オススメ度:☆☆☆
みなさんは調所笑左衛門という武士をご存じでしょうか。調所笑左衛門とは茶坊主上がりの薩摩藩の武士で、破産の危機に瀕していた薩摩藩の財政改革を行い、藩の再建に成功した男です。
この本は調所笑左衛門の半生を小説にしたものです。
この本をオススメしたい人
・幕末ごろの日本史が好きで、より深く知りたい。
・日本の財政改革の歴史を知りたい。
佐藤雅美『薩摩藩 経済官僚』
三行要約
・開国前の薩摩藩は深刻な財政難に陥っていた。
・調所笑左衛門が大胆な財政改革を行い、藩は再建された。
・こうして生まれた財力が、後の明治維新を支えた。
改革前の薩摩藩の財政状況
1801年には121万両だった借金はみるみる複利が膨らみ1835年には500万両にも及んでいました。これは月の収入が10万両であったことを考えるといかに膨大か分かると思います。宗主の重豪は今までと同じように、これらをはなっから踏み倒すつもりでいました。
調所の財政改革
島津宗主、重豪は借金の踏み倒しによって首の皮をつないでいましたがそれも限界をむかえていました。重豪は窮余の策として、借金をすべて踏み倒しもう一度やり直すために最後につなぎの資金として10万両だけ借りることを考えました。
しかし薩摩藩の踏み倒しと財政危機は金貸しの間では広く知れ渡っており、10万両さえも借りるのは極めて困難な状況でした。この時金を借りてくる役に任命されたのが調所笑左衛門でした。
大阪の町を2カ月まわり続け、やっと出雲屋という両替屋から資金を調達することができました。この出雲屋が経済にくらい調所のブレーンとなり財政改革が進み始めます。
調所は薩摩藩の財政のためになんでもやりました。私腹を肥やそうとするやからには常に目を光らせ、たるみの出ぬよう部下たちを叱り続けました。御上とコネをつくり貿易を強化し、ときには贋金にも手をだして薩摩藩のために尽くしました。
改革は実を結び500万両の借金を整理するに至り、さらに300万両を捻出するまでになりました。
調所の最期
晩年の調所にはひとつ気掛かりなことがありました。
それは次期宗主、斉彬が金食い虫であったことです。外国との接触が増えてきた当時、斉彬の関心は富国強兵にありました。その為に斉彬は兵や武器を強化しようと考えていました。調所はこれまで必死に蓄えたものがすべて流れ出てしまうのではないかと危惧していたのです。
一方斉彬も調所に不満がありました。(のちに誤解であることが分かるのですが)父がなかなか隠居せず、自分が宗主になれないのは調所が関係していると考えていたのです。いらだった斉彬は御上から手を回し、実質的に調所を自殺に追い込みました。
覚悟した調所は一晩豪遊した後、失意の中で自害するのでした。
感想
明治維新で活躍した薩摩藩の裏にはこのような再建劇が隠されていたと知ってとても興味深かったです。歴史の点と点がつながるいい本でした。
これは自分の問題ですが、日本史、幕末史の知識を事前にもう少しいれておけばもっと楽しめたかなと思います。もしこれからこの本を読もうと考えている人がいましたら、先に幕末史の復習をしておくことをオススメいたします。