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【本の紹介】太宰治『津軽』

オススメ度:★★★☆☆

いつ死ぬかわからんし、などと相手に興覚めさせるような事は言えなかった。(p.172)

 

太宰治『津軽』

 

 

 本書のエッセンス
・太宰の死の4年前に書かれた
・故郷津軽をめぐる
・真の目的は母代わりの"たけ"と人生の最後に会うこと

 

たった一つの旅の目的

没する数年前の太宰が、小山書店の依頼を受けて書いた旅行記的なエッセイ。

生まれ故郷を訪れ、旧友や知人と共に津軽のあちらこちらを周るが、正直最後の目的地を訪れるまで面白いと感じられなかった

読み途中ではこの本が太宰治の作品の中で評価されているのかと、いささか疑心を抱いた。

 

新たな地を訪れるたびに事典から引用したような(なかには実際に引用している箇所もあるが)文章が続き、正直青森にそこまで関心のない自分としては読み飛ばそうかと思うほどだった。

しかし一番最後の目的地での出来事を読み、「なんだ、そういうことだったのか」とすべて納得がいった

 

***

 

この旅のおわりに、太宰は自分の子守りを担当してくれていた「たけ」の元を訪れる。

訪れるといっても住んでいる村がわかっているだけで、詳しい住所や最近の動向もわかっていない。

 

朝早く起こしてもらい、太宰は1日に1本しかないバスに乗り小泊村に向かった。

村へ着くと太宰は見境なく村民に声をかけ、たけの住む家を探す。

 

そうしてやっとのことで家を突き止めるが、戸には鍵がかかっており、どうやら留守のようである。

 

半ば諦めかけるが、わずかな望みにかけて捜索を続けていると、その日は村の学校の運動会へ出ていることがわかる。

太宰は学校を訪れ、たけと数十年ぶりに再会する。

 

旧家の生まれの太宰にとって、家族とは厳かな存在であり、甘えられる対象ではなかった。そんな太宰にとって肩の荷を下ろして話せる間が女中や使用人であり、そのなかでも子守がかりのたけには母にちかい特別な感情を抱いていた。

 

『津軽』の冒頭で太宰はこのようなことを言っている。

「正岡子規三十六、尾崎紅葉三十七、斎藤緑雨三十八、国木田独歩三十八、長塚節三十七、芥川龍之介三十六、嘉村磯多三十七」

「それは、何の事なの?」

「あいつらの死んだとしさ。ばたばた死んでいる。おれもそろそろ、そのとしだ。作家にとって、これくらいの年齢の時が、一ばん大事で」(p.32)

実際に太宰が自死したのはこの旅から4年後のことだが、この時点で太宰の頭の中では人生の最後がよぎっていたことは間違いない。

そして人生が終わる想像をしたとき、太宰の頭をかすめたのが母代わりであった、たけのことであった。

 

つまりこの小説もこの旅も、目的はただ一つ。母としてのたけにもう一度会うことだけであった。太宰はただたけに会う口実をつくるためだけに津軽を一周し、小説を一冊書き上げたのだ。

そう気が付いたとき、会えてよかったなと心から思った。そして会った以上、太宰が死ぬのも時間の問題だったのだろう。

 

 

 

【本の紹介】山口周『外資系コンサルのスライド作成術』

オススメ度:★★★★☆

 

山口周『外資系コンサルのスライド作成術』

 

 本書のエッセンス
・紙が先、パワーポイントが後
・インクの量=情報量であり、情報量の増加は必ずしもわかりやすさではない
・色は3色まで、基本はモノクロで100%の完成度までもっていける

 

まとめ

外資系コンサルの一線で活躍している山口周氏による、パワーポイントのスライド作成の技術をまとめた本。

小手先のテクニックで複雑な図をつくるのではなく、基礎の基礎をおさえていくことで汎用性の高いスキルを身に着けることを目的にしている。

 

本ブログでは本書で解説されているポイントのうち、個人的に重要だなというものに絞って記載している。詳細な点やここで掲載していないものについては実際に本を購入し確かめていただきたい。

 

スライド作成の順番
①ページ番号をつける
②メッセージを書く
③出所を書く
④グラフ/チャートのタイトルを書く
⑤グラフ/チャートを書く
⑥脚注をつける

 

チャートの作り方
・非冗長性:スライドに同じ言葉を何度も登場させず、因数分解の思想でまとめる
 ・矢印は起点と終点を明確にする
 ・矢印は延長線上にあるものすべてに影響を及ぼす
・2次元以内に表現を留める。帰る場合は2次元×nの形で表現する(横並びではなく、菱形にして多重にする)

