本と絵画とリベラルアーツ

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2019年6月の読書結果

今年の梅雨は例年にも増して過ごしにくい季節でした。

降るんだか降らないんだかよく分からない天気模様に、突然暑くなる異常気象。ただでさえ憂鬱な日々に低気圧が重くのしかかります。

 

春の気持ちいい青空の下では木陰で読書するのも楽しみの一つですが、この雨の中では静かな景色を眺めながら読書することもままなりません。

 

それでも移動時間や寝る前などの時間を使いつつ、何冊か本を読んだので簡単な評価とともに紹介したいと思います。

一部ネタバレを含む場合があるのでご了承ください。もしかしたら今後以下の本についてもう少し詳しい記事を書くかもしれません。

 

オススメ度とは、私が独断と偏見で付けたもので、星の数1~5個(たまに6個)で評価してあります。本探しの参考にしてみてください。

 

「変身」 カフカ/高橋義考 

オススメ度:☆☆☆

実家暮らしの何の変哲もない男が、ある日目が覚めると体が虫になっていた。

そんな奇妙な展開で始まる作品だが、読み進めるにつれて不気味さが増していく。後半にかけて何か特別なことが起こるわけでは無い。あまりにも現実離れしている設定と、あまりにも現実的な展開がおぞましさを醸し出す。

普段小説を読まない人でも入り込める作品だと思います。

 

変身 (新潮文庫)

変身 (新潮文庫)

 

 

「テーブルマナー・ブック」 辻ホテルスクール

オススメ度:☆☆☆☆

フランス料理のマナーが気になって買った本。オードブルからメインまで、さまざまな料理の食べ方と作法が写真付きで解説されている。

肝心なフランス料理を食べに行く機会が無いのが残念。

 

「あのころ」 さくらももこ

オススメ度:☆☆☆☆☆☆

ちびまる子ちゃんの作者としてしられるさくらももこの、小学校時代を綴ったエッセイ。

5段階評価といいつつ☆6をつけてしまったほど面白かった。最近読んだ文章のなかで一番おもしろい。とにかく面白い。絶対この筆者の他の本も読むと決めた。

 

あのころ (集英社文庫)

あのころ (集英社文庫)

 

「カンブリア宮殿 村上龍×経済人」 村上龍 

オススメ度:☆☆☆☆

日本の社長や技術者を村上龍がインタビューする番組「カンブリア宮殿」。

そのインタビューと社長の経歴をコンパクトにまとめてあるのがこの本の特徴。業種や年齢もさまざまで、トヨタ自動車の会長から始まり、ミクシィ社長やジャパネットたかたの高田社長を経て京セラの稲盛和夫まで総勢22人が登場している。

いろんな社長の考え方の一端を一度にのぞける面白い本。

「就活のバカヤロー」 石渡嶺司・大沢仁 

オススメ度:☆☆☆

就活は茶番だ。多くの人が感じていながら中々変化のない就活業界のリアルを書いた新書。学生・企業・就活情報サイトの光と影にスポットを当てながら、就活の問題点を指摘している。

 

「車輪の下」 ヘルマン・ヘッセ/井上正蔵訳

オススメ度:☆☆☆☆☆

中学か高校の国語の便覧でみかけた作品。

主人公はある村でくらす父子家庭のハンス少年。彼はすこぶる頭がよく、周囲の期待につぶされそうになりながらも見事難関の神学校の試験に合格する。多感な時期に勉強漬けにされた少年は厳しい神学校で変わった友人たちと接しながら苦悩する。

自分の意志とはなんなのか、正しいとはどういうことか、ハンスの運命を眺めながら考えさせられる良作。是非とも受験生にも読んでもらいたい。

 

車輪の下 (集英社文庫)

車輪の下 (集英社文庫)

 

「教養としてのワイン」 渡辺順子

オススメ度:☆☆☆

ワインの幅広い知識を取り込むことのできる本。ただ、ある程度ワインの名前やヨーロッパの地名の知識がないと知らない横文字まみれで、読み終わった後ほとんど覚えてない状態になってしまう。

ワイン中級者が読む分には+αの情報が得られていいかもしれない。

例によって知識が増えても肝心のいいワインを飲む機会が無くて残念。

 

