本と絵画とリベラルアーツ

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【大胆すぎる詐欺師】スピルバーグ『Catch me if you can』

オススメ度:★★★★☆

2匹のネズミがクリームに落ちた。

1匹はすぐに諦め死んでしまった。もう1匹は諦めずにもがき、やがてクリームはバターとなり外に這い出た。

 

『Catch me if you can』

 

 この映画のエッセンス
・ディカプリオ×ハンクス×スピルバーグ=最高
・ディカプリオは詐欺師が似合いすぎる
・『ザ・クリスマス・ソング』が沁みる

 

あらすじ

地元の名士の家に生まれたフランク(レオナルド・ディカプリオ)は裕福な家庭で順風満帆の生活を送っていたが、父が国税局に目をつけられ脱税の容疑をかけられたことにより一家は没落してしまう。

さらに母の浮気や両親の離婚に辟易したフランクは家を出ていく。

 

マンハッタンに出てきたフランクは金を得るために小切手詐欺を始めるがうまくいかない。そこでフランクは社会的身分の高いパイロットになりすますことを思いつき、見事成功する。

手に入れた金で優雅な生活を送っていたフランクであったが、ハリウッドのホテルに滞在中にFBI捜査官のカール(トム・ハンクス)と鉢合わせてしまう。

銃を突きつけられ絶体絶命の危機であったが、自身を秘密検察官だと騙し逃げ遂せる。

 

再び豪華な生活に戻ったフランクはある日、知人の怪我を機に病院を訪れ小児科医になりすますことを思いつく。そして本当に病院に勤務するようになり、そこで知り合ったナースのブレンダと婚約する。

ブレンダの父親は有力な検察官であることを知ると、今度は法の道に戻りたいと嘘をつき、弁護士資格を取り義父の事務所で働き始める。

 

フランクとブレンダの婚約パーティーの日、カールはドア一枚というところまで追い詰めるが、フランクは再び逃亡する。

大胆な方法で国外逃亡したフランクと上司からギブアップを命じられたカールとの最後の追いかけっこが始まる。

 

感想

ディカプリオは詐欺師役がよく似合う。セクシーで不適な笑みと情熱的な演技が見るものを魅了する。

この映画は、主演:レオナルド・ディカプリオ、助演:トム・ハンクス、監督:スティーブン・スピルバーグと間違いないメンバーで作られた作品。

 

個人的にもっともグッと来たのがフランクが飛行機から脱走し、母の暮らす家を訪れたシーンである。

 

クリスマスの夜、雪の降る中フランクは父の親友と不倫し、そしてその相手と結婚した母の元を訪ねる。

そこには暖かい部屋で楽しげに過ごす美しい母と男、そして小さな女の子がいた。

 

フランクはクリスマスの夜にもう一度、母に会い受け入れてほしかったに違いない。

しかしある種完璧な形でできあがった幸せを見て、それを壊すことはできないと観念し、涙した。

 

BGMとしてナット・キング・コールの名曲『ザ・クリスマス・ソング』が流れ、情景を味わい深いものにしている。

 

色褪せない名作。

 

 

【本の紹介】さくらももこ『ももこの世界あっちこっちめぐり』

オススメ度:★★★★★

 

さくらももこ『ももこの世界あっちこっちめぐり』

著者:さくらももこ(1965~2018)

静岡県清水市生れ。静岡英和女学院短期大学卒業。新卒入社したぎょうせいを2ヵ月で退職し、漫画家となる。代表作に漫画『ちびまる子ちゃん』『コジコジ』、エッセイ『もものかんづめ』『さるのこしかけ』などがある。

 本書のエッセンス
・さくらももこによる世界旅行エッセイ
・同行者は夫・ガイド、ときどき父ひろし
・素直な感想が面白い

 

感想

さくらももこは格好つけない。だからこそ、彼女の言葉が虚栄ではなく、心から出たものだと信じられる。

 

グルメレポーターの「おいしい」は信用ならないが、さくらももこの「おいしい」は信用できる。

ましてやそのさくらももこが以下のように表現したということは、どれだけ素晴らしいのだろうと想像させられる。

ベネチアの空はくっきりと青く、レストランの庭の各テーブルから人々の話し声や笑い声だけがさざめいている。そんな場所で本場のスパゲッティを食べる幸せは、死ぬ間際にまで思い出してしまいそうだ。(p.38)

読んでいるだけでイタリアへ行き、このレストランで食事がしたくなってくる。死ぬ間際に思い出すほどの食事とはどれほどのものか、読みながらよだれが出た。

 

