本と絵画とリベラルアーツ

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「ウィーン・モダン」展に行ってきました【感想や混雑状況】

6月のとある月曜日、国立新美術館で開催中(2019.4.24~8.5)の「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への旅」に行ってきました。当初はクリムト展の方に行く予定でしたが、当日出発前に確認するとなんと休館日...!!

急遽ウィーン・モダン展に切り替えて行ってきました。

 

事前にチケットは購入していなかったので、ウィーン・モダン展のチケットは国立新美術館で買いました。チケットを販売している箇所は乃木坂駅直通のところと、反対の六本木駅側の二か所あります。

私は13時前後に行きましたが、そのときはどちらのブースも空いていました。何回か国立新美術館でチケットを買いましたが、平日で混んでいることは今までなかったので、前売りチケットを買っていなくても心配しなくて大丈夫だと思います。

 

会場に入ったらぜひとも会場リストと鉛筆をもらいましょう。(鉛筆は貸し出し用のもの以外は使用できないことが多いので注意!)最初は元気で好奇心がマックスなので説明をじっくり読んで早く鑑賞に入りたいところですが、まずは会場リストを眺めて展覧会全体の雰囲気をつかんでいきましょう。この時自分の好きな画家や作品がある場合はチェックをつけておきましょう。見逃すのを防げます。

美術館のオススメのまわり方については以下の記事にまとめてあります。是非参考にしてみてください。

 

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ウィーン・モダン展で驚いたことは展示されている作品の数が多いということです。通常の特別展ですと100点前後の作品が展示されていることが多いのですが、今回のこのウィーン・モダン展ではなんと約400点が展示されています!食器など小物の数が多いことをありますが、それを差し引いてもかなりの数です。

あまり下調べをせずに行ったので、当日会場リストを確認してあまりの作品の多さにびっくりしました。それと同時に集中して全部は見きれないことを悟ったので、自分の関心のあるところに絞って鑑賞しました。

 

まず入って目を引いたのがマリアテレジアの肖像画です。豪華なだけではなく、気品と力強さがあふれています。構図としてはやや頭から下半身にかけて膨らんだ形をしていて、どこから見てもやや見下ろされているように感じます。

 

見つけてびっくりしたのが作曲家・シューベルトの肖像画です。

見た瞬間、「音楽室で見たのと一緒だ!」と思わず笑ってしまいました。

さらに面白いのが横に展示してあるシューベルトのメガネです。本人は自分のメガネを大勢の人が見物するようになるなんて夢にも思っていなかったでしょうね。

 

たくさんの作品が並んでいますが、目玉はなんといっても分離派のクリムトやシーレです。また分離派のポスターもそれまでの西洋とは大きく違った路線になっていて見ていてとても面白いです。中には1920年代のアメリカを彷彿とさせる作品も数多くありました。分離派が当時時代の先端をいっていたことがよく分かります。

 

私がこの展覧会で一番目を引かれたのもやはりクリムトの作品でした。その中でも特に気に入ったのが「パラス・アテナ」と「旧ブルク劇場の観客席」です。

 

「旧ブルク劇場の観客席」はクリムトの有名な作品らとは異なり、とにかく上手いという印象の画です。緻密な描写はブリューゲルの「バベルの塔」を彷彿とさせます。全体的に静かな色使いでありながら全体としては暗くなりすぎず、当時のブルク劇場の重厚感をそのまま伝えてくれます。

 

「パラス・アテナ」のすごいところは一つの画でありながら画面が3つあるというところです。写真やポスターでは分かりにくいですが、実際に本物を前にしてみると画面が3つに分かれているということが分かります。すなわち、一つの視点でそのすべてをとらえることが出来ないのです。

一つ目の画面が首から上の顔と背景にあたる部分です。二つ目は首から下、メデューサの顔と金の衣装の部分です。この金の素晴らしいところは、金色で金を表現するのではなく、その反対にある黒で金を表現しているというところです。そして、三つ目が右手(とその上)です。これらはぼかしによって遠近感を持たせたりすることで3つを同時に見ることが出来なくなっています。見ようとしても見えない、不思議な感覚に陥ります。そしてその不思議な感覚がまたこの絵に魅力を感じさせる一因となっているのです。

 

今回は作品が多かったことで少し疲れてしまいましたが、平日に行ったことで館内も空いていて余計なストレスを感じずに回ることができました。ところどころの休憩スペースが大変ありがたかったです。

クリムトの「エミーリエ・フレーゲの肖像」は今展覧会の中で唯一写真撮影が許されています。みなさんこの絵の前で立ち止まって写真を撮っていました。その近くのスペースではこの絵の衣装を実際に再現したブースもあり、こちらも再現度が高く面白かったです。

 

 ウィーンモダン展のホームページはこちら
https://artexhibition.jp/wienmodern2019/
 

 

 

美術館を早足で逆走している人がいたら私です。

美術館の途中に設置されている椅子に座って他の来館者の様子を見ていると、同じ絵の前や空間でも人によって行動が様々で見ていてなかなか面白いです。

うんちくを語りながらゆっくり歩く老夫婦や、寝付いたばかりの赤子を起こさぬように静かにベビーカーを押す母親など、それぞれが思い思いに鑑賞を楽しんでいるのが分かります。あらためて美術というのが万人に解放されたものであるということを感じます。

