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【本の紹介】『ChatGPT 対話型AIが生み出す未来』【AI活用法】

オススメ度:★★★☆☆

 

『ChatGPT 対話型AIが生み出す未来

 

2022年11月に発表され、瞬く間に世界中から注目を集めた対話型AI ChatGPT。まるで普通の人間とチャットで会話しているかのような使い勝手と性能を持つ。対話型AIの登場は産業革命以来の革新とも呼ばれ、連日その活用方法と規制の如何が話し合われている。

この本ではなぜChatGPTはすごいのかという点と私たちが上手く使う上でのコツが解説されている。

対話型AIの普及

これまでにも幾度とAIブームが訪れてきた。記憶に新しいのは画像生成AIブームで、これは欲しい画像の情報をインプットするだけでそれに沿った画像が生成されるというものである。確かに一部の業界や趣味の人の間では使われてきたが、あくまで使用用途と対象者は限定的であった。

それに対しChatGPTは2023年1月には利用者が1億人を突破するなど、比類なき普及を見せている。ChatGPTが広まった要因にはどのようなものがあるだろうか。

急速に広まった要因

①初心者が手軽に扱える

②画像生成AIブームによりAIへの抵抗感が薄まった

 

ChatGPTのここがすごい

①その場で答えを生成

②連続した会話が可能

 

使いこなすコツ

ChatGPTは確かにすばらしいツールだが、道具である以上使う人間側が工夫する必要もある。その性質を理解して利用することで、より効果を得られる。

使いこなすコツ

①前提となる「自分の立場」を明確に伝える

②AI向けの話し方は不必要

③嘘をつくことを理解しておく

④古すぎる/直近の情報に弱い

⑤機密情報を入れない

 

応用

①集合人格を作り出す

②プログラム・テストコードの生成

  →訴訟のリスクあり

③創作にも利用可能

 

チェック✓

・ChatGPT for Search.Engines

   →Google検索の拡張機能としてChatGPTを利用

 

 

【本の紹介】アンデシュ・ハンセン『スマホ脳』【スマホに人生を奪われる前に】

オススメ度:★★★★★

冷や汗をびっしょりかいて目を覚ますんだ。僕たちはいったい何を創ってしまったんだろうって。うちの子供たちは、僕がスクリーンを取り上げようとすると、まるで自分の一部を奪われるような顔をする。(p.80)

 

アンデシュ・ハンセン『スマホ脳』

 

一億総スマホ依存社会

鬼才スティーブ・ジョブズが世に放ってから急速に普及し私たちの生活を変えたスマートフォン。2023年現在では日本のスマホ普及率は驚異の96.3%となり、スマホなしでの生活を想像する方が難しい状況にまでなっている。

その利便性によって生活の質を向上させてくれる一方で、SNS・ソシャゲ依存症など人生を蝕んでいく側面も併せ持つ。

なぜ私たちはスマホを手放すことができないのであろうか。本書ではその理由と開発者側の気持ちが記載されている。本書のゴールはスマホを手放せない理由を知ることによって自分の行動を俯瞰し、スマホ依存症を抑止することである。

 

 「かもしれない」が大好きな脳

私たちがSNSの更新や新着チャット、次のショート動画を気になって仕方がないのは、これらが私たちの「かもしれない」を促し快楽物質であるドーパミンを分泌させるからである。

ドーパミンの最重要課題は、人間に行動する動機を与えること。(中略)

たいていの場合、着信音が聞こえたときの方が、実際にメールやチャットを読んでいるときよりドーパミンの量が増える。(p.74)

SNSが更新されているかや返信が来ているかに関わらず、更新されているかもしれない・返信が来ているかもしれないという期待がドーパミンを分泌させ私たちをスマホに向かわせる。更新数や返信は有限だが期待は無限であるため、私たちは絶えずスマホに手を伸ばし続ける。

SNSの運営はこの事実を理解したうえで、さらに期待を煽ろうとあの手この手を使ってくる。

フェイスブックやインスタグラムは、親指マークやハートマークがつくのを保留することがある。そうやって私たちの報酬系が最高潮に煽られる瞬間を待つのだ。(p.78)

