本と絵画とリベラルアーツ

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【現代の病魔から脱する】デボラ・ザック『一点集中術』

オススメ度:★★★★★★

過労と睡眠不足を嘆いてみせることで、自分が必死にやっていることを証明したいのだ(p.190)

 

デボラ・ザック『一点集中術』

 

 本書のエッセンス
・目の前のタスクや会議、相手に集中せよ
・マルチタスクは単なるタスク・スイッチで非効率
・集中を阻害するものを遠ざける

 

感想

ここ1,2年ほど、なんとも仕事がうまくいかないなと感じることが多かった。引き受けられる仕事の種類や量も増えているはずだけれど、どの仕事からも満足感が得られず、ただ浴びるように降ってくるタスクをこなしているだけのように感じていた。

 

ある日緊急の対応のため休日出勤し、その発生事象だけに取り組んだ日があった。休みの日に召喚され、本来であれば気分が悪いところだが、その日は不思議と満足感とやりがいを感じられた日になっていた。

 

このように感じられた要因はなにかと考えると、その日は通知等の邪魔も入らずシングルタスクできていたということだと思う。思うというのは、この満足感の正体に気付かせてくれた本こそこの『一点集中術』なのである。

 

『一点集中術』の主張は極めて明快である。すばりマルチタスクは人間には不可能かつ有害でしかないこと、シングルタスクにすることですべてがうまくいくということである。

もう少し補足すると以下のようなことが書いてある。

・シングルタスクはいま・目の前に集中・没入すること
・シングルタスクは仕事の効率を上げる
・マルチタスクはタスク・スイッチしているだけであり非効率
・シングルタスクは人とのつながりを強める
・シングルタスクはプライベートでも有効

 

この本を読んで久々に頭を殴られたような強い衝撃を受けた。

仕事でうまく行っていた時のこと、自分がダメになってからのことすべてがこの本に書いてあることで説明がついた。まさに天啓である。

 

その次の日からこの本の主張にそって仕事のやり方を変えると、みるみる仕事は片付き、やりたいことに時間が使えるようになり、なによりも仕事から満足感と喜びを得られるようになった。これまで読んだどんなビジネス書よりも即効性がありかつ長く有用であると感じた。

 

ちなみに私がいま実践していることは以下の通りである。どれもこれもがすぐに取り入れることができ、かつ多大な効果があった。

・常にいま目の前の作業に集中すると意識する
・メール、チャットの通知を切り、決めた時間にまとめて確認する
・作業中はPCの不要なページを全て消す
・会議中に決して内職しない
・人と話す時はデバイスを気にならないところに置く
・目的なくスマホを使わない

 

***

 

さて仕事での時間の使い方という面では、最近読んだ本の中でもう一冊衝撃を受けた本がある。

それは『なぜあなたの仕事は終わらないのか』という本である。この本から得られたエッセンスについては別記事を作成しているのでそちらを読んでいただきたい。

 

『なぜあなたの仕事は終わらないのか』の中で筆者は仕事のロケットスタートで進める方法として「界王拳」を使うよう話している。「界王拳」とはドラゴンボールに出てくる強化モードのようなものらしいが、そちらの本の中でどのように「界王拳」を使うかの詳細な説明はない。

これはおそらく筆者がもとから常人離れした集中力をもっていることによるためだと考えられる。

ただしヒントとしてマルチタスクをやめるように忠告がある。このマルチタスクをやめろのところを噛み砕いたのが『一点集中術』であり、『一点集中術』は「界王拳」の使い方そのものであると読み返しながら気がついた。

 

多くの仕事をこなしながらも満足感を得られない人にはぜひ読んでほしい。

 

 

【給料泥棒、社内不倫、労災…】大内伸哉『どこまでやったらクビになるか』

オススメ度:★★★★☆

 

『どこまでやったらクビになるか』

 本書のエッセンス
・大学教授が書いた労働法の本
・具体例が面白くわかりやすい
・裁判では労働者がつよい

 

感想

最寄り駅の書店にふと立ち寄った時、平積みで並べられていたある本が目に入った。タイトルは『どこまでやったらクビになるか』と、まるでサボり方を教えてくれるかのようなキャッチーなタイトルが気になりそのまま購入した。

一見ネタ本のようなタイトルだが、中身は神戸大大学院法学科の教授が書いたれっきとした労働法の入門書である。

 

内容は企業に勤めるサラリーマンが気になるような働く上での"グレーゾーン"なふるまいとその処分の如何についてで、章ごとにテーマが設定されており読みやすい構成となっている。