 

このように美術館のまわり方は三者三様であり、正しいまわり方というのはあるわけではありません。最低限のマナーさえ守れば、あとは自分の自由に行動することができます

 しかし、正しいまわり方は無くとも、美術館をまわる上で失敗というのはあります。それは楽しみにしていた作品を十分に楽しめなかったり、後で思い返したときに特に印象に残っているものがなかったりという場合です。せっかく美術館まで出かけて、何も残らないようではもったいなすぎますよね。

 

この様な失敗の最大の原因はペース配分にあります。

美術館は普通、一度入場してしまえば自分のタイミングで退場するまでは無理に追い出されるといったことはありませんので、時間的な制約は少ないように思えます。しかし実際は集中力や体力の限界からいつまでも鑑賞していられるわけでもありません。私の経験上、美術館で集中力を保ったまま鑑賞できるのは90分くらいが限度だと思っています。これを超え、120分近くなってくると絵を見ても感想がどんどん薄くなっていくように感じます。

一般的な美術展では100点前後の作品が展示されていることが多いです。これを前から順番に見ていこうとすればとても90分では収まりきりません。無理に90分で全部の作品を見ようものなら、一つあたりの鑑賞時間は1分以下になり、後で思い返したときに何も残っていない可能性が高いです。

 

では、最後まで集中力を切らさず、好きな絵をじっくりと鑑賞するためにはどんなまわり方をするのがベストでしょうか。

私のオススメは、先に最後まで早足で作品を眺めて気になった作品は作品一覧かなにかに印をつけておき、あとから戻って好みの作品を鑑賞するという方法です。展示によっては最後まで行くと時間がかかりすぎる場合もあるので、その場合はテーマごとに目当ての作品を見つけておくというのがいいと思います。

この方法のいいところは自分が本当に見たい作品の数をある程度把握してしまうことで、時間配分がしやすくなるということです。時間にゆとりをもって鑑賞することで、作品に集中することができ、より良い感想やアイデアが浮かんできやすくなります。また展覧会の全体のテーマを把握しやすくなるというメリットもあります。

この方法で心配されることとして、じっくり鑑賞する作品が減ることによって隠れた名画や作品に気づきにくくなるのではないかという点があります。確かに一枚一枚丁寧に見ていく中で発見される魅力もあるかもしれません。

しかし、本当に自分にとって魅力的な作品というのは向こうから語りかけてきて、一目で引き込まれるものです。多くの場合最初にあまりピンとこない作品というのは、そのあといくら鑑賞したところで印象に残る作品でないことが多いです。名画とは、多くの人々の心をとらえるものですが、それが必ずしもあなたの心にも当てはまるとは限りません。このようなことは往々にしてあるものです。

このまわり方は、あなたにとって印象深い作品を見つけることにも適した方法ではないでしょうか。

 

今回は効率よく、展覧会で素敵な作品に出合う美術館のまわり方を紹介しました。もし今まで展示の最後まで集中力が続かないという方がいらっしゃいましたら、ぜひこの方法を試してみてはいかがでしょうか。

5分で予習!「ギュスターヴ・モロー展」

2019年4月6日(土)から6月23日(日)までパナソニック汐留美術館にて「ギュスターヴ・モロー展-サロメと宿命の女たち-」が開催されています。東京での展示の後は7月13(土)から9月23日(月)まで大阪のあべのハルカス美術館で、10月1日(火)から11月24日までは福岡市美術館でそれぞれ展覧会が開催予定です。

今回はギュスターヴ・モロー展をより楽しむための予備知識をおよそ5分で読める量にまとめました。

 

 

ギュスターヴ・モローとは

ギュスターヴ・モローは19世紀末に活躍した象徴主義を代表する画家です。

主に、聖書や神話を題材にした作品を多く残しました。古典主義やロマン主義を引き継ぐ時代の過渡期に活躍した彼は、様々な技法や作風を融合させながら神秘的で幻想的な作品を数多く描き上げました。

晩年は美術学校の教授となり、マティスやルオーといった偉大な画家を輩出しました。

 

<生涯>

モローは1826年4月6日パリで、建築家である父と音楽家である母の間に生まれました。父は放任主義で、モローは自由な環境の中で育ちました。

体が弱く家で過ごすことの多かった彼は、芸術家の遺伝子を受け継ぎ、6歳のころからデッサンをするようになりました。

 

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『自画像』 1850年

 

20歳の時本格的に画家を志したモローは、美術学校に入学しました。しかし直後にテオドール・シャセリオーの作品を見たモローは衝撃を受け、わずか2年で学校を辞め、シャセリオーに弟子入りします。

シャセリオーはアングルやドラクロワに影響を受けたロマン主義の画家で、二人は子弟という垣根を超えて、友人のような親しさで付き合いました。モローはシャセリオーから多くの影響を受け、交友は1856年シャセリオーが37歳の若さで病死するまで続きました。

 

