本と絵画とリベラルアーツ

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【人生の最大化を目指す】ビル・パーキンス『DIE WITH ZERO』

オススメ度:★★★★☆

豊かになっているはずの将来の自分のために、若く貧乏な今の自分から金をむしり取っていた。(p.27)

 

ビル・パーキンス『DIE WITH ZERO』

 

 本書のエッセンス
・キリギリス型から脱却し人生の最大化を目指せ
・人生の最後に残るのは「思い出」だけ
・若い時にしかできないこともある

 

感想

この本の読者として想定されているのは、2つの条件に当てはまる人である。

一つめは『アリとキリギリス』でいうところの、アリタイプの人間である。将来への不安解消のため節制・貯蓄に努め、その貯蓄を使い切ることなく死んでいく。

もう一つがある程度の稼ぎがある人である。余暇や趣味に使えるお金がある程度あり、その使い道を自由に決められることが条件である。

 

そういった今では私は一つめの条件には当てはまっていなかった。つまり『アリとキリギリス』でいえば私は圧倒的にキリギリスタイプであり、対象読者として刺さらなかったため少し評価の星は少なめになっている。

 

この本を通じて筆者が主張しているのは、「人生を最大化しろ」の一言に尽きる。

貯蓄の最大化ではなく、人生の最大化である。

 

人生を最大化するとはどういうことか。

筆者は人生を最大化することとは、思い出を最大化することだと言っている。あの世にお金は持っていけず、死ぬ直前唯一残るのは思い出である。

部活に明け暮れた学生時代、友人と回ったヨーロッパ旅行、妻とのハネムーン、突発的に習ったボクシング、ひさびさの同窓会。

思い出は減ることなく蓄積され、人生を豊かにし続ける。

 

私もこの考えに大いに賛成で、老いた自分のために若い時期を犠牲にして節制に勤しむのは勿体無いと考えている。

このことで私が共感したのが筆者の以下の話である。

豊かになっているはずの将来の自分のために、若く貧乏な今の自分から金をむしり取っていた。(p.27)

 

老いてからこれまでの貯蓄をつかって優雅な旅行を楽しむのも大いにすばらしいが、そこから得られる刺激というものは若い時とは異なっている。

歳を取れば体力だけでなく好奇心や感受性も衰える。

昔だったら涙が出るほど感動するような景色や経験も、歳を取ってからではそこまでの刺激ではなくなってしまう。

 

私たちは生きるために生きているのではない、楽しむために生きているはずだ。

この本は生き方を見直すいいきっかけになると思う。

 

 

【映画の紹介】天才青年が人とのつながりを取り戻す話『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』

オススメ度:★★★★★

 

『グッド・ウィル・ハンティング』

 

 

 本書のエッセンス
・才能では人は幸せになれない

 

あらすじ

青年ウィルはMITの清掃員として働きながら、素行の悪い友人たちとつるみ、時に警察の世話になるような生活を送っていた。

 

ある日ウィルは廊下に張り出されていた数学の問題を見つけると、いとも簡単に解いてしまう。数学者ランボーはこのことに気が付き、ウィルの才能を埋没させないよう、鑑別所に入っていたウィルを毎週カウンセリング受けさせるという条件で引き取る。

 

しかしウィルはカウンセラーに対し心を開こうとせず、逆にバカにした態度で対峙してしまうためカウンセラーたちは次々に匙を投げていった。

困り果てたランボーはかつての友人で心理学者のショーンにウィルのカウンセリングを依頼する。

 

ウィルはまた他のカウンセラーにしたように、ショーンに対しても侮蔑した態度をとる。どのような言葉にも動じなかったショーンだが、亡き妻を侮辱されると激しく叱咤する。

幼少期に傷つき人間関係をうまく築けなくなっていたウィルと同じように、ショーンもまた最愛の妻に先立たれてから心に傷を抱えていた。

 

二人は衝突や紆余曲折を経ながら次第に互いを理解し、心を開いていく。

 

