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ドライサウナのような働き方

 

ドライサウナのような働き方

 

ドライサウナのような働き方

私はサウナが好きだ。

サウナの中でもミストサウナよりもドライサウナの方がいい。

 

ミストサウナは汗なのか湿気なのかわからない水滴がさらさらと皮膚をつたうのを眺めながら、湿度ばかりが高い生ぬるいこの箱からいつ出ようか、別にいつ出てもよいが居続けてもまあ不快ではないとただ飽きるのを待たされる。

この中途半端な感じが楽しくない。

 

ドライサウナはキツい、ツラい、苦しい。

サウナに入る戸に手をかけた瞬間から熱を感じる。

一瞬火傷したかと錯覚するギリギリの温度の扉を開けると足の先から頭の先まで熱気に当てられる。足を踏み入れ人が入ろうと気にも留めないオヤジたちの間に席を見つけ腰を下ろす。

段差がある時は中段がいい。一番上しか空いていない時は早々に暑さにやられてしまうし、下段は温度が低いと不完全燃焼になりかねない。扉からは遠いほうがよく、テレビはよく見える場所がいい。

 

腰を下ろすとまず12分計を見る。メガネの頃はよく見えないから仕方なく近くまで見に行っていたが、コンタクトにしてからはそのストレスがなく快適だ。ただたいてい中途半端なところに針がありモヤモヤする。

入る前に身体の水滴はよく拭き上げておく。そのほうがサウナの熱が伝わりやすいのもあるが、私はどれだけ汗をかいたかわかりやすくするためにそうする。

汗は腰のあたりからかき始める。次第に汗が大粒になり腰をつたっていくのを感じる。額や背中からも汗が出てくる。まだ腕から汗は出ない。いつ出るかいつ出るかとじっと見つめる。アハ体験のようにすこしずつ汗が出てくるような気がするが、なかなかハッキリとそれが汗だと識別できるまでにならない。飽きて周りを見渡す。サウナハットをかぶっている人、大柄な人、上を向いている人、足を組んで集中している人、めいめいが思い思いに過ごしている。ずいぶんと長く入っている人から苦しそうな息遣いを感じる。まだ出るつもりはないらしい。

再び腕に目をやるとさっきまでなかった玉汗がちらほら出てきている。一度出るとあとは簡単だ。腕の汗は拭ってやらない限りすこしずつ大きく成長し、いつ流れ出てやろうかと機会を窺っている。

このあたりから自分の呼吸も少しずつ小刻みに、ただ強くなっていく。くるくる回っていた12分計の動きがスローダウンしていく。1秒の長さは変わっていないはずなのに、なかなか1分にならない。

持ってきたタオルで腕と額の汗を一度拭ってやる。最初はなかなか汗が出てこなかった腕の毛穴にもスムーズに汗が溜まっていく。

暑さと苦しさから逃れようと身体をよじってみるが、一向に状況は変わらない。背筋を伸ばしてやると歪みに溜まっていた汗たちが一斉に逃げていく。サラサラと身体を流れていく水滴に意識を集中させ、時間の流れから気を逸らす。

 

12分計を見て、出るタイミングを決める。あと2分くらいなら頑張れそうだなと考える。一度決めたら後は自分自身との闘いだ。こぶしを握り締め、天を仰ぎ、タオルで汗を拭きとり時間が経つのをじっと待つ。

さあ時間だと出ようとしたときに限って同じタイミングで出ていこうとする人がいる。なにくそと思いながら30秒ほど時間をずらして出ていく。

静かなところから急に出るとシャワーの音、桶の音、風呂から出入りする人の音がけたたましく聴こえる。外の空気は入る前はぬるく感じていたのに、一瞬クーラーかと思うほど涼しく感じられる。

 

滝ほどかいた汗を冷たいシャワーで流すと、朦朧としていた気分が少し正気に戻る。

よたつく足取りで外気浴用のイスに腰掛ければ、視界はぐるりぐるりと回り、身体の重心はイスの中に沈み込む。

このまま死ぬかもしれないと思いながらめまいを楽しむ。目を閉じ意識をどこか遠くに追いやると自我と周囲の境界がわからなくなり、危険な気持ちよさだけが残っていく。

 

 

仕事への姿勢についても、ミストサウナのような働き方よりもドライサウナのような働き方が私に合っている。

 