 

プレグナンツの法則
・近接の要因:近くにあるものをグループとして認識する
・閉合の要因:閉じあっているものをグループとして認識する
・グーテンベルクダイアグラム:スライドの視点が左上から右下に流れ、特に右上には意識が行きにくい

 

細かいポイント
・文字の大きさは12pt以上
・メッセージは2行以内
・メッセージ→ストーリー→スライド作成の順番で行う
紙が先、パワーポイントが後
色は3色まで
・よりシンプルに
・スライドのSN比を高める=信号に対するノイズを減らす
・インク量=情報量

 

【ゴールドマン・サックス】清水大吾『資本主義の中心で、資本主義を変える』

オススメ度:★★☆☆☆

 

清水大吾『資本主義の中心で、資本主義を変える』

 本書のエッセンス
・GSの中で持続可能な社会を目指して闘った男の話
・具体的には政策保有株式解消を目指していた
・「資本主義」の分析が不十分に感じられた

 

感想

世界最強の投資銀行とも呼ばれるゴールドマン・サックス出身の筆者が、資本主義に疑問を感じ、変革のため獅子奮迅のごとく闘い続けた話。

 

筆者の現在の資本主義に対する課題感とそれを変えたいという熱量は感じられたが、資本主義の解説の部分に弱さを感じた。

もちろん本書の目的が資本主義の解説ではなく、同じく課題感をもっている人たちに火をつける点に重きを置かれていることは理解できるが、それを踏まえた上でも資本主義の解説が空疎で、その部分の納得感がないがためにメインの主張もあまり刺さらなかった。

 

本書における資本主義の解説の薄さは大きく2点あると思う。

一つはシンプルな資本主義への解像度の低さである。

筆者は資本主義の本質を「所有の自由×自由経済」だとし、後発的な、歴史的にトッピングされた要素として①成長の目的化②会社の神聖化③時間軸の短期化を挙げている。

例えばこのうち①成長の目的化について、所有の自由と自由経済のもとで生じた今日競争の副産物として成長が、次第に手段から目的に転化したとし、以下のように述べている。

資本主義そのものではなく、「成長の目的化」が問題なのだ。(p.50)

 

しかし実際には所有の自由と自由経済のもとでは遅かれ早かれ金融が生まれ、金融は利息を生み、利息は企業に成長を強いることになる。すなわち、資本主義において「成長の目的化」は必然的に起きるものであるのだから、資本主義から「成長の目的化」だけを抜き出し捨象することはできないはずだ。

 

二つ目は筆者の思い描く理想的な社会に矛盾があることだ。筆者は現在の資本主義と中途半端になっている日本経済についてどちらも批判したうえで、一方それぞれにも良い点があることに言及している。そしてそれらのいいとこどりした社会が理想だと述べている。

欧米的な価値観をそのまま受け入れるのではなく、日本的な良さを残しながら有用な部分だけを取り入れるというしたたかさが必要だ。(p.146)

 

しかし社会の良さと悪さは、往々にして同じ構造から生まれているものである。

欧米人の説明責任と裁判で勝てば正しいという思想は同じ先鋭化した資本主義から来ているものであるし、日本のおおらかさとなれ合いは同じ中途半端な資本主義からきている。

それならば異なる構造から生まれる良し悪しの良いところ取りをすることはできないのではないだろうか。

 

筆者の名誉のために書き添えておくと、おそらく筆者はすこぶる頭がよく実際には資本主義についてより厳密な洞察を持っている。それを大衆向けの本として内容をデフォルメした結果がこれなのだと推察される。したがって本ブログで主張している資本主義への解像度の低さとは、筆者本人の理解度の問題ではなく、あくまで紙面上の話である点をご留意いただきたい。

 

***

 

本書の本題からは少しずれるが、筆者の文章を読んで内部監査部門に興味をもったので該当箇所を備忘として記載しておく。

優れた企業文化の醸成の文脈で、筆者が内部監査部門をもっと評価すべきだという話がでてくる。

内部監査というのは、企業の不正防止や業務効率化のサポートを目的とした部門だ。裏方中の裏方と思われている節もあるが、ビジネスを誰よりも理解したうえで、営業部門が気づいていない落とし穴を事前に見つけて対策を講じてくれる。(p.177)

これまで関心なかったが、業務コンサルに近く面白い業務なのではないかと感じた。

 

