オススメ度:★★★★★
誰かに話を聞いてほしかった。慰めてほしかった。架くんとその女友達をひどいと言って、一緒に怒ってほしかった。(p.354)
辻村深月『傲慢と善良』

本書のエッセンス
・「ドキリ」とさせられる小説
・緻密な人物描写が秀逸
あらすじ
結婚披露宴を控えたある日、西澤架の婚約者・坂庭真実が忽然と姿を消してしまう。
善良な真実はどこへ消えたのか。
真実が以前ストーカー被害にあっていたことから、架は警察や相当する人物を探そうとする。やがて架はかつて真実が婚活していた時に出会った人物に犯人がいるのではと考え、犯人を見つけるため真実の家族、そして過去に踏み込んでいく。
感想
久々にドキリとする小説を読んだ。
読んでいて突如神経がピンと張り、鳥肌が立ち、汗がつーっと流れる。画面越しに映画を眺めていたはずなのに、気付けば現実で額に銃口が突き付けられるような緊張感を味わうことができた。
ひとくちに面白い小説といったときでも、そのエッセンスはさまざまである。
ストーリーが面白いものもあれば、スカッとするもの、共感できるもの、文体が心地よいものと面白さの要素も三者三様である。
記事の文頭につけている「オススメ度」も特段特定の要素で計っているものではなく、上記のような面白いと感じられる要素を総合した結果を記載している。
そんなさまざまある面白さのなかでも、この『傲慢と善良』は「ドキリとする」面白さに起因する。
この「ドキリ」というのはお化け屋敷やホラー映画のようなドキリとは少し違っていて、ずっとライオンとの間に柵があると思っていたのに実はなかったと気が付いた瞬間や、自分が通っていた職場が実は存在しなかったときなど虚を突かれるときの感覚に近い。もちろん現実ではなかなか味わえないけれど。
小説でいえば朝井リョウの『何者』を読んだ時の衝撃が似ていると思う。
こちらは傍観者として楽しんでいた光景が突如として当事者に引きずり込まれ、これまで見えていた景色が一転するとこに面白さがあった。
(以下ネタバレあり)
ここまでが抽象的な感想で、ここから具体的にどのシーンで「ドキリとした」のかを語っていきたい。
内容にネタバレが含まれてしまうため、困る人は引き返されたい。
この小説の2部に分かれていて、第一部では架が行方不明になった真実を探すため家族や地元、過去に関りのあった人物から情報を得ようと奔走する。
そしてこの捜索のあいだ、架は以前真実から相談のあった「ストーカー」が関わっているのではないかと疑い、ストーカーが誰であるかを懸命に考える。
上京してきている姉、かつて地元の結婚相談所で知り合った男性たち、職場の同僚などあてもない中手当たり次第に聞き込みを行うが、なかなかストーカーの手掛かりになる情報は得られない。
なぜ真実がいたときにもっとストーカー被害に向き合い、情報を得なかったのかと後悔する架。あせる気持ちを抑え、一つ一つ可能性をつぶしていくもすべてが空ぶっていく。
端緒をつかめないまま日付だけが過ぎていくある日、状況が変わる。
久々に架が自分の女友達と会った時、予想もしていなかった話を聞く。それは真実が失踪する前日に女友達と真実が会って話していたというのだ。女友達と真実は以前架も一緒にいる場で会ったことがあり、面識がある。しかし派手な架と控えめな真実では馬が合わず、それ以上のやりとりはなかった。
女友達たちと真実が会ったのは真実が職場の送迎会をしてもらった飲み屋で、帰りがけの真実を見つけた女友達がたまたま声をかけた。
そしてその場で女友達が真実にかけた言葉に、架は絶句する。
「だって、嘘でしょ。あの子のストーカーの話」(p.305)
そして架が絶句するのと同じく、読者である私もあまりの衝撃に目を見開いた。
いや、まさかそんなことが。それは女友達の悪意が過ぎるのではないか。
ここからは架がたどる思考ルートとまったく同じ思考をたどらされる。
そこから第一部の終わりまではジェットコースターのようなだった。
私の頭に浮かぶ疑いや反論が架の口から発せられるが、すべても無慈悲に女友達らは叩き落とすのみならず、侮蔑の目線や言葉さえかけてくる。