ミストサウナのような働き方とは、ほどほどの負荷なかで毎日均一の量の仕事をこなし、定時にあがるような働き方である。

負荷が平準化されているため毎日同じ時間に変えることはできるが、休んだり早上がりしたりするのは難しく、自由な働き方は難しい。日々の疲れはほどほどではあるが、やりがいもほどほどである。

実際そういう働き方が好きな人も多くいるし、特に安定志向の人には昨日も今日も明日も同じ日々を送れることに満足を感じる人もいるだろう。

 

一方でドライサウナのような働き方は短期間に高負荷で一気に自分を追い込み、苦痛のなかで耐え忍び、一定の仕事が終わるまで無理を続ける働き方である。

プロジェクトや目的のために心身をささげ、完遂するまで一心不乱にかけぬける。ときには終電で帰りまた翌朝早くから仕事を始めることもあるが、目的に殉ずるあいだはその仕事に没入する。

もちろん肉体には疲れが確実に蓄積し、吐きそうなほど精神的につらいことも多々ある。ときには本当に限界を超え体調を崩すこともある。たいてい私の場合は出口が見えかけたときに無意識にホッとしてぶっ倒れることが多い。

それでも目的を達成したときには大きなやりがいを感じられるし、すべて完了したときの解放感と満足感はほかには代えがたいものがある。

 

安定的に働くのも情熱的に働くのも善し悪しはなく、あくまでその人その人の気質によって自分にとった方を選び取ればよいと思う。ただ組織や上司ごとにどちらの傾向があるかはある程度の文化があり、これが自分の気質とずれているとなかなか辛いものがあるのではないかと周りを見ていて思う。

 

私は自由人型のドライサウナ派なので、基本的にはモーレツに働いていることに悦びを感じ、限界まで働き詰めたうえで快感かダウンかの結末を迎えることが楽しいと思っている。

ただ完璧主義者ではなければ本源的なストイックなタイプではなく、気分次第なところもあるのでサウナでいえば途中退室もよくある。仕事を丸ごと投げ出すつもりはないので、あくまで途中退室でまた戻っては来る。

一度仕事から離れ、「仕事は楽しいが何か違うな」と物理的にも思考上でもうろうろしながら飽きた原因を探すが、探しているうちに忙しくなりそんなこと考えなくなりまた仕事に戻っていく。おそらく本当の原因などどこにもなく、追い詰められているストレスが足りていないだけと薄々気が付いてはいる。そうでないときは単に飽き性が発現してしまっただけなのだろう。

 

サウナも仕事も同じで、ヒリついてくるスレスレのラインが一番気持ちいいと思う。

ぬるくてもつまらないし、逆に限界を超えると有機物としての身体がもたなくなってくる。

 

精神科医の神谷美恵子は『生きがいについて』の中で以下のように述べ、人間がいきがいをもって生きるにはある程度の負荷が必要だと主張している。

生きるのに努力を要する時間、生きるのが苦しい時間のほうがかえって生存充実感を強めることが少なくない。(p.24 『生きがいについて』)

 

またもっとストイックなところだと幻冬舎社長の見城徹は『たった一人の熱狂』の中で憂鬱でなければ仕事でないとまで言い切る。

圧倒的努力とは何か。人が寝ている時に寝ないで働く。人が休んでいる時に休まず動く。どこから手をつけたらいいのか解らない膨大なものに、手をつけてやり切る。「無理だ」「不可能だ」と人があきらめる仕事をあえて選び、その仕事をねじ伏せる。人があきらめたとしても、自分だけはあきらめない。

…(中略)…

憂鬱でなければ、仕事じゃない。毎日辛くて、毎日憂鬱な仕事をやり切った時、結果は厳然と表れる。(p.37)

 

正直日々働いていればやらなくてはいけない仕事の量に気が遠くなったり、うまくいかないときが続けば辞めてやろうかと思うこともなくはない。もうどうにもならないと気が滅入ることも多々ある。なぜこんな仕事をやりたがったのかと過去の自分をぶン殴ってやりたい日が毎日だ。今だって一寸先は闇である。

それでも振り返ってみれば楽しくなかったことは一度もないし、楽しさと苦しさはつねに併存してきた。

 

苦しい時間を乗り越え、目の前が開けた時の脳の気持ちよさは一度味わってしまったら抜けられない中毒である。この快感を知ってしまったらもう二度と腑抜けた働き方にはもどれない。この感覚がある限り、何度でも地獄に潜り込める。

 

今はただその脳汁と同僚との会話のため日々働いている。