最愛の師を失ったモローは翌年よりイタリアへ2年にわたる旅行を行きました。この留学で彼は巨匠の研究を行い、技術の確立に努めました。

帰国後、モローは「オイディプスとスフィンクス」の制作に取り掛かると、これがナポレオン3世の従兄であるナポレオン公の目に留まり買い上げられ、彼の画家人生の全盛期を迎えます。

 

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『オイディプスとスフィンクス』 1864年

 

晩年は美術学校の教授となり、アンリ・マティスやジョルジュ・ルオーといった偉大な画家を輩出しました。一方で、伝統的なテーマを取り上げながらも革新的な面を持っていたモローは、伝統を重んじる美術アカデミーの他の会員から反感を買うことになります。モローは次第にサロンから離れるようになり、最後は自分の屋敷で創作を続けました。

モローの死後、彼の厖大な作品やデッサンは遺言により「ギュスターヴ・モロー美術館」にて公開され、初代館長は弟子であるルオーが務めました。

 

<性格と画風>

弟子であるルオーはモローの性格を「尽きざる好奇心」と言い表しています。モローはたびたび他の画家に陶酔しました。モローの好奇心は、彼の研究の動機付けになりました。シャヴァンヌやドラクロワにも熱中し、特に師であるシャセリオーからは多大な影響を受け、彼の画風が形成されていきました。

 

モローは興味を持った画家から好奇心のままスタイルやテクニック吸収し、実験を繰り返しながら自分の作品の中に取り入れていきました。

彼の作品は、彼が影響を受けた画家のスタイルが複雑に組み合わされ、独特の雰囲気を放っています。彼の作品にはアングルの新古典主義、ドラクロワのロマン主義、ミケランジェロのルネサンス、そして師であるシャセリオーの幻想さという相異なる様式が、奇跡的な調和を保ちながらモローの世界観をつくり出しています。

 

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『エウロペの誘拐』 1868年

 

サロメと宿命の女とは

今回の展覧会の題は「ギュスターヴ・モロー展 ― サロメと宿命の女たち ―」になっています。「サロメ」や「運命の女」は聞きなれない言葉ですが、いったい何を意味するのでしょうか。

 

サロメとは新約聖書の『マルコ伝』6章に出てくるある少女の名前です。サロメはこの話の中で重要な役割を担っています。話はイエスを洗礼した聖ヨハネがユダヤ王ヘロデ・アンティパスを非難するところから始まります。

ヘロド王は自分の兄弟の妻であるヘロデアをめとりました。これに対しヨハネは「兄弟の妻をめとるのはよくない」とヘロドを非難します。ヘロドは激怒したが、ヨハネが正しき聖者であることを知っていたので殺すことはできませんでした。

 

ヨハネを殺すチャンスは思わぬところで巡ってきました。

ヘロド王が自分の誕生日の祝いに宴会を催したときのことです。妻ヘロデアの連れ子が入り、舞を披露し人々を喜ばせました。そこで王は少女に「なんでも欲しいものを褒美にやる」と約束すると、少女はヘロデアのもとに行き、母に何がいいか伺いを立てに行きました。するとヘロデアは「バプテスマのヨハネの首を」と答え、少女はこれを王に伝えました。王はこれに困惑しましたが、約束を履行すべく、すぐに衛兵に指示しました。

衛兵は獄中のヨハネの首を切り、盆にのせ少女に与えると、少女はこれを母に渡しました。

これを聞いたヨハネの弟子はその死体を引き取り、墓に納めたのでした。

 

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『出現』 1876年

 

もうお分かりの通り、サロメとはヘロデアの娘でヨハネの首を受け取った少女のことです。

この場面は多くの画家によって描かれていますが、特にモローは好んでこの場面を数多く描き残しました。

なぜモローはサロメを多く描いたのでしょうか。その答えはモローの女性観にあります。

 

ロマン主義から象徴主義に至る文学シーンの中では、しばしば“男性=善=プラスのもの”と“女性=悪=マイナスのもの”のイメージが対立して扱われました。

モローの作品にもこの二項対立構造が表れています。しかし、それは男性優位を主張したというものではありません。むしろモローは悪のほうに惹かれていったのです。

これはおかしなことではありません。現代においてもサタンに憧れる人がいるように、圧倒的な邪悪には人を引き付ける不思議な魔性があるのです。

彼は、女性の“悪”というものの魅力に取りつかれたのでした。

 

悪魔的な魅力で男を惑わし、死に至らしめる女を芸術の分野では“宿命の女(ファム・ファタール)”といいます。ファム・ファタールについてはロセッティやムンクの記事でも触れているので是非読んでみてください。

 

www.artbook2020.com

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母からのおぞましい伝言をためらうことなく王に伝え、ヨハネの首を受け取ったサロメは間違いなく悪女です。少女と悪と死の取り合わせはとても背徳的でぞくりとした美しさを醸し出しています。モローは宿命の女としてのサロメに惹かれ、この場面をテーマに多くの作品を残したのです。

 

展覧会の見どころ

以上のギュスターヴ・モローのバックグラウンドを知った上で、この展覧会を楽しむためのポイントが3つあります。

 

一つ目は、多くの画家のスタイルを取り合わせたモローだからこそ出せる画風の多様性です。普通の画家の場合、ある程度画風が固まってしまうと同じような絵が多くなり、この人っぽいなというのが出てきます。

