オススメ度:☆☆☆☆
ある夏休みを翌日に控えた暑い夏の日、東京の下町にある1年生のクラスの男子生徒全員が忽然と消えてしまった。大人たちは事故か誘拐かと困惑する。彼らはどこに消えたのであろうか。大人たちの心配をよそに、彼らはある場所に集まっていた。それは荒川の河川敷に放置されたある工場跡。彼らはその工場跡にバリケードをつくり、立てこもっていた!
そして彼らはそこを“解放区”と呼び、理不尽な大人たちに対し七日間にわたる戦いを繰り広げる!
以上が「ぼくらの七日間戦争」のあらすじです。
「ぼくらの七日間戦争」は今から30年以上前の昭和60年に発行された、宗田理による少年向け小説です。
勇敢で個性豊かな中学生たちが、理不尽で汚い大人たちに挑み、次々に悪事を暴いていきます。少年たちの長所を生かした作戦や団結力で大人たちをさばいていくさまは、読んでいて痛快です。
中学編から始まり、高校生編、青年編と次々に続編が発表され、シリーズ累計発行部数は1500万部を記録するメガヒット作品となりました。
私はこの作品が大好きで、中学生で初めて出会ってから3回読み、最近実写の映画も初めて見ました。400ページ近い本ですが、読みやすい文章と勢いのある展開ですいすい読むことが出来ます。
好きで3回読んだこの作品ですが、毎回全く異なる感想を持つという奇妙な体験をしました。もっと言えば面白いと感じた回もあれば、正直あまり面白くないなと思った時もありました。
それぞれの回をいつ読み、どのような感想を持ったか、そしてなぜ感想が変わったかについて書いていこうと思います。
1回目:中学生のとき
私が最初にこの作品を読んだのは中学生の時でした。
序盤からとてもワクワクしたのを覚えています。
まずバリケードがかっこいい。理由はさだかではないけれど、中学生にはバリケードがかっこよく映る。籠城や無線など、よくわからないけど男子が惹かれてしまう不思議な単語に、私もしっかりひきつけられました。
参謀役が作戦を立て、仲間を信用し、任務を遂行する。スパイ映画さながらの一連の動きは、男子を虜にするには十分すぎました。
「ぼくらの七日間戦争」最大の魅力は、おかしい大人たちに対し“自分たち”子どもがしかしをするというスカッと感にあります。
当時中学生だった私は作中の子どもたちと自分を重ね合わせて、彼らが大人たちから解放されて自由に振る舞うさまに興奮しました。
自分もこんな風に嫌いな大人に一泡吹かせてやりたい、
中学生である自分も単なる大人の所有物ではなく、尊厳をもった一人の人間なのだと主張したい。
当時の私はこの本を読みながら本気でこんなことを考えていたと思います。
この本の本来のターゲットの年齢の時に読み、期待された通りの感想を持つ。
この本は目的を十分に果たし、中学生だった私はとても満足しました。
オススメ度(中学生):☆☆☆☆☆
高校生のとき
次に私が「ぼくらの七日間戦争」を読んだのは高校に入ってからでした。
ブックオフで100円の古本を買いあさるようになったのもちょうどこの頃からです。
星新一や赤川次郎なんかをよく読んでいました。
ある日、ブックオフで「ぼくらの七日間戦争」を見て中学のときの興奮を思い出し、買ってみることにしました。
帰るとすぐにワクワクで読み始めました。楽しみで次々にページを進めました。
ところがどうも読めども読めどもあの頃の興奮が感じられない。
それどころか、彼らがいたずらや罠を仕掛ける様子が滑稽にすら思えてしまう。いくらコテンパンに大人を打ちのめしたところで、いくらもスカッとしない。
なんとか最後まで読み終えたものの、どこかモヤモヤとしたものが残ってしまいました。
なぜ中学の時は面白く感じられて、今度読んだときにはつまらないのだろう。私は考えました。
そうしてやっと中学の時の自分と、高校生の自分との違いに気が付きました。
もちろん、いたずらの発想が幼稚で現実離れしているということもありますが、それ以上に違和感を覚えたのは当事者である子どもたちの動機です。
