【本の紹介】川上和人『鳥類学者 無謀にも恐竜を語る』【感想】

オススメ度:★★★★☆

ガラパゴスとは、スペイン語で「ゾウガメの」という意味だ。ガラパゴスゾウガメとは、シュールな名前だ。(p.374)

川上和人『鳥類学者 無謀にも恐竜を語る』

 

鳥類学者である川上和人氏が、鳥類学の知見をもとに恐竜のなぞに迫る科学エッセイ。

 

今作もエンジン全開

久々に恐竜展でも見に行くかという話になり、モチベーションを上げる意味で前から気になっていたこの本を読むことにした。

ちなみに恐竜展はこの本をチンタラ読み過ぎたため開催期間が終わってしまい、結局上野の国立科学博物館で海の展示を見てきた。これはこれで面白かった。

 

著者の川上和人氏は『鳥類学者だからって鳥が好きだと思うなよ』で一躍有名になった鳥類学者で、その専門家としての知識もさることながら、軽快でユーモアあふれる文体で人気を博している。

『鳥類学者だからって鳥が好きだと思うなよ』の感想は以下より。

www.artbook2020.com

 

さてこの本の筆者のスタンスだが、「はじめに」の中では大変謙虚な姿勢が示されている。

自分に恐竜の知見があるわけではないが、恐竜が鳥類の祖先であることが明らかになったことから、鳥類学者である自分が恐竜学の軒先に入ることは許されるのではないかというものだ。

私はあくまでも現生鳥類を真摯に研究する一鳥類学者である。…むろん、恐竜学に精通していないと胸を張って公言できる…あくまでも、鳥の研究者が現生鳥類の形態や生態を介して恐竜の生活をプロファイリングした御伽話だと、覚悟して読んで欲しい。いうまでもないが、この本は恐竜学に対する挑戦状ではない。身の程知らずのラブレターである。(p.7)

一応このように下からの姿勢でそろりそろりと恐竜学に歩み寄っているが、章を追うごとに段々とヒートアップし、手に汗握りながら原稿が書かれたことが想像できる。

 

印象に残った箇所

ここからは読んでいて印象に残った箇所を紹介する。

 

鳥たらしめるもの

鳥が持つ特徴はたくさんある。くちばしや翼、空を飛ぶことなんかがそれにあたる。

しかしこれらの特徴を持つから鳥だと言えるわけではないし、また逆にこれらの特徴を持つ鳥以外の動物もいる。例えば、哺乳類のカモノハシはくちばし持ち、また同じ哺乳類の蝙蝠は翼をもつ。

では鳥を鳥たらしめる最大の特徴は何であろうか。

鳥を鳥たらしめているのは、何を隠そう羽毛である。…(中略)…羽毛を持たない鳥は存在しない。(p.111)

意外にも、その答えは羽毛にあった。

あの温かい布団もすべて鳥類のおかげだと思うと、鳥に感謝してもしきれない。

 

生存者バイアス

野生生物にとって次世代を残すことは至上の命題であり、そのために生きているといっても過言ではない。というか、次世代を残すことができた種のみが現代に残っているわけで、いかに効率よく資産を残すかということは、種の存続を左右する重大事なのだ。(p.305)

動物はみな自分の種を保存していくことを目的としている。私はずっとなぜ子孫を残すことを目的に持っているのか意味の方から追いかけ考えていたが、その答えは単純明快だった。

ただ子孫を残すものだけが残っているというだけであった。

考えてみれば当たり前のことで、むしろ気付かなかった方がおかしいくらいなのだが、気付けなかった私からすると読んだとき電気が流れるような衝撃があった。

 

恐竜というロマン

恐竜はいつも男子の憧れであり、ロマンである。

なぜ私たちは、こんなにも恐竜に熱狂してきたのだろうか。…化石発掘を推し進める原動力は、ひたすら人間の好奇心である。(p.43)

私も小さいころ恐竜の図鑑を読み、巨大なティラノレックスが現実にいたらどんなにうれしいことかと考えた。

 

なぜ恐竜は世界中の人々を興奮させ、引き寄せ続けるのだろうか。

恐竜は、魔性の女である。私たちの心をグッとわしづかみにするのは、じらしてやまない究極のチラリズムだ。…(中略)…化石にすべてが記録されていないことが、恐竜が備える最大の武器と改めて気づかされた。(p.345)

