オススメ度:★★★★☆
大女優アン・ハサウェイの映画デビュー作。
アン・ハサウェイ演じるミアは、サンフランシスコの高校でさえない高校生活を送っていた。そんなミアのもとに、15年間音沙汰なかった父方の祖母から連絡が。
それは祖母がヨーロッパの小国の女王で、ミアはその唯一の王位継承者であるという知らせであった。
15歳のミアが自分の家族や将来、友人そして気になる異性との関係に悩みながら成長していく、コメディ・サクセスストーリーになっている。
『プリティ・プリンセス』
あらすじ
15歳のミア・サーモポリスはサンフランシスコの高校に通うさえない高校生。
学校内では目立たない存在で、本人もそれを望んでいる。とにかく人の前に立つのが苦手で、クラスのディベートでは吐き気を催してしまうほど。友達も少なく、親しくしているもは親友リリーとその兄マイケルくらいであった。
ミアの両親は離婚しており、ミアは母親と一軒家に二人で住んでいる。父とは1年に1回誕生日にプレゼントが届くだけの関係であったが、不慮の事故で2か月前に亡くなってしまった。
そんな頃、ミアの母のもとにとある人物から連絡が入った。それはミアの父方の祖母クラリスからであった。そして生まれて初めて会うクラリスから、ミアは初めてクラリスがヨーロッパの小国の女王クラリス・レナルディであり、父亡き後ミアが唯一の王位継承者であることを知らされる。
突然の知らせに驚き困惑したミアは王位継承を拒否するが、ひとまず次の建国記念日に行われる舞踏会まで王女としてのレッスンを受けることに同意する。
ミアがプリンセスであることは秘密にされるはずであったが、王女としての訓練の中でミアを担当したスタイリストがこのことを口外してしまう。
この暴露によってマスコミは一斉にミアに注目、ミアは学校でも注目の的となってしまう。マスコミはミアを追いかけまわし、デートの様子までもをゴシップする。
舞踏会当日の日、ミアは自信をなくしプリンセスとしての自分を放棄し旅に出ようとする。しかしその時たまたま父が遺した手紙を発見し、励まされる。
ミアは雨の中舞踏会に出席すべく飛び出し、来賓の前で王女となることを宣言する。
『プラダを着た悪魔』との比較
私の好きな映画の一つに『プラダを着た悪魔』という作品がある。一流ファッション雑誌「ランウェイ」のワンマン編集長ミランダ(メリル・ストリープ)のもとで働き始めたアンディ(アン・ハサウェイ)が悩みながらも自分の道を見つけていくストーリーだ。
本作と『プラダを着た悪魔』には多くの共通点が見出せる。
まず一つ目は主演がアン・ハサウェイであるということ。本作はアン・ハサウェイが18歳の時の作品で、映画デビュー作でもある。そして『プラダを着た悪魔』はアン・ハサウェイが23歳の作品になる。
二つ目はさえない人物のサクセスストーリーであること。本作の主人公のミアは校内でもしょっちゅう人にぶつかられてしまうほどの存在感の無さで、見た目もゴワゴワの髪に分厚い丸メガネと、ダサい格好をしている。そんなミアもスタイリストによって見た目を変え、女王のレッスンを受けることで立ち居振る舞いが洗練、最後には堂々と自分の意見を大勢の前で述べられるほど立派に成長する。
『プラダを着た悪魔』ではもともと着る物なんかに何も意識せず、クローゼットから適当に取った服を着回してるだけだったアンディが、華やかな世界で働くうちにジミーチュウの靴を履き、シャネルの香水を振りかける美々しい女性へと変化し、その中で自分の生きる道を見つけていく。
最後が大物助演女優賞の存在だ。
本作ではミアの祖母でありジェノヴィア女王役としてジュリー・アンドリュースが、そして『プラダを着た悪魔』ではメリル・ストリープが出演し、存在感の演技を見せている。ジュリー・アンドリュースについては次の章でもう少し触れる。
このように『プリティ・プリンセス』と『プラダを着た悪魔』には多くの類似点が見出せる。
個人的な好みとしては、『プラダを着た悪魔』の方が総合的に見て面白いと思った。どちらも素晴らしい映画であったが、キャラ・ストーリーの深掘りやビジュアル面といった点で優っていると感じた。