もちろんさくらももこのエッセイを読んでいて一番出るのは笑みである。言うまでもないが、とにかく表現が面白い。

 

本人や周りの人々が変わっているだけでなく、普通の人ならなんともない光景も、さくらももこ節でクスッと笑える一文にしてしまう。

そんな文章が随所に突然放り込まれているので、予期せぬタイミングで出会うと外で読んでいてもつい笑ってしまう。

オッサンが描いた絵は、「お土産プレゼント」のコーナーに載っているので気に入った方はぜひ応募していただきたい。(p.135)

無名とは言え、パリで気に入り作品をプレゼントにまでした画家をオッサン呼ばわりしていてしっかりと電車内で笑ってしまった。

 

時々本が読めなくなるスランプに陥ることがあるが、そんなときでも星新一とさくらももこだけは楽しく読むことができる。

さくらももこの新作がもう読めないのはとても残念だが、まだ出会っていないエッセイたちを大事に読んでいきたいと思う。

 

 

【ビジネス書の定番】グロービス経営大学院『MBA クリティカル・シンキング』

オススメ度:★★★★☆

本当に思考能力を高めるためには、考える習慣を身につけ、日頃から訓練を続けていく必要がある。実際にやってみることこそが、「できる」につながるのだ。(p.15)

グロービス経営大学院『MBA クリティカル・シンキング』

 

 本書のエッセンス
・クリティカルシンキング=論理的思考の方法論 × 正しく考える姿勢
・方法論だけでなく姿勢も大事
・「最後の藁」に安易に飛びつかない

グロービス経営大学院による論理思考の定番テキスト。

本書の内容はざっくり[考える枠をつくる][論理展開を考える][分析する]の3ステップで進んでいく。

 

クリティカル・シンキングとは

そもそもクリティカル・シンキングとは何であろうか。

一般的にクリティカル・シンキングとは「批判的思考」と訳されることが多いが、グロービスの定義では「ビジネスパーソンが仕事を進めるうえで役立つこと」にフォーカスしている。

この前提をおさえた上で、クリティカル・シンキングとは「論理的思考の方法論」×「 正しく考える姿勢」だといえる。

論理的思考の方法論(テクニックやフレームワーク等)と正しく思考するための姿勢(心構え)を組み合わせることにより、ビジネスにおいて「物事を正しい方法で正しいレベルまで考える」ことを実現しようとしている。(p.8)

 

 

ピラミッド・ストラクチャー

考える目的・枠組みとその根拠を視覚化するツールの一つが「ピラミッド・ストラクチャー」である。

 

まずイシューから論点となるキーメッセージを引き出し、頂点の結果を記載する。

その次に何が言えれば[結果]を主張できるかという問いを立て、その問いの答えを[原因]を探していく。

見つかった[原因]を要素ごとにグルーピングし、原因①②③…を記載する。グルーピングの際には「それらの要素から上位の要素が言えるか?(解釈が正しいか)」を「So What?」という問いで精緻化する。

また逆に結果に対する原因が正しいかを確認するため「なぜそれが言えるか、それは本当か(Why?True?)」を繰り返しロジックを強固なものにしていく。

 

 

その他の思考術

演繹法・帰納法の落とし穴

思考パターンの基本として演繹法と帰納法がある。帰納法はいくつかの事象から法則を抽出し、演繹法は事象(原因)と法則から結果を導く。これら2つの思考パターンには関係性があり、帰納法で導かれた法則が演繹法によって利用・検証される。

演繹法・帰納法ともに有益な思考パターンであるが、その利用には注意点がある。

①間違った情報
②隠れた前提
③論理の飛躍
④ルールとケースのミスマッチ
⑤軽率な一般化
⑥不適切なサンプリング
②-④ 演繹法
⑤-⑥ 帰納法

 

最後の藁

「最後の藁」とは海外のことわざからきている。限界寸前まで疲弊したラクダに藁を乗せたところ、ラクダが倒れてしまった。人々はラクダを倒れた原因をここまでの疲労の蓄積ではなく、最後に藁を乗せたことだと考え非難したというものだ。

物事を原因を本質から考えず、トリガーにすべての原因があると考えてしまうという錯覚を示している。

 

このような錯覚は笑い話ではなく実際によくみられる。

例えばあることをきっかけに妻が起こりケンカが勃発した際、実際にはこれまでの我慢の積み重ねが原因であるにも関わらず、夫は「最後の藁」だけを原因だと考え齟齬が生まれるというのはあるあるだと思う。