テーマは社内不倫や給料泥棒、自分のミスでの機械破壊など、言われてみれば気になる絶妙なラインナップである。

 

私は法律のように形式ばった文章が羅列されているのを読むのはあまり得意ではなく、読んでいるとついつい眠くなってしまうクセがある。普段であればすぐ飽きてしまうが、この本では条文と合わせて想定ケースや実際の裁判例を織り交ぜられているので、苦にならず読み進めることができた。

例えば社内不倫の実例は従業員数10人と読むだけで泥沼さを感じられるし、遊びすぎて集中力を欠いた従業員がケガをした労災の話では会社に同情した。また同じ会社の価値を毀損するような行動をとった場合でも職位によって裁判所の判断が異なることをたいへん勉強になった。

 

勤め人であれば一度読んでみても良いと思った。

【最高のビジネス書】中島聡『なぜ、あなたの仕事は終わらないのか』

オススメ度:★★★★★

ラストスパートこそ諸悪の根源です。そのことを絶対に忘れないでください。(p.184)

 

中島聡『なぜ、あなたの仕事は終わらないのか』

 本書のエッセンス
・「ラストスパート志向」が諸悪の根源
・集中力の秘訣は「界王拳」
・マルチタスクこそ、仕事が進まない理由の最たるもの

 

感想

最近読んだ本のなかで最も悩みを本質的に解決してくれた一冊。

これまでの私は、上司の「なぜ仕事が終わらなかったのか」「なぜクオリティをあげるとことができなかったのか」という問いに対して、「忙しくて時間をつくれませんでした」という何とも情けない返答を繰り返していた。しかもその言い訳のあとも仕事の量が変わるわけではないため、結果として同じ低品質のアウトプットを続け上司からの評価も自己効力感もすり減らしながら、ただただ辛さだけを感じながら目の前の仕事を消化する日々を何ヶ月もの間繰り返していた。

この本ではそんな私の現状をすべて見ているかのように、悩みの原因を言い当てその解決策を授けてくれたのだ。

 

あなたの任務は10時前に到着する電車に乗ることではない、10時に待ち合わせ場所にいることである

待ち合わせの例でいえば、大抵の人は(任務を)10時前に到着する電車に乗ることだと思っています。しかし本当の任務は、10時に待ち合わせ場所に着くことです。(p.74)

仕事の締め切りが間に合わないという話に対する悩みに対して、中島氏はそもそもの締め切りに対する意識の誤りを指摘している。

具体例として挙げられているのが待ち合わせの例で、多くの人は「10時待ち合わせ」と言われたときに10時前に着く電車に乗ればよいと考える。もちろんこの意識でうまくいく場合もあるが、実際には電車の遅延などイレギュラーな問題により間に合わなくなることも往々にして発生してくる。そうなると待ち合わせ相手に「電車には乗ったのでが…」と謝りの連絡をいれることになる。

 

しかし待ち合わせにおいて求められているのは電車に乗ったかどうかではない。きちんと時間通りに来ているかどうかである。たとえ予定通りの電車に乗っていようとも、また全速力で走っていようと、間に合わなければ相手からすれば知った話ではない。

これは仕事の締め切りにおいても同様であり、締め切りに間に合わせようと徹夜しようとも遅れてしまえばその時点でアウトである。そうではなく、確実に間に合わせるために何が必要かを考えて行動しなくてはならない。

 

ロケットスタート時間術

人は誰しも無意識のうちに不安を抱えながら仕事をしています。締め切りに間に合うかどうかを恐れているからです。ですから、取り掛かる時期が早ければ早いほど不安は小さくなります。取り掛かりを前倒しし、華麗なロケットスタートを切れば仕事のほとんどが期限の2割程度の時間で終わります。(p.159)

仕事が苦しくなるのは「終わらないかもしれない」という不安に苛まれるからである。逆に言えば「確実に終わるだろう」という確信をもって仕事に臨むことができるのであれば不安から離れ、仕事に集中でき、結果的にアウトプットを向上させることにつながる。

 

確実に仕事が終わると感じられるようにするためには、①残りの仕事に不透明な要素がないこと、②締め切りまでの期間が見積もられていること、③見積もった期間に対し十分な時間があることが重要になる。