そうなのだ、例えどんなに発掘が進もうとも、例えどんなに科学が進もうとも、絶滅してしまった恐竜の全容をとらえきることはできない。

常に謎を残しながらも、日々新たな発見があるこの「チラリズム」こそがロマンであり、人々を引き寄せ続ける。

 

私に子どもができ、その子どもが恐竜の図鑑を読むようになった時、その図鑑に絵が返れている恐竜のイメージは私が知るそれとは全くことなるものになっているだろう。

それでもきっと、私の子どももまた同じように恐竜に憧れを抱くに違いない。

 

 

【思考力を鍛える】赤羽雄二『ゼロ秒思考』【本の紹介】

オススメ度:★★★★★

そうした思考の「質」と「スピード」、双方の到達点が「ゼロ秒思考」だ。

ゼロ秒とは、すなわち、瞬時に状況を認識をし、瞬時に課題を整理し、瞬時に解決策を考え、瞬時にどう動くべきか意思決定できることだ。(p.50)

 

赤羽雄二『ゼロ秒思考』

 

 本書のエッセンス
・思考を書き出すことで、思考が深化・高速化する。
・思考過程を書き出す=数学の途中式と同じ。書いた方がいい。

思考過程を外部化する

仕事をしていると、先輩や同僚に恐ろしく頭がいい人がいることに気付かされる。

急に変わった状況も瞬時に把握し、全体を考慮したうえで的確な判断を下す。

アカデミックな知力とも違う、ビジネスを進めるための頭の良さだ。

 

一方自分はと言われれば、時間をかけてじっくり考えることはできるが、瞬発的な思考という面ではあまり自身がない。前提条件が崩れるとうろたえ、「一度持ち帰ります」で時間を稼ぎ凌いでいる。

お世辞にも、あまりクレバーとは言えない。

 

本書の「はじめに」にこのような文章がある。

一生懸命考えているつもりで、実際は立ち止まっている、という人が意外に多い。

前に進まない。あるいは、空回りする。気になることがあると、頭がうまく働かず、考えがなかなか深くならない。考えようとしても、目の前の別の課題が目に浮かぶ。集中して考えることができない。行ったり来たりで結論も出せず、時間をかけても深掘りできず、堂々巡りすることになる。(はじめにより)

これを読み、まさに自分のことだと思った。

考えようとはしているが、実際には脳みそが空転するばかりで、解決への道を進められていない。時間だけがいたずらに過ぎ、画面のOneNoteは白紙のままである。

答えを出さなくてはと焦りから、さらに時間を費やす。多少の結論らしきものは出るが、明らかに時間に対するアウトプットとしてはお粗末だ。

 

この本は私のような人間に、後天的な思考力の向上のヒントを与えてくれる。それもそのトレーニングには高価な機材も法外な価格のNoteも常人離れした忍耐力も必要としていない。

 

やることは、脳内で考えている思考を思うままに紙に書き出すだけである。

ただ1日10分の時間とペンとA4のコピー用紙があればいい。

たとえこの本に書かれた内容を半年実践して効果が出なかったとしても、別に大したものを失うことはない。

 

実際の思考のトレーニング方法は以下に譲るが、簡単に言えば『ゼロ秒思考』のトレーニングとは、思考の途中式を書き出すことだと私は理解した。

数学の計算をするのに暗算をするのか途中式を書き出すのかではどれほど難易度が異なるかを私たちは知っている。途中式を繰り返し使って解いた計算は、やがて暗算でも問題なく解けるようになる。

それなのに、思考になると途端に"暗算"に済ませようとし、途中式の使用を誰に言われたわけでもないのに放棄する。実際には思考に途中式を使えばよいとこれまで誰も教えてくれなかった。

 

いやいや私は考えるときにメモをしているという人もいるかもしれない。

しかしメモと途中式は厳密には異なる。メモは多少考えた内容を忘れないように外部化するものだが、途中式は思考過程そのものを外部化する。メモが脳の保存能力を補うのに対し、途中式を書き出すことは考える領域自体を補う。

本書の中でも紙に書き出すことをメモと呼んでいるが、以上の理由から途中式と表現する方が正確だと思った。

 

思考のトレーニング法

「ゼロ秒思考」のトレーニングから得られるものは主に以下の通りである。

①モヤモヤしたストレスからの解放
②ハッキリと言語化する力
③思考の深化・高速化・空転の回避
 

まず自分のなかにあるモヤモヤした感情を紙に書き出すことで、人に悩みを相談した時以上に状況を客観化でき、とらえどころのなかった不安感・焦燥感から解放される。

さらにモヤモヤを文字情報に変換していくうちに的確な言葉選びができるようになり、言語化する力を鍛えられる。

言語化に自信がないという人は、先に小暮氏の『すごい言語化』を読むと、どのような状態になれば言語化できる状態といえるかを理解できる。

www.artbook2020.com

 