資本主義分析という面では物足りなさを感じたが、全体を通してやはり一流企業の第一線で活躍する人間の熱量の高さとバイタリティを感じさせられた。思想はどうあれ、こういった熱の感じられる人間が私は好きなんだなと改めて思った。

 

 

 

【諦めかけたあなたへ】太宰治『走れメロス』【感想】

オススメ度:★★★★★

私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。走れ!メロス。(p.177)

 

太宰治『走れメロス』

著者:太宰治(1909〜1948)

東京帝国大学仏文科中退。本名は津島修司。自殺未遂、麻薬中毒と破滅的な生活を送りながら作品を次々に執筆。1948年未完の『グッド・バイ』を残し愛人と玉川上水にて入水自殺した

 本書のエッセンス
・この一冊で太宰が天才だとわかった
・短編集全体で太宰の随筆と作品が入れ子の関係として楽しめる
・『走れメロス』は仕事で挫けそうになった時にオススメ

 

感想

この一冊を読んで、太宰はほんとうに天才なんだとわかった

 

『人間失格』『斜陽』『ヴィヨンの妻』に続く太宰治4冊目として『走れメロス』を読んだ。

『走れメロス』(新潮文庫)は表題作『走れメロス』を含む9編から成る短編集で、主に中期太宰の作品を中心に構成されている。

 

この短編集の完成度を確固たるものにしているのが、全体の構成である。

もちろん、収録作品それぞれのクオリティが高いのももちろんだが、それ以上に頭から読み進める中でどんどんと太宰を理解し、引き込まれ、ファンにさせられてゆく。

 

巻頭作品は『ダス・ゲマイネ』という、25歳の大学生の初恋や仲間たちとの悩みや葛藤を描いた作品。

イメージとしては森見登美彦に近い読み味がある。自意識に苛まれた青春を軽快に描いた作品で、当時の言葉遣い、例えばテエブルやニュウスといったものに無理なく慣れることができる。

ちなみにこの作品には太宰治という名前の新人作家も登場する。

 

続いて『満願』という3ページの超短編でひといきついたあと、『富嶽百景』という随筆にはいる。『富嶽百景』は作家の井伏鱒二がこもって仕事をしていた甲府の茶屋に太宰も泊まり込み、しばしの間の執筆活動や来客とのやりとり、結婚の様子を記した作品である。

この随筆で読者は太宰という人間のプライベートな一面に触れ、より身近に感じられるようになる。

 

さあここまでで読者は太宰作品を味わう"下地"ができた状態になる。そうしてここから傑作『女生徒』『駆込み訴え』『走れメロス』という怒涛の作品に一気に引き込まれてゆく。

 

『女生徒』はある女生徒目線で全編書かれた短編作品で、太宰の少女の感情への解像度の高さに度肝を抜かれる。

 

主人公の少女が鏡で自分の目を見ながら物思いにふけるシーンで、

青い湖のような目、青い草原に寝て青空を見ているような目、どきどき雲が流れて写る。鳥の影まで、はっきり写る。美しい目のにとと沢山逢ってみたい。(p.87)

と可憐で少女らしい一面を見せたかと思えば、次のページでは

おまえは誰にも可愛がられないのだから、早く死ねばいい。(p.88)

と語り(おまえ=ペットの犬のカア)、

私は、カアだけではなく、人にもいけないことをする子なんだ。人を困らせて、刺戟する、ほんとうに厭な子なんだ。縁側に腰かけて、ジャピイの頭を撫でてやりながら、目に浸みる青葉を見ていると、情けなくなって、土の上に坐りたいような気持ちになった。(p.88)

自分の個性みたいなものを、本当は、こっそり愛しているのだけれども、愛していきたいとは思うのだけど、それをはっきり自分のものとして体現するのは、おっかないのだ。(p.99)

 

とその直後には一転自己嫌悪に陥る。このロマンチックさと残酷さ、そして自己愛と自己不振という不安定さはすべてが三位一体のように少女に備わっている性質であり、それらを見事すぎるまでに描いている。

 

電車の中でお気にいりの風呂敷を膝の上に出したシーンでは

電車の中の人にも見てもらいたいけれど、誰も見ない。この可愛い風呂敷を、ただ、ちょっと見つめてさえ下さったら、私は、その人のところにお嫁に行くことをきめてもいい。(p.102)

と表現し、風呂敷一枚からこんな文書が書けるのかと衝撃を受けた

これが天才の文章なのかと確信し、畏怖するほどすばらしい作品だった。

 