ついスマホに手が伸びそうになったときには、この事実を思い出す必要がある。今スマホを見る必要があるのか?目的無くただ期待に踊らされていないか?と。スマホを触る前に自分に一言自問し、自制していくことで依存症から脱却することができる。

 

スマホは便利だが、演出された期待によって人生を奪われるのはあまりにもったいない。利便性は必ずしも幸福に直結するわけではない。

スマホの危険性を十分に解いた後、著者は現代人が元気になれるこコツを伝授している。

ほとんど全員が元気になれるコツがいくうかある。睡眠を優先し、身体をよく動かし、社会的な関係を作り、適度なストレスに自分をさらし、スマホの使用を制限すること。(p.235)

 

現代人であれば誰しもがスマホ依存症になるリスクを抱えている。この本を手元に置いておくことで、スマホ依存症になりかけたと感じた際に抜け出すきっかけになるだろう。

 

【本の紹介】大江健三郎『芽むしり仔撃ち』【あらすじ】

オススメ度:★★★★☆

「いいか、お前のような奴は、子供の時分に締めころしたほうがいいんだ。出来ぞこないは小さい時にひねりつぶす。俺たちは百姓だ、悪い芽は始めにむしりとってしまう」(p.218)

 

大江健三郎『芽むしり仔撃ち』

 

あらすじ

第二次世界大戦の終わりごろの冬、不良少年たちを集めた感化院の一同が集団疎開をする。しかし受け入れ先の村では「疫病」が流行しており、村民たちは少年たちもろとも村を封鎖し、外へ逃げ出してしまう。

感化院の少年らは一緒に取り残された疫病で母を失った少女、朝鮮人の少年、逃亡中の兵士、野犬とともにその村で自分らの共同体を形成する。閉ざされた村で自由を甘受していた少年たちだったが、村人の帰還により共同体と自由は破壊される。

 

感想

「少年らによる理想郷の形成」と言って、まず私が思いつくのが宗田理の『ぼくらの七日間戦争』である。この小説はある夏休みの前日、中学1年生が河川敷の廃工場にバリケードを張り大人たちとの戦争を繰り広げるというものである。どちらにも共通しているのが少年らによる理想郷の形成という点と、社会疎外者(子ども、感化院、朝鮮人)と共同体構成員(大人、村民)の対立である。

社会という分節化(既存の構成員によって秩序が決定されている状態)されているところに新しくやってきた人々と既存の構成員の間には常に摩擦が生じる。『芽むしり仔撃ち』も『ぼくらの七日間戦争』も、入り口はこの摩擦にある。

 

この摩擦に対して『ぼくらの七日間戦争』と『芽むしり仔撃ち』では2つの点で異なる描き方をしている。それはファンタジーと現実とも言い換えることができる。

 

一つ目が自らの意思で「閉じこもった」のか外部の力によって「閉じ込められた」のかという点である。『ぼくらの七日間戦争』では子どもたちが自らの意思で閉じこもり戦争を始める。一方で「芽むしり仔撃ち」では疫病の流行によって村民たちが逃げ出したうえで唯一の村の入り口にバリケードを張り、銃を持った見張りまで立てて感化院の少年らを隔離する。隔離された少年らは当初見捨てられたことに困惑するが、次第に理想郷の形成へと気持ちを一つにしていく。

ここで「閉じ込められて」いながら自由を感じている様子は、安倍公房の『砂の女』とも共通している。自由の本質が状況ではなく心持にあることが分かる。

 

もう一つの違いが衝突の勝敗である。『ぼくらの七日間戦争』では少年らが最終日に盛大に花火を上げ、自分たちが自由を獲得したことを高らかに宣言する。そして最後は大人たちへの世界(日常)へ自分らの意思で戻っていくことで尊厳を失うことなく大人になっていく。

他方『芽むしり仔撃ち』では閉鎖した村に戻ってきた大人たちが、暴力によってその理想郷と少年らの自由を破壊して回る。その結果大半の少年は自らの意思とは関係なく大人たちの世界に戻ることを余儀なくされる。そして最後まで自分の意思を貫き通した「僕」は共同体の外へとつまみ出され、世界から消し去られていく。この圧倒的不条理によってむき出しの現実をありありと描き出している。