そして最大の効用が、思考の深化・高速化・空転の回避である。

思考過程を書き出すことで計算問題でいうところの途中式を書くのと同じ効果が得られる。途中式を書けば同じ計算を無意識に繰り返すことがなくなり、確実に先に進める。先に進めるので"暗算"で思考しているときよりも深い部分までたどり着ける。

また思考力が付くことで脳内で処理できる量が増え、高速化につながる。

 

書き方

書き方は極めてシンプルである。

A4の白紙に日にちと考えたい内容のタイトルを書き、あとは思うままに思考を書き出す。

メモは、タイトル、4〜6行の本文(各行20〜30字)、日付のすべてを1分以内に書く。頭に思い浮かぶまま、余計な事を考えずに書く。感じたままに書く。難しいことは何も考えない。構成も考えない。言葉も選ばず、ふと浮かんだままだ。(p.89)

内容を整理したり漏れがないかを考える必要はない。今頭に浮かんでくることをひたすらに書き出せばいい。

 

いつ書くか

まとめて書くのではなく、思いついたときなさっと書く。(p.107)

もう一つ大事なのは、メモは思いついたその場ですぐに書くことだ。寝る前にまとめて10ページではなく、原則、思いついたその瞬間だ。(p.114)

思いついたときに思考があふれるままに書き出す必要がある。そのためいつでもメモをとれるように、常に紙とペンを持っておく必要がある。

 

メモを深掘りする

書き出したメモからさらに発展して新たなメモをつくることで、より深いところまで思考を進めることができる。

メモを1ページ書き、本文の4〜6行をタイトルとして芋づる式にメモを書いていくと、考えが深まっていく。(p.166)

 

以上のシンプルなトレーニングにより思考は鍛えられ、境地である「ゼロ秒思考」を習得に近付いていく。

そうした思考の「質」と「スピード」、双方の到達点が「ゼロ秒思考」だ。

ゼロ秒とは、すなわち、瞬時に状況を認識をし、瞬時に課題を整理し、瞬時に解決策を考え、瞬時にどう動くべきか意思決定できることだ。(p.50)

 

冒頭に述べたように、今の私は「ゼロ秒思考」からは程遠いところにいる。

これからこのトレーニングを積んでいき、どのように思考力が変化するか楽観的に注視していきたい。

 

 

【本の紹介】フランシス・ウィーン『名著誕生マルクスの『資本論』』【要約】

オススメ度:★★★★★

すべては疑いうる(de omnibus dubitandum)    (p.138)

フランシス・ウィーン『名著誕生マルクスの『資本論』』

 

要約

第1章 萌芽

1818年5月5日、プロイセンにあるカトリック街のユダヤ人の一家にマルクスが生まれる。

 

マルクスは哲学や文学のジャンルから出発した。

幼少期から古典をよく読み、それを引用する癖がついていた。

大学卒業後は、ジャーナリストとして社会批判的な記事を書いた。

 

26歳のころ、3歳年下のエンゲルスと親しくなる。

エンゲルスは綿紡績業者の後継でありながら、労働者の観察をする一面も持っていた。

エンゲルスはマルクスの金銭面だけでなく、健康や仕事の進捗にも気を配った。

 

1848年『共産党宣言』を出版。偶然にも出版した週にパリで革命が勃発、これが欧州中に飛び火した。

当時マルクスは欧州中から出禁に遭いベルギーにいたが、革命に驚いたベルギー政府はマルクスの追放を決定。マルクスはベルギー→パリ→ケルン→パリ→イギリスと各地を点々とし、その後は死ぬまでイギリスに留まった。

イギリスでもエンゲルスからの支援を受けてはいたものの、その生活は貧困そのものだった。

 

マルクスは大英博物館の閲覧室に籠り、ときに全くの嘘の進捗報告(実際は大遅延)をエンゲルスや出版社に送りながら、経済学に関する執筆を続けた。

 

そして1867年、大著『資本論』の第一巻の原稿を完成させた。

 

第2章 誕生

資本論は当初六巻構成の予定であったが、未完に終わった。この不完全性から『資本論』が聖典になり得ないことを示している。

 