①残りの仕事に不透明な要素がないことと②締め切りまでの期間が見積もられていることについて解消するためには、まずタスクに手を付けてみるしかない。取り組んだことのある仕事であればある程度予測することができるが、知的労働であれば全く同じ仕事であることはまずなく、多くの場合実際に着手すると思わぬトラブルが発生したり、想定上の工数が必要となることがしばしばある。

また仕事は大抵の場合受け取った時点でそんなに時間に余裕があることが多くない。したがって③見積もった期間に対し十分な時間があることの状況を作り出すためには、自分の使える期間の序盤にある程度前倒しで作業を進め、後半にゆとりをつくるしかない。

 

これらから導かれる時間法こそ中島氏の「最初の2日間で仕事の8割を終わらせる」ロケットスタート時間術である

最初の2日間でほとんどの仕事を終わらせることで不透明要素を事前につぶせ、ゴールまでの見通しが明るくなり、アウトプットのクオリティを上げるための時間を確保することができる。

この最初の2日間は「20倍界王拳」を意識し働き(とにかくイメージが大切とのこと)、マルチタスクを排除し自分のリソースを全力で注ぎこむ。

しかし実際にはこまごまな仕事がありそんなに一つに集中して仕事を進めるのが難しいということもある。集中するための時間を作り出すなら、朝しかない。朝はメールやほかの外部要因に邪魔されず仕事に取り組むことができる。やるなら朝しかないのだ。

 

また最初の2日間以外の日においてもロケットスタート時間術は有効である。それは一日のうち最初の2時間半のうちにその日の仕事のうちの8割を終わらせることである。そのように仕事を進めればやるべき仕事は午前には片付き、残りの時間を流して進めることができる。

 

ロケットスタート時間術の対極にあるのが「ラストスパート志向」であり、多くの人がこの意識に取りつかれている。締め切り直前に頑張ればいいやという意識では、ロケットスタート時間術で得られる効果がすべて逆に働くことになり、あなたの仕事は終わらなくなる。

かく言う私の完全なる「ラストスパート志向」にどっぷりとつかり、すべてがドミノ倒しのように崩壊してしまっていた。

 

「ラストスパート志向」から脱却しロケットスタート時間術で動くためには、生活リズムを朝型に変え、翌日のタスクを15分単位に分解し立て、また明日の仕事の8割をはじめの2時間半に変えること。それだけである。

実際のところ、私の仕事の仕方が完全に改良されたわけではない。今でも朝起きるのは辛ければ、締め切り直前まで仕事に追われることも少なくない。ただこのような有効な処方箋があるということそれ自体が、これまでの疲弊しきった精神を助けてくれていることは疑いがない。

 

 

【本の紹介】東松寛文『リーマントラベラー 週末だけで世界一周』

オススメ度:★★★★☆

日本にいるときはトランジット(p.111)

 

東松寛文『リーマントラベラー 週末だけで世界一周』

 本書のエッセンス
・サラリーマンを続けながら世界旅行を楽しんでいる
・3連休あればイランに行ける

 

感想

去年パスポートを数年ぶりに更新してから、1年でアジアを3ヶ国ほど訪れた。

それぞれ近い国ではあったが、準備や帰国後の回復期間を考慮して旅行日程に加えて2日ほどの休みを取り、ゆとりをもったスケジュールで動いていた。

 

はじめはそれほど海外旅行に熱烈な興味があったわけではなかったが、新しい景色を見るたびにもっと違う国を見てみたいという思いが強くなり、遠い国にも気軽に行けたらなと思うようになった。一方でサラリーマンである以上休むにも限界があり、なかなか行けない国が多いなと半ば諦めてる節もあった。

 

そんな諦めを打ち破り週末あるいは3連休だけで地球中を飛び回っているのかこの本の筆者である。

筆者は一時期毎週末を海外旅行に費やすことで世界一周を成し遂げた驚異的なサラリーマンである。

 

筆者が週末や3連休を利用して訪れた国には私が行きたくても期間が取れなくて諦めていたイランやサウジアラビアといった国も含まれており、まさに青天の霹靂であった。

【何気ない幸せの断面】岡本真帆『水上バス浅草行き』

オススメ度:★★★★☆

水切りの石跳ねていく来世ではあなたのために桃を剥きたい(p.49)

 

岡本真帆『水上バス浅草行き』

 

 本書のエッセンス
・何気ない幸せの断面を切り取った短編集
・短い文章から情景が浮かび上がってくる
・おだやかなテンポで読める

 