 

ビジネスにおいても目の前の原因と思しきものにすぐに飛びつくのではなく、一度立ち止まって本質から原因を調査することが大切である。

 

仮説思考

思考過程においては常に事実が存在するわけではなく、とりわけ不確定要素に対する説は仮説となる。「良い仮説」をつくるためには、以下の要素を押さえておくことが重要である。

①経営に関する知識
②特異点を探知するセンス
③質の高い仮説を目指す志

 

***

 

思考の基礎が網羅的に学べる良本であった。他の思考方法論と併せて実践していくことで血肉としていきたい。

 

 

【本の紹介】細谷功『「具体⇄抽象」 トレーニング』【思考法の基礎】

オススメ度:★★★★★

抽象化というのはある意味で(目的に合わせて)「都合の良いように特定の属性だけを切り取る」ことを意味しています。

細谷功『「具体⇄抽象」 トレーニング』

 

 本書のエッセンス
・具体-抽象の話はまずこの本を読め
・根本的問題解決は[具体→抽象→具体]で行う
・一つの系は抽象から具体へ流れる

佐藤優が著書の中で「すぐれた書籍は複数の読み方ができる」と語っていた。

なぜ複数の読み方ができるのか。それはその本の内容の抽象度が高いからである…ということにこの本を読んで気が付かせてくれたと同時に、この本の抽象度の高さ・応用範囲の広さに気付かされた。

ビジネス・学問すべての知的活動に役立つ基礎的な超良本

 

「具体⇄抽象」で問題解決する

根本的な問題解決のためには、[具体→抽象→具体]のステップを経る必要がある。

 

問題解決の前提には明示的にしろそうでないにしろ、現実問題としての課題が存在する。現実に起こる事象は[具体]であるから、問題解決は一般的に[具体]からスタートする。(本書でも指摘があるように、抽象から出発する問題解決は抽象論で片付けられ、机上の空論と化す。)

 

具体から出発した問題解決を、すぐに具体で解決しようとしてはいけない。

具体→具体の問題解決というのは、例えば水道管から水漏れしているので該当箇所にテープを貼ったや、顧客からこういう機能が欲しいと言われそのまま実装するなどがある。

 

一見なにも問題ない問題解決のようにも見え、私自身やってしまっているという自覚もあるが、この方法では根本的な問題解決にはならない。

なぜならば問題というのは根本原因から引き起こされる一現象に過ぎず、本質にアプローチできない限りは根本的解決にはならないためである。

上記の水漏れの例でいえば、根本原因が「水道管の老朽化」であるとすれば一部をふさいだところで同じ問題が発生するだろうし、もっと言えば「水道管の老朽化の管理不備」が根本原因であるならば、その問題の発生した水道管を修復するだけでは十分とは言えない。

 

発生した事象の原因をWhyで問うて問題を抽象化し、そのうえでHow=具体的な打ち手を考えることで、根本解決を図ることができる。

 

一つの系は抽象から具体へ流れる

本書でもっとも印象に残ったのが、第5章冒頭で語られる「一つの系は抽象から具体へ流れる」というテーゼである。

一つの閉じた系は時間とともに抽象→具体という不可逆な流れをたどり、また新しい系が始まるときに抽象から始まるという性格を持っているということです。(p.134)

 

一人の人間から仕事の進め方、会社や国家まで、抽象(少数・自由)から具体(多数・標準)へ、破壊的イノベーションを繰り返しながら一方通に進んでいく。

人間の身体はひとつの受精卵が分化し、組織・器官がつくられていく。また仕事であれば構想段階から設計構築へと進み、国家は一人の王が建国するところからやがて民主化していく。

この法則を応用することで、社会や産業、経済の移り変わりを分析できるかもしれない。

 

ツール・アプリケーション

またこの法則をタスクににも応用することで、仕事の抽象度によってどのようなツール・アプリケーションを使い分けるべきかということも考えられるようになる。

川上の構想段階といった自由度が高いフェーズでは、白紙やホワイトボードといったツールが相性がよい。これが具体化が進んだフェーズでは一定のフォーマットを持つプレゼンテーションアプリ、さらに川下では自由度の小さいワープロアプリ。そして最も川下の段階では制約条件があり標準化された表計算ソフトが適している。

特定のツール・アプリケーションに固執するのではなく、今求められている抽象度・自由度によって使い分けることが大切。

 