感想

精神科医アドラーによれば、人の悩みはすべて人間関係から生まれてくるものだという。

そうであるとすれば、幸福な人生を送る上でもっとも重要なのは、健全な人間関係を構築していくメンタリティなのではないだろうか。

 

この映画の主人公のウィルは数学の特別な才能を持っていながら、幼少期に養父から受けた悲痛な経験から他人と健全な人間関係を築けずにいた。

人に失望されることを恐れ、親しくなった相手には失望される前に自ら距離を取る。

ウィルはこうして20年間孤独の中にいた。

 

図抜けた頭脳やスポーツの才能、優れた容姿は他者に羨望を抱かせる。

しかしこれらは本当に人生において最も必要な要素なのだろうか。ウィルが数学の才能を持っていながら人生に難を抱えていたように、幸せな人生に送るためにはアドラーが主張するように人間関係を健全に築ける精神構造が必要なのだと感じた作品であった。

 

 

【本好きならきっと共感できる】島田潤一郎『長い読書』

オススメ度:★★★★★

でも若い僕にとっては、文体こそがすべてだった。(p.69)

 

島田潤一郎『長い読書』

 

 本書のエッセンス
・読書好きの気持ちが見事に言語化されている
・小説はつくり話だとバレてはいけない
・好み過ぎる文体

 

感想

みすず書房といえば人文学書のベストセラーを多く抱える有名な出版社で、代表的な出版物だとV・フランクル『夜と霧』や神谷美恵子『生きがいについて』などがある。

『夜と霧』はナチス・ドイツによってアウシュビッツに収容された医者が極限状態の中での人間を観察した本で、『生きがいについて』はハンセン病の病棟で暮らしながらも希望を絶やさない人を観察した本であり、どちらも人間の本質にせまるザ・人文学といった作品になっている。

 

『長い読書』の著者は作家であり書店経営者の島田潤一郎氏で、1976年生れとみすず書房から出版された作品の筆者の中では若い部類に入る。

 

この本は筆者の読書体験を中心としたエッセー集である。

読書体験と一口に言っても、それはただ本を読むことだけに限らない。

小さな本屋に足を運ぶ、大きな本屋に行く、子供の頃漫画雑誌の新刊を楽しみに待つ、本の手触りを感じる、古本の香りを嗅ぐ、小説を読む、ドキュメンタリーを読む、本を積む。

その全てが本好きの人にとって日常であり、特別な瞬間である。

 

このエッセーを面白いと感じたのは、筆者がこれらの瞬間瞬間に感じたことや考えていることに、恐ろしいほど共感できたためである。

読んでいて、そうそう、分かる分かる、という文章の連続で心地が良い。自分の中でぼんやりとしかイメージのなかった日常の心理がみごとに言語化されている。

毎日大学の教室で簿記の基本を叩き込まれていたが、その経験は間違いなく、いまの仕事に生きている。ただ、それだけだと、片落ちのように思うのだ。(p.26)

ときおり、部活に全力を注いだ人が急にボールを蹴ったり、短い距離を思いっきり駆けてみたくなるように、どれだけ読んでもなかなか終わらなかったり、理解できなかったりする本を読みたくなって、仕事帰りに新宿の紀伊国屋書店や、池袋のジュンク堂書店本店へ立ち寄った。(p.131)

 

それともう一つ、この本から感じた魅力は文体にある。

これについては完全に感性や相性の問題になるが、これまで本を読んできて初めての作家でこれほどまでにピッタリくる感触を味わうことはなかった。

本屋で何気なく手に取り、適当に開いたページを1行読んだだけで、圧倒的な心地よさを感じた。

独特なわけでもテクニカルなわけでもないが、ここまでの心地よさを感じる文体には出会ったことがなかった。衝撃的だった。

 

そう思い読み進めていくと、筆者が文体について語った章があった。ここで文体の心地よさについて語られており、また共感してしまい嬉しくなった。

でも若い僕にとっては、文体こそがすべてだった。(p.69)