次は『駆込み訴え』という、男が激しく興奮した様子である男を殺してほしいと打ち明けるシーンからはじまる作品である。読み始めはなんの話をしているのかわからない状況からはじまり、次第にパズルのピースが埋まるように全体像が浮かび上がってくるのが面白くてたまらない。

ミステリーにも近いこの作品の詳細はぜひ実際に読んで確かめてもらいたい。

 

そして次が誰しもが知る『走れメロス』である。

メロスと親友セリヌンティウスの友情にフォーカスされがちな作品だが、私が強く惹かれたのはメロスが王のもとに向かう途中、あまりの辛さに諦めかけたシーンである。

 

濁流を超え、山賊を退け走り続けたメロスであったが、あまりの披露に心が折れかける。

身体疲労すれば、精神も共にやられる。もう、どうでもいいという、勇者に不釣り会いな不貞腐れた根性が、心の隅に巣食った。私は、これほど努力したのだ。約束を破る心は、みじんも無かった。

 

もう自分は十分頑張った、頑張ってダメだったのだから非難されるいわれはないと自分を正当化し、足を止めてしまう。決心が揺らいだわけではない、ただもう無理なのだと諦めようとする。

しかしそのとき、水の流れる音を耳にする。メロスは静かに近づき、その水をひと掬い飲みほす。するとメロスのなかに一筋の光がさし、希望が戻る。

日没までは、まだ間がある。私を、待っている人があるのだ。少しも疑わず、静かに期待してくれている人があるのだ。私は、信じられている。私の命なぞは、問題ではない。死んでお詫び、などと気のいいことは言って居られぬ。私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。走れ!メロス。(p.177)

 

そしてメロスはさっきまでのネガティブは"悪い夢"だと切り捨て、友の元へ一目散に向かう。

 

疲労困憊のなかで、始めの決意自体は変わっていないものの達成に対する執念がゆらぎ、静かに自分を正当化する様、そしてそこからハッと目覚めて執念の炎を再び燃やすまでの心理状況の変化に心から共感できた。

仕事がつらくいつまでも終わらないとき、もういいかと思うときがある。これだけ頑張った、頑張ったうえでダメならみんな認めてくれるだろうと弱気になる。

しかしそんなとき、ふとしたきっかけでもう一度頑張れると気がある。たとえばオフィスの窓から夜遅くまで頑張っている他の会社の窓からもれた光が見えたり、過去のお客さんの言葉を思い出したりと、意図しない瞬間が、"悪い夢"から目を覚まさせ、もう一度頑張る勇気をくれる。

 

学生時代読んだときには味わえなかった、逆境をがんばる今だからこそ感じられた文章に心打たれた。

 

ここからの3作品は再び太宰の随筆である。

『東京八景』は青森から東京へ出てきて、人生がどうしようもなくうまくいかず、周りに生かされているなかでもクズを治せない太宰の辛い日々とそこから立ち直るまでを描写した随筆である。

大学も留年を繰り返し、長兄にうそをつきながら仕送りを請うなかでこれまでのことを全て遺書に残そうと『晩年』に取り掛かる。

警察の世話になり、住みかを転々とし、薬に手をだしどうしようもなかった太宰が立ち直っていく。

 

そして『帰去来』『故郷』は恩人に手引かれて勘当されていた故郷の青森に帰ったときの様子が描かれており、太宰と実家との関係性がよくわかる作品になっている。

 

***

 

この一冊で、東京に出てから堕落し、苦悩しながらも作品を発表し、『女生徒』『駆込み訴え』『走れメロス』という傑作を書き上げ、故郷に再び戻るという太宰の半生と才能をどちらも味わうことができる。

『人間失格』や『斜陽』から太宰に入った人は後期太宰の暗い側面のイメージが強いかもしれないが、この『走れメロス』を読むことで、それ以外の太宰の一面に触れることができると思う。

 

きっと今後もなんども読み返すと確信した一冊になった。

 

 

【本の紹介】太宰治『ヴィヨンの妻』

オススメ度:★★★★☆

「僕はね、キザのようですけど、死にたくて、仕様が無いんです。生れた時から、死ぬことばかり考えたいたんだ。皆んなのためにも、死んだ方がいいんです。それはもう、たしかなんだ。それでいて、なかなか死なない。へんな、こわい神様みたいなものが、僕の死ぬのを引きとめるのです」(p.138)

 

太宰治『ヴィヨンの妻』

著者:太宰治(1909〜1948)

東京帝国大学仏文科中退。本名は津島修司。自殺未遂、麻薬中毒と破滅的な生活を送りながら作品を次々に執筆。1948年未完の『グッド・バイ』を残し愛人と玉川上水にて入水自殺した。