 

住みよく生きるためには、社会が分節化されているという現実を前にその不条理を理解し、不条理の内側で自由を感じる努力をする必要があるのではないだろうか。

 

 

【本の紹介】竹内薫『99.9%は仮説』

オススメ度:★★★☆☆

「そんなことありえない」と頭ごなしに否定するのではなく、「限りなく黒に近いかもしれないけど、これもやっぱり仮説のひとつだ」と肯定的に捉えるべきなのです。(p.203)

 

竹内薫『99%は仮説』

著者:竹内薫(1960~)

東京都生れ。サイエンス作家。東京大学理学部卒業後、マギル大学大学院博士課程修了。『怖くて眠れなくなる科学』、『体感する数学』など著者多数。

 

キャッチーなタイトルでついつい手に取ってしまいたくなるこの本。そのタイトルの本質を一言で言えば懐疑主義にとても近い。

人間の知覚や科学が全能でないという前提を置いた上で、どのように振る舞うのがベストかを説いている、

 

すべては仮説に過ぎない

この本ではまず世の中のすべての主張が仮説に過ぎないという主張からスタートする。

世の中の常識や科学といった「定説」は現時点で有力視されている仮説に過ぎない。過去を振り返れば、天動説は崩れ、宇宙空間にエーテルは存在せず、つぶれないと言われた山一證券が倒産した。これらすべては当時の「定説」であったはずだが、結果として崩れ去っている。すなわち、現在の定説も超歴史的な事実であるとは限らずいつか覆される可能性がある。

 

弱い懐疑的態度で生きる

定説を受け入れるということは思考停止と同義である。とはいえデカルトの一切懐疑のような態度で生きるのは苦しすぎる。ではどのような態度で生きることが求められるのであろうか。

「そんなことありえない」と頭ごなしに否定するのではなく、「限りなく黒に近いかもしれないけど、これもやっぱり仮説のひとつだ」と肯定的に捉えるべきなのです。(p.203)

脳死で受け入れるわけでも一切を否定するのでもなく、常識や定説と言われているものでももしかしたら違うのかもしれないと弱い懐疑的態度で生きることで視野を広げ、柔軟な思考を可能にする。考えに生き詰まったときに、当たり前だと思っていた前提を疑う態度を身に着けていれば突破口になるかもしれない。

 

またこれは人間関係にも転用可能で、他者が自分と違った前提を持っていることを理解することで協調していける。

 

【贈り物にオススメ】『世界一やさしい問題解決の授業』

オススメ度:★★★☆☆

 

小学生が問題解決のスキルを学ぶのに適した本。「やりたいことを叶える」ために考えることがどれだけ大切かが書かれている。

子供がいる人への贈り物に最適。

作者『世界一やさしい問題解決の授業』

 

 

頭を使うことは役立つ

書かれていることは大変シンプルで2つだけ。①頭を使うことは役に立って②そのための道具としてロジックツリーがある。

 

子どもに「考えろ」という時、大半の大人は無責任である。なぜ考えなくてはいけないのか、どのように考えれば良いのか。重要な部分をすっとばして抽象的な要求だけをぶん投げる。

無理を要求された子どもはとりあえず適当に考えて、大人から「違う、考えられていない」と理不尽を押し付けられる。

 

一口に「考える」といっても、その実態は大きく2種類に分けられる。一つ目は経験則に基づいてアウトプットすること、所謂智恵である。自分や周りのこれまでの経験というフィルターを通すことを考えると見なす。これは体系的知識のない時代の人々にとっては非常に重要で、老人たちが重んじられてきたのもこのためである。雲の形から天気を予測するのがこれにあたる。

もう一方が広義でのロジカルシンキングである。前提と論理の積み重ねによって結論を下す。科学の発展とともに発達し、今日では多くの方法論が語られている。

 

本書では後者を「考える」と位置付け、その有用性と方法論を述べている。

 

なぜ子どもは後者の「考える」を学ぶ機会が少ないのだろうか。それは大人たちも「考える」訓練を受けていないからである。

ほとんどの大人が考え方を知らずに、知恵に頼って考えたフリをし続けている。考えるスキルがない大人が考えるスキルのない子どもを再生産している。

 