感想

西日暮里の駅前に一風変わった書店がある。

大きなガラス扉から見える店内には仕切りの多い大きな本棚や本が平積みされたテーブルが並んでおり、さまざまなジャンルの本が一見無造作に並んでいる。

少し気になったが一度素通りしたあと、やはり気になって閉店間際に駆け込んだ。

 

店内に入り本棚をよく見ると、区切り一つ一つに書店名がつけられている。

説明によればそこは多数の人によって共同運営されている書店らしい。レジ版は持ち回りとのこと。

本棚の区切り一つ一つにはそれぞれの書店が売りたい本が並べられており、並んだ本から書店の思想が感じられるのが面白い。売れそうな本を置きつつもマニアックな本も並んでいるところを見ると、本当はこの本を一番売りたいのだろうなという気持ちが見えてくる。

hagiso.com

 

一通り本棚を見た後、入口すぐに平積みされていた一冊の本が目に入った。

その本こそが今回取り上げる『水上バス浅草行き』で、タイトルが目に入ったのか、装丁が好みだったのか、光の当たり具合だったのか理由はわからないが、とにかくその時は光って見えた。

タイトルからは本の中身は予想できないが、帯に短歌が書かれていたことから歌集であることがわかる。なかを開くと見開き1ページに4つの短歌が並んでいる。

これまで歌集というものは買ったことはなかったが、試し読むする前であったがどうしても気になったので購入してみることにした。(すぐ横に水野しずの書籍もありやや後ろ髪をひかれたがそのまま購入した。)

 

* * *

 

短歌をきちんと読んだことはなかったが、読んでみてすこぶる驚いた。

1行という短い文章から短編映画ほどの情景がありありと浮かび上がり、さらに幸せな気持ちにさせられる。文章なんて書いてあることを理解してもらうのも難しいのに、書いていないことを想像させる力に感動した。

短歌を解説してしまうと一気に味気なくなってしまうのは承知の上だが、読んだ時の自分がどんなことを思ったのかを記録する意味で何点か気に入った短歌とその時自分の中に生じた感情を記載する。

 

山手の全体像が見たいのに次の駅名ばかり出てくる(p.17)

おそらくプライベートで山手線に乗っている様子なのだろう。ビジネスでの移動なら行先にしか興味がわかず、事前に調べた通りの電車を乗り継ぐだけなので社内のモニターをまじまじと見ることはない。

JR以外の沿線に住んでいる首都圏民が都内に用事がありあまり乗らない山手線に乗り、なんとなくあといくつだっただろうかと気になり立ちながらぼんやりとモニターを眺めている様子が目に浮かぶ。平日の喧騒の日々から見るとなんと幸せだろうか。

 

冷蔵庫唸ってくれてありがとう明りの前で引き裂くチーズ(p.22)

地方から出てきて一人暮らしを始めたばかりの若者が、夜中の静けさにホームシックを感じている。無音の中耳が敏感になってくると、唯一冷蔵庫だけが音を発していることに気が付く。

おなかが空いているわけではないがなんとなく冷蔵庫に引き寄せられ扉を開き、目に入ったチーズを食べ、さみしさを紛らわしている。

 

等分に切るはずだった豚玉のやや大きめを詫びながら出す(p.38)

同棲しているカップルがお好み焼きをつくり、女性が切り分けてくれるが案外うまくいかず謝りながら差し出している様子が目に浮かぶ。結婚していれば詫びないだろうし(詫びても印象に残ろない)、付き合い立てて豚玉は食べないだろうから。

 

ほんとうの愛のことばをでたらめな花の言葉として贈るから(p.125)

最上の照れ隠し。本音から出るくさい愛のことばを花言葉としてあたかも自分のことばでないかのように表現している。

 

すてきな本屋だから出会えたすてきな本であった。

 

 

【第170回芥川賞受賞作】九段理江『東京都同情塔』

オススメ度:★★★★☆

民主主義に未来を予測する力はない。未来を見ることはできない。私には未来が見える。(p.10)

 

九段理江『東京都同情塔』

 

あらすじ

舞台は現代の日本から少しだけ別れたパラレルワールドで近未来。

ザハ・ハディドの新国立競技場が建設され、延期されることなく2020年に東京五輪が開催された世界線。

幸福学者マサキ・セトによって提唱されたホモ・ミゼラビリスのための居住施設として、新国立競技場と対になる形で、通称"シンパシータワートーキョー"が建てられようとしている。

