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【あらすじ】ヘミングウェイ『老人と海』【感想】

オススメ度:★★★☆☆

「あれを持ってくるんだった」そういうものはたくさんある、と老人は思った。だが、持ってこなかったんだよな、じいさん。ま、ない物を嘆いたところで仕方がない。あるもので何ができるかを考えるこった。(p.117)

 

ヘミングウェイ『老人と海』

著者:ヘミングウェイ(1899~1961)

アメリカ合衆国イリノイ州生れ。1954年ノーベル文学賞を受賞。1961年散弾銃により自殺。代表作に『日はまた昇る』『誰がために鐘は鳴る』『老人と海』などがある。

 

感想

ピューリッツァー賞やノーベル文学賞を受賞したヘミングウェイの作品ということで、かなり期待して読み始めました。分かりやすいストーリーや魅力的な登場人物は気に入りましたが、正直なところ、途中までは「他の作品とそんなに違うかな」という感想でした。

 

評価がガラッと変わったのは、巨大なカジキとの戦いを終えた後に入ってからサメとの戦いと、港についてからのシーンでです。

見たこともないほど大きなカジキとの一騎打ちに打ち勝ち、カジキを舟にくくりつけ町まで引いていた老人は、今度はカジキを狙うサメに悩まされます。

幾度にも及ぶサメの襲撃を受け、小さな舟の老人は武器や道具を失っていきます。絶体絶命の危機に陥る老人ですが、悲観的になったり諦めることなく状況に立ち向かい続けます。

「あれを持ってくるんだった」そういうものはたくさんある、と老人は思った。だが、持ってこなかったんだよな、じいさん。ま、ない物を嘆いたところで仕方がない。あるもので何ができるかを考えるこった。(p.117)

が、何とかやってみよう、オールと短い棍棒と舵棒がある限りは。(p.119)

困難の中でも決して諦めない姿勢に心打たれました。○○が無いから出来ない、◇◇だから出来ないではなく、「今あるものでどうしたらできるか」のマインドが普遍的に求められて求めらていることが伝わってきます。

 

不屈の精神もこの作品の素晴らしいポイントですが、それ以上に感動したのが戦った"あと"の描写でした。

沖合から帰る過程で、幾たびも獰猛なサメの襲撃を受けたカジキは肉が食い荒らされ、見るも無惨な姿になってしまいました。大物を持ち帰ることを夢見て戦ってきた老人でしたが、満身創痍でその夢は打ち砕かれ、残っていたのは母港に帰る思いだけでした。

港に着き、カジキの残骸の括り付けられた船を止め、一通りの仕事道具を片付けた後、老人は泥のように眠りました。もはやカジキとの死闘は記憶の果てに行き、勝敗や大物を持ち帰る夢は老人に頭には残っておらず、老人はただ使い果たした生命の回復に努めました。

明くる朝、地元の漁師は老人の舟に括り付けられた巨大物を見て驚きました。

老人の舟のまわりには漁師たちが群がって、わきにくくりつけられたものを眺めていた。…(中略)…「鼻から尻尾まで十八フィート」計っていた漁師が大声で叫ぶ。(p.129)

 

カジキをサメに散々食い荒らされた老人は、この戦いで得たものはもう何も残っていないと感じていました。きっと読者も、老人が全てを失ってしまったと感じたと思います。

しかしそうではなかったのです。カジキの大きな骨が港にあると分かった時、胸が熱くなる思いをしました。

その日の午後、観光客の一段が〈テラス〉でくつろいで、海を見下ろしていた。すると、ビールの空き缶やカマスの死体が浮くなかに、大きな尻尾のついた白くて長い巨大な背骨が浮き沈みしているのに、一人の女性が目を留めた。湾口の外では東の風がどっしりと海を波立てており、つられて背骨も揺られていたのだ。(p.134)

港には、嘴から尾まで繋がった巨大な白い脊椎が、眠る老人の知らないところで優雅に漂っていました。

たしかに、老人は元々の目的であったカジキの肉を失いました。それでも、全力で挑戦し、戦った証は確実にそこに残り、老人には名誉が与えられたのです。このことは、全力で挑み戦うことそれ自体に価値があることを示唆しているのだと感じました。