 

 本書のエッセンス
・人間の弱さと矛盾とその肯定

 

あらすじ

クリスマスイブの夜中、妻と4歳の子供の待つ家に夫が息を荒らしながら帰ってきた。泥酔し深夜に帰ることはままあるが、その日はいやに優しく様子が違った。

しばらくして玄関口に4,50歳の夫婦が怒り心頭でやってきた。咄嗟に逃げだそうとする夫を男が止めると、夫はジャックナイフをちらつかせ逃亡した。

妻は夫婦を家に上げ、話を聞くことにした。

夫婦によると2人は中野で小料理屋を経営しており、その店で夫が現金の盗みを働いたらしい。夫は元々バーの年増女に連れられ訪れ、それ以降そこの常連となっていたが、"つけ"も散々溜まり夫婦は困っていた。

妻は明日中にお金を工面して返すから警察沙汰は待って欲しいと頼み、夫婦に引き上げてもらった。

次の日妻はとりたてて策もなかったが子供を連れ小料理屋に行き、今日中に必ず払えるアテがついた、今日は自分が人質となってお店を手伝わせて欲しいと伝えてそのようになった。

夜九時をすこしすぎたころ、綺麗な女性をつれた仮面の男がやってきた。夫であった。

夫も妻に気がついた様子だったがスルーしていると、つれの女性から店のご主人を呼んで欲しいと告げられた。

三十分足らず会話したのち、その女性の立替でどろぼうしたお金はすっかり返済された。つけの料金は妻がこのお店で働き返すことになった。

 

感想

太宰の(特に後期の)作品からは、人の弱さと矛盾とその肯定が多くテーマになっていると感じられる。

 

表題作である『ヴィヨンの妻』の主人公の夫は、弱く矛盾をかかえた人間である。

 

年末に小料理屋からお金を奪い、その金で京橋のバーでクリスマス・プレゼントだと言って散財する。

結局盗んだお金はバーのマダムに建て替えてもらうのだが、そんな挙句妻に金を盗んだのは、妻子にいいお正月をさせたかったからで人非人ではないと話す。

 

ほんとうに妻子のことを思うならば、バーで散財など到底できないのではないかと思われてしまうが、ここに人間の矛盾がある。

夫はきっと、ほんとうに妻子のことを心の奥底で大切にしているが、それを行動に起こし続けるだけの勇気がないのだ。そしてこの理解されない矛盾に良心の呵責を感じている。

弱さと矛盾はこのときだけの話ではなく、おそらく彼の人生の間ずっとついて周り、これからも繰り返される。

「僕はね、キザのようですけど、死にたくて、仕様が無いんです。生れた時から、死ぬことばかり考えたいたんだ。皆んなのためにも、死んだ方がいいんです。それはもう、たしかなんだ。それでいて、なかなか死なない。へんな、こわい神様みたいなものが、僕の死ぬのを引きとめるのです」(p.138)

 

読み手は夫の矛盾を不快に思ういっぽうで、自分の中にも同じような矛盾があることに気が付かされる。

弱さと矛盾を自分の中に認めながらも、作中の夫婦のように生きてゆけることが分かってくる。

 

人間は弱い。ときに目の前の現実から逃げたり、目を背けたり、ごまかしたりする。

その度に自分の中に生まれる矛盾と折り合いをつけ、自分のイヤな部分を知りながらも生きていく。

 

このことに気がつき、他人を赦し自分を赦すことで生きやすさを獲得できるのではないだろうか。

 

 

【今この瞬間を生きろ】岡本太郎『自分の中に毒を持て』

オススメ度:★★★★☆

ほんとうに生きるということは、自分で自分を崖から突き落とし、自分と戦って、運命をきりひらいていくことなんだ。(p.33)

 

岡本太郎『自分の中に毒を持て』

 

 本書のエッセンス
・岡本太郎が生き方について語った本
・ただ「尖れ」と言っているわけでなはい
・今この瞬間を生きろ

 

二つの生き方

この本を読む前、タイトルから勝手に「尖って生きろ」というメッセージかと思ったが、実際には全く反対のことが書いてあった。

 

岡本太郎は大阪万博('60)の「太陽の塔」で知られる芸術家で、「芸術は爆発だ」という言葉もよく知られている。

その岡本の著作の代表作がこの『自分の中に毒を持て』である。

 