しかしモローはルネサンスから印象派まで幅広い影響を受け、それを自分の画の中に取り込んでいったので、一人の同じ画家とは思えないバラエティ豊かな作品が生まれました。

 

二つ目は、モローが異常なまでにこだわった装飾の細部です。ジョブズは「神は細部に宿る」と言いましたが、モローの描く細工の精妙さは彼の執着を感じます。

のちにゴーギャンはこれらを見て「要するに、彼は金銀細工師にすぎないのだ」とまで言いました。展覧会でも是非画に近づきその精巧さを楽しんでください。

 

最後はなんといっても目玉である、モローの描くファム・ファタールです。ロセッティともムンクとも違う、象徴主義らしい耽美的な邪悪の魔力に惹かれてください。モローの画には画面全体が暗いものが多いです。その中でしっとりとたたずむ女性があなたを虜にしてくれることでしょう。

「かわいい」を知れば、服選びが楽しくなる

 

見てみて!これかわいくない!??

 

女子は買い物に行くと店から店に吸い寄せられ、可愛いを連発します。

ペットショップの犬や猫から愛くるしいマスコット、はたまたよぼよぼのおじいちゃんにまで可愛いをつかいます。

 

一般的な男子から見るそれは異様な光景そのものです。

キモかわいいともなってくると頭がこんがらがってきます。

そのキーホルダーのどこが可愛いのか、ましてやそのおっさんのどこが可愛いのか。つっこみたくなると思います。

しかし、それを冷静に指摘しようものなら大変なことになります。

 

買い物で「これかわいくない??」に対して「じゃあ買えば?」は絶対に禁句です。

「もういい。」と言われ、いつまでもへそを曲げられることになります。

 

「これかわいくない??」に対する模範解答は「かわいいね」です。

オウム返しは会話の基本と言われますが、このテクニックはこの場面では非常に有効です。

無理して余計なひと言を足したりしなくて大丈夫です。「かわいい」と言えば大抵の場合はその会話は完結します。

 

 

どうして女子との会話においてオウム返しが有効になってくるのか、どうして女子は明らかに可愛くないものを可愛いと呼ぶのか。

これほどの男女の考え方の隔たりが生まれてしまう原因はどこにあるのでしょうか。

 

その答えは狩猟時代から続く、男女の脳の構造の違いがあります。

 

女性脳は共感重視

まずオウム返しについてですが、女性の脳が共感を重視するという特質によります。

一般的に、男性脳は伝達重視、女性脳は共感重視だと言われています。

狩猟時代には男性は狩りに出かけていました。そのため素早く、適切な伝達こそが命を左右する重要な要素でした。マンモスの牙が折れているだとか、オオカミがどっち方面にどれだけ離れたところにいるだとか、情報の伝達が最重要課題でした。

 

一方で女性たちは子育てのため、女性たちによるムラの中で生活していました。

子育ては一人だけではできません。仲間と協力する必要があります。

そのためには、仲間の信頼を得て、同じ考えを持っているということを示さなくてはなりません。それこそが共感なのです。

共感ができない、得られないということはムラからの孤立を意味し、ひいては死を招きます。上手に共感できる女性がムラの中で子育てをうまくすることができます。

共感は生きるための手段として、女性に搭載されるようになったのです。

 

このコミュニケーションの優先度の違いが、現代の男女での買い物や会話での悲劇を生んでいるのです。女性との会話の基本は共感です。

「これかわいくない??」と聞かれたら「うん、すごいかわいい」と返してあげましょう。

 

女性脳は目に映るものをデフォルメできる

また、女子が男子には不可解な場面でかわいいをつかうことも脳の構造の違いで説明ができます。

一般的に男性は立体的ものを見て、女性は平面的に見ると言われています。

よく女性の方が地図を見るのが苦手で、方向音痴な人が多いと言われますね。

このモノを見るときの立体と平面の違いは、かわいいの認識にも影響を及ぼします。

 

ディズニーを例に挙げて紹介しましょう。

ディズニーリゾートでは、たくさんのキャラクターが出てきてみなさんをむかえてくれますね。当然ながら、そのキャラクターたちは立体ですね。

男性脳はこのキャラクターを見たときに立体を立体として認識します。当たり前ですよね。

 

一方で、女性脳ではこうは考えません。立体のキャラクターたちは彼女らの頭の中に入った時には平面に変わっています。(女性に立体の概念が無いという主張ではありません。)

立体を平面にするとはどういうことか。

平たく言えばキャラクターを脳内で自分で勝手にデフォルメできるということです。

立体でキャラクターを見ている男子諸君よりも、デフォルメされた姿が目に映っていつ女子たちのほうが、キャラクターが魅力的でかわいく映っているわけです。

 

このことは他のモノを見たときにも応用されます。

立体で見るとあまり可愛くないものでも、デフォルメされた平面ならば可愛く見えるものです。

少し前かわいいかわいいと祭り上げられてテレビによく出ていたひふみんも、キャラクターがデフォルメされることでその可愛さが表れてきます。

 

「かわいい」を習得しよう

さて、ここまで「かわいい」における男女の性差について説明してきましたが、私はこの「かわいい」という文化をとても素晴らしいものだと考えています。

買い物に行っても理由がない限りその商品が味気ないよりも、無条件でかわいいと思えた方が絶対楽しいです。

 