経済理論家のマイケル・レボウィッツは以下のように指摘している。

マルクスが新しい大陸を素晴らしい方法で発見したのはたしかだが、だからといって、マルクスが描いた大陸の地図が正しいとは限らない(p.56)

 

ここから本書は、使用価値と交換価値、フェティシズムと、商品に関する基本的な事項を押さえながら、一歩引いた視点でマルクスの理論の解説に入る。

[労働価値説について] マルクスの選んだ例は奇妙なもので、マルクスの理論の限界をあらわにする。(p.63)

[窮乏化法則] こうしてあらゆる反対論を退けた後、マルクスは『資本論』のうちでもっとも悪名高い主張に進む。(p.79)

 

窮乏化法則はまさに『資本論』のアキレス腱であり、現代の"経済学のスタンダード"となった教科書の著者であるポール・サミュエルソンがこの点を挙げ「マルクスの傑作は全く無視して良い」と主張したことで、これが定説となってしまった。

サミュエルソンは「マルクスによれば、窮乏化法則により、労働者は絶対的に窮乏化し資本主義は自壊する。しかし資本主義は続いている。つまり『資本論』は全くの誤りで、読むに値しない。」と言うのだ。

 

しかしサミュエルソン的な[窮乏化法則]の理解は誤読によるものである。実際には窮乏化は絶対的にではなく、相対的に進んでいく

 

生産能力の向上は労働者に余暇を与えるのではなく、逆に相対的剰余価値の搾取を増やす。

しかし次第に生産能力の向上は、それを受け止める市場の限界によって、上限を迎える。この限界は不況となって現れる。

資本主義である限り、好況と不況のサイクルからは逃れられない。

 

逆に言えば、資本主義は好況と不況のサイクルによって、半永続的に維持されるシステムだと言える。

『資本論』の一部の文言や『共産党宣言』の内容から、マルクスが資本主義終焉の予言者のように語られるが、実際にはその時間も方法も具体的には語ってはいない。

 

『資本論』の主要部と誤解の解説ののち、文学作品としての『資本論』を再発見してこの章を閉じられる。

ウィルソンは、マルクスの『資本論』は古典経済学のパロディだと考える。(p.105)

哲学や文学に明るいマルクスによって書かれた『資本論』は、数多の古典からの引用とインスピレーションに溢れており、マルクスが引用した文学書をテーマにした本まで存在するほどである。

 

第3章 死後の生

『資本論』は出版直後には、その難解さゆえすぐに広く読まれたわけではない。

 

『資本論』が最も実際の世界史の動きに影響を与えたのは、生まれ育ったドイツでも、移住したイギリスでもなく、ロシアであった。

そして運動はロシア革命、マルクス・レーニン主義の誕生への続いていく。

 

一方の非共産圏のマルクス主義者の間でも、再解釈が進められる。

アントニオ・グラシムは資本主義のヘゲモニーのありかをブルジョワによる文化の押し付けに見出し、上部構造を重視する流れが生まれる。

この流れは「カルチャル・スタディーズ」へと受け継がれ、研究対象は経済から(サブ)カルチャーへと移り変わっていく。

 

理論家たちは、テレビのコマーシャルやお菓子の包み紙脱構築することは熱心だが、『資本論』のテクストそのものの分析に向かうことは避けているようだ。おそらく学問上の〈父親殺し〉をするよくになるのが怖いからだろう。(p.146)

 

そして本書は、今日の有力なエコノミストや投資家たちがマルクスの影響を知ってか知らでか受けており、『資本論』が資本主義が終わるその日まで有効であることを示唆して終わる。

 

感想

この本は佐藤優『いま生きる「資本論」』の中で紹介があった本で、『資本論』の入門書として佐藤氏が絶賛している。

 

『資本論』の解説だけでなく、マルクスの半生と『資本論』出版後の世界各国の反応までもが満遍なく紹介されており、『資本論』を読み進めるうえで大変助けになる内容となっている。

私もこのブログのなかで『資本論』の解説を書いているが、正直自分が書いている解説はこの本があればいらないのではないかと感じるほど、本書は内容が充実しておりかつ大変読み物としても面白いものになっていた。

 

『資本論』の解説書の多くはマルクス主義の経済学者によって書かれることが多く、その内容はマルクスへの傾倒を感じさせられるものが少なくない。

一方この本は『資本論』の内容を神聖化せず一歩引いた目線でとらえており、反資本主義的なイデオロギーに飲み込まれることなく資本主義の内在的論理に触れることができる。

 