ホモ・ミゼラビリスとはいわゆる受刑者のことで、マサキ・セトは彼らを同情すべき人々と定義し、彼らの権利と幸福のためにこの塔の計画を進めていた。

主人公の37歳の牧名沙羅はこの塔のデザインコンペに呼ばれている建築士で、この"シンパシータワートーキョー"という名前にひどく嫌悪感を抱いている。

この奇妙(?)な状況を牧名沙羅、彼女のお友達の美青年、アメリカ人のジャーナリスト、マサキ・セト、そして世間それぞれの目線を通して見ることで、違和感の正体に迫っていく。

 

感想

第170回芥川龍之介賞受賞作品。

 

1ページから虜にされる。好奇心を刺激され読み進めていくと、独特の文章のテンポにさらわれ一気に読まされていく。

 

普段文章を読むとき、ある程度共通したリズムで文章を読み、息継ぎをし、時に手を止めながら読み進めていく。

しかし本書のリズムは通常のリズムとまったく異なっており、息継ぎするタイミングをなかなか掴めないまま文章に深く潜ることを強いられる。強いられるといっても調子外れの駄文のような不快感は一切なく、異国の料理を初めて食べたときのような、新鮮な感動と好奇心が呼び起こされていく。

 

また牧名沙羅、友人の拓人、生成AI、ジャーナリスト、マサキ・セトでそれぞれ文体が異なりそれぞれの違いを楽しめると同時に、これを一人の人間が書き分けてると思うとその高い文学的知性に驚かされる。

自分自身の文体がどのようであるか同定するのさえ難しいのに、複数人を明確に書き分けるのがどれほど難しいかと想像もできない。

 

とにかくストーリーもさることながら、文章そのものを楽しむのにぴったりの作品だと思う。単なる言葉遊びではなく、文章の持つ可能性を大きく捉えている。

そうか、文章の面白みはこのようなものであったのかと再認識させられた

 

 

【明代の処世術】洪自誠『菜根譚』

オススメ度:★★★★☆

苦心中、常得悦心之趣、得意時、便生失意之悲(p.95)

 

洪自誠『菜根譚』

 本書のエッセンス
・儒教・道教・仏教から生まれた処世術
・前集222段・後集134段から成る
・対句の特徴を持つ

 

概要

明末の思想家・洪自誠によって書かれた処世術の本。

特定の宗派に偏らず、儒教・道教・仏教それぞれのエッセンスが組み合わさった内容となっている。

 

前集222段・後集134段の短い文章から成っており、対句で書かれている特徴を持っている。

 

タイトルの『菜根譚』は『小学』のなかの一節である「嘗って人は常に菜根を咬み得ば、則ち百事做すべし」からきているとされる。また譚は談と同じ字である。

中国ではあまりヒットしなかったが、19世紀に日本で紹介されるとたちまちベストセラーとなり、多くの愛読家を獲得した。

 

感想

Eテレにて放送されている「100分de名著」で知り興味を持った本。個人的に儒教的な精神論は好みなので気になり購入した。

いろいろな出版社から様々な訳書が出ており、書籍によって全文が載っていたり、訳文が異なっていたり、書き下し文が載っていたりとバリエーションに富んでている。

私は初め「100分de名著」で講師をされていた湯浅邦弘教授による中公新書の『菜根譚: 中国の処世訓』を読んだ後、こちらの本では全談の記載がなかったためPHP研究所(守屋洋)版と講談社学術文庫版を購入し、最終的には書き下し文が載っている講談社学術文庫版で読み通した。

 

どのような順で話が並べられているかは不明であるが、体感としては前半に儒教的な克己心を重んじるような内容が多く、後半に道教的な知足を重視した内容が多かったように思える。

私はどちらかといえば儒教的な考えが好きなので、前半のほうが刺さる内容が多かった。

 

いくつかある気にいったものの中から特に好きな文章を記載しておく。

苦心中、常得悦心之趣、得意時、便生失意之悲

 

[訳語]一生けんめいに苦労しているあいだには、いつも心を喜ばせるようなあじわいがあり、反対に、成功してすべてがうまくいっている時には、その中にすでに失意の悲しみが生じている。(講談社学術文庫 p.95)

 

辛く苦しい時にはすべてが絶望して見えてしまうが、実際にはその反対であり、苦労の中に若しくは苦労そのものに喜びがあるという部分に感銘を受けた。

加えて漢文で書かれるとどことなくありがたいものに思えるのも効果を増大しているような気がする。

 

読むときのバックグラウンドや心理状態によってひっかかる文が異なる本であるため、また時間を開けて再読したい。