中学生の頃に読んだときには大人たちの理不尽さや小賢しさばかり目について、それに抗う子ども達の復讐のモチベーションにはあまり関心がありませんでした。
高校生になって再び読んだときには、この動機のほうがひっかかるようになってしまいました。反抗期の中学生がただやりたい放題やっているだけに見えて、彼らに共感できなくなったのです。
共感できない動機で大人たちを打ち倒したところで、対岸の火事でしかなくそこに面白みはありません。
ただ、自分が違う感想をもったことから自分も成長しているのだと感じられたことは、「ぼくらの七日間戦争」の2度目を高校生の時に読んでよかったなと思えた点でした。
オススメ度(高校生):☆☆
大学生のとき
私がもっともこの本を読んで感動したのは3度目に読んだときでした。3度目に「ぼくらの七日間戦争」を読んだのは成人を迎えてからです。
高校生でこれを読んでがっかりしたのは覚えていましたが、家の本棚を整理していた時に見つけて、懐かしさからもう一度読んでみることにしました。
この作品に出てくる中学校の教員に、西脇由布子先生という人がいます。
短大を卒業したての新米の養護教諭で、その美しさから男子生徒のあこがれの的となっています。主人公である菊池英治も西脇先生のファンの一人で、「西脇先生の処女を守る会」の会員でもあります。
西脇先生は教師でありながら、校長らとは立場を異にしています。
バリケードに差し入れを持っていったり、学校の内部情報を漏らしたりと生徒の味方として描かれています。汚い大人まみれのこの作品の中で、唯一の良い大人でもあります。
英治たちも大人たちと戦う傍ら、西脇先生を喜ばせようとサプライズを用意します。
もっとも印象的なものに、大人たちの悪事を暴いた後に行った大型花火の打ち上げがあります。
花火打ち上げの夜、西脇先生は女子生徒に連れられ解放区の対岸の堤防にやってきた。夏の夜の冷えた風を感じながら、先生とその女子生徒らは草むらに腰を下ろして花火を眺めていた。
その日一番の花火が命を終え、静寂が訪れた。そのとき、スピーカーから「こちら解放区。いまからメッセージを送ります」とアナウンスが流れた。
そして屋上に火と煙があがり、こう真っ赤な文字が浮かび上がった。
以下はこれを見た西脇先生のモノローグで、本文そのままです。
由布子にも、こんな時代がたしかにあった。それはいつだっただろう。ついこの間のような気もするのに、もう手の届かないところに去ってしまった。懐かしさで、胸が切なくなってきた。
踊っている三人の姿がにじんで、やがて見えなくなった。
これを読んで、私は胸が熱くなる思いをしました。
初めて「ぼくらの七日間戦争」を中学の時に読んだときには、少年たちに自分を重ね合わせて感動した。高校生の時には、もう彼らに共感できなくなり面白みを感じられなくなった。そして成人して読んだ今、面白いと感じた。
また面白いと感じられたのは、再びこの作品に共感できたからです。今度は子どもたちではなく、西脇先生に。
このモノローグは自分がもう解放区の彼らのように内に湧き上がるエネルギーのまま動き、大人に反抗し、自由に振る舞うことが出来なくなってしまったことを実感させるのです。
これに気が付いたとき、私はひどくノスタルジックな気分になるのでした。
少し前まで子どもだったはずなのに、それは二度と戻らない過去になってしまったのです。
このように少年時代を懐古していると、英治たちがたまらなく羨ましくなるのです。
今後、歳をとっていったとき、西脇先生に共感できなくなる日が来るかもしれません。またつまらないと感じてしまう日が来てしまうかもしれません。
それでも私は、今後この本を読むたびに少年時代を思い起こすでしょう。
小学生や中学生のころ、この本を読んだことある人は多いのではないでしょうか。
今中学生だという人はぜひ読んでみてください。
大人のみなさんが、少年向けの小説に手を出すことはほとんどないと思います。
子ども時代に「ぼくらの七日間戦争」を読んだことがある、という人はぜひもう一度読んでみてはいかがでしょうか。
きっと、昔読んだときとは違う読書体験ができるでしょう。
オススメ度(成人):☆☆☆☆