 

学生の頃から本を読み、本を拠り所にしてきた人にぜひ読んでほしい作品だった。

 

 

【成瀬が帰ってきた】宮島未奈『成瀬は信じた道をいく』

オススメ度:★★★★☆

「わたし以上の適任者はいないと思ったからだ」(p.114)

 

宮島未奈『成瀬は信じた道をいく』

 本書のエッセンス
・成瀬のカリスマで周囲が変わっていく話
・前作同様、爽快さを感じられる読み味

 

あらすじ

北川みらいはときめき小学校に通う4年生で、自己主張の苦手で泣き虫がちの気弱な性格をしている。そんなみらいは地元のお祭りで成瀬に助けられてから、すっかり成瀬の漫才コンビ「ゼゼカラ」のファンになっていた。

授業の一環で地元で活躍している人を調べることになったときも、真っ先に思いついたのは成瀬のことだった。

 

成瀬のことを調べていく中で、成瀬の校長室に飾られていたり、成瀬の考えた標語が町に飾られていたり、振り込み詐欺を未然に防いだことを知り、ますますみらいは成瀬に心酔していく。

 

調べ学習も終盤に差し掛かったある日、みらいは調べ学習の同じ班の友達が成瀬のことをバカにしている発言をしているのを聞いてしまい、悲しい気持ちに襲われる。

その後ゼゼカラで成瀬の相方の島崎から成瀬が小学生の頃周りから避けられていたこと、未来のことはわからないという話を聞き、勇気を取り戻す。

調べ学習の発表を無事終えたみらいは、成瀬の日課のパトロールに加わるようになる。

 

名門膳所高校から京都大学へ進んだ成瀬。

自らの道を邁進する彼女は、彼女の町の人々をも少しずつ変えていく。

大津市での出来事を中心とした全5編。

 

感想

前作に引き続き読みやすく、一気に読んでしまった。

 

読み味としては前作と同じだが、話の構造は少し変化している。

前作では成瀬の周囲の人々を描くことで、いかに成瀬は特別であるかを強調していた。一方本作は「普通」である成瀬の周囲の人々のモヤモヤに対し強烈な成瀬をぶつけることで視点の転換を促し、ストーリーを成立させている。

 

例えば「びわ湖大津市観光大使」に成瀬とともに選ばれた篠原は悲願の3世代での観光大使就任を喜びつつも、母や祖母に道を決められていることに気が付き抵抗感を覚えるようになっていた。

体裁や自分のペルソナとのバランスに悩む中で、そういったものを一切持ち合わせていない成瀬を当初は忌避していたが、憧れへと変化していく。

 

真っすぐな成瀬の行動は私たちに新たな視点を与え、より生きやすくなるためのヒントを与えてくれる。

 

***

 

さて大ヒットしたこの作品の秘密はどこにあるのだろうか。

成瀬というキャラクターがその一端であることは間違いないが、私は筆者の「普通の人たち」の描写力にあるのではないかと思う。

 

この本の中で成瀬と対比される形で、居そうな普通で個性的な人たちが多く出てくる。やたらめったらクレームをつける主婦や、売れていないユーチューバー、また成瀬の父親もその一人である。

私たちはクレームをつける主婦でも、売れていないユーチューバーでも、父親でもないので(この中に含まれる可能性はあるが)、本当の意味で彼らに共感することはできないはずである。

 

しかし読む中で私たちは彼らに自然に感情移入し、成瀬とのかかわりの中で生じる心情の変化を共感することができる。これはなぜかといえば、私たちは社会生活の中で自然と「クレームをつける主婦はこのようなことを考えているだろう」「売れてないユーチューバーの頭の中はこんな感じであろう」という直観を得ているからであろう。

これらの直感は感覚としては持っていながら、脳内では言語化されていないふんわりとした印象に留まっており、それを正確に描写することは極めて難しい。

 

