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【オススメ】センター世界史で満点を取った勉強法【独学】

受験暗記科目の中でもボリューミーな世界史。

範囲が横に広いため一通り勉強してある程度の点がとれるようになったとしても、そこから満点に持っていくのはなかなか大変です。

80点は安定していくようになったが、そこから伸び悩んでいるという人も多いのではないでしょうか。

 

私も途中から点数が停滞し、点数がなかなか伸びずに悩んでいました。

しかしいくつかのポイントに重点を置いて勉強することで点数が上がり始め、最終的にセンター試験本番では満点を獲得することができました。

 

結論から言えば、世界史で重要なのはタテとヨコのつながりがしっかりできているか?という点になります。

言い換えれば、いつ・どこで・何がという質問に答えられるように勉強していくことです。

 

今回は「どうやってタテとヨコのつながりを効率よく勉強していくか」という点について、特に重要な3つのポイントに絞って解説していきたいと思います。

 

この記事をオススメしたい人

・世界史を勉強して一通りは覚えたが、満点にはとどかない。
・2次でも世界史を使うのでじっくり勉強したい。

 

 

 

センター世界史で9割を目指す

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 今回の3つのポイントのうち、初めの2つがタテ(時間軸)、最後の1つがヨコ(地域軸)になっています。

これらのポイントを意識しながら勉強することでただ頭に入りやすくなるだけでなく、テスト本番で点が取りやすくなります。

 

 

記憶のモノサシをつくる

ある程度勉強が進んでくると、テスト本番で悩ましいのが「これ知ってるけど思い出せない!」という事態ですよね。

私もこれで何度も苦い思いをしました...。

特に自分の好きな分野でど忘れが起こると模試の帰りでずっともやもやしてしまいますよね。

 

 

そこでまず、思い出しやすくなる方法をお伝えします。

 その方法とは、「記憶のモノサシ」となるものを、あらかじめ作っておくことです

 

 

世界史のテキストは古い年代から順番につくられています。

しかし他の地域に移るために、しばしば年代順は中断されてしまいます。(西洋史から中国史など)

この結果、頭の中でも同地域内で時間軸がぶった切られるという事態に陥ってしまうのです。

 

「記憶のモノサシ」とは、一度地域間のことは考えずにタテ(時間軸)にだけ注目して基準を改めてつくっていこうというものです。

 

 

みなさんは中学校で歴史を勉強した際に飛鳥・奈良・平安・鎌倉・室町...と順番に口に出して暗記していった覚えはありますか。

日本史は他の地域に移ることは無いのでこのように一つのモノサシで考えていくことができますね。

 

これを世界史でも応用していこうというのが、「記憶のモノサシ」です。

とはいえ全ての国と地域についてモノサシを用意していたらそれだけで脳みそのキャパを使い切ってしまうので、重要な地域を選んでモノサシを作っていきます。

 

オススメはアラル海南部(ソグディアナ付近)です。

この地域は西洋・イスラム・中国の衝突地点で、大国が常にひしめき合っていました。 

この様に歴史に翻弄されたような地域はヨコへの応用もききやすくモノサシにオススメです。比較的歴史が連続している中国もオススメです。

私がつくったモノサシの参考画像をつけておくので、よかったら参考にしてみてください。

 

このモノサシを丸々覚えてしまい、テスト本番ではまず空白にモノサシを書いてしまいましょう。

モノサシを書くだけで問題の解きやすさが段違いに上がります。

これは本当に効果があるので是非やってみてください。オススメです。 

 

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世界史のモノサシ

年号を覚える

世界史の成績をあげる上で絶対に欠かすことが出来ないのが年号暗記です。

年号というのは、さっき話したモノサシの目盛にあたる部分になります。

 

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年号モノサシの目盛になる

世界史はタテとヨコのつながりでできています。

タテとヨコのつながりを明確にしてくれるのが年号になります。

 

タテとヨコがしっかりつながって覚えているということは、その出来事がいつ・どこで起こったか理解して覚えているということです。

何か出来事や事件について考えたときに、「ああこれは15世紀だからスペインが建国したときと同じだな、だから領土はこうなっていて、、、」と考えることが出来なければそれはしっかりと覚えられているとは言えません。

 

 

センターで9割を超えるレベルになっていると、頭の使い方は選択問題というよりか記述問題に近くなっています。

 

