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【本の紹介】村上春樹『女のいない男たち』

オススメ度:★★★☆☆

なされなかった質問と、与えられなかった回答。彼は火葬場で妻の骨を拾いながら、無言のうちに深くそのことを考えていた。(「ドライブ・マイ・カー」p.36)

村上春樹『女のいない男たち』

著者:村上春樹(1949~)

京都府京都市生れ。早稲田大学第一文学部卒業。1979年『風の声を聴け』で群像新人賞を受賞しデビュー。1987年に発表した『ノルウェイの森』は上下巻1000万部のベストセラーとなり、村上春樹ブームが起こった。2006年にはフランツ・カフカ賞をアジア圏で初めて受賞。主な作品に『海辺のカフカ』『1Q84 』などがある。

 

季節を感じない作品

村上春樹に季節があるとすれば、それはいつ頃になるだろうか。

私がこれまで読んできた村上作品から感ずるに、セミの鳴かなくなった夏の終わりから、クリスマスの気配がする直前の秋の末くらいだと考える。もちろん、数多く存在する村上作品によってイメージする季節はまちまちではあるし、人によって受け取り方も変わるだろうが、とにかく、作品から季節が感じられるというのは一つの特徴ではないだろうか。

 

上記のように、私は村上春樹の作品にざっくり秋のイメージを持っており、また今回もそれを期待して読み始めた。

先に結果だけ言ってしまうと、『女のいない男たち』からは何か特定の季節というものは感じられなかった。

季節性を期待したのは私の勝手なので、その件で期待外れだと思うのは一般的にはお門違いではあるが、その点ではあくまで勝手にがっかりした。

 

では全体のとして感じられたイメージは何かと問われれば、私は「土」かなと思う。土といっても安部公房の『砂の女』のような(こちらも女という字が使われている)、自然に存在する掘っても掘っても底のない膨大な土のイメージとは違い、街中にごく普通にある浅い土のようなものを感じた。

 

イエスタデイ

『女のいない男たち』の6作品のうち、特に印象に残ったのが「イエスタデイ」という短編である。

 

以下あらすじ

早稲田を目指し、2浪目に入った木樽は喫茶店のバイトで知り合った「ぼく」に小学校の時から付き合っているガールフレンドを譲ろうとしてくる。それから16年経ち、ぼくはあの頃木樽が歌っていた関西弁のイエスタデイとともに当時を回顧する。

 

この短編に惹かれた理由は、ポジティブなものとネガティブなものとそれぞれ1つずつある。

 

まずポジティブな理由としては、物語のキーとなる登場人物で浪人生の木樽が持つ、平和ボケした若者特有の漠然とした悩みが自分にも心当たりがあったことだ。

しかし人生とはそんなつるっとした、ひっかかりのない、心地よいものであってええのんか、みたいな不安もおれの中になくはない(p.80)

問題のない家族を持ち、それなりの学校に通い、定職を得る。持たざる者からすればのどから手が出るほど欲しい普通で無難な毎日が、実際にそれを送っているものからするとなんとも味気なく、かえって不安な気持ちにさえなってくる。

冷静に俯瞰してみれば贅沢な悩みであることは明らかであるが、なんとも心の中ではモヤモヤとしたものが残る。

この木樽の悩みには、いたく共感し、印象に残る一文となった。

 

もう一方のネガティブな理由というのは、この短編の文体である。

この本の冒頭で村上春樹は、短編小説というのは様々な文体を試すのに向いていると語っていた。

このことからこの本に収められた短編たちにも、いくつかの挑戦的な文体の実験が行われたことが想像できる。

 

この挑戦が災いしてか、なんとなく「イエスタデイ」という短編の文体は、村上春樹に憧れた人が村上春樹をまねて書いたような、ムズムズ感を感じさせられた。

間違いなく村上春樹の作品ではあるので、このような感想が適切でないことは重々称しているが、素直な気持ちとして、そういった部分があった。

 

 

まだ村上春樹の長編の新作は読めていないので、ぼちぼち手を出そうかと思う今日この頃。