世界のビジネスエリートが身につける 教養としてのワイン

世界のビジネスエリートが身につける 教養としてのワイン

 

「経済は感情で動く」 マッテオ・モッテルリーニ/泉典子訳

オススメ度:☆☆☆

何年か前から流行り始め、現在では経済学の一人気分野にもなっている行動経済学の超入門書的一冊。損失回避性や価値関数などの専門用語には易しい注釈がついており、全くの初学者でも楽しむことができる。

しかしこれを読んで行動経済学を専攻しようとすると痛い目に合うので、もし本当に行動経済学に興味がわいたならばもうワンランク上の本を読んでみることをお勧めします。

「アダルトサイトの経済学」

オススメ度:☆☆☆☆

2012年に発行されたアダルトサイトで収益化をはかる方法をまとめたハウツー本。そのころはまだ本気でネットでビジネスを行っている人ため、ブルーオーシャンであった。

現在ではもうここに載っている手法は使えないが、個人が稼ぐにおいて目をつけるべきポイントは今でも有効だと思われる。

 

 

 

新品のiPhoneを紛失したが戻ってきた話

先日、ウッカリしていたのか寝ぼけていたのか、電車から降りるときにスマホを置いたままにしてしまいました。

 

降りた瞬間、アレなんか忘れた気がすると思い

なんだろうなあと考えるとドアが閉まり始め

あ、iPhoneが無え!と思った時には無慈悲にも電車は発射してしまいました。

 

その時は次の予定も迫っていたのでしっかりとした後処理もしなかったのですが、一日またいで次の日真剣に探してなんとか戻ってきました。

 

基本的には楽観的な性格で焦ることもそんなに無いのですが、今回ばかりはふと昔財布を紛失した記憶がフラッシュバックして冷や汗をかきました。そして二度と無くさないと誓いました(2回目)。

 

同じような経験をした人のために、紛失から発見までの経緯をまとめてみました。

 

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ポイント

1.すぐ駅員に伝える

2.iPhoneを探すをonにしておく

3.自分のキャリアに相談する

4.預かっていそうな駅には直接行く

 

1.すぐ駅員に伝える

当たり前ですが、忘れたと気づいたらなるべく早く駅員に伝えましょう。

紛失したことを伝えると、鉄道会社の方で見つかった時に連絡してくれるよう手配してくれます。また連絡先の書いてある小さな紙がもらえます。

できる限り詳細を伝えることで見つかりやすくなります。

私の場合は残念ながらここからの連絡はありませんでした。

 

2.iPhoneを探すをonにしておく

これが今回一番反省した点です。

忘れたと気づいた直後友人と一緒におり、たまたまその友人がiPhoneユーザーだったのでiPhoneを探すを使ってくれると言ってくれました。しかし私がiPhoneを探すをoffにしていたがために反応がなく、追跡を行うことができませんでした。

紛失した後はどこに有るのかが分からないのが一番不安なので、必ずiPhoneを探すはonにしておきましょう。

Wi-Fiもonにしておくと、より特定しやすくなるようです。

 

3.自分のキャリアに相談する

iPhoneを探すを使えない場合はキャリアに相談しましょう。

自分の使っている通信会社に行くと大まかなスマホの位置特定してくれたり、通信をストップさせたりしてくれます。

もし画面にロックをかけていないなど、セキュリティに不安がある場合には通信をストップしてもらうのがいいでしょう。ただ、通信をストップした場合にはスマホが見つかった時に再び通信できるよう申請する必要があります。

 

4.預かっていそうな駅には直接行く

めちゃくちゃ大事です。私は今回直接いったおかげで無事スマホが手元に戻ってきました。

キャリアでスマホの大体の場所を確認してもらった後、その近くにある駅にスマホがあるか鉄道会社の落し物係を通じて確認してもらいました。

しかし、残念ながら該当する落し物は無いということで、このあたりで見つかるかなとたかをくくっていたので、肩を落としました。

それでも諦めきれなかったので、キャリアによる位置情報を信じて直接その駅を訪ねることにしました。

 

電車に揺られること1時間半、位置情報に一致する駅にたどり着きました。落し物センターを訪ねると受付時間外ということで、さらにそこから40分ほど待ち受付することができました。