これを見ると、『メモの魔力』の前田裕二や『ゼロ秒思考』の赤羽雄二がかなり抽象度の高いレベルで思考・仕事をしていることが推し量れる。

 

***

 

目の前の仕事だけでなく、社会を見るときやキャリアを考えるときといったあらゆる思考活動に有用な内容となっていた。

本書の内容がピンとこない場合には、同著者『具体と抽象』も併せて読むことで理解を深めることができる。

 

 

【ベストセラー】細谷功『具体と抽象』【なぜ議論はかみ合わないのか】

オススメ度:★★★★☆

抽象度の高い概念は、見える人にしか見えません。(p.111)

細谷功『具体と抽象』

 

 本書のエッセンス
・具体と抽象の入門書
・噛み合わぬ議論は抽象レベルが原因かも
・抽象度のピラミッドは降りられない

この本を読んで、上司との会話で噛み合わない理由が分かった。

自分が具体的な事象を主張しているのに対し、上司はそれを抽象化し解釈して話していたのだ。そしてそのことに気がついてない私がさらに事象の特殊性を主張し、モヤモヤ…となっていた。

 

具体⇄抽象の概念自体が抽象度が高く、応用範囲が高いのでぜひとも身につけたい能力だと感じた。

 

上流・下流と抽象度・自由度

仕事が上流から下流に進むにつれ、求められる思考が抽象から具体へと移り変わっていく。

 

構想段階といった上流の仕事は創造性が重視され、少人数によって行われる。

一方下流に進むにつれ仕事内容は体系化・標準化できるものとなっていき、分業が進み参画者も増えていく。別の視点で見れば、下流に進むと抽象度と自由度が小さくなっていくともいえる。

 

抽象度のピラミッドは降りられない

言葉や法則、観念といった抽象化のツールは一度手にすると簡単には手放すことができない。

理解するまでは何回な概念だと思われたことも、一度自分のものにしてしまうと、それを使わずに思考すること自体が難しくなってしまう。

 

言葉では、「業界用語」や「カタカナ用語」も同様です。「使っていない人」から見ると、これほど使われて不愉快なものはないですが、使っている人の側からすれば、これを使わずに過ごすのは難しいでしょう。これも抽象化の「一方通行」の例です。(p.119)

 

これは新しいことを学ぶ時によく実感できる。

なんでこんな抽象的な言い回しをするのだろうと初学の時点では不思議に思うものでも、一度理解してしまうとその言い回しが最も適切に思えてくる。これが教える側と教わる側に間に溝を作る原因にもなる。

 

噛み合わない議論

噛み合わない議論というのは、往々にしてみられる。どちらの意見も理にかなっていて、おかしいところは見られないのに、なぜか話がチグハグになる。

このような現象の原因として、それぞれの抽象-具体レベルが異なる可能性がある。

 

本書で紹介されている、「リーダーたるもの、いうことがブレてはいけない」「リーダーは臨機応変に対応すべき」という2つの対立する主張を例に説明する。

この2つの主張はどちらも正しそうに見え、かつ一見真反対のことを言っているように思える。

しかしこの例も、話者の抽象-具体のレベルが異なることによって生じている。

 

前者の「ブレてはいけない」というのは、抽象度の高いレベルでのブレてはいけないという意味である。末端への指示レベルでブレてはいけないという意味ではなく、方針や目的というレベルでブレるべきではないことを指している。

一方後者の「臨機応変に」というのは状況に応じて末端への指示は変わりうることを示しているのであり、核となる目的をコロコロ変えるという意味ではない。

 

すなわち抽象-具体のレベルが異なるだけで、真反対に見えたこれら二つの主張は同じことを話していたのだ。

 

このように噛み合わない議論というのは、主張の違いではなく抽象-具体レベルの違いによって引き起こされている可能性がある。

抽象度の低い側から高い側は見ることができず、逆に抽象度の高い方はこれを手放すことができないのだ。

 

労農派vs講座派

高い抽象レベルの視点を持っている人ほど、一見異なる事象が「同じ」に見え、抽象度の低い視点の人ほどすべてが「違って」見えます。(p.123)

視点の抽象レベルの違いの違いで議論がかみ合わないことが分かると、戦前マルクス経済学の大論争である労農派vs講座派の原因も同じ構造であることが分かる。

 

