人生初のハーフマラソンを終えて

感想
なんで私がハーフマラソンに
中学生のときの自分がいまの自分をみたら、驚いてひっくり帰ってしまうだろう。
忘れもしない。中学2年生のときに行われたマラソン大会。当時とにかく運動が苦手で、とくに一番苦手であったマラソンのあまりの耐えがたいストレスにより街路の端で思わず吐いた。
とはいえサボる勇気もなかった私は無理に脚を引きずり大会会場に行き、情けない走りながらなんとか責務を全うした。走りが遅いからといって責め立てるようなクラスメイトたちではなかったけれど、それでも足を引っ張っているような気がしてとにかく嫌で嫌で仕方がなかった。
そんな私が金を払って休日を犠牲にしてマラソン大会(ハーフ)に出るというのだ。なんとも人生はわからない。
事の発端はアラサーになり何気なく他の同僚と同じようにジムに通い始めたことで、筋トレだけでなくせっかくなら汗も流したいといってランニングマシンで走り始めたことだった。
別にそれでランニングに目覚めたというほどのことはなく、ただなんとなく「意外と走れるな」という感覚が、物事に取り組み始めると資格やら記録やらで形に残したい私の気質と自然と結びつき、「フルマラソンは厳しくてもハーフなら」という特に根拠もない松竹梅理論のような理由でハーフマラソンの申し込みを決めた。
皇居ラン
申し込みを決めたのは2025年の秋ごろだったと思う。そのときは適当な大会にすぐ出られるのだろうと思っていたけれど、意外にもドラマの影響か都市化の影響か、どのマラソン大会も締切が終わっているところが多く、けっきょく申し込めたのが2026年1月18日開催の第17回東京・赤羽ハーフマラソンだった。
当日会場向かう際に渡った橋には「埼玉」と書いてあったが、大会名に「東京」を入れ強調しているのはやはり埼玉のブランド力が足りないからなのだろうか。
申し込んだタイミングではまだまだ時間的猶予があり、毎日ランニングマシンで走りながら100mずつでも距離を伸ばしていけば問題なく身体を慣らしていけると考えていた。しかし当然ながら皮算用はうまくいく試しがなく、あれよこれよと年が明け、気がつけば大会の1週間前になってしまっていた。
その時点で走った実績があったのは7km、それも5kmと2kmに分割した7kmで、さすがに3倍の距離を当日ぶっつけで走るのはリスキーすぎると判断し、皇居ランを急遽決行することにした。
ひとりだとなんとなくサボりそうな気もしたので、ランニングシューズも持っていない友人を招集し、今後使うかもわからないシューズを銀座で買わせ皇居の周り2周(10km)を走った。
外でのマラソンは天気も味方し爽快で、またゆっくり走っているランナーをひょいひょいと追い抜いていくのもなんとも清々しかった。一方で走り慣れていない友人は2周目で負傷したようで、2周目が終わったところでのんびり待っていると足を引き摺りながら半笑いでやってきた。申し訳ないことをしたなと思う。
なんとか10kmの試走もでき、もう1周(5km)くらいであれば走れそうな感覚も得られたので、このまま当日を迎えることにした。
いざ出走
公式ホームページのデフォルメされた地図を見ながらついた先は、東京と埼玉を隔てる河岸であった。
荷物を預け自分の組の列に並ぶ。まったく勝手がわかっていなかったので早めに出発地点に向かうとそのまま1列目にされてしまった。序盤はゆっくり走る予定だったのでこのあと数百人に抜かされることを覚悟しながら時間を待つ。
前の組がスタートしそわそわしていると、あっという間に時間になり出走の合図が鳴った。
最初の7kmくらいは大変軽快だった。
雲ひとつない快晴な空にたびたび気持ちの良い風が身体を撫でていく。道沿いでは少年野球チームが腹から声を出して真剣にゲームを楽しんでいる。
5km地点あたりにあった給水所で水をもらい、飲みきれなかった分はほてり出した腕にかけてやった。
様子がおかしくなり出したのが8km地点。このあたりから右足の足首に痛みが出るようになった。ただ皇居ランでも足首の痛みは出ていたので想定内といえば想定内。それでもまだ13kmほどあると思うと不安になった。
10kmあたりでまた2度目の給水。このとき甘さ控えめと書かれたスポドリを注いでるのが端に見えたので飲んでみると、蜜のように甘く驚く。炎天下のなか想像以上に身体が疲弊し始めているようだった。
さらに驚いたのが甘みを脳が感じたことで明らかに疲れが回復したことだった。さっきまで感じていたダルさが緩和され、足取りが軽くなった。そのときだけはどこまでも走っていけそうだった。
折り返しは朝霞水門あたりで、遠くから朝霞水門が見えると「やっと折り返しだ」と安堵したところ、そこからもう1kmほどアップダウンのある道を走らされ、これがけっこう堪えた。
なんとなく同じくらいの速度で走っていたおじいさんを登り坂で抜いてうかうかしていたら、平坦な道で追い抜かされ、以後見えないほど遠くへ行ってしまった。
13km地点でだいぶ疲れが出始めたので、秘密兵器として取っておいたエナジージェルを摂取する。アミノ酸の入った水あめで、これも事前に味見した時よりも数段甘く感じた。
残り7kmを切ったあたりからが本当に辛かった。右足首からはじまった痛みがだんだんと上がってくる。初めはスネ、そしてヒザ、太ももと。そして気がつけば両方のおしりまでが張り詰めており、足を上げるたびにスクワット並みの強度を感じるようになっていた。
ふと顔を上げれば同じように疲れから歩き出す人もちらほら散見される。
どんどん重く、鈍くなっていく足取りについて、歩いている人を追い越すことで「まだ自分は走っているんだ」と一生懸命に鼓舞する。幾度と走るのを止めようとする身体を、必死に脳がだましにかかる。
30年近く生きてきて、何が自分を奮い立たせるのに効くかはわかってきている。今回のケースで言えば「最後まで走りきれたと周りに言えること」と「自分に負けたと思いたくない」の2本がプライドの中心に刺さることがわかっていたので、何度も何度も脳内でこれらの言葉をリフレインし、最後まで力を振り絞らせる。
改めて人間馬力を出すのにプライドが有効なんだなと感じた。
残り2kmあたりで本当に脚が止まりそうなほど重くなってしまった。のろのろでも進めれば良いかなと思ったけれど、あえてギアを上げて走ってみることにした。すると走り方が変わったことで負荷のかかる部位が変化したのか、意外にもすいすい走れ周りを追い抜いていける。
「なんだ、いけんじゃん」と脳を不正なシグナルでだましてきた身体に少し苛立ちながら、想定よりもはやい2時間切りでゴールできた。
振り返って
走り終わって辛さを回顧しながら「今回のハーフマラソンは人生のなかで何番目に辛かっただろう」と考えた。しかし考えれば考えるほど辛いことランキングの上位は圧倒的に仕事で埋め尽くされ、ハーフマラソンは圏外へと追いやられていく。
仕事で辛い思いをすればするほどプライベートのストレス耐性もあがり色々挑戦できるようになるのだなと、嬉しくも悲しい今日この頃。
ただ本当に辛いのはそのあとだった。
疲れを癒そうとサウナに行ったまではよかったが、出たあと椅子から立ち上がると一歩歩くたびに随所に痛みが走り、それが両足で起こるものだから逃げ場もなく笑ってしまうくらい辛かった。
ハーフマラソン、走ってよかったな。