私は今まで服を買う時には、とりあえずネットの記事や雑誌をみたりして、その組み合わせがなぜ良いのか、ということを調べてから買っていました。

自分の好みは多少にはあるといえど、これだ!というものを見つけて衝動買いするようなことはほとんどありませんでした。

 

しかし疑似的にも「かわいい」という観念を獲得してから、買い物に行ってもピンとくる、勘が働くようになってきました。

気に入るものを見つけると自然と視線がそっちへ向かい、「あれかわいいな」と思えるようになってきました。

 

そうなってくると買い物に出るのも、服を選ぶのも以前とは段違いで楽しくなってきます。

今まではマシなものをかろうじて選ぶような感覚でしたが、今では欲しいものがたくさんあって、そこからまた厳選するような気分に変わりました。

 

そもそも「かわいい」というのは後天的に獲得できる観念なんだろうか、という疑問がありますが、それについては問題ありません。

「かわいい」はあとからでも習得することができます。

私がその具体例です。

 

習得する方法はいたって簡単です。

店に行き、目についた“可愛い気がするもの”を声に出して片っ端から可愛いと言っていくことです。

最初は違和感が半端ないと思いますが、ぐっとこらえて頑張りましょう。

一人でぶつぶつ喋っているとやばい人になってしますので、誰かしら友達を連れていくといいですね。

女子であれば可愛いと言ったときに可愛いと言ってもらえるので弾みがつくので、訓練中は男子より女子の方がおすすめです。

 

慣れてくると男子だけの時にも自然に言うようになると思います。

私はそれを高校時代の友達の前で急にやってぎょっとされました。

問題ありません。

 

なかなか服を選ぶのが得意でない、という人は「かわいい」を習得してみてはいかがでしょうか。

きっと買い物が楽しくなること間違いなしです。

宅浪してよかった

宅浪は失敗する。

 

多くの教師や親はそう言うと思います。

私も高校時代教師から散々聞かされました。

 

正確な数字があるわけではありませんが、現状宅浪は合格率が壊滅的です。

そもそも、浪人自体がそんなに成功率が高いものではありません。浪人すればとりあえず現役よりも成績が上がると考えている人もいるようですが、実際はそんなことはありません。

通説では、浪人の1/3が成績アップ、1/3が現役と変わらず、そしてもう1/3が現役時代よりも成績が落ちると言われています。気を抜けば成績が変わらないどころか、落ちてしまう心配まであるわけです。

予備校に通っている人は平均してこれよりはいい成績を出していると思いますので、宅浪はさらにひどいと考えられます。

 

確率だけ見れば、大手の予備校に通うのが最も有名大学への合格率が高いのは明らかです。塾の言うことをしっかりと聞き、言われたことちゃんとやってりゃそれなりに成績は上がります。それで成功した友達もたくさんいます。

 

これだけみると、宅浪がとても無謀でバカげた選択肢に見えます。素直に合格したいならばあれこれ考える前に予備校に通ってしまうのが賢明なのかもしれません。

ですが、私は塾に行かないことを選びました。

私の周りには予備校に通っていない人が多かったのも決める要因だったかもしれません。

これが予備校に通うよりいい選択だったかどうかはわかりません。もしかしたら予備校へ通っていたらもっと上の大学に受かっていたかもしれません。

あれこれ後から考えられることはたくさんありますが、総評として私は宅浪にとても満足しました。

 

宅浪のメリットやデメリットはいろんなサイトで語られていますが、今回は自分が実際に感じた宅浪の良さについて触れていきたいと思います。

予備校に行くか家で勉強するか悩んでいる受験生にはぜひ読んでもらいたいです。

 

お金がかからない

まず何と言っても目に見える一番の違いはお金のかかる額です。

予備校に通えば通年で80万以上、夏期や冬期の講習も含めると100万をゆうに超えてしまいます。これは国立大学の入学費が約28万円、授業料が約53万円なので、予備校に通った場合に一年にかかる額は国立大学に入った場合よりもずっと高いことになります。

金銭的事情から宅浪になっている人も多いかもしれません。

 

その点宅浪では、受験のためにかかるお金はテキスト代と模試代くらいになります。

他に通信教材などを使っていればこれに上乗せになりますが、それでも大手の予備校と比べると金額に大きな開きがあります。

 

私の場合は一浪の時に近所の自習室を借りていたので、それが一か月で1万円程度かかりました。

自習室ではまわりがみんな勉強しているので自然と集中でき、また席が確実に確保されているので席争いの心配もなくとても快適でした。調べてみると最近ではドリンク飲み放題がついている自習室もあるということなので、もし自宅以外で勉強する場所を確保したいという人は利用してみてはいかがでしょうか。

 

自分の実力を試せる

多くのサイトでも言及されている宅浪のメリットといえば時間が自由に使えるということでしょうか。

当然予備校に入れば自分の時間の一部を授業やテストのために制限されることになります。

自分にとって必要なテストや有意義な授業であれば問題ないですが、必ずしもためになるとは限りません。貴重な受験の時間を無駄なことに使うのは避けたいですよね。

そもそも、必要な授業であっても自分の都合で時間を動かせないのは私にとってはマイナスポイントでした。

自分の時間を自分でコントロールできないのは人によってはそこそこの苦痛になります。

 