労農派と講座派の主張の違いというのは、ざっくり言えば日本の経済発展の段階が特殊性を持つか、それとも法則の内側にあるかというところにある。

労農派は諸外国と日本の経済構造の違いに注目し、日本が社会主義に至るには独自の道が必要だと主張している。この方法論は「日本型経営」といった特殊性に重きを置く言説に引き継がれている。

一方の講座派は日本経済の構造も諸外国と同じように封建制→資本制へと移り変わっていると主張した。

 

この違いに注目する方法論と同じ部分に着目する方法論はまさに、この本で繰り返し述べられている<具体の世界に生きる人>と<抽象の世界に生きる人>の方法論の違いと一致する。

 

抽象レベルの違いによるかみ合わない議論は個人の単位だけではなく、アカデミアの単位も起こりうることがわかった。

 

 

 

【本の紹介】見城徹『たった一人の熱狂』【憂鬱でなければ、仕事じゃない】

オススメ度:★★★★★

圧倒的努力は岩もを通す(p.150)

見城徹『たった一人の熱狂』

 

 本書のエッセンス
・憂鬱でなければ、仕事じゃない
・圧倒的努力ができるかどうかは、心の問題
・小さなことや、片隅の人を大事にする

 

この本は誰にでも実践できる一般論的な自己啓発方法をまとめた本ではない。

むしろ、内容は見城徹の自伝に近く、俺はこう生きた、こう仕事してきたという話がというものになっている。

一般論でないゆえに言葉に力がある。迫力があり。その情熱をダイレクトに受け取れる。

 

格言という形でいろいろ書いてはあるが、それら全てをまともに実行しようとすれば、常人には身が持たない。

この本は、仕事に情熱を見出せなくなった時にもう一度心に火をつけるために読むのがよい。その点ではサミュエル・スマイルズの『自助論』に近いかもしれない。

 

心に火をつけ、仕事に熱狂する

多くの会社員にとって、仕事は少なければ少ないほどいいし、内容も(適度なやりがいを残しつつ)楽であれば楽なほどよいと考えるだろう。

ライフワークバランスという言葉も一般的になり、よりこの傾向が顕著になっている。

 

見城徹は逆を行く。

仕事は辛く苦しい。しかし、労働によって社会と世界に新しい価値創造せず、対社会、対世界の関わりを失った生き方のほうがよっぽど苦しいに決まっている。少なくとも僕は、そんな上っ面の虚しい生き方は絶対にしたくない。(p.29)

圧倒的努力とは何か。人が寝ている時に寝ないで働く。人が休んでいる時に休まず動く。どこから手をつけたらいいのか解らない膨大なものに、手をつけてやり切る。「無理だ」「不可能だ」と人があきらめる仕事をあえて選び、その仕事をねじ伏せる。人があきらめたとしても、自分だけはあきらめない。

…(中略)…

憂鬱でなければ、仕事じゃない。毎日辛くて、毎日憂鬱な仕事をやり切った時、結果は厳然と表れる。(p.37)

圧倒的努力ができるかどうかは、要は心の問題なのだ。どんなに苦しくても仕事を途中で放り出さず、誰よりも自分に厳しく途方もない努力を重ねる。できるかできないかではなく、やるかやらないかの差が勝負を決するのだ。(p.39)

自分の感覚や感動の源泉を信じ、たった一人でも自分が信じた道を行く。人の100倍も不安に怯え、困難に耐えながら、苦痛を糧として仕事をする。それが僕の言う「たった一人の孤高に熱狂」だ。

…(中略)…

身を切り、血を吹き出しながら命がけで仕事してこそ、初めて圧倒的結果が出る。(p.103-105)

「憂鬱でなければ、仕事じゃない」と言い切る。まさに生粋のマゾヒストである。秋元康は解説で見城を「精神のボディビルダー」と形容している。

 

多くの人にとって仕事人として生きる期間は人生の大半にも及ぶ。であるならば、人生を楽しむためには仕事を楽しむことは不可欠ではないだろうか。

中途半端に、仕方がないから、義務感でやるような事柄は仕事に限らずつまらない。情熱を持ち、一生懸命、それこそ熱狂するからこそ面白みが出てくる。これは遊びにしろ、スポーツにしろ同じである。

 

仕事に熱狂することは、よりより人生を送ることと不可分である。この本には熱狂するためのヒントがある。

 

仕事のヒント

仕事に熱狂することのほかに、見城が仕事で大切にしていることがある。それはテクニックのようなものではなく、もっと人間として重要な「気配り」である。

小さな仕事を蔑ろにせず、関わるすべての人に誠実に接する。この基本の基本が重要であると、改めて強調する。

仕事ができない人間には決まって共通点がある。小さなことや、片隅の人を大事にできないことだ。そんな人間に大きな仕事ができるわけない。(p.133)