この本で繰り返し主張されているのは「生き方には2つある。<相対的な生き方>と<絶対的な生き方>である。そしてほんとうの生き方というのは<絶対的な生き方>だ」というメッセージに尽きる。

相対的な生き方というのは、価値基準を周囲や世間体にゆだねる生き方である。つまり相対的な生き方というのは他人の人生を生きるということで、ほんとうの生き方ではない。

岡本はこの相対的な生き方を<安全な道>と表している。

 

絶対的な生き方

一方で岡本が<ほんとうの生き方>と語っているのが<絶対的な生き方>である。

<絶対的な生き方>とは今この瞬間瞬間を生きる生き方である。未来に期待の前借をしたり、過去の功績に執着したりしない。この瞬間に情熱を注ぎ一生懸命打ち込むことで、生きがいが生まれる

 

本書冒頭の

人生は積み重ねだと誰でも思っているようだ。ぼくは逆に、積みへらすべきだと思う。(p.11)

とはこの過去に執着しないことを指している。

 

また未来についても

"いずれ"なんていうヤツに限って、現在の自分に責任を持っていないからだ。生きるということは、瞬間瞬間に情熱をほとばしらせて、現在に充実することだ。(p.58)

と話し、今この瞬間に情熱を傾けることこそがほんとうの生き方だと語る。

この未来に期待することの危険性については、水野敬也『夢をかなえるゾウ』でも同様のことが書かれている。

www.artbook2020.com

 

しかし、このような絶対的な生き方を実現できている人というのは少ない。なぜならば絶対的な生き方は苦痛や苦悩を伴うからだ。

しかし、人間がいちばん辛い思いをしているのは、"現在"なんだ。やらなければならない、ベストをつくさなければならないのは、現在のこの瞬間にある。それを逃れるために、"いずれ"とか"懐古趣味"になるんだ。(p.58)

 

苦痛の根源はまぎれもなく目の前の現実である。そしてこの現実は外的なものと内的なものの2つに分けることができる。

外的なものとは、人間関係のしがらみであったり、会社からのノルマであったりといった生きていく上で必ずである問題である。

 

そしてもう一方の内的な現実とは<未熟で不完全な自分>である。

自分が頭が悪かろうが、面がまずかろうが、財産がなかろうが、それが自分なのだ。それは"絶対"なんだ。(p.62)

自分が未熟で不完全だと思い込むと、自信をなくしモチベーションが下がってくる。しかしそもそもこの考え方は違っている。なぜなら人間とは誰もしもが未熟であるからだ。

自分が未熟であることを100%受け入れることができない限り、内的な現実から逃れることはできない、生きる力が湧いてこない。自分が未熟だからチャレンジできないというのは、岡本に言わせれば甘えにすぎない。

未熟な自分を認めるということは、ある種肥大化した自己に対し否定を突きつけることになる。これはとても辛いことである。

しかし自己否定し情熱を燃やさぬかぎり<絶対的な生き方>にはたどり着けない

 

岡本は禅宗のある講演の中で以下のように語っている。

「道で仏に逢えば、仏を殺せ」とあるが、実際に京都の街角に立つと何に逢うか。仏ではなく己自身である。己に逢い、己を殺さねばならない。

「道で仏に逢えば、仏を殺せ」の仏とは仏の教えのことで、学びの過程で教えが間違っていれば教えを手放せをいうことを意味している。つまり己に逢えば己を殺せとは、過去の自分を手放せ=自己否定せよといっている。

 

岡本はどのようにしてこの生き方に至ったのか。

岡本は25歳の時、単身渡ったパリである命題について考えていた。

しかし、社会の分業化された狭いシステムの中に自分をとじ込め、安全に、間違いない生き方をすることがほんとうであるのかどうか、若いぼくの心につきつけられた強烈な疑問であった。(p.19)

 

すなわち相対的な生き方に違和感を覚え、どのように生きればほんとうなのかをひたむきに考えていた。そして思いつめた中入ったある映画館で、ふと真理と邂逅する。

・・・そうだ。おれは神聖な火炎を大事にして、まもろうとしている。大事にするから、弱くなってしまうのだ。己自身と闘え。自分自身を突きとばせばいいのだ。炎はその瞬間に燃え上がり、あとは無。ー爆発するんだ。(p.218)

 

神聖な火炎=アイデンティティを燃え上がらせるためにはどうすればよいのか。その道はただ一つ、厳しい道=絶対的な生き方に身を投じることだと岡本は気が付いた。

そして瞬間瞬間の分岐について常に厳しい道を選び、自己否定し、情熱を燃やすことで星のように生きがいが生まれ、無目的に人生が「爆発」する。

 