 

一度問い合わせてもらったので迷惑かなと思いつつも、恐る恐るスマホの特徴を伝えました。

すると、なんと私のiPhoneがあるではありませんか!!落としてからの暗い気持ちが一気に晴れました。

そこから身分証明証を提示し、受け渡し書類を書いてiPhoneが手元に帰ってきました。身分証明証は必ず必要になりますので、受け取りに行く時は用意を忘れないようにしましょう。

 

このように電話で問い合わせても無事届いている可能性があります。伝えた特徴が正しく伝わっていない場合もあります。大切なものを落とした場合には、是非とも駅まで足を運んで確認してもらうことが大切だと思います。

 

 

 

どうすればできるか

テスト期間に入ると、いつもは閑散としているか、疲れた人のオアシスと化している自習室スペースも賑わいを見せてきます。

 

普段は教科書を全部家に置いてきてるような人たちも、この期間だけは眉にしわを寄せ、真剣そうな顔をして机にへばりついています。

似合わない姿を見るとついつい笑ってしまいそうになりますが、人のことを言える立場でもないので黙っておきます。

 

さて私は塾でもバイトをしているのですが、やはりテスト前になると多少は生徒のモチベーションが変わってきます。普段は宿題を全くやってこないような生徒でも、焦りの色が出てくるようになります。

 

日頃のどんなに勉強に興味のない生徒でも、数字で成績が出ることには敏感なようです。

(もっとも成績至上主義の悪弊かもしれませんが)

テストの話になると生徒はバツの悪そうな顔になります。

 

土壇場で焦りがピークに達してくると、多くの生徒が口にするセリフがあります。

 

「どうやったらできるようになるの??」

 

小中学生に多い質問ですが、あまり勉強に熱心に取り組んだことないような場合、高校生から聞かれることもあります。

この質問をする生徒の頭の中は、自分が何が分からないから分からないというパニック状態で、この質問はなんでもいいからこの気持ち悪さを取り除いてくれというSOSです。

 

生徒としては魔法のような大逆転ウルトラCを期待しているのでしょうが、そんなうまい話はありません。

そもそも有効なコツやテクニックは普段から伝授していますので、直前まで出し惜しみするようなことは基本ありません。

 

私の中で、この問いに対する答えは決まっています。

 

「出来るようになるまでやれば、できるよ」

 

結局、勉強はこれが真理です。出来ない理由の99%は勉強不足、演習不足です。分かってから演習を積むのでは無いのです。分からないから演習を積むのです。

演習を積むことのメリットは、何がわからないか分かるようなることと、分からないを量で克服できることです。

 

もっとも、教える側としては生徒に完全に投げるわけにはいけないので、日頃より逐一エラーを確認していくことが大切になります。

そしてなぜ間違えてのか、なぜ分からなかったのかを一緒に考えていくことで、「分からない」を「分かる」にする思考を追体験してもらうことになります。

 

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質的転換という言葉があります。

 

これは量と質どちらが大事か、という議論の一つの答えであり、圧倒的な量は質に変わるということを示しています。

 

 

私が受験の時に苦労した科目があります。

どの教科でも気が滅入ることはしょっちゅうありましたが、特に苦しめられたのが古文でした。

高校の時授業を真面目聞かず、結局本番までまともに取り組まなかったので試験では散々でした。

 

古文とちゃんと向き合ったのは浪人してからでした。この時、自分のあまりの分からなさと、分からないことに取り組む辛さに涙が出そうでした。

 

机をひっくり返して外に飛び出したい気持ちを抑えながら(時に飛び出しながら)、なんとか精読の一周目を終えました。

 

そして終わった後、またこれを繰り返すのか、マスターするのにどれだけ時間かかるのか、とかなり気分が沈みました。

 

文句ばっかり言っても仕方ないので、また二周目に入りました。

やはり辛い。分からないものを進めるのは泥をかき分けて進むようで、不快感に加え憎悪さえ感じます。

 

しかし二周目を終えてみて、あることに気がつきました。手応え的にはほぼ変わっていないのですが、かかった時間がやや減少してるのです。

 