GNO(「義理」「人情」「恩返し」の頭文字)こそが、仕事においても人生においても最も大事だと思っている。

…(中略)…

GNOをごまかしたか、ごまかさなかったかは、自分が一番よく知っている。(p.138)

大きな仕事を動かしてきた見城だからこそ、どれだけ細部が結果的に重要な要素となるかを痛いほど理解している。

 

 

仕事が上手くいかなくなったとき、モチベーションが下がった時、仕事が辛くてたまらない時、またこの本を開こうと思う。

 

 

【知らない世界に流れる時間】星野道夫『旅する木』

オススメ度:★★★★★

それは、壮大な自然の劇場で、宇宙のドラマをたった一人の観客として見るような体験だった。(p.114)

星野道夫『旅する木』

著者:星野道夫(1952~1996)

千葉県市川市生れ。写真家・探検家・詩人。慶應大学経済学部卒業後、アラスカ大学を中退。アラスカの自然に魅せられ、多くの時間をアラスカで過ごした。1996年ヒグマによる食害により死去。著作に『ノーザンライツ』『旅する木』などがある。

 

 本書のエッセンス
・この世界は広く、知らないところでは私たちと同じ時間が流れている
・アラスカには息を呑むような雄大な自然がある
・筆者の美しい言葉遣い

 

私たちの知らない世界・同じ時間の流れ

小学生のときにの国語の教科書で、とても印象に残っている文章がある。

遠い北極で暮らすシロクマたちが、私たちの知らないところで私たちと同じ時間を過ごしている。

当時低学年だった私はこの文を読んで、なんて不思議なんだろう思ったのを覚えている。文字や写真でしか見たことのないシロクマたちの生活はどこかフィクションのようで、この地球で同じ時間を過ごしているという現実はとても不思議なものに感じられた。

 

この本の中にも同じニュアンスの話があり、読んだ瞬間ハッとあのときの新鮮な驚きが想起させられた。

大都会の東京で電車に揺られている時、雑踏の中で人混みにもまれている時、ふっと北海道のヒグマが頭をかすめるのである。ぼくが東京で暮らしている同じ瞬間に、同じ日本でヒグマが日々を生き、呼吸をしている・・・・・・確実にこの今、どこかの山で、一頭のヒグマが倒木を乗り越えながら力強く進んでいる・・・・・・そのことがどうにも不思議でならなかった。(p.121)

 

この本はこういった文明社会の中で失われた、あるいは得ることのできなくなってしまった感覚を、美しいアラスカの自然と共に描写している。

 

例えば言葉ひとつに対する感覚でさえ、文明の中で辞書的な理解をしている私たちと、言葉の指すそのものに直接触れている星野さんではまるで違っている。

世界とは、無限の広がりをもった抽象的な言葉だったのに、現実の感覚でとらえてしまう不安です。地球とか人類という壮大な概念が、有限なものに感じてしまうどうしていいかわからない寂しさに似ています。(p.41)

 

自分が普段発する「世界」と言う言葉とは、リアリティが違う。世界という言葉を知っていることは、世界を知っていることとは全く違うのだ。

星野さんの文を読めば読むほど、自分の知らない世界、そこに流れる時間を見てみたくなりウズウズとしてくる。

 

美しい文章

この本の、心にダイレクトに語り掛けてくるような感覚と圧倒的な自然の描写はひとえに星野さんの筆の力によるものである。

星野さんの美しい言葉の一つひとつが読者にゆっくりと語り掛け、読み手はアラスカの自然をありありと想像し、雪山を駆けるオオカミに思いを馳せ、もしコンクリートジャングルから抜け出しオーロラを見ることができるならばと妄想する。

 

以下はあまりに美しさに衝撃を受けた文章の引用である。

ぼくはザックをおろし〜想像力のようなものです。(p.37)

 

いつかきっと、これらの言葉に救われるときがくるような、そんな確信をさせてくれるすばらしい文章であった。

 

***

 

自分の住む世界、知る世界はこれまでもこれからも、文明社会だけだと思っていた。でも、一人の人間として、世界中を移動できるテクノロジーのある時代にほんとにそれだけでいいのか、ましてや日本から出ないなんて、そんなもったいない人生でいいのかと読了後長らく自問させられた。