共産主義的イデオロギーを捨象し、資本主義を読み解くために『資本論』を用いる姿勢は宇野弘蔵と共通しており、宇野経済学を信奉する佐藤氏がこの本をオススメするもうなずける。

 

***

 

この本の中で印象に残ったのが、以下の文章である。

労働者を人間の断片のようなものに変えてしまい、機械の付属品に貶める。そして労働者にとっては労働そのものが拷問になり、労働の内容が破壊されるのである。科学が独立した力として労働のプロセスに組み込まれると、労働者は労働のプロセスにそもそも含まれていた知的な可能性から疎外されることになる。(p.81)

労働者はより効率的に仕事を進めるために、タスクを標準化したり、作業をショートカットできるようなシステムを導入したりする。

しかしこれは労働者が労働に対して知性を発揮できる領域を自ら奪っていることになる。システム化され知性の余地のなくなった仕事に従事する労働者は、まさに「機械の付属品」となる。

 

私の現在の仕事はある種で仕事の効率化を進めるものである。

効率化はより多くの価値を生み出し、社会の発展に寄与すると信じてやってきた。しかしそれは労働者にとっても意味のあるものだったのだろうかと、この文章より自問させられた。

 

 

【芥川賞受賞作】市川沙央『ハンチバック』

オススメ度:★★★★☆

 

市川沙央『ハンチバック』

 

あらすじ

私の背骨は、右肺を押し潰すかたちで極度に湾曲している。

その不自由な身体ゆえ、社会から疎外され生きる私の社会との接点は、コタツ記事のライターの仕事と通信大学、そして親が遺してくれたグループホームの食堂。

 

安定した日々を送る私であったが、ある日ヘルパーの田中から弱者を見下す発言(攻撃)を受ける。このような発言をする田中もまた、インセル=弱者男性であった。

さらに田中に性的な内容を呟いているTwitterのアカウントがバレていることが発覚し、弱者同士の関係は拗れていく。

 

 

感想

ヴィクトル・ユゴー原作で、ディズニーのアニメーション映画に『ノートルダムの鐘』という映画がある。

 

モンスターと形容され、ノートルダム大聖堂の鐘撞堂に幽閉され育てられている"せむし"の男が、愛を知り外の世界に踏み出す話だ。

 

この『ノートルダムの鐘』の原題は『The Hunchback of Notre Dame』というが、この"Hunchback"すなわちせむしが差別用語にあたるとして、邦題はこのように付けられている。

このような背景から、今回『ハンチバック』という名称で書籍が発売されたことには、いささか驚いた。

 

この小説を読んでいて感じたのは、筆者の社会に対する苛立ちと諦念である。

障害者への配慮の無さや、社会の鬱憤が弱者に向けられている現実に辟易している。

 

障害を持つ子のために親が頑張って財産を残し、子が係累なく死んで全て国庫行きになるパターンはよく聞く。生産性のない障害者に社会保障を食われることが気に入らない人々もそれを知れば多少なりとも溜飲を下げてくれるのでないだろうか?(p.16)

 

小説の流れだけを考えれば、この文章は必ずしも必要ではない。

これは小説の文章というより、本音を吐露しているようにもみえる。

 

何十回、何百回と叩きつけられた言葉に怒る気力も失い、興奮した野犬が落ち着くのを待つように、諦めと共に耐え忍んでいる。

 

***

 

もう一つ本書で特徴的であったのが、普段聞き馴染みのない言葉たちである。

マチズモ、インセル、ミオパチー、侏儒。平均よりは読書しているつもりの私であるが、この本の中ではいくつもの知らない言葉に出会った。

 

厚みが3、4センチはある本を両手で押さえて没頭する読書は、他のどんな行為よりも背骨に負荷をかける。(中略)5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。その特権性に気づかない「本好き」たちの無知な傲慢さを憎んでいた。(p.26)

 

ちなまにマチズモはマッチョと同じ語源を持ち、「男性優位主義」の意。インセルはinvoluntary celibateの略で、俗的な言葉にすると非モテや弱者男性が近い。

ミオパチーは筋肉疾患の総称、侏儒は小人のこと(中国の後漢書等に出てくる小人の国こと侏儒国は、日本の種子島だと言われている)。

 

同言語の話者であっても、実際に用いるボキャブラリーの集合は異なる。

構造主義的な見方をすれば、自分が用いる或いは用いる可能性のあるボキャブラリーは、その人の思考に影響を与える。

異なるボキャブラリーを用いるということは、思考体系が異なるということで、ボキャブラリーが異なるもの同士では、常日頃見えているものが異なる。

 