三周目。今度は気分的にも進めるのが楽になり、時間もかなり減りました。この傾向は四.五周目と続けるにつれて効果を増していきました。

まるで泥だった視界が次第に澄み、穏やかな川に変わっていくようです。

 

この間何か質や効率を上げるために何かを工夫したりはしていません。ただ愚直にテキストを進めただけです。

 

答えを覚えてしまったから早く終わったのでしょうか。

そうではありません。

 

こなしてきた量が質に転換されたのです。

やればやるほど、人間の行動は最適化されていきます。ひたすらテキストと向き合うことで、無意識のうちにノウハウがたまり、結果として質を押し上げていきました。

 

結局、もっとも効率的な道は量を取っていくことなのです。

これを避けようとしている限り、できるようになるのはどんどん遠のくばかりです。

 

『ボクの音楽武者修行(小澤征爾)』は最高の若者を教えてくれる 

今日は目が覚めると、すでに正午を回ってしまっていた。いっそのこともう一眠りしようかと思ったが、せっかくの休日を丸一日怠惰に過ごすのもったいないので、映画を見ることにした。

前回2まで見ていたミッションインポッシブルの3を見た。下馬評通り今作はイーサンの独壇場だけでなくチームでの活躍が多くて面白かった。イーサンが感情的になる場面が多かったのも新鮮でよかった。

映画を見た後パイソンの勉強と読書で迷って、読書を選んだ。読みかけの「人間の建設」と「反哲学入門」は今読む気がしなかったので、新しく「ボクの音楽武者修行」を読むことにした。

この本を最初に知ったのは高校時代で、図書館に置いてあった新潮社の「高校生に読ませたい50冊」に入っていた。この冊子に載っている本はどれもこれも当たりで、ここに載っている本を読んだのは高校時代のいい思い出である。

 

「ボクの音楽武者修行」は小澤征爾が20代の時に書いた自伝的エッセイである。24歳で単身ヨーロッパに渡り、26歳でニューヨーク・フィルハーモニーの副指揮者として日本に帰ってくるまでが描かれている。

小澤は歯科医の父・開作の三男として中国で生まれた。成城学園中学から高校へ進んだが、桐朋学園高校音楽科に入り直し、その後短大に進んだ。

卒業後、外国の音楽をやるからにはその本場の土地が見たいと思い、ヨーロッパに行くことを決心した。

決して裕福ではなかった小澤はカンパでお金を集め、富士重工からスクーターを借りた。貨物船に乗せてもらう機会を得て約2カ月かけてヨーロッパに渡った。

 

ヨーロッパに渡って間もなく小澤はフランスのブザンソンで行われている指揮者の国際コンクールに出場した。世界トップレベルの大会であったが、小澤は見事合格し一躍その名を世界にヨーロッパ中に轟かせることとなった。

それからというもの、ベルリンに通い、アメリカのミュンシュやベルリンのカラヤンの指導を受けるなど、異文化に衝撃を受けながらも順風満帆は日々を送った。

そしてついに、あこがれのバーンスタインのもとでニューヨーク・フィルハーモニーの副指揮者として働けることになった。神戸港を立ってから2年、小澤が26歳のときのことであった。

 

伝記の中でも、とくに若い時期について書かれているものからはいつも勇気をもらえる。あふれんばかりの体力と好奇心でどこまでも道なき道を進んでいく。可能性と自信を信じてどこまでもいく。怖いものが何もないようにさえ感じられる。

 

それに比べて自分はどうだろうか。若いだろうか。若者として生きられているだろうか。つまらない守りに入っていないだろうか。何かを怖れていないだろうか。家の中にこもり本を読んで得意げになっている老害になってしまっているのではないだろうか。

 

この本を読んでいると、高校時代を読んだ沢木耕太郎の「深夜特急」を読んだときと同じ思いに駆られる。つまらない家の中から飛び出し、外の世界を見たくなる。日本から出て、世界を見たくなる。ここにいては見ることの出来ない景色、人、食べ物、酒、空気、多くのものに触れて、感じて、感動したい。そんな思いに強くかられる。

 