衝撃、恐怖、苛立ち、悲しみなど強い感情が一気に押し寄せ呼吸を忘れる。
次のページをめくるのが怖いのに、文章を追うのがやめられない。そして次のページに進み再びショックを受ける。第一部の終わりまでこれが繰り返された。
第一部が終わり、第二部という言葉が見えた時、自分が知らない間にぐっしょり汗をかいていたことに気が付いた。それくらい文章に引きずり込まれていた。
この小説に★5つをつけると確信したのは、この時だっただろう。
ではなぜ架、そして読者である私はストーカーがいなかったことに気が付けなかったのであろう。もちろん読者に関してはメタ的には辻村深月の叙述力によるところが大きいのであろうが、全般的な答えは作中でなされている。
ラスト、失踪した真実のもとを架が訪れ再びプロポーズするシーン。
かつて架を怖れていた真実のように、真実を怖れながら架が結婚を申し込む。そして真実はそこで改めて気が付く。
他の多くの男性たちと同じ。鈍感で、だからこそ、とても優しい。(p.481)
ずっと架をスマートで格上のように感じていた。しかしその架も冷静になってみれば鈍感な男の一人に過ぎなかった。
真実と関わりの薄い架の女友達とは対照的に、架は真実の嘘に気が付くことができなかった。バカだったのではない。鈍感だったのだ。
そしてそんな鈍感な男の一人に過ぎない私も、まんまと真実の嘘に翻弄されてしまった。
どうだろうか、もし私が女性だったらこの嘘に気が付けたのだろうか。こればっかりは私には到底知ることはできないことが残念である。
さてこの「ドキリとする」効果を高めているのが、辻村による人物の緻密な描写であると考えている。
登場人物について背丈や口調、雰囲気までがありありと伝わってくるほどに仔細に描くことで、現実にありそうという臨場感が与えられる。
対岸の火事が怖くないように、リアリティがない事柄からは迫力が感じられない。
辻村は説明ではなく描写を積み重ねることで人物像に質感を持たせ、その人物が自分世界にもいるような錯覚と迫力をみごとに演出する。、
もちろん細かすぎる描写は本編からの逸脱を感じさせることもあり、ストーリーの途中においては「この話ここまで書く必要があるか」としばし退屈に思う場面がなかったわけではない。
たしかに県庁での会話の場面はその会話の細かさからストーカー探しという主軸から主人公が離れていると感じることもあった。
しかし一度ゆるんだ読者の注意をのちの展開でしっかりと引きつけ直しており、全体としての統一感は失われていなかった。
人物描写の中で私がもっとも印象的であったのが、架が真実の2人目の婚活相手である花垣に会い、ファミレスで食事をした場面である。
その彼の描写が秀逸だった。
花垣が、またメロンソーダを飲んだ。手を使わずに顔と体をテーブルの方に倒して飲む、子どものような飲み方だった。(p.295)
真実の婚活相手にだった花垣は内向的な人物で、問われたこと以上には答えず会話はお世辞にも上手いとは言えない。
プライドは同世代の男性と比べて低く、父の代からの歯科医院も弟が継いで本人は歯科助手に甘んじている。田舎ではステータスとされる自家用車も軽自動車に乗り、見栄やマチズムとも無縁に見える。
そんな彼の後ろ向きさ、ネガティブさ、精神の幼さを表すのに「メロンソーダを飲む姿」はまさにぴったりであり、字面だけでうっすら嫌悪感を抱くほどのリアリティがあった。
このような絶妙な表現が登場人物各人にあり、それぞれの人物にある。
地元でしか通じないお嬢様校に過度なプライドを持つ真実の母親、真実のインスタアカウントを嘲笑う架の女友達、傲慢な架自身。
それぞれが"普通の日本人に居そうだな"という範疇ながら"歪んでいる"。
けっして奇抜だったり浮世離れしているわけではなく、受け入れられる範囲で変わった人だなという印象をもつ。
この「歪みと普通さ」が言い換えればタイトルにもある「傲慢と善良」なのだろう。
まとめると、誰しもが持つ「傲慢と善良」をテーマに登場人物の姿をつぶさに描くことでリアリティを生み、ドキリとする作品に仕上がっていた。
読みながら汗かける面白い小説だった。