勉強の基本は、分からないところを見つけて克服することの繰り返しです。

分からないところを見つけるためには、授業を受けるよりもテキストを読んだ方が圧倒的に早いです。テキストでわからないとこを見つけ、分からないところだけを教えてもらうのが最も効率的です。

分かるところをいつまでもやっていてはしょうがありません。

予備校の授業ではそこまで個別的には対処できないので、必然的に無駄が生まれることになります。

 

この点では映像授業がとても強みを発揮します。

有名講師の効果的な説明を、必要なところだけ享受することができます。

 

自宅で勉強しながら映像授業を利用すれば、好きな時間に質の高い説明を受けることができ最も効果的だと言えます。

 

また自分自身で勉強計画を立てることになるので、勉強の結果である学力の責任を完全に自分一人で負うことになります。

これは辛いことでもある一方で、自分の実力をいかんなく発揮できるということでもあります。

 

自分で志望校合格に向けた戦略を立て、定期的に問題点をフィードバックし、成果を上げていく。これをすべて一人でやるならば、その結果もすべてあなたの実力に間違いないのです。

ここでは学力だけでなく、自己マネジメント能力や自己分析力、忍耐力を問われます。

宅浪受験は、本当の自分の実力を試すことの出来る絶好のチャンスなのです。

 

人間関係に困らない

予備校のもう一つの問題点として、知り合い同士のなれ合いがあります。

友人はうまく付き合えれば切磋琢磨できる仲間になりますが、付き合う相手を間違えると堕落の入り口になりかねません。

私の先輩の通っていた予備校ではゲームセンターが流行して、集団で通い詰めるようになってしまったといいます。

中には親にせっかく出してもらった夏期講習の費用をすべて風俗に溶かしてしまったという人もいるそうです。

付き合う相手を選ばないと人生を棒に振ることににもなりかねません。

逆にもし予備校の中に知り合いがいないとしても、周りがわちゃわちゃしている中で、一人で食事をとり、それらを眺めているのもなかなか苦痛です。

 

一方で、浪人中の友人ということになると宅浪にも問題があります。

よほど一人が好きな人を除いて、長い期間誰とも会わないというのは精神衛生上不健全極まりないです。大多数の人は長期間友人と会わなければ次第に病んで行ってしまいます。

 

私は幸運なことに意志の強い宅浪仲間に恵まれていたので、気がめいることもありませんでしたが、宅浪する上で気を付ける点ではあります。

 

自分と語り合える時間が十分にある

私が思う宅浪で時間ができることの最大のメリットは、自分と語り合える時間が十分にあるということだと思います。

時間があれば、いろんなことを考えます。

今の勉強法は正しいのか、浪人する意味は本当にあったのか、宅浪でよかったのか、なぜ大学に行きたいのか、大学で何をしたいのか、大学を卒業した後何がしたいのか、自分の存在意義とはなんであろうか。

考えなくてはいけないけれど、時間がなければじっくり取り組むことができない命題と腰を据えて向き合う時間が生まれます。

この命題ひとつひとつと向き合っているうちに勉強へのモチベーションが上がるとともに、自分の人生というものも少しずつ見えるようになってきます。

自分の人生に責任を持たなくてはならないということに嫌でも気が付くようになります。

 

今私が大学でやっていることや、やろうとしていることの多くは宅浪時代に考えていたことです。

もし宅浪していなかったら今ほど大学で本を読んでいなかったでしょうし、勉強に熱心に取り組んでいなかったと思います。

現役で大学へ進んでしまっていたら適当なサークルで4年間酒を飲んで終わっていたかもしれません。

そういう意味でも、自分と向き合う時間をつくれた宅浪時代は自分の今までの人生の中でも有意義であったと言い切ることができます。

 

宅浪は確かにつらいです。

誘惑は多いですし、もし誘惑に負けたとしてもそれを咎める人は誰もいません。

全てが自己責任です。

勉強に身が入らず自己嫌悪に陥るときもあります。

 

それでも自分考えた戦略で自分の実力を上げ、困難を乗り越えていくことは必ず自分自身の力と自信になります。

 

予備校に黙ってしたがって行くのは簡単です。

しかしこの受験は誰のものなのでしょうか。

誰がやりたいと思い、誰のためにやるものなのでしょうか。

 

もちろん自分の意志で決断し予備校に行くも立派だと思います。

ただ、宅浪という選択肢が不利であるのは数字上だけのことであるということは認識していただけるとありがたいです。

 

一人でも多くの受験生が自分自身の人生に責任を持ち、自分自身で決断し、志望する大学に合格することを心より応援しています。

散歩でクリエイティブになろう

半年ほど前、長年乗っていたママチャリがパンクしました。

愛着のあった自転車だったので修理してまた使おうかと思いましたが、改めてよく見てみるとなんともみすぼらしい姿で、タイヤの交換では済まない気がしたのでそのまま廃棄することにしました。

それ以来、駅までの道のりや短い距離の移動を歩くようにしています。

 