読みながら三つの点についてメモを取った。

・小澤がブザンソン(フランス)のコンクールで優勝した後のコメント

 「外国では、いかに芸術というものを大切に取り扱っているかという証左であろう」

 「日本のような小国は今後音楽や芸術で学国に対抗しなければならないはずなのに・・・」

・飯をたいて、梅干し、海苔、コブ、ウニなどをおかずにして食うありがたさは、日本にいては絶対にわからないだろう。

・外国に一度でも行った人なら誰でも感じることだと思うが、よその国で同じ日本人から受ける親切ほどありがたいものはない。

 

「ウィーン・モダン」展に行ってきました【感想や混雑状況】

6月のとある月曜日、国立新美術館で開催中(2019.4.24~8.5)の「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への旅」に行ってきました。当初はクリムト展の方に行く予定でしたが、当日出発前に確認するとなんと休館日...!!

急遽ウィーン・モダン展に切り替えて行ってきました。

 

事前にチケットは購入していなかったので、ウィーン・モダン展のチケットは国立新美術館で買いました。チケットを販売している箇所は乃木坂駅直通のところと、反対の六本木駅側の二か所あります。

私は13時前後に行きましたが、そのときはどちらのブースも空いていました。何回か国立新美術館でチケットを買いましたが、平日で混んでいることは今までなかったので、前売りチケットを買っていなくても心配しなくて大丈夫だと思います。

 

会場に入ったらぜひとも会場リストと鉛筆をもらいましょう。(鉛筆は貸し出し用のもの以外は使用できないことが多いので注意!)最初は元気で好奇心がマックスなので説明をじっくり読んで早く鑑賞に入りたいところですが、まずは会場リストを眺めて展覧会全体の雰囲気をつかんでいきましょう。この時自分の好きな画家や作品がある場合はチェックをつけておきましょう。見逃すのを防げます。

美術館のオススメのまわり方については以下の記事にまとめてあります。是非参考にしてみてください。

 

www.artbook2020.com

 

ウィーン・モダン展で驚いたことは展示されている作品の数が多いということです。通常の特別展ですと100点前後の作品が展示されていることが多いのですが、今回のこのウィーン・モダン展ではなんと約400点が展示されています!食器など小物の数が多いことをありますが、それを差し引いてもかなりの数です。

あまり下調べをせずに行ったので、当日会場リストを確認してあまりの作品の多さにびっくりしました。それと同時に集中して全部は見きれないことを悟ったので、自分の関心のあるところに絞って鑑賞しました。

 

まず入って目を引いたのがマリアテレジアの肖像画です。豪華なだけではなく、気品と力強さがあふれています。構図としてはやや頭から下半身にかけて膨らんだ形をしていて、どこから見てもやや見下ろされているように感じます。

 

見つけてびっくりしたのが作曲家・シューベルトの肖像画です。

見た瞬間、「音楽室で見たのと一緒だ!」と思わず笑ってしまいました。

さらに面白いのが横に展示してあるシューベルトのメガネです。本人は自分のメガネを大勢の人が見物するようになるなんて夢にも思っていなかったでしょうね。

 

たくさんの作品が並んでいますが、目玉はなんといっても分離派のクリムトやシーレです。また分離派のポスターもそれまでの西洋とは大きく違った路線になっていて見ていてとても面白いです。中には1920年代のアメリカを彷彿とさせる作品も数多くありました。分離派が当時時代の先端をいっていたことがよく分かります。

 

私がこの展覧会で一番目を引かれたのもやはりクリムトの作品でした。その中でも特に気に入ったのが「パラス・アテナ」と「旧ブルク劇場の観客席」です。

 

「旧ブルク劇場の観客席」はクリムトの有名な作品らとは異なり、とにかく上手いという印象の画です。緻密な描写はブリューゲルの「バベルの塔」を彷彿とさせます。全体的に静かな色使いでありながら全体としては暗くなりすぎず、当時のブルク劇場の重厚感をそのまま伝えてくれます。

 

「パラス・アテナ」のすごいところは一つの画でありながら画面が3つあるというところです。写真やポスターでは分かりにくいですが、実際に本物を前にしてみると画面が3つに分かれているということが分かります。すなわち、一つの視点でそのすべてをとらえることが出来ないのです。

