気象庁は2025年7月を1898年の統計開始以降の7月でもっとも暑い7月であると発表した。
8月5日には群馬県伊勢崎市で国内観測史上1位となる41.8℃を観測。連日の酷暑に耐えかね、友人と向かった先はこれまた記録的な猛暑にあえぐパリであった。
【パリ5泊灼熱旅行 #5】

最終日の5日目は美術館巡りの予定、、、だったが早速出鼻をくじかれる結果となった。
ちゃんと調べてから行こうね

最終日、体力もカラカラのはずだが、不思議と朝起きることができた。もう少し寝ようとかと悩んだ末に、ルーブル美術館に並ぶことにした。友人らはまだぐっすりと寝ていた。
朝7時過ぎ、ルーブル美術館到着。
9時オープンのルーブル美術館の前にはまだ人はまばらで、列はできておらず朝の散歩をする地元の人か写真撮影をする少数の観光客がいるだけだった。
パリの美術館や観光地は場所によって並び方がまちまちで、予約なしですんなり入れるところから事前にHPなどから時間枠を確保しておくところまでさまざまである。
ルーブル美術館もホームページに時間枠の案内があることは確認していたが取れていなかった。
同じく予約枠のあるノートルダム大聖堂が予約枠なしの場合の列をつくっていたので、ルーブル美術館も同じシステムであることを祈ってとりあえず並びにきた。
まだ列がなかったためどこに並べば良いか分からず、館内にいるセキュリティを呼び確認すると「傘の下で待っていろ」とのことだったので従って待つことにした。
しばらくすると後ろに日本人の親子がきて「予約がないがここで待てば良いか」と尋ねられた。自分も自信はなかったがセキュリティにそうしろと言われた旨だけ伝え、一緒に待つことにした。
父が「見られるといいなあ」というと小学生くらいの娘が「だめだったらよそいこう」と返し、いい家族だなと思った。
途中暇だったので父に写真を撮ってもらったが、絶望的に下手だったがそっと胸にしまった。
8時過ぎに職員が出てきて、「時間枠がなければ入れない、時間枠はネットから予約しろ、今日の分はもう無い」と無慈悲な通告をしていった。
自分の英語力がなく聞き間違いだと困るので2度ほど確認したがやはり無理そうだとわかり、友人らに伝えるとガッカリされた。
あぁさよなら、ハンムラビ法典。
こういうことは調べてから行くべきだなあと反省すると同時に、もしや今日いく美術館全部いけないのではと悪い予感がよぎり冷や汗が出る。そうなれば丸一日確保したこの日も、高いお金を払って買ったミュージアムパスもおじゃんである。
悪い予感が当たらぬよう祈りつつ、同じ敷地(とはいえ広大なので一駅ほどある)にあるオランジュリー美術館に早足で向かった。
半分諦めムードのままオープン直前のオランジュリー美術館に着くと、すでに行列ができていた。
チケットや予約の有無により複数列が分けられており、間違えたら面倒かつそもそも並べる列があるのかも分からなかったためまたしても職員を召喚し確認すると並べることがわかった。
安心して胸を撫で下ろした頃オープンすると行列はスルスルと館内に吸い込まれていき、あっという間に列がなくなっていった。
私はいつでも入れることを確信すると、となりのトゥイルリー広場で本を読みながら友人らの到着を待った。
オランジュリー美術館は印象派のための美術館で、目玉のモネの巨大な睡蓮の前には人だかりができていた。
モネの『睡蓮』はもちろん好きな絵ではあるのだが、これまで日本でも散々見て若干のお腹いっぱい感は否めなかった。ラッセンのイルカのようなものである。
オランジュリー美術館では常設展のほか、現代美術の展示も開催していた。
ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会