筆者の宮島氏はこの「普通の人たち」を見事描き出しており、読者がもつ彼らの印象とパタリとハマる。このピタリとハマる感覚が読み手に爽快感をもたらすのではないかと思った

 

 

【本屋大賞受賞作】宮島未奈『成瀬は天下を取りにいく』【最高の夏小説】

オススメ度:★★★★☆

「島崎、わたしはこの夏を西武に捧げようと思う」(p.6)

 

宮島未奈『成瀬は天下を取りにいく』

 

 本書のエッセンス
・『キケン』を彷彿とさせる青春夏小説
・真っ直ぐな異端児・成瀬を内と外から描いている
・全編通して爽やかな読み味

 

あらすじ

「島崎、わたしはこの夏を西武に捧げようと思う」

滋賀県大津市に住む14歳の成瀬あかりは一学期の最終日、幼馴染で友人の島崎にこう切り出した。

 

西武とはこの年の8月の閉店してしまう西武大津店のことで、成瀬は閉店までの間毎日西武に通うことにしたのだという。

成瀬はこの日から西武に通いつめ、閉店までのカウントダウン放送を行うローカルテレビに映り続けた。突拍子もないところから始まったこの試みは次第に地元民に認知され、成瀬はプチ有名人になる。

 

あるときはM-1を目指して漫才をはじめ、あるときは髪の伸びるスピードを検証するために坊主にする。成瀬は真っすぐで、とても変である。

この本はそんな成瀬の中学から高校にかけてを中心とした、成瀬と周囲の人々の6編からなる短編集である。

 

感想

素直にとても面白かった。

 

本屋大賞を受賞して以降どの書店でも一番目立つところに平積みされ、書店にいけば見ない日はないほどの大ヒットとなっている。

天邪鬼な私はしばらく手を出さずにいたが、先日本屋にぶらりと立ち寄った際についに手にしてしまった。

そしてそのままお気に入りの喫茶店で読み始めると、一度もスマホを触ることなく最後まで読み通した。美味しいケーキとともに幸せな読書タイムとなった。

 

全体通して読みやすい文体で、どの短編もすっきりとしてさわやかな読み味だった。

読み味だけでいえば、有川ひろの『キケン』と近い感じを受けた。

 

この小説の面白さに秘訣は、成瀬の人柄を成瀬の内側と外側の両面から描いている点にあると思う。

 

真っ直ぐと目標に突き進む英雄譚のような物語は世の中にたくさんある。

常に正しく、世界の中心に自分を据え、自分の信じた道を脇目も振らずに突き進む英雄は、そのカリスマから読み手に憧れを抱かせる。これは英雄を外からみた物語である。

また外的要因に対して主人公が感じたことを綴る小説も多くある。いわゆる私小説がこれにあたる。変わっていく周りに対して、「私」が何を考え、何を思うのかをつぶさに描くタイプの小説である。

 

この小説は英雄譚であり、かつ私小説でもある。

成瀬という英雄を周囲の目から宇宙人のような存在として描きながら、成瀬自身に内在する不安やこころの揺らぎを描いている。

緊張を知らず、自分で決めた道を突き進み成果を出す成瀬は周りから見れば超人である一方で、成瀬自身は一人で生きていけないことを理解し、親しい友人を失うことに対する正常な危機感を持ち合わせている。

 

この二面からの表現によって、読者は成瀬のカリスマに惹かれると同時に、成瀬の中にある自分を見つけ共感する

 

この本を読んだ多くの読者そうだったのと同じように、私もまた成瀬のファンになってしまった。

 

 

 

【言語習得という神秘】今井むつみ・秋田喜美『言葉の本質』

オススメ度:★★★★★

 

今井むつみ・秋田喜美『言葉の本質』

 

 本書のエッセンス
・分かるということは、間接的に身体的経験しているということ
・子どもは仮説形成推論によって爆発的な言語習得を行っている
・ヒトだけが対称性推論を持ち、言語を手に入れた

 

