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【本の紹介】室井尚『文系学部解体』で大学事情を学ぶ

オススメ度:★★★☆☆

みなさんは文系学部のついてどんな印象がありますか?

文系の大学生と言うとどうも適当に授業を受けてあとはバイトやサークルに明け暮れている人たちを思い浮かべることが多いんじゃないでしょうか。

大学における人文学には、どのような意義があるのでしょうか。

 

どんなことが書いてあるか?

内閣による文系学部の解体に対し、怒りと嘆きをあらわにした本。

 

その他にも日本の人文系大学教育の変遷や、法人化してからの職員の不憫な現実などが筆者の所属する横浜国立大学を例にあげながら語られています。

 

話の中で興味を面白いと思ったものをいくつかピックアップして紹介したいと思います。

 

 

「新課程」とは何か

2015年、当時の文部科学大臣・下村博文の名で全国の国立大学に対して「文系学部の廃止・縮小」の要請がなされました。

この文系学部解体で、やり玉にあがっているのが「教員養成系大学・学部の新課程」です。

 

この「新課程」とはなんのことなんでしょうか

簡単に言えば、「新課程」とは教員免許を目指さない教育学部のことです

 

もともと「新課程は」は80年代の学生の受け皿として誕生しました。

80年代の日本は団塊ジュニア世代が大学入学の年齢になり大学の需要が増加。

一方で子どもの数の減少により教員の需要は減少や一般企業のバブル期の新卒大量採用によって教員免許取得のインセンティブは急速に低下していきました。

 

教育学部の定員は減らせないが教員免許の需要は低下しているという状況で打ち出されたのが、教員免許取得を目指さない「新課程」なのです。

 

 

91年改革

中曽根政権時代の89年、政府は大学のあり方を見直すとして大学審議会を設置しました。

それから2年後の91年、「大学設置基準の大綱化」という政策がとられます。

 

この政策により大学設置基準が以前と比べて甘くなり、多様な大学が出現することになりました。

宗教系のみならず、その時その時のブームを反映した大学や学部も多く設置され、少子化と相まって「大学全入時代」に突入していきます。

 

なぜこんな政策がとられたかといえば、中曽根総理の推進した新自由主義経済学と深く関係しています。

新自由主義経済とは平たく言えば市場原理にまかせて競争されればよい結果が得られるだろうという考えのことです。

 

大学経営にもこの考え方を導入することで悪質な大学は自然淘汰され、大学全体の質が上がると考えられました。

 

新自由主義経済学の考え方はこの後も続けられ、2004年には国立法人化がなされます。

国は「経営改善努力」を建前にこれを進めていきましたが、実際には国営・私営の悪いところどりとなり、国立大学はさらに苦しい立場に置かれるようになりました。

 

 

人文学の役割

この本で主張されているのが人文学の役割です。室井教授は国の人文学の軽視に対し強く抗議しています。

 

さて国はこの文学部解体の政策で社会の役に立たない学部に力を廃止・縮小させようともくろんでいますが、本当に人文学は役に立たないのでしょうか。

 

室井教授デリダやカントの考えを並べながら以下のように説明しています。

 人文学を活かすためには、そうではなく、国家の施策や方針に対して自由に批判したり、問題設定そのものを問い直したりするような自由な知性の場所を大学に確保しなくてはならない。そうしたきわめて重要な役割を担っているのが人文学なのである。「大学の自治」とか「学問の自由」とはこのことにほかならない。(p.103)

 

知性のある、独立した場所を大学に確保しておくことこそが人文学の役割なのです。

 

 

感想

私が文系学部であり、またこの本を書いた教授が私の大学の教授だったので興味を持ち読んでみました。

 

「新課程」設立の経緯を読んだ時点では「少子化によって新課程の役割はすでに終えられたのだから少なくともこの大学に新課程を残す意味はないのでは」と思いましたが、読み進めているうちに室井教授が横国の「新課程」に人文学としての役割を期待していることに気が付きました。

 

いくら大学が独立した研究機関だといえど、実際には社会のブームに踊らされ新しい学部学科を設立したりなど影響を少なからず受けています。

学生の立場としては、一時のブームや流行に流されることなく、学問の本質的な部分を安心して学べる場を提供してくれることを大学に期待したいです。