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【本の紹介】宇田川元一『他者と働く』

オススメ度:★★★★☆

対話とは、権限や立場と関係なく誰にでも、自分の中に相手を見出すこと、相手の中に自分を見出すことで、双方向にお互いを受け入れ合っていくことを意味します。(p.22)

 

宇田川元一『他者と働く』

 

 本書のエッセンス
・対話は適応的問題(関係の中で生じる問題)に対し有効
・対話とは相手の立場に立ち自分の視点を変えることで関係性を構築すること
・私とあなたは違う。違うことを認めた上で相手の立場に立つことが大切

適応的問題と対話

本書における問いは、既存の枠組みで解決ができない<適応的問題>に対しどう向き合えばよいかである。そしてその答えが<対話>となっている。

 

ハーバード・ケネディ・スクールのロナルド・ハイフェッツによれば、問題は以下の2つに分類することができるという。

①技術的問題
②適応的問題

①技術的問題とは既存の枠組みで解決することのできる問題を指している。のどが渇いたという問題は、水を飲むという既存の枠組み(知識)によって解決できるため、技術的問題に分類される。技術的問題が解決できない時には、知識を付けることで解決ができる。

一方の②適応的問題は人と人/組織と組織との関係の中で生じる複雑な問題であり、いくら知識をつけても解決するものではない。

 

適応的問題を技術的に解決しようとする際、既存の枠組み(それぞれの立場から物事を見ている)で考えているため、問題の立て方自体が制約される。

適応的問題の解決には新たな関係を構築する「対話」が必要(相手の立場に立つことで、見方を変えていく)。相手を変えるのではなく、自分の視点を変える。

相手の中に自分を見出し、自分の中に相手を見出すことで、マルティン・ブーバーの「私とそれ」という道具的関係から、「私とあなた」という固有の関係(それは可換だがあなたは不可換)を構築できる。(岸政彦の他者の合理性に近い概念)

 

ここでの視点とは、その問題特有の点としての視点ではなく、時間的広がりを持った広義の概念である。すなわち相手のこれまでのバックグラウンドや立場としての制約、培ってきた気質までを含んでている。

筆者はこの広義での視点のことをナラティブと呼んでいる

 

適応的問題解決の方法論

私たちはすべての問題を解決可能であると錯覚してしまう。つまり本来適応的問題であるものを技術的問題であると考え、失敗へと突き進んでいく。

この失敗を回避するためには、技術的問題に見えていた適応的問題を「適応的問題」であると再認知し、解きほぐしていく必要がある。筆者はこの解決プロセスを以下の4ステップで表現している。

①準備
②観察
③解釈
④介入

まず最初のステップ①準備である。この準備とは技術的問題であると錯覚していた問題を適応的問題であると受け入れる準備の段階である。問題が適応的問題であると受け入れて初めて、その問題の解決すべき本質は何であるかの②観察が可能になる。

対話による②観察を進めていくと、相手のナラティブが明らかになっていく。相手のナラティブが明らかになったところで、③解釈によって相手のナラティブにとってどうすればこの問題解決が有意味性を帯びるかを考え、互いの間の溝に橋をかけていく。

お互いの間に橋が架かってしまえば、この適応的問題に鎮座していた関係性のしがらみは解きほぐされている。関係性の課題を解決した今、適応的問題は技術的問題へと姿を変え、既存の枠組みによる問題解決が可能になる(④介入)。

 

他者の合理性

この本の内容を一言で要約するならば、岸政彦の「他者の合理性」である。

一見相容れない状況に対し、他者の立場から再度問題を眺めることで、他者が主張してきた合理性が初めて現れる。

この本の中で「他者の合理性」を強く感じさせられたのがあとがきの以下の文章である。

私たちはお互いに理解し合えない苦しみ、他者に見せられない痛み、そしてそれを語ることのできない寂しさを抱えて、今の企業社会を生きています。

しかし、私たちはだからこそ、そのことに向き合って、新たな信頼関係、絆、そして「連帯」を築いていく入り口に立っているのです。連隊とは、不愉快なことを言ったり都合の悪いことをしてくるようなわかりあえない他人と思うような人であったとしても、自分がその他人であったならば、同じように振る舞ったり、感じるかもしれないという可能性を受け入れることです。(p.178)

「自己責任論」が蔓延するこの世の中で、生きやすい社会をみんなでつくっていくためには他者の合理性が欠かせないと感じた。