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【画家の紹介】ヨハネス・フェルメール【バロック美術】

みなさんは好きな画家と言われて誰が思いつくでしょうか。

写実主義のミレーや印象派のルノワール、ゴッホなんかが有名ですね。

 

フェルメールも日本人に人気の画家の一人です。

フェルメールはバロック美術の巨匠の一人で、彼の展覧会とあれば休日には長蛇の列ができます。

しかしフェルメールはその死後、一度は社会からは忘れられた画家で19世紀に再発見されるまで約200年間無名同然の画家でした。

 

フェルメールの作品はバロック美術でありながら繊細で、モチーフも生活の一部を切り取ったような身近に感じられるものが多いのが特徴です。

 

今回は フェルメールの絵画を見る上で、絶対に知っておきたい情報をまとめました!



光の魔術師:ヨハネス・フェルメール

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 フェルメールを理解するポイント

・現存する真作はたったの30数点
・フェルメールブルーとも言われる高級な青
・巧みな光の表現

 

金銭的に恵まれた制作環境

今では著名な画家の中でも、生きている間は評価されず金銭的に苦しんだり、シンプルに家がお金がないと言う人が多くいます。印象派のルノワールのその代表例です。

そんな貧乏の中這い上がってきた人たちがいる一方で、フェルメールは金銭的にはとても恵まれたタイプの画家でした

 

まずはフェルメールの生活を、彼の生涯とともに見ていきましょう。

 

フェルメールは1632年、オランダのデルフトという町で生まれました。父はパブ兼宿屋を経営しながら画商としての顔も持っていました。

 

フェルメールといえば室内の風俗画が有名ですが、デルフトについては「デルフト眺望」という美しい風景画を一枚残しています。

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「デルフト眺望」 1660-61年頃 マウリッツハイツ美術館

 

フェルメールは20歳で宗派の違うキリスト教の女性と結婚しました。彼女との間には14人もの子供(うち3人は夭折)をもうけます。

彼女の母親は不動産収入のあるとても裕福な人で、画家だけでは食べていけないフェルメールにとって大切な生活の支えになりました。

 

結婚から数年後フェルメールの父が亡くなると、フェルメールは父の持っていパブ兼宿屋を引き継ぎ、経営に乗り出します。

 

こうして、フェルメールはお義母さんの資産、自らが経営するパブや宿屋からの収入、さらにパトロンからの支援によって金銭的にとても安定していきました。

この恵まれた環境の中で、ゆったりとフェルメールは制作活動や研究を続けます。

 

フェルメールが生涯で50点弱(現存するのは35点ほど)しか作品を残さなかったのも、こうした金銭的余裕が原因だったと考えられています。

 

比較的裕福な生活を送っていたフェルメールですが、晩年は生活が一転してしまいます。

 

17世紀中ごろよりイギリスとの戦争が勃発、フランスの侵攻もありオランダ経済は大打撃を受けます。

義母も昔ほど裕福ではなくなり、この時代にパトロンも死んでしまい、フェルメール家族はは借金を背負うようになりました。

 

なんとか成人していない子どもたちのために家計を立て直そうと奔走したフェルメールでしたが、43歳でその生涯を閉じてしまいます。

残された家族も最終的には破産してしまいました。

 

17世紀のオランダ黄金時代
フェルメールの生きた17世紀前半は、まさにオランダの黄金時代でした。
スペインからの独立を果たしたオランダは、約650万ギルダーを集めて世界の初の株式会社:東インド会社を設立し、貿易で莫大な利益をあげます。この経済的繁栄によって市民層も絵画の買い手となり、親しみやすい風俗画・風景画・静物画が発展するきっかけになりました。
オランダ黄金期は17世紀中ごろより国内産業の衰退と重商主義のイギリス・フランスによる逆襲によって終わってしまいますが、短い期間に多くの歴史的名作が生まれました。
 

フェルメール・ブルー

フェルメールの絵画で特筆すべき点の一つがフェルメールが好んで使ったことからその名のついた「フェルメール・ブルー」という色です。

 

この青はウルトラマリンブルー(群青色)と呼ばれる色で、ラピスラズリという鉱石を原料としてつくられます。

ラピスラズリはヨーロッパから離れたアフガニスタンでしか取れないため、とても貴重なものでした。

その希少性と扱いにくさから高貴な色として、聖母マリアのマントやキリストのローブなどに使われています。

 

ウルトラマリンブルーはフェルメールの時代では金と同じ価格で取引されたほどの超高級顔料でした。

裕福だったフェルメールはこの顔料をよく使っていました。

 

フェルメールの代表作でもある「真珠の耳飾りの少女」のターバンにもこの「フェルメール・ブルー」が使われています。

 

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「真珠の耳飾りの少女」 1665-66年頃 マウリッツハイス美術館

 

 

光の表現 -ポワンティエ技法-

フェルメールの絵を見ていると、他の絵からはあまり感じられない"キラキラ"と輝いているような印象をうけませんか?

 

これはフェルメールがよく用いた、白や明るい色でハイライトを入れ光を描くポワンティエ技法によるものです。

この光の粒によって装飾品だけでなく唇や瞳、布までもが輝いて見えます。

フェルメールは光の巧みな表現から「光の魔術師」と称されるようになりました。

 

この光は画像だと感じにくい部分があるので、ぜひとも実際の作品をみて感じてほしいと思います!

 

こうした卓越したフェルメールの光の表現は、19世紀に彼の作品が再発見されたのち印象派へと引き継がれていきました。

 

 

まとめ

フェルメールの美しい作品たちは市民文化花開いた黄金期のオランダでつくられていきました。

 

是非ともフェルメールの絵画を鑑賞する際には

・市民文化のなかで生まれた風俗画

・美しい青:フェルメール・ブルー 

・小さな白い点で描かれる光の表現

に注目してみてください!