オランジュリー美術館を一通り堪能した後、ちかくのERIC KAYSER(エリック・カイザー)というパン屋で腹ごしらえをした。
どこか既視感のある名前だなと思いあとで調べてみると、日本にもあるメゾン・カイザーと同じお店だった。
日本のメゾン・カイザーはすこし高級感のある雰囲気であるが、パリの方は街に溶け込んだローカルな雰囲気があった。
この日の中で私が一番楽しみにしていたのは、実はルーブル美術館でもオランジュリー美術館でもなかった。
真のお目当てはオルセー美術館である。
もっと言えばオルセー美術館にあるルノワールの『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』がどうしても、どうしても見たかった。
世界一好きな音楽がラフマニノフの『ピアノ協奏曲 第2番』だとすれば、一番好きな絵画がこの『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』だと断言する。
いつかベルリンフィルでラフマニノフを聴いてみたいのと同じくらい、人生の中で『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』を生で見ることは一つの夢であった。
『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』のよさについては過去の記事に書いているので参照されたい。
オルセー美術館はかつての駅を改装してつくった美術館で、天井のアーチなどその構造に駅の面影を感じることができる。
フロアごとに作品の年代が分かれており、特に6階に有名な作品が多く展示されている。
『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』も6階にあり、私は1階の傑作たちには目もくれずまっすぐお目当ての絵に向かった。
一つ一つゆっくり鑑賞している人の横を素通りし、一目散に突き進む。
そして6階の中央あたり、印象派の絵が多くあるエリアでついに『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』を見つけた。
思わず涙が出た。
これまで決して手の届くことのないだろうと考えていた、最も好きな絵がいま自分の目の前にある。夢と現実が結びつき、時間が止まったみたいだった。
絵は予想していたよりも小さく、それでいてずっと存在感があった。勝手なイメージでは展示で一番大きいくらいの想像をしていたが、実際には少し大きな家であれば壁にかけられるくらいのサイズをしていた。
なんと幸せそうな絵であろう。
かつて舞踏会で踊ることを許されなかった中流階級の人々が、モンマルトルの丘で舞踏会のまねごとを楽しむ。
そこにいる誰もが楽しそうで、すてきな表情をしている。見れば見るほど、その暖かさ、柔らかさが伝わってくる。幸せな人々を描きたいと考えていたルノワールの思いが、直に感じられたような気がする。
全体の印象を味わった後、絵に近づきゆっくり細部を見ていく。
手前の子どもをみると、そばに小さな花束がある。もしかしたらこの子は誕生日だったのではやいだろうか。
右側の人々は画面のさらに外の右側を見ている。もしかしたらその奥に音楽隊がいて演奏しているのかもしれない。
印象派にしてはめずらしく宝飾品ははっきりと描かれて、画面全体に品を与えてるように感じる。
見れば見るほど発見があり、その技術と完成度の高さに息を呑む。
右から見たり、左から見たり、近くで見たり、ときには鑑賞している人々の表情を見てみたりとさまざまな角度からこの貴重な機会を思う存分堪能したい。
そんなこんなでたっぷり楽しんだころ、順々に絵を見ていた友人が追いついてきた。時計を見ると、私がこの絵を見始めてから30分も経っていた。
あとはマネやモネ、ゴッホらの傑作や彫刻や調度品なんかも流し見気味に一通り見て回った。
パスツールの絵の前では模写をする人たちもいた。
一周見終わる頃には集中力も使い果たし疲れていたので、1階の小さなお店でコーラとフィナンシェを食べながら休憩した。コーラが5€(=900円くらい)もして驚いたのは会計が終わってからだった。
世界最古のデパート:ボン・マルシェ

土産や買い物のため、世界で最初にできたデパートであるボン・マルシェを訪れた。
ボン・マルシェは歴史の教科書にも載っていたため、単なる買い物以上に楽しみだった。
訪れて最初に思ったのは「高島屋じゃん」というしょうもない感想だった。しかしあとからすぐに逆だと気がついた。
ボン・マルシェが高島屋に似ているのではなく、高島屋がボン・マルシェを模してつくられているのだ。
もっと言えば中央が吹き抜けになりエスカレーターで階を移動するデパート、スーパーマーケットによくある構造を追っていくとボン・マルシェに行き着くのであろう。そう思うと多少の感慨も生まれた。
ただ入っているブランドまで高島屋や大丸と変わらず、パリだということをしばしば忘れて普通に買い物していた。
スーパーで買い物を済まし、日が暮れる前に豪華な作りで有名なパリ北駅を見て楽しかったパリ旅行を締め括った。
パリ北駅は外観は豪華ですばらしかったが、ヨーロッパを代表する駅にしては人が少ないなと感じた。帰りにKFCを買って帰った。
長く短い5日間だった。
観光したいところはまだまだあった。
きちんとしたフランス料理は食べられなかったし、ディズニーで見られなかったショーもたくさんあるし、ルーブル美術館でモナ・リザも見ていない。なんならモンサンミッシェルにも行きたかった。
5日でのパリ旅行は全く足りなかった。
しかし足の重さと顔から漂う疲労感を考えるとこれ以上は厳しかったのも事実である。
次はフランス人のように1ヶ月くらいバカンスをとって訪れたいなと思った。



