先日始めて広島を訪れ、原爆ドームを見た。
夏休みということで家族連れや外国人が多くみられ、特にアジア系の人が多かった。
ガイド付きのツアーで来ているグループも何組か見かけ、原爆ドームが世界的に有名なスポットになっていることがうかがえる。
原爆ドームは先の戦争の悲劇を後世に残すために保存されている遺産である。
元々はチェコ人のヤン・レツルによって建てられた広島県物産陳列館である。
昭和20年8月6日に爆心地から160mという至近距離で被爆し、全壊は免れたものの今の痛々しい廃墟へと姿を変えた。
風化する記憶
原爆ドームの前ではガイドに連れられ説明を受けている人やじっと見つめて何かを考えている人のほかに、家族や友人たちと並んで笑顔で写真を撮っている人を何組か見かけた。
原爆ドームを何か知ってか知らぬかは分からないが、彼らにとって原爆ドームはスカイツリーや雷門と変わらない観光スポットの一つにすぎないのだろう。
形あるものがすべからく壊れていくように、記憶もまた風化していくのをさけられない。
原爆ドームもまた、戦争の悲惨さを伝える力を失っていっている。
これは仕方のないことだ。
例えどんなに知識として戦争が残虐だということを知っていても、それを肌で感じるのは難しい。
その時はみなが共通して持っていたであろうマンモスが怖いという感覚もハンニバルが来ると言う恐怖も富士山が噴火する衝撃も、私たちは忘れてしまっている。
どんなに大事に抱え伝えて行っても、手で掬った水のように少しずつこぼれていってしまう。
原爆ドームを見て戦争の悲惨さを感じられる人は確実に減っていく。
平和の象徴として
観光地化しつつある原爆ドームであっても、原爆ドームを見て戦争を考えない人は少ない。
第二次世界大戦がどれだけ悲惨で人々を苦しめてきたかを本当の意味で理解することはできないが、少なくとも次に世界大戦が起こればこれ以上の被害が出ることは理解できる。
なかなか普段の生活の中で具体的に戦争をイメージし、考えることは少ない。
原爆ドームは見る人に戦争のリアリティを与え、考えるきっかけを作ってくれる。
原爆ドームの横には広く穏やかな川が流れ、周りの公園には緑色の木々が生い茂っている。
近くの端から原爆ドームを眺めると奥には建てている途中の大きな建築物が見え、広島という町が生きていることが分かる。
色を失ったままの原爆ドームはそんな中に鎮座し、訪れる人に一瞬だけ戦争の気配を感じさせてくれる。
80年間保存してきた色の無い建物を、私たちはいつまで残していくことができるのだろうか。