言語のありかたと人間の心理という二つの面から言語の本質に迫っていく本。

 

初め本書を手に取った際にはポップな表紙からハウツー本のようなものかと思ったが、販促用の表紙をめくるとしっかりした中公新書となっており、中身も筆者の長年の研究に則ったものであった。

 

読むと子どもたちが言葉を話していること自体が奇蹟に感じられるようになる。

 

分かるということ

言葉が分かるとはどういう状態であろうか。

身体的な経験のない言葉について知ろうとするとき、別の言葉に置き換えて表現しようとする。まるごとの対象について身体的経験を持たずに、対象を知ることはできるかというのが記号接地問題である。

 

認知科学者のハルナッドは身体的経験を持たない置換連鎖を「記号から記号へのメリーゴーランド」と表現し、少なくとも言葉を理解するためには最初の言葉の一群は身体に「接地」していなければならないと指摘した。

 

つまりAが分かる状態というのは、AをBで十全に説明できる状態であり、BまたはBを説明できるCが身体的経験によって理解されていなければならない。

 

子どもの言語習得の神秘

何も知識を持たずに生まれてくる子どもたちは、どのようにして抽象的かつ複雑で巨大な言語というシステムを習得していくのであろうか。

 

もちろん子どもは初めから抽象的・恣意的(*1)な言葉を習得していくわけではない。

 

最初の段階ではアイコン性(*2)・身体性(*3)の高いオノマトペを足掛かりとする

赤子でも、音と対象の間に関連があること、すなわち身体性をアプリオリに持っている。

例えば曲線とギザギザ下線を見せ、どちらが「モマ」でどちらが「キピ」と結びつくかという実験では、大人の感覚と同様に曲線が「モマ」と感じ、ギザギザを「キピ」と感じるという結果がでている。

 

さらにオノマトペから身体性の低い一般語の習得に至るには、どのような秘密があるのだろうか。

その秘密が「仮説形成推論」である

 

仮説形成推論とは結果から仮説を立て原因を推測するものである。帰納法が結果を収束させて共通法則をみつける(すなわち法則は結果の最大公約数的)であるのに対し、仮説形成推論は想像力によって得られ結果を超えた仮説を打ち出すことができる。

仮説形成推論によって、子どもは誤りを含みながらも言語体系に対し絶えず仮説を立て、フィードバックを受けその精度を上げていく。

 

子どもの良い間違いというのは一見未熟さの象徴に見えるが、実際には高度な仮説検証のプロセスであるのだ。

 

また人間だけが対称性推論を持っている。

これは[XならばA]のとき、[AならばX]であろうというバイアスである。

論理的に誤りではあるが、このおかげで[イヌそのもの→イヌという言葉]のとき[イヌという言葉→イヌそのもの]の両面を認識することができる。

よって現実の事物と言語システムを結びつけることができ、言語システム自体を成り立たせている。

 

(*1)物の名前に必然性がないこと:例えば日本語では犬を「イヌ」と呼ぶが英語では「Dog」であり、対象そのものと名称に必然性がない。

(*2)記号が対象をそのものを表す

(*3)五感で得られる感覚と記号が直結している

 

***

 

幼児がつかうオノマトペを聞くと、これまでは言語発達が未熟だなという感想しか持たなかった。

しかし本書を読んで言葉というものがいかに高度なシステムで、言葉という体系を全く持たない有機物がそれを獲得していくという過程に神秘を感じるようになった。

また言語習得の過程において、オノマトペがアイコン性や恣意性ゆえに足掛かりとして有効な立ち位置にあることがわかり、これからは幼児のオノマトペを聞いたら「身体性から離れた高度な体系を獲得している過程だ」と感動するに違いない。

 

 

【インプットと試行が天才を生む】菅付雅信『天才はいない。天才になる習慣があるだけだ。』

オススメ度:★★★★☆

 

良い課題提出ができる人は、課題が与えられる前から、すでに何かしらその領域ないしはそのクリエイターについて何度も考えている。普段から、日常的に。(p.40)

