オススメ度:★★★★★
「おい、地獄さ行ぐんだで!」(p.8)
小林多喜二『蟹工船・党生活者』

本書のエッセンス
・迫力ある地獄の描写
・生々しいむき出しの資本主義が感じられる
あらすじ<蟹工船>
漁船であり、工場でありそしてそのどちらの規制からも掻い潜ったドル箱である蟹工船。地元に仕事のない次男坊や三男坊、炭鉱などを点々とする労働者や騙されて連れてこられた学生たちが連れ込まれ、逃げ場のないなか労働に強いられ続けていた。
話は蟹工船の一つである博光丸が出航するところから始まる。
労働者のお目付役である監督には人の命など一切頭にない。
雑夫が死んでも何も思わないが、資本である川崎船(小型の船)を失うと心から悔しがる。数百人の仲間が乗った船を見ても「保険があるから沈んだ方が得である」と簡単に見捨てる。
極限状況の中、労働者たちは監督への殺意の混じった不満と怒りを溜め込んでいく。
あるとき遭難した川崎船がカムチャッカに打ち上げられ、ロシア人に保護される。そこで彼らは片言の日本語を話す中国人と出会う。中国人はいかに労働者が虐げられているか、いかに資本家が邪智暴虐であるかを語った。漁夫らは感化され、彼らはやがて博光丸に戻ってきた。
日々の厳しい労働に皆の体力はすでに限界であった。衰弱し倒れるものも現れていた。しかしそんなときでも監督は倒れたものを「偽病者」と断じ罰を与えた。
そのうち27歳の脚気の漁夫が死んだ。仲間たちは弔おうとしたが、結局大した弔いもできぬまま最後はお古の麻袋に入れられ海に放られた。悔しくてたまらなかった。
これ以降仲間たちはしばし仕事をサボるようになっていった。これが意外にも効力があることがわかると、次第に彼らの心の中に反抗の気概が生まれていった。さらに外から手に入れた「赤化宣伝」のパンフレットにより、彼らは団結へと向かっていく。
感想
普段働いていて自分が賃労働者だと思うことはそう多くないが、残業時間が嵩み満員電車にすし詰めにされスーツが縒れてくると、自分がプロレタリアートであることを改めて突き付けられる。
学生の時には満員電車に乗る仕事には決して就きたくないと固く思っていたが、いざ働き始めるとワーカホリック気質だったらしく、行きは出勤ラッシュにかかかるくらいに出社し、帰りはぐでんぐでんの酔っ払いと同じ電車に乗るような生活になってしまった。
話変わって読書について、本は読むときの自分の状況や心境で受け取るものがまるで変ってくる。
『僕らの七日間戦争』は中学生の時読んだときワクワクが止まらなかったのが高校生の時に読むと不思議と冷めてしまったり、『何者』はまさに自分が就活生の時に読んでどきりとしたが、きっと今初めて読んだとしたらそこまで刺さらなかったであろう。
『蟹工船』はずっと読んでみたいと思っていたが、労働者向けに書かれた本であることがわかっていたから、自分が惨めなくらい働くようになったら読もうと先延ばしにしていた。
そうこうしているうちに数年が過ぎた。すっかり心の積ん読として保留にしていることも忘れ、何気なく2025年の「新潮文庫の100冊」を確認していると『蟹工船・党生活者』が目に入った。
「そういえば読もうと思ってすっかり読んでいなかったな」と思い出し、先の労働状況も加味しそろそろ読んでもよいのではないかと思い手に取ることにした。
読み始めは言葉の古さや方言にやや苦闘しなかなか読み進められなかったが、慣れてくると意外とテンポの良い文章であることがわかってくる。さすが労働者向けに書かれたほんなだけあるなとまず感じた。
ブラック企業の今と昔
「お前なんぞ、船長と云ってりゃ大きな顔してるが、糞場の紙位えの価値もねえんだど。分ってるか。(中略)それに秩父丸には勿体ない程の保険がつけてあるんだ。ボロ船だ、沈んだら、かえって得するんだ。」(p.31)
2013年に「ブラック企業」が新語流行語大賞を受賞してからしばらく時間が経った。働き方改革も随分と推進されてきたが、いまだ苛烈な労働を強いられている人も少なくない。
とはいえ『蟹工船』で描かれているような「地獄」の労働環境はさすがに現代では見られなくなった。
マルクスは資本主義的生産様式が純粋な形で現象したとき資本家が労働者から極限まで搾取する状況が現れると主張していた。そしてその具体例として19世紀のロンドンの過酷な労働環境を訴えていた。
資本主義の成熟という意味では現代の方が進んできているはずだが、実際には資本主義成立初期のほうが非人道的であることがわかる。
これには労働力の再生産が関わってくる。
労働力の再生産とは、今日使える労働力を明日もその先も使えるようなシステムをとることである。具体的には①衣食住とリフレッシュ、②教育、③子育てできる環境を労働者に提供される状態にすることによって永続的な労働力の利用が行える状況を作り出す。
資本主義が登場した初期の労働市場に出てくる労働者というのは、資本主義的生産様式の労働者一世になる。つまり親の世代までは地元で農業や家業を務めていたのが、地元で職が得られず出稼ぎに出て初めて労働者となった世代である。
これは資本家からしても同じであり、労働者はつねに供給されるものであり労働力の再生産、つまり労働者が家庭を持ち子供をつくり労働できるだけの教育と年数を必要としているという発想そのものが存在していない。
「人間の五、六匹何んでもないけれど、川崎がいたまし」かったからだった。(p.45)
資本主義一巡目では今いる労働者がどうなろうと問題ではなく、さらに将来の労働力に対して責任を負うという考えもない。
「大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!」という態度が資本家に蔓延していた。
一方現代ではで自由主義やら社会民主主義やらに振れながらも数世代にわたり資本主義を経験したことで、種もみを食いつぶすような労働者の扱いはなくなってきている(はずである)。
そのため構造的に"仕方がなく"資本家は度を越えた搾取を行うことをあきらめざる状況であるのが現状といえよう。
迫力のある地獄の描写
もっとも辛い資本主義的労働の様子を、小林多喜二は迫力ある表現で描き切っている。
築港の埋立には、脚気の土工が生きたまゝ「人柱」のように埋められた。(p.68)
トロッコで運んでくる石炭の中に拇趾や小指がバラバラに、ねばって交ってくることがある。(p.69)
「七、八年も坑夫をしていれば、凡そ四、五年位は打ッ続けに真っ暗闇の底にいて、一度だって太陽を拝まなかったことになる、四、五年も!」(p.69)
なかでも漁夫や雑夫が互いの陸での労働苦労話を語り合う場面は圧巻で、粗野な言葉使いが(言葉を選ばず言えば)底辺労働の苛烈さを見事に表現しており、プロレタリア文学の金字塔としての凄みを見せられた。
用語集
以下読みながら引っかかった個所のメモである。
| ページ | 用語 | 意味 |
|---|---|---|
| P.24 | ブシ色 | 赤褐色 |
| P.25 | 川崎船 | 漁用の小型の船 |
| P.28 | カンテラ | ランプ |
| P.35 | バット | ゴールデンバットという銘柄のタバコ |
| P.66 | 虐使 | ひどくこき使うこと |
| P.124 | ロストル | ストーブやグリルで使う金属網 |
| P.130 | 示威運動 | デモのこと |