この回転から抜け出すためには自分で「考える」方法を身につけるしかない。本書はきっとそのいいきっかけとなるだろう。

 

 

【オススメ】大石哲之『コンサル一年目が学ぶこと』【要点まとめ】

オススメ度:★★★★★

他人に貢献することを仕事のゴールにする(p.219)

 

大石哲之『コンサル一年目が学ぶこと』

新入社員向けのビジネス書や講座は多くあるが、その中でもこの本は重要な要素に絞られて書かれている良書。入社前よりも入社半年~2年目の人が読むと自分の至らない点に「ドキリ」できより効果が得られると感じた。

私がこの本を初めて読んだのは入社1年目のときで、まさに自分が課題だと感じている点が多く書かれており、猛省するいい機会となった。したがって当時自分が「ドキリ」とした内容を抽出しまとめた。

PREP法

論理的に話すためのフォーマット。要点を効率よく伝えるためには、時系列ではなくこのフォーマットで話す方がよい。

上司や先輩に報告する前には、一度このフォーマットに沿って整理するよう心掛ける。

Point→Reason→Example→Point 

 

ロジカルシンキング

ロジカルシンキングについては以下の本が完成されているとし、多くの説明をこちらに譲っている。どこかのタイミングでこちらの本も必ず読みたい。

 

仮説思考で意思決定を速める

「はじめに仮説有りき」(p.)

仮説思考もコンサルの超基本のひとつ。

問題発生→情報収集→検討ではいたずらに時間を浪費してしまう。仮説を立て検証・FBを高速で回すことで効率的に仕事を進めることができる。

また仮説思考は意思決定を早めることにも寄与する。通常問題発生してから対応にあたるが、普段から課題意識をもち仮説を立てておくことで、いざ問題が生じた時に迅速に対応できるようになる。

 

コミットメントとは

ライザップのCMで広まり、近年よく聞く「コミットメント」という言葉。横文字でふんわりした印象がある。この本ではその意味について明瞭に示している。

一度約束したことは、何があってもやり遂げる。それがコミットするということ(p.)

ビジネスは信頼の積み重ねであり、信頼は約束を遂行することで蓄積される。「何がああってもやり遂げてくれる人」という評判は、社内外どちらに対しても効力を発揮する。

とはいえ、理不尽な要求や無理難題を戦略なしでこなしていては身が持たない。そこで重要になってくるのが次項の「期待値マネジメント」である。

 

期待値マネジメント

最後にこの本で一番重要だと感じた「期待値マネジメント」について。

 「ビジネスというのは、突き詰めると、 相手の期待を、常に超え続けていくことにほかならない。 顧客や消費者の期待を超え続けていくこと。上司の期待を超え続けていくこと」(p.65)

業種・職種・役職関係なく、つまるところビジネスとは相手の期待値を超えていくことだと言える。そのためには期待値を達成するための能力はもちろんだが、期待値を正しく把握する力が必要になる。これが一番難しい。

いきなり習得するのは難しいが、本書では期待値を把握するため、仕事を受けるときに抑えておくポイントが紹介されている。それが以下の4点である。

①その仕事の背景や目的

②具体的な仕事の成果イメージ

③クオリティ

④優先順位・緊急度

どれも基本的なことだが、そもそもこれらをなぜ抑えておかなくてはいけないのかを念頭に置いておくことでその質を上げることができる。

 

この本に書かれていることはどれも当たり前のことである。しかしその当たり前を目的意識をもってどれだけ忠実に行っていけるかによって5年後、10年後の仕上がりが変わってくるだろう。

 

稲垣栄洋『世界史を大きく動かした植物』

オススメ度:★★★★★

マヤの伝説では、人間はトウモロコシから作られたとされている。人間がトウモロコシを創り出したのではなく、人間の方が後なのだ。

 

稲垣栄洋『世界史を大きく動かした植物』

人類の歴史は、常に植物と共にあった。食べ物として、衣服として、貨幣としてそして麻薬として。

この本では史学、経済学、植物学、栄養学、気象学といった側面から多元的に植物と人類の歴史を考察している。

知的好奇心がくすぐられる良本。

 

