ビジネスは劣決定系
数学と仕事は似ている
数学の問題を解くことと仕事は似てるなと漠然と思っていた。
仕事の一つの課題にじっくり取り組み、考え悩み、答えが出た時の一連の感覚が、学生のとき数学の問題を解いていたときの感覚とよく似ていると感じていた。しかしその類似性がどこにあるかということは分からないままであった。
数学が将来何んの役に立つかという問いに「数学で培われる論理的思考が役に立つ」としばしば言われることがある。
確かに、数学は論理的思考を問われるし、仕事においても論理的思考が重要であると言われる。あまりに流布している主張であるから、そこに疑問の余地はないように思われる。
しかし「論理的思考」というのは抽象度の高い概念であり、数学と仕事がどう結びついているかを肌で感じる機会はなかなかないではないだろうか。
ここでなぜ同じ「論理的思考」が数学と仕事の両者に適用可能であるか考えてみる。
「論理的思考」は考え方であり、技術であり、なにかを解決する道具である。
道具であるということは、作用させる客体が存在する。なにかその道具を使う対象があってこそ、道具としての使用価値が生まれるからだ。
例えば地面を掘ろうとする時、くぎを使う人はいない。くぎは地面を掘るのに向いていないからだ。
地面、もっといえば土が持つ、ある程度の硬さと質量、粒が集まっているという性質に対し、掘る手段として用いるならスコップがよい。もし地面があまりに硬ければツルハシを使うかもしれない。
土があるからスコップが生まれ、岩盤があるからツルハシが生まれている。客体が道具を生んでいる。道具においては本質が実存に先立っているのだ。
「論理的思考」という道具が、数学の問題と仕事という異なる二つの対象に有用であるということは、数学の問題と仕事の間になにか共通した構造があるといえるのではないか。
ビジネスは劣決定系
数学の問題の構造とはなにであろうか。
こと大学受験までの数学の問題で言えば、それは正則系であるということだと私は思う。
正則系とは、解明すべき未知数に対し、ちょうどその未知数を明らかにするための情報量が充足している問題である。
例えば連立方程式は未知数x, y…の数に対して方程式の数が同数かつ独立していなければ解くことができない。未知数よりも方程式の数が少なければ劣決定系(答えが不定)になり、方程式の数が多ければ優決定系(解が存在しない)ということになる。
同じように幾何でも、ある三角形を作図をするにあたって、いずれかの合同条件が充足していなければ三角の形を定めることができないし(辺の長さが2つしか分からないなど)、逆に条件が多ければ三角形を書くことができない(辺の長さと角の大きさがそれぞれ二つずつ分かっているなど)。
つまり大学受験までの数学の問題というのは、答えを一意に導くことができるように、未知数に対しちょうどの量の条件が与えられている正則系となっている。
では仕事は正則系なのだろうか。
いや、そうではない。たいていの仕事は劣決定系である。果たすべき役割に対し、情報量が往々にして不足している。
そうすると数学の問題と仕事は違う構造になるのではとなるが、これについては後ろで説明するとして、まずは仕事が劣決定系であるのとについて触れていく。
社内の課題に対してプロジェクトを立ち上げるという例で考える。
この場合、ゴールは課題の解消であり、そのために有効性と実現性のある手段を考え出さなくてはならない。
この手段を考える上でインプットとなるのが制約条件となる人やモノといったリソースやステークホルダーの意向、社会情勢といったものになる。
しかし使えるリソースは状況によって変化し、ステークホルダーの全量を把握することはできず、社会情勢まで考慮しようとするとその対象は際限がなくなっていく。
すなわち連立方程式の方程式数にあたる所与の条件について正確に把握することは極めて困難であり、時間的制約も加味すれば実質的に不可能に近い。
したがって仕事は必然的に解くべき問題、果たすべき役割に対して情報の不足する劣決定系になる。
しかし劣決定系では答えを出すことはできない。答えは不定であり、あれも/これもが選択肢として残ってしまう。
もちろん情報がない中で複数の手段を持っておくことは重要ではあるが、やはりその中でも優先順位をつけるなど何かしらの答えを出す必要はある。
列決定系を正則系にシフトする
答えを出すためには、考えるべき対象を劣決定系から正則系にシフトさせる必要がある。
これは未知の情報の一部を所与のものとして扱えるようにすることであり、連立方程式でいえば与えられていない方程式を自分で立てるということである。
もちろん事実から制約条件を集められるところはなるべくそうすべきである。
しかしどうしても分からない情報については、仮説を立てることで擬似的に情報量を増やして劣決定系から正則系にシフトさせるのだ。
一般論や知識、経験からできる限り妥当性のある仮説を立て、事実の代わりにインプットとして用いることで課題を「解ける問題」への変化させる。
こうして正則系として扱えるようになった仕事は、数学の問題と同じ構造を持つようになり、それに合った道具である「論理的思考」で解決できるようになる。
すなわち私が感じていた数学と仕事の類似性は、仕事のうち解ける問題(正則系)となったパートからくるものであった。
仕事のステップを以下のように分割すれば、とりわけ④の部分が正則系の問題と類似しており、数学の問題のように解くことができる。
① 課題の発見
② 事実の収集
③ 不足する情報に対し仮説を立てる
④ 事実と仮説から実行計画を立てる
⑤ 実行
逆に言えば「論理的思考」で解決することのできる領域は一部にすぎない。くぎで地面を掘ることができないように、「論理的思考」で解決できない問題がある。
自分が解決しようとしている問題は何か、その問題はどのような構造か、その構造に対して有効な思考体系はどのようなものか考えなければ、有益な解は得られない。
まとめると、数学と仕事は似ている部分があり、同じ「論理的思考」で解決できるのだから共通の構造をもつ。数学の問題は正則系である。仕事は劣決定系であるが、仮説によって条件を擬似的に追加することで正則系のように扱うことができる。
したがって仕事の一部は数学と同じ構造を持ち、「論理的思考」で解決できる。
ただし「論理的思考」で解決できない領域も仕事にはあるため注意が必要である。
仕事において何かに取り組むとき、目的だけでなく構造を考えることが重要なのだと上記を考えていて感じた。