選択肢を見るときもこれが正解だなと思って答えていくだけでは不十分で、間違っている選択肢がなぜ間違っているか正確に答えられる必要があります。

もしそれができないようであるならば、たまたま当たっている段階からまだ抜けられていないと言うことになります。

 

そしてこの記述問題のための頭の使い方というのが、まさに年号をフックに記憶をつなげていく作業になります。

年号をたよりに出来事の順番を考えたり、遠く離れた地域との比較を行っていきます。

 

*****

優先して覚える年号

いくら年号が重要だからと言って、すべての年号を覚えることはできません。

戦略的にもある程度の優先順位をつけて年号を覚えていくべきです。

 

オススメする年号の優先度は、戦争の始まりと終わり>国の始まりと終わり>有名な王の即位年です。

 

戦争は複数の国がからんで起きるので、特に離れた国同士の戦争の場合隔たりのある地域を結びつけてヨコのつながりを理解するのに役立ちます。

ヨーロッパとモンゴルがぶつかった1241年のワールシュタット(リーグニッツ)の戦いはいい例です。

 

国の始まりと終わりも地図を覚える上で重要です。

13世紀のヨーロッパを思い出そうとしたときに、国や王朝の時代を覚えておくことでその時代の理解がしやすくなります。

 

有名な王の行ったことについては、しばしばテストに直接出題されます。

その際違う王と混ぜてひっかけてくるので、時代を正確に抑えておくことで誤りをすぐ見つけることができます。

 

 

自分で地図を書いてみる

世界史を学ぶ上で国同士の位置関係をしっかりわかっているとういうことは重要です。

 

国と国の国境はどのようにして決まったのか、その国の首都はどの川にそって建設されたものなか。

このあたりの地理が分かっていないと貿易や戦争をきちんと理解することができなくなってしまいます。

 

そしてその国の場所を覚える前提として、大陸の形をわかっていることが大切です。

世界史を勉強していると全然外国の形なんか分からないことに気づきます。

今までしっかりと意識してみてこなかったためヨーロッパの国境さえまともに引けない人が大半じゃないでしょうか。

 

しかし、センター世界史で高得点を取るならばここを避けて通るわけにはいきません。なんとかして覚えていく必要があります。

 

覚えるときのコツはとにかく 自分で手を動かして書いていくことです。

自分がその日勉強する地域を白紙に地図帳を見ながら移していきます。そしてその中に国境や首都の位置を書き入れ、その他戦争があればその位置を随時書き込んでいきましょう。

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世界の形が分かると、昔の船の通り道や首都のよく置かれる場所などが分かってきます。

すると自ずと戦いがあった位置などが覚えやすくなってきます。

 

初めうちは少し時間がかかるかもしれませんが、何度も書いていくうちに何も見なくても書けるようになるので時間は少しずつ短縮していきます。

 最終的に何もないところにユーラシア大陸とその周辺が書けるくらいまで繰り返し練習してみてください。

これがヨコのひろがりを理解するポイントになります。

 

 

まとめ

長くなってしまいましたが、まとめると

・受験世界史のポイントはタテとヨコを意識すること
・モノサシとその目盛をつくってタテを固める
・手を動かして地図を描くことでヨコを理解する

 ということになります。

 

世界史は範囲が広いうえに深く、勉強する身としては辛い科目ではありますが、一方で勉強していて楽しい科目だとも思います。

自分なりに興味をもてる部分や楽しいところを見つけて受験がんばってください。

 

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「ぼくらの七日間戦争」は3度楽しめる

オススメ度:☆☆☆☆

 

ある夏休みを翌日に控えた暑い夏の日、東京の下町にある1年生のクラスの男子生徒全員が忽然と消えてしまった。大人たちは事故か誘拐かと困惑する。彼らはどこに消えたのであろうか。大人たちの心配をよそに、彼らはある場所に集まっていた。それは荒川の河川敷に放置されたある工場跡。彼らはその工場跡にバリケードをつくり、立てこもっていた!

そして彼らはそこを“解放区”と呼び、理不尽な大人たちに対し七日間にわたる戦いを繰り広げる!