一つ目の画面が首から上の顔と背景にあたる部分です。二つ目は首から下、メデューサの顔と金の衣装の部分です。この金の素晴らしいところは、金色で金を表現するのではなく、その反対にある黒で金を表現しているというところです。そして、三つ目が右手(とその上)です。これらはぼかしによって遠近感を持たせたりすることで3つを同時に見ることが出来なくなっています。見ようとしても見えない、不思議な感覚に陥ります。そしてその不思議な感覚がまたこの絵に魅力を感じさせる一因となっているのです。

 

今回は作品が多かったことで少し疲れてしまいましたが、平日に行ったことで館内も空いていて余計なストレスを感じずに回ることができました。ところどころの休憩スペースが大変ありがたかったです。

クリムトの「エミーリエ・フレーゲの肖像」は今展覧会の中で唯一写真撮影が許されています。みなさんこの絵の前で立ち止まって写真を撮っていました。その近くのスペースではこの絵の衣装を実際に再現したブースもあり、こちらも再現度が高く面白かったです。

 

 ウィーンモダン展のホームページはこちら
https://artexhibition.jp/wienmodern2019/
 

 

 

美術館を早足で逆走している人がいたら私です。

美術館の途中に設置されている椅子に座って他の来館者の様子を見ていると、同じ絵の前や空間でも人によって行動が様々で見ていてなかなか面白いです。

うんちくを語りながらゆっくり歩く老夫婦や、寝付いたばかりの赤子を起こさぬように静かにベビーカーを押す母親など、それぞれが思い思いに鑑賞を楽しんでいるのが分かります。あらためて美術というのが万人に解放されたものであるということを感じます。

 

このように美術館のまわり方は三者三様であり、正しいまわり方というのはあるわけではありません。最低限のマナーさえ守れば、あとは自分の自由に行動することができます

 しかし、正しいまわり方は無くとも、美術館をまわる上で失敗というのはあります。それは楽しみにしていた作品を十分に楽しめなかったり、後で思い返したときに特に印象に残っているものがなかったりという場合です。せっかく美術館まで出かけて、何も残らないようではもったいなすぎますよね。

 

この様な失敗の最大の原因はペース配分にあります。

美術館は普通、一度入場してしまえば自分のタイミングで退場するまでは無理に追い出されるといったことはありませんので、時間的な制約は少ないように思えます。しかし実際は集中力や体力の限界からいつまでも鑑賞していられるわけでもありません。私の経験上、美術館で集中力を保ったまま鑑賞できるのは90分くらいが限度だと思っています。これを超え、120分近くなってくると絵を見ても感想がどんどん薄くなっていくように感じます。

一般的な美術展では100点前後の作品が展示されていることが多いです。これを前から順番に見ていこうとすればとても90分では収まりきりません。無理に90分で全部の作品を見ようものなら、一つあたりの鑑賞時間は1分以下になり、後で思い返したときに何も残っていない可能性が高いです。

 

では、最後まで集中力を切らさず、好きな絵をじっくりと鑑賞するためにはどんなまわり方をするのがベストでしょうか。

私のオススメは、先に最後まで早足で作品を眺めて気になった作品は作品一覧かなにかに印をつけておき、あとから戻って好みの作品を鑑賞するという方法です。展示によっては最後まで行くと時間がかかりすぎる場合もあるので、その場合はテーマごとに目当ての作品を見つけておくというのがいいと思います。

この方法のいいところは自分が本当に見たい作品の数をある程度把握してしまうことで、時間配分がしやすくなるということです。時間にゆとりをもって鑑賞することで、作品に集中することができ、より良い感想やアイデアが浮かんできやすくなります。また展覧会の全体のテーマを把握しやすくなるというメリットもあります。

この方法で心配されることとして、じっくり鑑賞する作品が減ることによって隠れた名画や作品に気づきにくくなるのではないかという点があります。確かに一枚一枚丁寧に見ていく中で発見される魅力もあるかもしれません。

しかし、本当に自分にとって魅力的な作品というのは向こうから語りかけてきて、一目で引き込まれるものです。多くの場合最初にあまりピンとこない作品というのは、そのあといくら鑑賞したところで印象に残る作品でないことが多いです。名画とは、多くの人々の心をとらえるものですが、それが必ずしもあなたの心にも当てはまるとは限りません。このようなことは往々にしてあるものです。

このまわり方は、あなたにとって印象深い作品を見つけることにも適した方法ではないでしょうか。

 