自転車が壊れてしばらくは自転車が無いことによって朝の数分で惜しい思いをしたり、疲れて帰ってきたときには駅を出て徒歩で帰らなくてはならないことにうんざりしたりしていました。

あまりに疲れている時には、うっかり何も止めていない駐輪所に寄って「そうだ、自転車はもう壊れたんだった・・・」とがっかりすることもしばしばありました。

 

この頃はずいぶんと徒歩での生活にも慣れてきて、緊急の場合を除き自転車や車は使わなくなりました。むしろ、駅までの道のりを歩きたいとさえ思うようになってきました。

もともと歩くのは嫌いではなかったので、しばらくは自転車なしの生活になりそうです。

 

歩いていると、せかせか移動していては得られないたくさんのものを得ることができます。

もちろん、心をなくしていると気付かない景色や町の様子もそうですが、それ以上に脳のクリエイティビティな領域について良いことが多く起こるように感じます。

 

通いなれた道を通るときや、所在なく町を歩いている時には一時的に何も考えていない状況になります。現代、ふつうに生活していると、人と話したり、スマホをいじったりしているだけで、日々とんでもない量の情報を浴び続けることになります。

無意識にうちにも五感は過敏に働き、脳内ではせっせとインプットが行われています。

 

これが一転、半強制的にインプットを制限された状況になると、脳はアウトプットに集中することになります。脳に送られる情報量が大幅に減少すると、今まで蓄積された情報が自然に溢れ出すようになります。

これが、創造的思考の土壌を形成する条件のひとつとなるのです。

 

そもそも、創造的思考とはどういうものなのでしょうか。

 

脳科学者の茂木健一郎によると、「創造のプロセス」と「思い出すこと」は近い関係にあるそうです。「思い出すこと」とは、脳科学的に説明すると脳の側頭連合野に蓄積された経験を前頭葉が引き出すことを言います。

一方で「創造」とは、前頭葉が記憶や知識を引き出す過程でそれらを結びつけることで生まれるのです。想起も創造も脳の中では同じ領域において処理されているのです。

クリエイティビティな人は一見、天才的な感性で未知のものを生み出すように思われますが、そうではないのです。

あくまで材料はその人の頭の中にあり、それらを人と違った視点で結びつけているだけなのです。

 

創造の本質は編集です。

 

外山滋比古も「思考の整理学」の中で、創造力を“知のエディターシップ”と表現しています。

外山滋比古はこの本の中で、問題を寝かせておく有用性についても触れています。

なにか問題が起こると、頭の中がそれに支配されてうまく物事を考えられない状況に陥ってしまいます。

そこで、いったん考えるのをやめ、問題を寝かせておくことでかえっていい結果をもたらすといいます。

混沌とした脳内の知識をいかに意外性を持ってつなぎ合わせるかが、新しい発想のカギになります。

 

創造的思考のパフォーマンスを高めるには、環境の整備が必要になります。

いくら思考が脳内で完結する話だとしても、ほかのことに気を取られて集中できなかったり、神経を害するような環境ではいい発想は生まれません。

 

ポイントは三つあります。

一つ目はさっきも上げたとおり、脳へのインプットが遮断されてアウトプットに集中できる環境であること。二つ目は精神が穏やかであること。そして三つ目は脳に十分に血液がいきわたっていることです。

これらの条件がそろうことで、やっと創造的思考に最適の環境が生まれるのです。

 

そして、これらの条件を満たすことが出来るのが散歩なのです。

 

ちなみにこの三つの条件を日常生活の同時に満たすことができる他の例はシャワーを浴びている時です。シャワーの音が心地よい快感を与え、血流がよくなります。

みなさんもシャワーを浴びている途中にふと思い出しごとをすることがあるのではないでしょうか。

しかし、一日の中でシャワーを浴びている時間はほんのわずかなので、考える時間を増やすために散歩をおすすめします。

 

歩くことは心と身体の両方を満たしてくれます。

一定のリズムで歩くことで思考にリズムが生まれ、第2の心臓である足を使うことで全身に酸素がいきわたります。

また歩行禅という言葉もあるように、歩くことによって精神的が安定する効果もあります。

 

よく数学者は考えが行き詰ると散歩に出るといいます。

歩いていれば、いやでも脳がアウトプットに専念するようになります。

結果として、散歩に出ることで机の上では出てこない、柔軟な考えが生まれるようになるのです。

 

もし自分がインプットに寄ってしまっているなと感じているならば、外に出て見慣れた道を一周してみましょう。中途半端に物事を考えているときよりもずっとクリエイティブになっているはずです。

 

 

思考の整理学 (ちくま文庫)

思考の整理学 (ちくま文庫)

 

 

妻の墓を暴いた画家

芸術家にはマイペースな人が多いですが、これほど利己的な人間は珍しいでしょう。

 

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティは19世紀のイギリスの画家で、詩人としても活躍した芸術家です。整った顔立ちとカリスマ性を持ち、ロセッティの周りには多くの人が集まっていました。

ロイヤル・アカデミーの学友であるミレイやハントとともに、ラファエル前派のメンバーとしても活動しました。またファム・ファタール(男を惑わし破滅させる女性)を題材として用いた先駆者としても知られています。