 

以上が「ぼくらの七日間戦争」のあらすじです。

 

「ぼくらの七日間戦争」は今から30年以上前の昭和60年に発行された、宗田理による少年向け小説です。

勇敢で個性豊かな中学生たちが、理不尽で汚い大人たちに挑み、次々に悪事を暴いていきます。少年たちの長所を生かした作戦や団結力で大人たちをさばいていくさまは、読んでいて痛快です。

中学編から始まり、高校生編、青年編と次々に続編が発表され、シリーズ累計発行部数は1500万部を記録するメガヒット作品となりました。

 

私はこの作品が大好きで、中学生で初めて出会ってから3回読み、最近実写の映画も初めて見ました。400ページ近い本ですが、読みやすい文章と勢いのある展開ですいすい読むことが出来ます。

 

好きで3回読んだこの作品ですが、毎回全く異なる感想を持つという奇妙な体験をしました。もっと言えば面白いと感じた回もあれば、正直あまり面白くないなと思った時もありました。

 

それぞれの回をいつ読み、どのような感想を持ったか、そしてなぜ感想が変わったかについて書いていこうと思います。

 

1回目:中学生のとき

私が最初にこの作品を読んだのは中学生の時でした。

序盤からとてもワクワクしたのを覚えています。

 

まずバリケードがかっこいい。理由はさだかではないけれど、中学生にはバリケードがかっこよく映る。籠城や無線など、よくわからないけど男子が惹かれてしまう不思議な単語に、私もしっかりひきつけられました。

参謀役が作戦を立て、仲間を信用し、任務を遂行する。スパイ映画さながらの一連の動きは、男子を虜にするには十分すぎました。

 

「ぼくらの七日間戦争」最大の魅力は、おかしい大人たちに対し“自分たち”子どもがしかしをするというスカッと感にあります。

当時中学生だった私は作中の子どもたちと自分を重ね合わせて、彼らが大人たちから解放されて自由に振る舞うさまに興奮しました。

自分もこんな風に嫌いな大人に一泡吹かせてやりたい、

中学生である自分も単なる大人の所有物ではなく、尊厳をもった一人の人間なのだと主張したい。

当時の私はこの本を読みながら本気でこんなことを考えていたと思います。

 

この本の本来のターゲットの年齢の時に読み、期待された通りの感想を持つ。

この本は目的を十分に果たし、中学生だった私はとても満足しました。

 

オススメ度(中学生):☆☆☆☆☆

 

高校生のとき

 次に私が「ぼくらの七日間戦争」を読んだのは高校に入ってからでした。

ブックオフで100円の古本を買いあさるようになったのもちょうどこの頃からです。

星新一や赤川次郎なんかをよく読んでいました。

 

ある日、ブックオフで「ぼくらの七日間戦争」を見て中学のときの興奮を思い出し、買ってみることにしました。

 

帰るとすぐにワクワクで読み始めました。楽しみで次々にページを進めました。

 

ところがどうも読めども読めどもあの頃の興奮が感じられない。

それどころか、彼らがいたずらや罠を仕掛ける様子が滑稽にすら思えてしまう。いくらコテンパンに大人を打ちのめしたところで、いくらもスカッとしない。

 

なんとか最後まで読み終えたものの、どこかモヤモヤとしたものが残ってしまいました。

 

なぜ中学の時は面白く感じられて、今度読んだときにはつまらないのだろう。私は考えました。

 

そうしてやっと中学の時の自分と、高校生の自分との違いに気が付きました。

もちろん、いたずらの発想が幼稚で現実離れしているということもありますが、それ以上に違和感を覚えたのは当事者である子どもたちの動機です。

 

中学生の頃に読んだときには大人たちの理不尽さや小賢しさばかり目について、それに抗う子ども達の復讐のモチベーションにはあまり関心がありませんでした。

高校生になって再び読んだときには、この動機のほうがひっかかるようになってしまいました。反抗期の中学生がただやりたい放題やっているだけに見えて、彼らに共感できなくなったのです。

共感できない動機で大人たちを打ち倒したところで、対岸の火事でしかなくそこに面白みはありません。

 

ただ、自分が違う感想をもったことから自分も成長しているのだと感じられたことは、「ぼくらの七日間戦争」の2度目を高校生の時に読んでよかったなと思えた点でした。

 

オススメ度(高校生):☆☆

 

大学生のとき

 私がもっともこの本を読んで感動したのは3度目に読んだときでした。3度目に「ぼくらの七日間戦争」を読んだのは成人を迎えてからです。

 

高校生でこれを読んでがっかりしたのは覚えていましたが、家の本棚を整理していた時に見つけて、懐かしさからもう一度読んでみることにしました。

 

この作品に出てくる中学校の教員に、西脇由布子先生という人がいます。

 

