オススメ度:★★★★☆
「それは、カトリック校の子たちは、国籍や民族性が違っても、家庭環境は似ていたからだよ。」(p.59)
あらすじ
ブレイディみかこの息子である「ぼく」の中学生活の最初の1年半をえがいたエッセイ。ブレイディ家はアイルランド人の父と日本人の母(ブレイディみかこ)とその息子である「ぼく」の三人家族で、イギリスで暮らしている。息子の「ぼく」が通う小学校は市内1位の公立のカトリック校で、その卒業生は市の中学ランキング1位のカトリックに進むのが普通となっている。ところが中学校入学申請を出す直前、「ぼく」が選んだのは1位のカトリック校ではなく、元・底辺中学校であった。
両親は心配していたが、当の本人はあたらしい生活をエンジョイしているようであった。そんなある朝、母は掃除のためのぞいた息子の部屋でノートの落書きを発見し、ショックを受ける。そこに書かれていたのは、"ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー"という彼の複雑な心境を表現したと思われる言葉だった。
ワイルドな環境の中で「ぼく」は人種差別、いじめ、貧富の差、アイデンティティなどさまざまな問題と“ぶち当たり”、乗り越えながら少しずつ親子で成長していく。
感想
制度面における日本とイギリスの違いが興味深かったのと同時に、やはり差別問題の背後には経済的分断があると感じた。
まず驚いたのがイギリスの貧困家庭で暮らす子どもが多いことだ。イギリスでは2010年に政権が労働党から保守党に変わったのを機に減っていた子供の貧困が増加し、2016~2017年では貧困家庭で暮らす子どもの割合が1/3にまで増えてしまっている。
家庭の経済事情の変化は子どもたちの社会にも影をおとす。このことを象徴するこんな会話があった。
「...小学校の時は、外国人の両親がいる子がたくさんいたけど、こんな面倒なことにはならなかったもん」
「それは、カトリック校の子たちは、国籍や民族性は違っても、家庭環境は似ていたからだよ。 ...でもいまあんたが通っている中学校には、国籍や民族生徒は違う軸でも多様性がある。」(p.59)
生活は文化や慣習よりも経済によって規定される。差別は文化や国籍よりむしろ、生活水準の違いによって生じてしまう。人間は自分と似た環境の人には心を寄せやすいが、生活様式が異なる人には共感しにくい。経済格差が拡大すると人々の生活の違いも増幅させ、結果として民主主義を支える概念である「連帯」を弱めてしまう。
経済格差はミクロレベルでもマクロレベルでも社会を分断してしまうのだと、この本を読んで強く感じた。