私たちは、異なる思考体系の他者がいることを認知し、理解しようと努められているだろうか。

 

本書に綴られた筆者の社会に対する苛立ちと諦念から、そのようなことを考えさせられた。

 

 

【映画の紹介】2023年公開『ホーンテッドマンション』【感想】

オススメ度:★★★★★

 

映画『ホーンテッドマンション』

 

あらすじ

ニューオーリンズの古い洋館に引っ越してきたギャビーとその息子のトラヴィス。

しかしそこは999人のゴーストが住むホーンテッドマンションであった。

 

幽霊を追い払うために集められたのは、やる気のないツアーガイド、俗物的な神父、不安げな霊媒師そして権威のない幽霊研究者。

胡散臭い4人は館の謎を解き脱出するため、相性最悪ながら力を合わせて奮闘する。

 

感想

アトラクション:ホーンテッドマンションの一番の魅力は何であろうか。

それはホラーとユーモアの共存である。

 

ドキュメンタリー『ディズニーパークの裏側 ー進化し続けるアトラクションー』によれば、「ホーンテッドマンション」にはマーク・ディヴィスとクロード・コーツという2人の責任者がいた。

マーク・デイヴィスは「カリブの海賊」や多くのアニメーションにも参加したイマジニアで、"ギャグマン"として知られていた。一方のクロードは優れた建築家でありデザイナーで性格は常識人とマークとは正反対であった。

 

マークはこのアトラクションを楽しいものにしようとし、クロードは恐怖を味わえる場所にしたいと考えていた。こうして「ホーンテッドマンション」の方向性はホラーかユーモアかで大きく揺れることになる。

 

そんな中悪いことに本アトラクション制作中にウォルトが亡くなってしまう。舵取り約を失った「ホーンテッドマンション」の制作チームは2つに割れ、結論の模索を余儀なくされる。

 

紆余曲折を経て、完成したアトラクション「ホーンテッドマンション」は愉快さと恐怖を兼ね備えたものとなり、この調和が本アトラクションを唯一無二のものにした。

すなわち「ホーンテッドマンション」の本質とは、ホラーとユーモアの共存にあるのだ。

 

***

 

さて映画『ホーンテッドマンション』の感想だが、なんといってもこのホラーとユーモアの共存が見事に表現されていた点に感服した。

ホラー的な緊張と衝撃がありながら、随所随所に誰もが笑えるユーモアがちりばめられており全体としてのバランスがすばらしくとれていた。

 

もちろんホラー・ユーモア以前にストーリー構成も申し分ない。

1,000人目のゴーストを招こうとしているという大きなストーリーを軸に、個性豊かなキャラクターたちの小さなストーリーが見事に絡み合い、大変後味のよい作品となっている。

伏線回収も丁寧で、話の拡げ方とまとめ方がとてもうまい作品であった。

 

この映画『ホーンテッドマンション』はアトラクション「ホーンテッドマンション(米国版)」を原案に作られていることは言うまでもないが、若干日本版と米国版で仕様が異なっているので、日本版の「ホーンテッドマンション」では元ネタが分からないシーンが存在する。

『ディズニーパークの裏側 ー進化し続けるアトラクションー』等でその一部を知ることはできるが、ぜひとも本場パークを訪れてその全容を確認したいと思った。

 

【本の紹介】小暮太一『すごい言語化』

オススメ度:★★★☆☆

言語化とは、「自分の頭の中にあるものを、言葉に置き換えて、『誰か』に理解してもらうこと」(p.31)

 

小暮太一『すごい言語化』

 

ビジネスのコミニュケーションは「言葉」を介して行われる。しかし、この「言葉」の使い方を学ぶ機会はなかなか無い。

この本では「言語化」とはどのような状態かを明確に定義するとともに、言葉にしているのになぜ伝わらないかのメカニズムを明らかにしている。

 

 本書のエッセンス
・あいまいな表現に逃げない
・感想は「何を教えたいか」を問えばいい
・目的思考・相手の立場に立つ

 

本質

最初にこの本の本質が何かについて記載しておく。筆者がこの本を書くにあたって主張したいことは、以下の2つだけである。

① 目的思考

② 相手の立場に立つ

 

ビジネスで重要な要素として、私はこれらに自責思考を加えた3つを考えている。この本ではそのうちの2つに対してスポットライトが当たっている。

 