今回は効率よく、展覧会で素敵な作品に出合う美術館のまわり方を紹介しました。もし今まで展示の最後まで集中力が続かないという方がいらっしゃいましたら、ぜひこの方法を試してみてはいかがでしょうか。

5分で予習!「ギュスターヴ・モロー展」

2019年4月6日(土)から6月23日(日)までパナソニック汐留美術館にて「ギュスターヴ・モロー展-サロメと宿命の女たち-」が開催されています。東京での展示の後は7月13(土)から9月23日(月)まで大阪のあべのハルカス美術館で、10月1日(火)から11月24日までは福岡市美術館でそれぞれ展覧会が開催予定です。

今回はギュスターヴ・モロー展をより楽しむための予備知識をおよそ5分で読める量にまとめました。

 

 

ギュスターヴ・モローとは

ギュスターヴ・モローは19世紀末に活躍した象徴主義を代表する画家です。

主に、聖書や神話を題材にした作品を多く残しました。古典主義やロマン主義を引き継ぐ時代の過渡期に活躍した彼は、様々な技法や作風を融合させながら神秘的で幻想的な作品を数多く描き上げました。

晩年は美術学校の教授となり、マティスやルオーといった偉大な画家を輩出しました。

 

<生涯>

モローは1826年4月6日パリで、建築家である父と音楽家である母の間に生まれました。父は放任主義で、モローは自由な環境の中で育ちました。

体が弱く家で過ごすことの多かった彼は、芸術家の遺伝子を受け継ぎ、6歳のころからデッサンをするようになりました。

 

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『自画像』 1850年

 

20歳の時本格的に画家を志したモローは、美術学校に入学しました。しかし直後にテオドール・シャセリオーの作品を見たモローは衝撃を受け、わずか2年で学校を辞め、シャセリオーに弟子入りします。

シャセリオーはアングルやドラクロワに影響を受けたロマン主義の画家で、二人は子弟という垣根を超えて、友人のような親しさで付き合いました。モローはシャセリオーから多くの影響を受け、交友は1856年シャセリオーが37歳の若さで病死するまで続きました。

 

最愛の師を失ったモローは翌年よりイタリアへ2年にわたる旅行を行きました。この留学で彼は巨匠の研究を行い、技術の確立に努めました。

帰国後、モローは「オイディプスとスフィンクス」の制作に取り掛かると、これがナポレオン3世の従兄であるナポレオン公の目に留まり買い上げられ、彼の画家人生の全盛期を迎えます。

 

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『オイディプスとスフィンクス』 1864年

 

晩年は美術学校の教授となり、アンリ・マティスやジョルジュ・ルオーといった偉大な画家を輩出しました。一方で、伝統的なテーマを取り上げながらも革新的な面を持っていたモローは、伝統を重んじる美術アカデミーの他の会員から反感を買うことになります。モローは次第にサロンから離れるようになり、最後は自分の屋敷で創作を続けました。

モローの死後、彼の厖大な作品やデッサンは遺言により「ギュスターヴ・モロー美術館」にて公開され、初代館長は弟子であるルオーが務めました。

 

<性格と画風>

弟子であるルオーはモローの性格を「尽きざる好奇心」と言い表しています。モローはたびたび他の画家に陶酔しました。モローの好奇心は、彼の研究の動機付けになりました。シャヴァンヌやドラクロワにも熱中し、特に師であるシャセリオーからは多大な影響を受け、彼の画風が形成されていきました。

 

モローは興味を持った画家から好奇心のままスタイルやテクニック吸収し、実験を繰り返しながら自分の作品の中に取り入れていきました。

彼の作品は、彼が影響を受けた画家のスタイルが複雑に組み合わされ、独特の雰囲気を放っています。彼の作品にはアングルの新古典主義、ドラクロワのロマン主義、ミケランジェロのルネサンス、そして師であるシャセリオーの幻想さという相異なる様式が、奇跡的な調和を保ちながらモローの世界観をつくり出しています。

 

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『エウロペの誘拐』 1868年

 

サロメと宿命の女とは

今回の展覧会の題は「ギュスターヴ・モロー展 ― サロメと宿命の女たち ―」になっています。「サロメ」や「運命の女」は聞きなれない言葉ですが、いったい何を意味するのでしょうか。