生きるということは本来無目的・非合理である。これを科学主義・合理主義で割り切ることはできないし、そんなことをしようとした結果が現在の人生が疎外された状況である。

 

岡本の<ほんとうの生き方>というのは、神谷美恵子の「生きがい」と本質的に同義である。

www.artbook2020.com

 

冒頭で「尖って生きろ」は誤りだと書いたが、これは尖って生きる=差別化すること自体が周囲との相対的な発想であり、絶対的な生き方とは反対であることがわかる。

生きた実感を味わうには<ほんとうの生き方>を追求する必要があると感じた。

 

 

【名著】山口周『外資系コンサルが教える プロジェクトマネジメント』【炎上しないプロジェクト】

オススメ度:★★★★★★

つまりプロジェクトというのは、一種の「作品」だということです。(p.85)

 

山口周『外資系コンサルが教える プロジェクトマネジメント』

 

 

 本書のエッセンス
・PMとはPJTという作品をつくるこの上なく面白い仕事
・炎上しないプロジェクトには特徴がある
・PJTの成功基準は期待値を超えたかでありPMが全結果を背負う

 

炎上しないプロジェクトの特徴

山口氏はこれまでプロジェクトで炎上したことがないという。

その秘密はプロジェクトの"目利き"にある。

山口氏の目利きによれば、炎上しない(あるいはしないために必要な要素として)プロジェクトには以下のような特徴・工夫がある。

① 目的が明確かつ共有されている
② 質・量ともにリソースに余裕がある(期待値)
③ 円滑なコミュニーケーションが図られている
 

目的は明確か

目的が不明確なプロジェクトはポシャる可能性が高い(p.15)

筆者がこの本の冒頭に置き、最もプロジェクトにおいて重要な要素だと思われるのが、「目的」である。

 

目的が明確かつ共有されていることは、プロジェクト運営における複数の利点に関わってくる。

まず一つ目は迂回策をオプションとして持てる点。

目的が明確になっていると、プロジェクトの途中で障害が発生した場合に迂回路をとることができる。手段が目的化したプロジェクトでは別の手段に切り替えることができず行き詰ってしまう。

二つ目はメンバーが意思決定する際の羅針盤になること。

メンバーが個々の問題に対応するにあたり、目的の共有がなされていない場合方向感を統一できない。このような状況では、メンバーの決断は経験や肌感にゆだねられることになり、PMが都度方向感の確認を行わねばならない。

三つ目はメンバーのモチベーションに作用すること。意義がない仕事に情熱を見出すことは難しい。

 

目的を明確化しメンバー間の間に定着させることは、プロジェクトリーダーのプロジェクト全体を通して重要な仕事である。また目的を読み誤らないよう、プロジェクトオーナーと認識合わせを行い言質を取っておくこともまたポイントになる。

 

 

期待値をコントロールする

筆者は本書の中で繰り返し期待値コントールに触れている。

なぜこれだけ期待値を重視するかと言えば、期待値はプロジェクトの成功に関わる重要な要素だからである。

プロジェクトの成功とは何かという問いに対し、筆者は

結論から言えば、関係者の期待値よりも高い結果に終われば「成功」であり、関係者の期待値よりも低い結果に終われば「失敗」なのです。(p.72)

と答えている。

つまり期待値のコントロールはプロジェクト間を通して常に気を配っておく必要がある。

 

理想的な期待値の推移としては、始め期待値の低いところからスタートし、進行するにしたがって徐々に上がっていき、最終成果物が初期の期待を超えるところに着地するのが望ましい。

そのため初期段階ではプロジェクトオーナーの期待値が上がり過ぎないように努め、懸念点が場合にはなるべく期待値が下がるように早い段階で展開し、突然「やはり無理でした」とならないことが全体としても個人の評価の上でも大切である。

 

プロジェクトの成功だけでなく、PMとしてプロジェクト運営を楽しむ(自由に取り組む)ためにも期待値コントロールは大切である。

プロジェクトの進捗に不信感を持つと、マイクロマネジメントされたり過度な報告を求まれる可能性がある。プロジェクトの主導権を侵害されずに進めていくためには「あそこのプロジェクトは大丈夫だ」という安心感のイメージを序盤に植え付けておくことが重要である。

とりわけプロジェクト序盤において「貯金」をつくることは、ステークホルダーからの信頼の獲得のために有用である。

最初期のミーティングでは期待値を超え、「貯金」をつくる。(p.84)

 