短大を卒業したての新米の養護教諭で、その美しさから男子生徒のあこがれの的となっています。主人公である菊池英治も西脇先生のファンの一人で、「西脇先生の処女を守る会」の会員でもあります。

 

西脇先生は教師でありながら、校長らとは立場を異にしています。

バリケードに差し入れを持っていったり、学校の内部情報を漏らしたりと生徒の味方として描かれています。汚い大人まみれのこの作品の中で、唯一の良い大人でもあります。

英治たちも大人たちと戦う傍ら、西脇先生を喜ばせようとサプライズを用意します。

 

もっとも印象的なものに、大人たちの悪事を暴いた後に行った大型花火の打ち上げがあります。

 

花火打ち上げの夜、西脇先生は女子生徒に連れられ解放区の対岸の堤防にやってきた。夏の夜の冷えた風を感じながら、先生とその女子生徒らは草むらに腰を下ろして花火を眺めていた。

その日一番の花火が命を終え、静寂が訪れた。そのとき、スピーカーから「こちら解放区。いまからメッセージを送ります」とアナウンスが流れた。

そして屋上に火と煙があがり、こう真っ赤な文字が浮かび上がった。

 

解放区より
愛をこめて

 

以下はこれを見た西脇先生のモノローグで、本文そのままです。

 由布子にも、こんな時代がたしかにあった。それはいつだっただろう。ついこの間のような気もするのに、もう手の届かないところに去ってしまった。懐かしさで、胸が切なくなってきた。

 踊っている三人の姿がにじんで、やがて見えなくなった。

 

これを読んで、私は胸が熱くなる思いをしました

 

初めて「ぼくらの七日間戦争」を中学の時に読んだときには、少年たちに自分を重ね合わせて感動した。高校生の時には、もう彼らに共感できなくなり面白みを感じられなくなった。そして成人して読んだ今、面白いと感じた。

 

また面白いと感じられたのは、再びこの作品に共感できたからです。今度は子どもたちではなく、西脇先生に。

 

このモノローグは自分がもう解放区の彼らのように内に湧き上がるエネルギーのまま動き、大人に反抗し、自由に振る舞うことが出来なくなってしまったことを実感させるのです。

 

これに気が付いたとき、私はひどくノスタルジックな気分になるのでした。          

 

少し前まで子どもだったはずなのに、それは二度と戻らない過去になってしまったのです。

このように少年時代を懐古していると、英治たちがたまらなく羨ましくなるのです。

今後、歳をとっていったとき、西脇先生に共感できなくなる日が来るかもしれません。またつまらないと感じてしまう日が来てしまうかもしれません。

 

それでも私は、今後この本を読むたびに少年時代を思い起こすでしょう。

 

小学生や中学生のころ、この本を読んだことある人は多いのではないでしょうか。

今中学生だという人はぜひ読んでみてください。

大人のみなさんが、少年向けの小説に手を出すことはほとんどないと思います。

子ども時代に「ぼくらの七日間戦争」を読んだことがある、という人はぜひもう一度読んでみてはいかがでしょうか。

 

きっと、昔読んだときとは違う読書体験ができるでしょう。

 

オススメ度(成人):☆☆☆☆

 

 

 

教養として知っておきたいルネサンス期の絵画5選

西洋絵画と言われた時、どんな絵画や画家が思いつくでしょうか。

 

ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」、「最後の晩餐」やラファエロの「アテナイの学堂」がまず出てくる人が多いかと思います。

身近なところだと、これらの絵はサイゼリヤでも見ることができますね。

これらはルネサンス期の作品です。

 

ルネサンスはフランス語で「再生」を意味します。

19世紀のフランスの歴史家ミシュレによって初めて使われ、その後ブルクハルトによって広められました。

 

ここでの再生とは、ローマ帝国滅亡後、古代ローマ・ギリシア文化の破壊が破壊された中世を「暗黒時代」と呼ぶのに対して、大航海時代に続いて起こった西洋古典の復興を「再生」という言葉を用いて表しています。

ローマ・カトリックの支配下にあった中世ヨーロッパでは、芸術さえもキリスト教のためのものでした。

ルネサンス期においてもカトリック教会の力が完全に衰えたわけではありませんでしたが、遠近法など、神の視点から脱却した技法の発展もみられました。

ルネサンスを近代の始まりだと考える人もおり、世界史の出来事の中でも重要なもののひとつです。

 