進化のいたちごっこ

ダーウィンの進化論によれば、環境に適応できない動植物は自然淘汰され、その時々の環境に適用した個体が子孫を残し進化を遂げていった。

すると起きるのは環境に適応し進化した動植物に適応し、新たな進化が生じるという生命のイタチごっこである。

例えば、草原に植生するイネ科の植物と牛や馬の関係もその一つだ。

 

森林ではなく草原に植生するイネ科植物は、食べられないような工夫として葉から栄養をなくし、成長点を低くした。牛や馬は栄養のないイネ科から栄養を得るために、臓器を増やし発達させた。また多くの多量の植物を食べるために身体を大きくした。

 

食べられないよう進化したイネに対し、何としてでも食べるために牛や馬が進化している。短期的に見れば自然は均衡が取れているが、長い目で見るとゆっくり移り変わっていることがよくわかる。

 

単子葉類と双子葉類

生物は常に複雑な方向に進化していくだろうか。この問いに否定するのが単子葉類と双子葉類の例である。

単子葉類と双子葉類の違いは中学理科で習う。単子葉類はわしゃわしゃとしたひげ根を持ち、師管と道管はバラバラに位置している。一方の双子葉類は根が主根と側根に分かれており、茎には師管と道管が維管束という形で綺麗に配置されている。

一見すると単子葉類が原始的で双子葉類が洗練されているように見え、単子葉類から双子葉類に進化したように思える。しかし実際は逆である。

単子葉植物の構造は単純であるが、じつは単子葉植物の方が進化した形である。  単子葉植物の一枚の子葉は、もともと二枚だったものをくっつけて一枚にしたものである。また、形成層のようなしっかりとした構造は、茎を太くして、植物体を大きくするためには必要だが、それだけ成長に時間が掛かることになる。そのため、単子葉植物は、スピードを重視して、形成層をなくしてしまったのだ。

個が強くなることより早く成長するという戦略を変えたことで、単子葉類が生まれたという。感覚に反する面白い例だ。

 

経済と植物

生産し貯蓄できる植物は経済とも密接に関わっている。

種子は食べるだけでなく、保存することができる。保存しておけば翌年の農業の元となるが、残った種子は、人類にある概念を認識させる。それが「富」である。(中略)お腹を満たす食糧とは異なり、「富」は蓄積することもできれば、奪い合うこともできる。攻めては富を得ることもできるし、攻められれば富を奪われることもある。こうして、農業を行う人々は競い合って技術を発展させ、強い国づくりを行ったのである。 こうして農業は「富」を生みだし、強い「国」を生みだした。そして、技術に優れた農耕民族は、武力で狩猟採集の民族を制圧することができるようになったのである。

また日本においても、

どうして戦国武将たちは、こんなに熱心に水田づくりを奨励したのだろうか。じつは「コメ」は単なる食糧ではなく、「貨幣」そのものであった。

貨幣が統一されていない戦国時代には、「コメ」が一般的等価物として機能していた。そして織田・豊臣の時代を経て、徳川の時代に「コメ本位制」が確立する。「コメ本位制」になったことで、江戸時代の諸藩は新田開発を加速させる。すると米の価格が下がり(インフレが起こり)、経済が不安定化した。そこで登場するのが徳川吉宗である。

そこで、コメ将軍と呼ばれた徳川吉宗はコメの価格を上げるために享保の改革を行い、経済の立て直しを迫られるのである。

 

栄養の保管は人類共通のテーマ。日本人はコメを収穫して保管したが、寒冷なヨーロッパでは植物を家畜に食べさせることで栄養を保管した。しかし冬にはその家畜に食べさせる植物も無くなるため、屠殺して保存するしかなかった。この時

イネ科植物の茎や葉は人間の食糧とはならない。そこで、イネ科の植物を牧草として草食動物に食べさせて、動物の肉を食料とするのである。家畜は英語で「リブストック」という。これは「生きた在庫」という意味である。

 

ほかにもこの本には西欧人がジャガイモを「聖書に書かれていない植物」として忌避した話しや、サクラの語源が稲作に関連があるなど、面白い話が多く載せられている。

ぜひ週末の読書に。