 

サロメとは新約聖書の『マルコ伝』6章に出てくるある少女の名前です。サロメはこの話の中で重要な役割を担っています。話はイエスを洗礼した聖ヨハネがユダヤ王ヘロデ・アンティパスを非難するところから始まります。

ヘロド王は自分の兄弟の妻であるヘロデアをめとりました。これに対しヨハネは「兄弟の妻をめとるのはよくない」とヘロドを非難します。ヘロドは激怒したが、ヨハネが正しき聖者であることを知っていたので殺すことはできませんでした。

 

ヨハネを殺すチャンスは思わぬところで巡ってきました。

ヘロド王が自分の誕生日の祝いに宴会を催したときのことです。妻ヘロデアの連れ子が入り、舞を披露し人々を喜ばせました。そこで王は少女に「なんでも欲しいものを褒美にやる」と約束すると、少女はヘロデアのもとに行き、母に何がいいか伺いを立てに行きました。するとヘロデアは「バプテスマのヨハネの首を」と答え、少女はこれを王に伝えました。王はこれに困惑しましたが、約束を履行すべく、すぐに衛兵に指示しました。

衛兵は獄中のヨハネの首を切り、盆にのせ少女に与えると、少女はこれを母に渡しました。

これを聞いたヨハネの弟子はその死体を引き取り、墓に納めたのでした。

 

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『出現』 1876年

 

もうお分かりの通り、サロメとはヘロデアの娘でヨハネの首を受け取った少女のことです。

この場面は多くの画家によって描かれていますが、特にモローは好んでこの場面を数多く描き残しました。

なぜモローはサロメを多く描いたのでしょうか。その答えはモローの女性観にあります。

 

ロマン主義から象徴主義に至る文学シーンの中では、しばしば“男性=善=プラスのもの”と“女性=悪=マイナスのもの”のイメージが対立して扱われました。

モローの作品にもこの二項対立構造が表れています。しかし、それは男性優位を主張したというものではありません。むしろモローは悪のほうに惹かれていったのです。

これはおかしなことではありません。現代においてもサタンに憧れる人がいるように、圧倒的な邪悪には人を引き付ける不思議な魔性があるのです。

彼は、女性の“悪”というものの魅力に取りつかれたのでした。

 

悪魔的な魅力で男を惑わし、死に至らしめる女を芸術の分野では“宿命の女(ファム・ファタール)”といいます。ファム・ファタールについてはロセッティやムンクの記事でも触れているので是非読んでみてください。

 

www.artbook2020.com

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母からのおぞましい伝言をためらうことなく王に伝え、ヨハネの首を受け取ったサロメは間違いなく悪女です。少女と悪と死の取り合わせはとても背徳的でぞくりとした美しさを醸し出しています。モローは宿命の女としてのサロメに惹かれ、この場面をテーマに多くの作品を残したのです。

 

展覧会の見どころ

以上のギュスターヴ・モローのバックグラウンドを知った上で、この展覧会を楽しむためのポイントが3つあります。

 

一つ目は、多くの画家のスタイルを取り合わせたモローだからこそ出せる画風の多様性です。普通の画家の場合、ある程度画風が固まってしまうと同じような絵が多くなり、この人っぽいなというのが出てきます。

しかしモローはルネサンスから印象派まで幅広い影響を受け、それを自分の画の中に取り込んでいったので、一人の同じ画家とは思えないバラエティ豊かな作品が生まれました。

 

二つ目は、モローが異常なまでにこだわった装飾の細部です。ジョブズは「神は細部に宿る」と言いましたが、モローの描く細工の精妙さは彼の執着を感じます。

のちにゴーギャンはこれらを見て「要するに、彼は金銀細工師にすぎないのだ」とまで言いました。展覧会でも是非画に近づきその精巧さを楽しんでください。

 

最後はなんといっても目玉である、モローの描くファム・ファタールです。ロセッティともムンクとも違う、象徴主義らしい耽美的な邪悪の魔力に惹かれてください。モローの画には画面全体が暗いものが多いです。その中でしっとりとたたずむ女性があなたを虜にしてくれることでしょう。