イタリアから始まったルネサンスは、次第に北に向かって広がっていきました。

ドイツやネーデルラント(現在のオランダ・ベルギー)で花開いたルネサンスは北方ルネサンスと呼ばれ、宗教改革とも結びつくようになります。その後はスペインに波及し、バロック美術につながっていきました。

 

以下では大人ならぜひ知っておきたいルネサンス期に活躍した 5人の画家の作品を紹介します。

 

  • ジョット・ディ・ボンドーネ「東方三博士の礼拝」

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 ジョットは後期ゴシックに分類されるフィレンツェの画家で、ルネサンスへの橋渡し的役割を果たしました。

初期の透視図法(見えるものをそのまま描く技法)を用いたうちの一人でもあります。

この作品はスクロヴェーニ礼拝堂に描かれた37つの場面の一つで、ジョットの絵で最も有名なものです。

この絵の中ではベツレヘムの星が彗星のように描かれています。

これはジョットが1301年に実際に見たハレー彗星にインスピレーションをうけたと考えられています。そのため1986年にハレー彗星観測のために打ち上げられた探査機は、この絵にちなみジョットと名付けられました。

 

  • サンドロ・ボッティチェリ「春」

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ボッティチェリの名前は聞いたことなくとも、この絵を見たことある人は多いのではないでしょうか。

ボッティチェリは本名ではなく、兄の体型からつけられたあだ名で、本名はアレッサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリペーピといいます。

今でこそ世界で知られた画家になりましたが、19世紀頃までは無名の画家でした。19世紀にラファエル前派によって注目され、世間に広く知られるようになりました。

ダ・ヴィンチの友人であったことでも知られます。

 

  • ピーテル・ブリューゲル「農民の踊り」

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 ブリューゲル一家は多くの画家が出ていることで知られています。この絵を描いたピーテル・ブリューゲルはその祖ともいえる存在で、他の家族と区別するために父ブリューゲルと呼ばれることもあります。

従来絵画は貴族のもので、題材に選ばれるのはギリシア神話や聖書の物語でした。ネーデルラントでこのような絵が描かれたことから、北方欧州が人文主義や宗教改革の影響を強く受けていたことがうかがえます。

数年前のセンター試験にも出題された有名な絵です。

 

  • ミケランジェロ「最後の審判」

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 バチカン宮殿のシスティーナ礼拝堂の壁に13.7m×14mにわたり描かれている巨大な宗教画。

先ほどの「農民の踊り」とは打って変わって、カトリック全開の作品です。ローマ・カトリック教会の威光がいかんなく発揮されています。

総勢400名以上の人物が描かれ、地獄側にいるバルトロマイはミケランジェロの自画像だと言われています。

 この絵にはもともと多くの全裸の人物が描かれていました。これに怒ったローマ教皇はミケランジェロに描きなおしましたが、ミケランジェロはこれを拒否。結局弟子のダニエレがノミで削り腰布を描きたしましたが、このせいでダニエレは腰布画家と揶揄されるようになってしまいした。

 

  • レオナルド・ダ・ヴィンチ「モナ・リザ」

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世界で最も有名な絵ともいわれる「モナ・リザ」。見たことない人はいないでしょう。

モデルは諸説ありましたが、現在ではリザ・デル・ジョコンドが有力だとされています。

「モナ・リザ」という名前は後からつけられたものです。モナというのが英語のマダムにあたる語で、モナ・リザではリザ夫人を意味します。

フランスやイタリアでは夫フランチェスコ・デル・ジョコンドから「ラ・ジョコンダ」呼ばれています。

 

 

ルネサンスは革新の時代のため、ヨーロッパ各地でバリエーション豊かな芸術が数多く創作されました。またダ・ヴィンチやラファエロなどの芸術史に残る巨匠も多く登場し、ひとつの黄金時代が築き上げられました。

西洋絵画になじみのない人や、これから勉強していきたいという人はルネサンスから勉強してみてはいかがでしょうか。

ブログを開設いたしました

このたびブログを開設いたしました。

現役文系大学生の佐瀬資啓といいます。

 

このブログでは趣味の絵画や本の解説と感想を書いていこうと思っています。

 

絵画はあまり同年代で好きだという人は少ないですが、語れる要素が多く趣味にするととても楽しいものだと感じています。

 

絵の中だけでなく外にもストーリーがあり、それらを知ることで絵を100倍楽しむことが出来ます。このブログでは特に外のストーリーについて解説できればなと思っております。

 

どうぞ優しい目でご覧くださいませ。