左:「ヴァージナルの前に立つ女」 1670~72年頃 ロンドン・ナショナル・ギャラリー
右:「ヴァージナルの前に座る女」 1670~72年頃 ロンドン・ナショナル・ギャラリー

 実は「ヴァージナルの前に座る女」には同時期に描かれた対になっていると考えられている作品があります。

 

それがこの左側の作品である「ヴァージナルの前に立つ女」です。

こちらの絵ではイスをヴァージナルの傍らに置き、「ヴァージナルの前に座る女」よりも年上と思われる女性がこちらを向いて見ています。

 

この2つの作品の最大の違いは、「光」にあります。

 

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太陽の光を愛するオランダ人には、光の細微な違いが分かると言われています。

とりわけフェルメールは「光の魔術師」と呼ばれるほど光を研究し、光を巧みに扱った画家でした。

 

「ヴァージナルの前に立つ女」(左)を見ると、部屋の角に人物が配置され左端の大きな窓からは自然の光が差し込んいでいます。

これはフェルメールが好んで使った構図で、多くの作品で見ることが出来ます。

 

一方で「ヴァージナルの前に座る女」(右)では同じ部屋の角ですが窓は閉ざされ、フェルメール作品では珍しく人工灯による光で部屋が照らされています。 

 

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また2人の女性の光の当たり方にも違いがあります。

 

「立つ女」(左)では女性が窓に背を向けていて、女性の顔にはあまり光が当たっていません。

夕方なのか画面も全体的に薄暗く、静かに何かが終わり夜になってしまうような、さびしい雰囲気があります。

構図も複雑で見ていると不安な気持ちになってきます。

 

対して「座る女」の方は人工灯ではありますが、人物を中心に光が当たり屋内独特の落ち着いてリラックスできるような印象を受けます。

構図はややうるさいですが、フェルメールが得意とした青と黄色のコントラストによって全体的な統一感が保たれています。

 

このように「光」を軸として2つの作品には違いを見ることができます。

 

 

まとめ

以上 「ヴァージナルの前に座る女」を鑑賞する上でのポイントをまとめると

①ふんだんに使用された「フェルメール・ブルー」
②一つの絵で音楽の二面性を表現
③「光」を軸に対になっている絵

になります。

 

 一見静かに見える絵ですが、調べていくとたくさんの秘密が隠されていることが分かります。

フェルメールの作品は「光」に注目することで何かが見えてくるかもしれません。

 

 

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