オススメ度:★★★★☆
水切りの石跳ねていく来世ではあなたのために桃を剥きたい(p.49)
岡本真帆『水上バス浅草行き』
本書のエッセンス
・何気ない幸せの断面を切り取った短編集
・短い文章から情景が浮かび上がってくる
・おだやかなテンポで読める
感想
西日暮里の駅前に一風変わった書店がある。
大きなガラス扉から見える店内には仕切りの多い大きな本棚や本が平積みされたテーブルが並んでおり、さまざまなジャンルの本が一見無造作に並んでいる。
少し気になったが一度素通りしたあと、やはり気になって閉店間際に駆け込んだ。
店内に入り本棚をよく見ると、区切り一つ一つに書店名がつけられている。
説明によればそこは多数の人によって共同運営されている書店らしい。レジ版は持ち回りとのこと。
本棚の区切り一つ一つにはそれぞれの書店が売りたい本が並べられており、並んだ本から書店の思想が感じられるのが面白い。売れそうな本を置きつつもマニアックな本も並んでいるところを見ると、本当はこの本を一番売りたいのだろうなという気持ちが見えてくる。
一通り本棚を見た後、入口すぐに平積みされていた一冊の本が目に入った。
その本こそが今回取り上げる『水上バス浅草行き』で、タイトルが目に入ったのか、装丁が好みだったのか、光の当たり具合だったのか理由はわからないが、とにかくその時は光って見えた。
タイトルからは本の中身は予想できないが、帯に短歌が書かれていたことから歌集であることがわかる。なかを開くと見開き1ページに4つの短歌が並んでいる。
これまで歌集というものは買ったことはなかったが、試し読むする前であったがどうしても気になったので購入してみることにした。(すぐ横に水野しずの書籍もありやや後ろ髪をひかれたがそのまま購入した。)
短歌をきちんと読んだことはなかったが、読んでみてすこぶる驚いた。
1行という短い文章から短編映画ほどの情景がありありと浮かび上がり、さらに幸せな気持ちにさせられる。文章なんて書いてあることを理解してもらうのも難しいのに、書いていないことを想像させる力に感動した。
短歌を解説してしまうと一気に味気なくなってしまうのは承知の上だが、読んだ時の自分がどんなことを思ったのかを記録する意味で何点か気に入った短歌とその時自分の中に生じた感情を記載する。
山手の全体像が見たいのに次の駅名ばかり出てくる(p.17)
おそらくプライベートで山手線に乗っている様子なのだろう。ビジネスでの移動なら行先にしか興味がわかず、事前に調べた通りの電車を乗り継ぐだけなので社内のモニターをまじまじと見ることはない。
JR以外の沿線に住んでいる首都圏民が都内に用事がありあまり乗らない山手線に乗り、なんとなくあといくつだっただろうかと気になり立ちながらぼんやりとモニターを眺めている様子が目に浮かぶ。平日の喧騒の日々から見るとなんと幸せだろうか。
冷蔵庫唸ってくれてありがとう明りの前で引き裂くチーズ(p.22)
地方から出てきて一人暮らしを始めたばかりの若者が、夜中の静けさにホームシックを感じている。無音の中耳が敏感になってくると、唯一冷蔵庫だけが音を発していることに気が付く。
おなかが空いているわけではないがなんとなく冷蔵庫に引き寄せられ扉を開き、目に入ったチーズを食べ、さみしさを紛らわしている。
等分に切るはずだった豚玉のやや大きめを詫びながら出す(p.38)
同棲しているカップルがお好み焼きをつくり、女性が切り分けてくれるが案外うまくいかず謝りながら差し出している様子が目に浮かぶ。結婚していれば詫びないだろうし(詫びても印象に残ろない)、付き合い立てて豚玉は食べないだろうから。
ほんとうの愛のことばをでたらめな花の言葉として贈るから(p.125)
最上の照れ隠し。本音から出るくさい愛のことばを花言葉としてあたかも自分のことばでないかのように表現している。
すてきな本屋だから出会えたすてきな本であった。