期待値をコントロールする上でポイントとなるのが、「期間」「リソース」「成果物」の3点である。これらの見積を誤ると、相手の期待値とのズレが生じる。

こと「期間」「リソース」について、筆者はギリギリの1.5倍で見積もるようにしているという。

筆者の場合、基本的に「ギリギリこれだけあれば大丈夫だろう」という見積に対し、だいたい1.5倍程度を提示します。(p.67)

 

筆者は別の章でもリソースについて言及しており、人的リソースでいえば100%では不十分で、必ず100%超の状態でプロジェクトに臨むよう説いている。

プロジェクトメンバーの質と量が、プロジェクトが要求する水準に対しちょうど100%だと思われる時は、それをすんなり受け入れてしまってはいけません。「このメンバーでは戦えません。ぜひ○○さんをください」と交渉しなければならないのです。(p.25)

 

なぜここまで人的リソースに執着する必要があるのか。もっと言えば人的リソースに限らず自分のプロジェクト成功のために"わがまま"を通していかなければならないのか。それはひとえに、成功も失敗もあらゆるプロジェクトの結果がリーダーに帰属するからである。

成功も失敗も、リーダーの評価になる(p.25)

そうなったとき、メンバーに不足があったためにプロジェクトが上手くいきませんでしたは後からは通らない。プロジェクト発進の段階でプロジェクトメンバーの能力がプロジェクト遂行に対し100%以下であるならば(未満でなく以下)、多少言いにくいところがあろうとも上司にメンバー追加を要請せねばならない。

 

メンバー間のコミュニケーション

チームの中で流通する情報量が減ると、必ずといっていいほど、プロジェクトは危険な状況に陥ります。(p.103)

チーム内での情報流通量は、とりわけ大きく複雑なプロジェクトにおいて成功を左右する要素となる。情報流通量が少ないということは、話しにくい状況があることを意味している。小さくても重要な情報が共有されなければ、船に空いた小さな穴のように全体を飲み込んでいく。

 

話難さの原因は、情報を伝えたときの相手の反応が読めないことに起因する。長く一緒に働いている相手であれば、この情報を伝えたときどんな反応が返ってくるか想像がつく。

しかしまだ関係が構築できていない段階においては、反応の読めなさから情報伝達を差し控える可能性がありうる。

これを防ぐためにはプロジェクトの序盤において、「何を言っても否定されない」という前提を徹底させ、心理的安全を確保することが重要である。

また意見に限らず、メンバーが持つちょっとした違和感も早め早めに共有してもらうことが、後々のプロジェクト事故を防ぐ対策になる。

 

チーム内の話からは少し離れるが、プロジェクトに際し現場に協力を仰ぐ場合にはプロジェクトチームと現場は敵対しがちであり、またオーナーについても現場からの苦情を受けプロジェクトチームに圧をかけるような悪い相互関係が発生しがちである。

これを関係性の矢印方向を逆転させ、オーナーから現場に協力するよう圧をかけてもらい、現場がプロジェクトチームに助けを請う関係性がプロジェクト運営の上で望ましい。

 

感想

そのページを見てもクリティカルで目から鱗の連続であった。

本記事ではまとめなかったが、本書ではリーダーシップ論についてもページを割いて解説している。

この分野について解くに印象に残っているのが、下の2フレーズである。

リーダーシップは「嫌われること」と表裏一体の関係にあります。(p.175)

皆から自然とリーダーとされる人には、何か共通の特徴があるのでしょうか?

(中略)結局分かったのは「一番先に話し始めた人」だということです。(p.181)

 

リーダーとは何かということが端的に表されておりかつリーダーの素質を「なんだ、そんなことなのか」という一言で示している。

この「なんだ、そんなことなのか」という感覚がとても重要で、これまで複雑怪奇であったリーダーという幻想が一瞬にして小動物に生まれ変わったかのような感動を覚えた。

 

何より本書で衝撃を受けたのが、プロジェクトマネジメント自体のイメージである。

プロジェクトマネジメントとはこれまで単なる管理の仕事だと思っていたが、自分の作品だと視点を変えるだけでこんなにもワクワクするものだとわかった

プロジェクトマネジャーはとても楽しい仕事です。なぜ楽しいかというと、そのプロジェクトのオーナーシップを持てるからです。ゴールを描いて、そこに至るルートを設計し、チームの体制をデザインする。実はこれは建築家や映画監督がやっていることと同じで、つまりプロジェクトというのは、一種の「作品」だということです。(p.85)

ここの文章だけでも、この本を読む価値があったと思える。