 

菅付雅信『天才はいない。天才になる習慣があるだけだ。』

 

 本書のエッセンス
・トップクリエイターは断続的にアウトプットを出す仕組みを持っている
・天才は良質なインプットによって生まれる→出力が枯渇しない
・天才は日常的に脳内試行している→出力が即座で出る

 

感想

有名雑誌の編集者等を経て長年クリエイティブ教育に携わっている菅付氏による、トップクリエイターを目指す人のための指南本。

トップクリエイターは天才だけに許された仕事ではなく、再現可能な形でつくることができることを例を挙げながら主張している。

想定読者はクリエイター志望者であるが、アウトプットが求められるすべての人に役立つ内容となっている。

 

筆者は多くのトップクリエイターと接する中で、天才の仕事が「ひらめき」ではなく、仕組みによって維持されていることに気がついた。

私がこれまで仕事をしてきた「天才」と称されるクリエイターたちは、(…中略…)どんな課題に対しても「ほぼ即答に近いかたち」でアイデアを出すことができるのを私は仕事の現場で目の当たりにしてきた。彼らは日々膨大にインプットし、膨大なアイデアの掛け算を頭の中で試しているからこそ、そんな芸当も可能になるのだ。(p.26)

 

つまり天才が常にクオリティの高いアウトプットを即座に出すことができるのは偶然ではなく、しかるべき仕組みを持っているからである。

その仕組みとは①大量のインプットと②日常的な脳内試行だという。

 

大量のインプット

新しいアイデアは、既存のアイデアの組み合わせによって生まれる。つまり既存のアイデアに対するインプットがなければ、新しいアイデアは生まれてこない。

断続的にアウトプットを出し続けるためには、インプットの方も続けなくてはいけない。すなわち大量のインプットこそがアウトプットを続けるための生命線となる。

大量にインプットをするにあたって制約となるのは「時間」である。寿命がある以上人間がインプットに使える時間は有限であり、この世のすべてをインプットすることは不可能である。

筆者はインプットの時間を確保するため、暇つぶしを止めるようにも勧告している。

 

暇つぶしを排除し、時間を切り詰めたうえでインプットをの質を上げるためには、インプットするものの取捨選択が必要となってくる。

ではどのように取捨選択を行い良質なインプットを実現するか。筆者は「いいもの」ではなく「すごいもの」をインプットせよと主張している。

筆者によれば「すごいもの」とは初登場時に賛否が分かれかつそれを乗り越える歴史的視点があるもの、または価値観を揺さぶるような問いを与えてくれるものだという。

 

筆者は本書の中で「すごいもの」の具体例として書籍や映画のリストを掲載している。この部分はクリエイター向けになっているので、そっち方面のキャリアの興味がある人は確認するとよいだろう。

 

②日常的な脳内試行

続いては即座にアウトプットを出すための習慣である。

筆者は自身が開催しているワークショップでの参加者の態度について、以下のような指摘をしている。

良い課題提出ができる人は、課題が与えられる前から、すでに何かしらその領域ないしはそのクリエイターについて何度も考えている。普段から、日常的に。(p.40)

即座に良質なアウトプットを出すことができる人というのは、アウトプットを求められてからよーいスタートで考え出しているわけではなく、それ以前の段階で脳内試行を完了させている。常日頃から考えているからこそ、すぐにハイクオリティなものを出すことができる。

 

事前に試行しておく態度はクリエイター以外の仕事においても全く共通している

仕事の依頼がきたとき、またクライアントから質問が飛んできたとき、そこから調査してアウトプットを出すのでは遅すぎる。

将来的に関わってきそうなテーマについては事前にキャッチアップを進めておき、期がくるまで熟しておくのがどの業界においても共通するプロフェッショナルとしての姿勢である。

 

そういった意味でこの本の内容はクリエイター向けだけではなく、プロフェッショナルとして働く人すべてに有用だと言える。