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【雑記】脳に新たな回路をつくる喜び

 

脳に新たな回路をつくる喜び

 

脳に新たな回路をつくる喜び

このあいだ、ちょっとしたキッカケがありトップアスリートに水泳のコーチを受けてきた。

別段わたし自身が水泳の強化選手になったとか、もともとコネがあったとかではない。むしろ水泳に関して言えば真逆であり、わたしは素人のなかでもかなり程度の低い、ずぶのど素人である。

もっと言えば水泳に限らずあらゆる運動が学生のころから苦手だった。幼稚園のころすでに走るのが遅く、びゅんびゅんと軽快に走る友人に秘訣を聞くと「手をチョキにして走るとよい」というのでその通りにしたところ笑われた。

それ以降なにか得意な競技が現れることはなく、また小学生のころは外で遊ばない子供だったので体力も一向に育たず、気がつけば立派な運動音痴になっていた。どちらかと言えば、そとで駆け回るよりも部屋で勉強しているほうが楽しいとさえ思っていた。

 

そんな体たらくであったが最近ハーフマラソン完走したことで、ずっと苦手意識のあった運動に対し抵抗がなくなってきたようで、次の目標として短いトライアスロンを目指してみることにした。

走るのは気合いだけでなんとか乗り越えたけれど、さすがに水泳はそうはいかない。一人でいくら泳いだところで、大の大人が初心者用のプールで見苦しくもがき続けるだけになってしまうだろう。そこでコーチをみつけられるサービスをつかって、そこで見つけたオリンピアンに図々しくもコーチを依頼することにした。

 

レッスンは千駄ヶ谷の東京体育館で行われた。

予想とは裏腹に現役時代の覇気は纏われておらず、目尻の下がった笑顔の優しそうなコーチがプールサイドで待っていた。分厚い身体をしているがアスリートの荒々しい筋肉ではなく、第一線を退いたことが体つきからうかがえる。

 

コーチはバタ足もまともにできないわたしに一から丁寧に指導してくださり、少しの成長も見逃さずに褒めてくださった。

6歳くらいの女の子が華麗に背泳ぎを練習する横で、トップアスリートがアラサーのバタ足を補助するのはなんとも言えない気分であったと思う。こんなわたしに最後まで笑顔で対応してくださったコーチには感謝しかない。

 

そんな調子であっというまに終わった指導はこの上なく楽しかった。

指導が終わったあともプールに残り、ひとり教えてもらったコツを繰り返し練習した。ひとりではうまくいかないことも多かったが、試行錯誤する過程そのものに喜びを感じられた。

 

学生時代に感じられなかった運動の喜びをなぜ今感じられるようになったのだろうか。

 

ひとつはデスクワークの日々のなかで身体を動かすことがリフレッシュになっていることだろう。蹴伸びするため腕を伸ばすだけでも肩甲骨が剥がれていくのを感じられる。

ただ「運動を習う(学ぶ)」という点では、違った意味合いがあるように思われる。

 

コーチに泳ぎ方やそのコツを教わるとき、脳のこれまで使っていなかった領域に血が流れていく感覚がある。教わった動作が無意識として定着するまでの間は、ひたすら意識的に繰り返す必要がある。このときそれまで存在しなかった脳の回路が結ばれていこうとする。

ない回路を使おうとするので、当然はじめはうまくいかない。分かっているのに、その通りに動けない。もどかしさを感じながら何度も何度もおなじ動作を繰り返す。

反復しているうちに、うまくいく瞬間がある。ハッと目覚めるような気付きが得られる。そうしたときには回路が完成した合図で、あとは意識しなくても脳に負荷なく再現できる。

 

これは勉強や仕事ともまったく同じである。

初めて習ったことは分かったようでよく分かっていない。何度も思考を再現しようとし、腑に落ちるまで繰り返す。思考過程を血肉になるまで落とし込む。

一度分かったことは思考過程を次からショートカットできる。

一度分かると「なぜこんな至極当然なことが分からなかったのだろう」と、分からなかったときの気持ちが分からなくさえする。細谷功は『具体と抽象』のなかで「抽象のピラミッドは下りられない」と表現している。

理解の回路が新しくつくられてしまえば、回路を通らず思考することは難しくなり、以前の思考過程には戻れない。

 

勉強が好きだったのは、この反復試行により回路を獲得する過程に楽しみを見出していたからである。分からなかったことが分かるようになるという成功体験時に出るドーパミンにハマっていたのだ。

一方で過去のわたしにとって運動は「とりあえずやってみるけれどやっぱりできない」という失敗体験の蓄積に過ぎず、ドーパミンの出ないこの活動に意欲を失っていた。本当にただ辛いだけだった。

 

大人になりコーチを通して正しい試行方法を学んだことで、今回少しながら新たな回路が発現した。できないことに挑戦し、脳に負荷をかけ構造が変わる体験を得られた。運動にも勉強と同じ類の喜びがあることを知った。

 

ふとこの文章を書きながら、新たな回路をつくりだすのは勉強や仕事、運動だけではないなと気がついた。

 

勉強にしろ仕事にしろ運動にしろ、分からないこと、できないことに挑戦し、脳に新たな回路をつくることがわたしは好きらしい。