もちろん、『プリティ・プリンセス』の方が優れている点もある。『プリティ・プリンセス』はコメディ要素が多く盛り込まれ、笑いどころがたくさんある。
特にミアが晩餐会に招待された際の数々のトラブルは、思わず吹き出してしまった。ベタなネタばかりだが、きちんと面白い。
特に気に入ったのは、ミアがテーブルマナーが身についていないために粗相を起こすたびに、首相夫妻が王女に恥をかかせてはいけないと同じ行動をとってくれるシーン。これより滑稽な行動が連鎖して、たたみかけるような笑いになり最高のコメディになっていた。
というわけで、どちらも十分に面白い作品であるのだが、両方見るなら絶対に『プリティ・プリンセス』を見てから『プラダを着た悪魔』の順番がいい。
アン・ハサウェイの役柄が『プリティ・プリンセス』では学生で『プラダを着た悪魔』では社会人なので、この順番で見る人生の流れとして自然になっている。
またストーリーやキャラの作り込みが『プラダを着た悪魔』の方が深いので、試聴感の重み的にもこの順番がいいと思う。
ジュリー・アンドリュースという女優
この映画にハリを与えているのが、祖母でジェノヴィア女王クラリス役で出演しているジュリー・アンドリュースの演技である。
ジュリー・アンドリュースは『メリー・ポピンズ』や『サウンド・オブ・ミュージック』で主演を務め、前者ではアカデミー主演女優賞を受賞した名女優だ。
『プリティ・プリンセス』では気品ある立ち居振る舞い、ハリのある声で存在感のある演技が印象的だった。「レッツダンス」というセリフは『メリー・ポピンズ』を彷彿とさせ、内心テンションが上がった。
この映画で私が彼女の演技で感動したのは、彼女が女王の気品と一人の祖母としての心情を同時に表現し切った点である。
映画のクライマックス、大勢の名士を招いた舞踏会で、ミアは王女になるか否かを宣言する予定であった。しかしミアはなかなか現れない。女王クラリスはこれ以上招待客を待たせるわけにいかないと、挨拶のスピーチを始める。このシーンの演技がとにかく素晴らしい。このシーンは女王として常に気品を保ち、冷静沈着であろうとしながらも、孫娘が心配でならない祖母の気持ちが混ざり合った複雑な心境を表現した素晴らしい演技になっている。
ささった名言
この映画のメインテーマとなっているのは、ミアが人生の岐路でどのように考え選択していくかという点である。女王のレッスンを受けるか、王女になるかといったミアが悩むポイントでは、様々な人物の言葉がミアを後押ししていく。
普段ならあまり作中の言葉に気を止めないが、今回は自分の中のモヤモヤしているものに刺さったものがあったので、ここに記録しておく。
まずはミアがプリンセスになることよりも学校生活の方をやっていきたいと付き人ジョーに愚痴り、王女の継承を辞めてしまいたいと話した時の付き人ジョーのセリフ
自分をやめることは誰にもできない
このセリフはミアが生まれつき王位継承者であるから、プリンセスはミアの存在の一部であり、たとえ職務から逃れてもプリンセスからは逃れられないという意図の発言である。
ただ私はこのセリフを「仕事は辞められても、自分は辞めることはできないから、自分だけは裏切らない」と受け取った。なんとなく自分に失望している時期だったので、歪曲ではあるが、刺さるセリフとなった。
そしてもう一つ、最後にミアが舞踏会からエスケープしてしまおうと逃避行の荷造りをしているシーンで見つけた亡き父の手紙での名台詞。
勇気とは恐れぬことではない、恐れを克服しようと決心することなのだ。
臆病者として生きる人生に価値はない。
自分のキャリアから逃げ出してしまいたいと考えていた私には、二言目の「臆病者として生きる人生に価値はない。」というセリフがグサッときた。
上手くいかなかったり希望が持てなかったとしても、自分にとって自分の代わりはいないし、自分の代わりにキャリアを歩んでくれる人もいない。最後は自分をどれだけ信じられるかだと気付かされた作品であった。