 

ラファエル前派とはその名の通り、当時正統とされていたルネサンス期の巨匠ラファエロに代表される古典的な芸術規範に抗い、ラファエロ以前の美術を尊重しようという運動です。当時のロイヤル・アカデミーでも古典的な芸術が重視されていました。

自分たちが学んでいる学校の考え方に反抗していく、とても革新的な青年だったのですね。

このラファエル前派は、19世紀後半ヴィクトリア期のイギリス美術史に多大な影響を及ぼしました。

 

初期メンバーの3人は芸術の方向性の違いや、私情のもつれから次第に散り散りになっていきました。しかし、その後もロセッティのもとにはモリスをはじめとする芸術家が集まり、次世代のラファエル前派を作り上げていきました。

 

ロセッティを語る上で、欠かせない二人の女性がいます。

一人目はエリザベス・シダル(リジー)です。リジーはのちにロセッティによって「ベアタ・ベアトリクス」のモデルとされるように、清純な女性でありました。

彼女は学校で教育を受けていませんでしたが、両親から読み書きを教わっていました。アルフレッド・テニソンの詩に感銘を受け、自分でも詩をつくるようになりました。 
彼女はアーティストの知人を通してラファエル前派に紹介されました。

彼女は初期ラファエル前派の画家たちの多くのモデルを務め、最終的にロセッティと婚約しました。

 

二人目の女性はジェーン・バーデンです。

ロセッティがジェーンと出会ったのは、すでにロセッティがリジーと婚約している時のことでした。ロセッティが気分転換にふらっと立ち寄ったロンドンの下町の劇場で出会った二人は惹かれあい、以後ジェーンはロセッティのミューズとしてモデルを務めるようになりました。

ロセッティは彼女にリジーとは対照的なファム・ファタールを見出し、理想の女性として晩年まで愛しました。

結局、ロセッティは婚約していたリジーと結婚し、ジェーンはロセッティの弟子であるウィリアム・モリスと結婚しました。

しかし結婚した後においても、ロセッティのジェーンに対する思いは変わることはありませんでした。

 

もとより病弱であったリジーは、ロセッティが外で他の女性と関係を結ぶのを耐えることが出来ませんでした。

加えて第一子である女児の死産を経験し、彼女の心は完全に崩壊していました。拒食症であったともいわれています。

苦しみからにアヘンに手を出すようになり、結婚2年目の第二子を妊娠中のある日、彼女はアヘンをオーバードーズし、自殺しました。

彼女が自殺を図ったその時さえも、ロセッティは他の女性と快楽をともにしていたといいます。

 

彼女の死によってロセッティは罪悪感と悲しみにさいなまれました。

 

そして詩人でもあった彼はある決意をします。

それは、リジーが病で苦しんでいる最中看病もせず書き続けた詩集を彼女と一緒に埋葬しようというものです。

その詩はロセッティが彼女のために書いたものであり、彼女の死んだ今、詩集も同時に死んだのです。

 

ロセッティは詩集を彼女の棺に入れ、静かにリジーと詩集に別れを告げたのです。

 

リジーの死後、ロセッティはある作品の制作に取り掛かりました。

それが、ロセッティの最高傑作と名高い「ベアタ・ベアトリクス」です。

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ロセッティ 「ベアタ・ベアトリクス」 1863年

ベアタは英語のblessed(神に福音を与えられた)に当たり、ベアトリクスはルネサンス期の詩人ダンテの恋人ベアトリーチェを指しています。

この絵はまさにベアトリーチェの魂が昇天しようとしている場面を描いています。右後ろに描かれている黒い人はダンテ、左の赤い人は愛が天使の姿で描かれています。

ロセッティは自分と同じ名前であるダンテに特別な思いを持っていました。

彼はベアトリーチェとリジーを重ね合わせ、亡きリジーへの思いを込めました。

一途に愛してくれたリジーを裏切り続け、自殺に追い込んでしまった念が彼に取り付いて離れないのでした。この時ロセッティは35歳でした。

 

時は流れ、ロセッティが41歳になったころ、彼の中にエゴに満ちたある欲望が膨らんでいました。芸術家としての性だったのかもしれません。

彼は愛する妻リジーの死とともに埋葬した彼の詩集を出版したくなったのです。

決心した彼は墓を暴くよう依頼し、そして彼女の棺の中から詩集が取り出されました。なんて利己的で破壊的な行為でしょう。

 

彼はこの詩集にリジーの死後書いた詩を加えて、翌年出版しました。

皮肉にも、この詩集はロセッティの詩人人生において最高の評価を得ました。

その後も画家として成功し、社会的名声を得たロセッティでしたが、その心の中はリジーへの罪悪感とジェーンへの思慕で穏やかになることはありませんでした。

44歳の時には自殺を図りましたが、うまくはいきませんでした。その後も苦しみもがき続けます。

晩年の彼は死んでいるも同然の生活でした。酒と薬に溺れ、夜も眠れなくなり真夜中にろうそくの明かりで絵を描く生活が続きました。

そして53歳の春、腎臓疾患によりこの世を去りました。

 

彼の人生はエゴそのものでした。欲望のまま動き、人を愛し、苦しんだのです。