言語化とは、「自分の頭の中にあるものを、言葉に置き換えて、『誰か』に理解してもらうこと」(p.31)

仕事をするときに大事なのは、まず「相手が望んでいることをすること」です。要は、自分がオンリーワンかどうかの前に、それを相手が望んでいるかをかんがえなければいけないわけですね。(p.144)

多少のテクニックはあれど、最終的にはここに帰着する。

 

なぜ言葉にしても理解してもらえないのか

この本の中でもっとも役立つ部分が、言葉にしても伝わらない原因を言語化している点である。

筆者によれば、言葉にしても言語化できていない要因は以下の三つである。

① 言葉を定義していない
② 示す範囲が広すぎる
③ 比喩を用いている

 

もう一段おりて、なぜ上記のようなことがコミュニケーションが生じてしまうか考えてみる。

それは自分自身も事象を正確に把握できておらず、無意識にのまま曖昧にしてごまかしてしまうからではないだろうか。

わかっていないから自分の中に定義がない、わかっていないから広い言葉を使ってしまう、わかっていないから比喩に逃げるのだ。

 

ビジネスにおいて、言語化から逃げてはいけない。

徹底的に目的を意識し、どうすれば相手に伝わるかを考えれば、おのずと上記のような事態には陥らなくなる。

 

良い感想のテクニック

ビジネスでの言語化は目的志向・相手の立場に立つの2点で解消されるが、意外に難しいのが「感想」をとっさに伝える場面である。

友人と映画を見に行った時、手料理の感想を求められたとき、服を試着した時など、日常生活には感想を求められる場面が多々あるが、これが悩みの種になることがしばしばある。

 

この悩みに対して、筆者はとても有用なチップを与えてくれる。

教えたいことは?と自問すれば、自分の気持ちが揺れた部分を思い出せます。(p.242)

自分の中から感想を無理に引っ張り出そうとするのではなく、問いの置き方を変えることで感想を出しやすくするのだ。

また切り口を変えたいときには、教えたい想定相手を変化させればよい。例えば教授相手に教えたい内容と近所の小学生に教えたい内容は異なる。

また相手を想定することで伝え方もよりわかりやすく工夫でき一石二鳥である。

 

 

 

【本業でプロになるキャリア戦略論】森岡毅『苦しかったときの話をしようか』【本の紹介】

オススメ度:★★★★★

会社と結婚するな、職能と結婚せよ!(p.36)

 

森岡 毅『苦しかった時の話をしよう』

 

 

USJを再建したことで知られる敏腕マーケターの森岡毅氏が、大学生の娘のために書いたキャリア戦略の本。

世の中の仕組みやキャリアを考えるうえで目を背けてはいけないことなどが、大胆かつ分かりやすく解説されている。

典型的なサラリーマンになりかけていた自分には、「会社ではなく職能と結婚せよ」というメッセージが強く刺さった

 

 本書のエッセンス
・会社ではなく職能(スキル)をキャリアの軸にする
・自分をマーケティングする

 

会社より職能(スキル)

会社と結婚するな、職能と結婚せよ!(p.36)

サラリーマンとしてキャリアを歩んでいると、自然とその会社でどう出世しようか、上司に気に入られるにはどうしたらいいだろうかという視点になってくる。この会社に心地よく居続けるにはどうふるまえばよいかという視点が固定化される。

 

しかし痺れるビジネスマンとして成長するためには、会社と結婚するべきではない

この理由として、森岡氏は以下の2つの理由を挙げている。

①会社は自分と結婚してくれない
②職能こそが、相対的に最も維持可能な個人財産であること
 
会社のなかで居場所ができ、自分のできる仕事を繰り返していく生活は心地がよい。だが心地がよい領域でぬくぬくと生きている限り、成長は抑制され、社外での相対的な評価は次第に低減していく。
 
キャリアを考える上では会社を軸とせず、自分の「職能」というものを考えなくてはいけない
 
変化を恐れず職能を磨き、「転職」さえもキャリア戦略の武器とすることで強いビジネスマンになり、会社とも対等に渡り合えるようになる。職能を極めるプロフェッショナルだけが、会社社会のなかで自由を享受できる。
 
そしてこの「職能」は、自分の強みとリンクしていることが望ましい。自分の強みから出発し、自分の追い求める職能を伸ばせる会社で戦うことが、キャリア戦略として理にかなっている。
 
自分のキャリアが見えないのならば、まず向き合うべきは自分自身である。自分自身と過去をよく観察し、自分の能力が生かせるのはどういった場面なのか、その場面と近しい職能は何であるかを見つけていく。

 

My Brandを作り上げる

個人的な話になるが、目標設定にあたり、日ごろ将来の理想の自分(長期)を設定して、そこから中期・短期と現在におろしてくる方法を用いていた。

これは受験勉強の方法論を応用したもので、受験の用にゴールが明確な場合にはステップが分かりやすく有効な方法だと思う。

 

しかしこの方法の弱点は、"現在の自分"を適用するフォーマット先がないことだ。あくまでゴールに必要な要素を段階的にクリアしていくだけであって、現在の自分がどれだけできて、何が得手・不得手かを考慮できない(もちろん苦手な分野に多くの時間を割く等の考慮は可能だが)。

 

しかしキャリアデザインにおいては、自分の好きなこと・楽しいと思えること・やりがいを感じられること・得意なことを盛り込むことが当然必要になってくる。

つまり、現在から出発したフォーマットもあることが望ましい。

その点で、森岡氏が利用しているMy Brand構築のための「ブランド・エクイティ・ピラミッド」は現在の自分を土台においている点で、長期目標からおろしてくる方法論をうまく補うことができる

 

ブランド・エクイティ・ピラミッド

マーケティングの手法を応用したこの「ブランド・エクイティ・ピラミッド」は3階層(WHO/WHAT/HOW)の構造をとっている。

 

まず最上階であるWHOは攻略市場対象の部分集合となっている。キャリアにおいてはお客さんや上司が含まれる。

 

次のWHATは提供する価値そのものを表す。提供価値こそがブランドの"アンコ"である。

提供価値とは、提供するモノやサービスそのものではない。提供されるモノやサービスはあくまでHOW(手段)である。例えばトヨタが提供している価値とは車ではなく、快適な移動手段である。

価値は常に目に見えるとは限らない。この価値をWHO(ターゲット)に認めてもらうためには、根拠・実績が必要となる。

この実績のことをマーケティング用語で「RTB(Reason to Believe)」という。それは資格であったり、客観的な実績であったりする。

 

最後が具体的にWHOにWHATを提供する手段であるHOWである。

 

HOW(手段)にともなって「ブランド・キャラクター」も考えるとよい。

WHO・WHAT・HOWが明確になったうえで、価値の提供者の人格にも一貫性を持たせる。うまいラーメンをつくる親父はやはり、うまそうなラーメンをつくりそうな風貌をしている。

ブランド・キャラクターまでも一貫していることはWHOが評価する際の情緒に影響を及ぼす。

 

ブランド・エクイティ・ピラミッドを構築する際のポイント
ピラミッドをつくる方法論については以上になる。森岡氏は最後に。強いピラミッドをつくるために気を付けるべきポイントについて解説している。ここでは概要だけ記載する。
① Valuable:価値が十分に強いこと
② Believable:証明可能か
③ Distinctive:際立っていること
④ Congruent:自分の本質と一致していること

 

「欲望」が強いやつが勝つ

お金よりも遥かに私を突き動かす最大の「欲」は、知的好奇心を満たすこと。(p105)

森岡氏は資本主義の本質を人間の「欲」だと考えている。人間の欲望が資本主義のエネルギーとなり、社会を前進させている。

だとすれば、資本主義の構成要素である私たちが強くあるためには、それだけ強い欲望が必要ではないだろうか。欲望の強いやつが社会を中心に立ち、弱いやつは後塵を拝す。

 

『オメガトライブ』風に言えば、"資本主義は「欲望」が強いやつが勝つ"のではなかろうか。

では自分自身の「欲望」は何なのか。何を渇望し、何に情熱を燃やせるのか。自分自身を顧みる必要があると感じた。

 

資本家を射程圏に捉える

肝心なのは、資本家の世界を射程圏に捉えるパースペクティブを君が持っているかどうかだ。(p.66)

サラリーマンとして生きていると、サラリーマン以外の生き方が想像できなくなる。

もっと言えば、サラリーマンとして生きるように育ち、教育されてきた私たちは、サラリーマン以外の生き方、つまり資本家になることを忘れがちである。

 

これはサラリーマンを辞めて資本家を目指そうという主張ではなく、資本家というオプションが常にあることを考えてキャリアデザインすべしという意味になる。

この部分を読んで、資本家という選択肢に目を瞑ろうとしてないか、サラリーマン以外の選択肢を考えるのを自ら止めようとしていないかと思いハッとさせられた。