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【マニラ2泊突発旅行 #2】 スラムとカジノのはざまで

2024年8月、フランスではパリ五輪が開催され、日本では南海トラフのリスクが叫ばれる中、私は単身マニラにいた。

ひしゃげたジプニーがクラクションを絶え間なく鳴らし、夜には痩せた野犬が跋扈するマニラで私が見てきたものを4回に分けてご紹介する第2弾。

 

【マニラ2泊突発旅行 #2】スラムとカジノのはざまで

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けたたましいクラクションが聞こえ目を覚ます。

ジプニー独特のクラクションで、ここがマニラであることを思い出す。

昨晩はシャワーを浴びると寝不足と疲れがどっと出たようで、泥のように眠ることができた。

 

カーテンを開けるとしとしとと雨が降っており、マニラが雨季であることを再認識させられる。

 

今日の目的は2つ。バクララン市場とカジノホテルのオカダ マニラである。マニラの庶民の生活と金持ちの生活をみたいと思ったのが選んだ背景である。タクシーで行こうとも思ったが、調べると市場経由でカジノまで1時間ほどで歩けそうだったので散歩を兼ねて歩くことにした。

 

地元民の街を歩く

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朝の繁華街はお祭りのあとのようだった。

あれだけ賑わっていた店々の前から人は消え、通りは通勤のバイクとジプニーばかりになっている。

 

1日目は車移動で気が付かなかったが、繁華街のすぐ側に現地民の住宅や市場がある。

軒先で魚や野菜が売り買いされ、小さな食堂でマニラ市民が食事をとっている。四方からは絶えず物音や声が聞こえてくる。お世辞にもきれいな街だとは言えないが、子どもや若い人が多く活気が感じられる。

小さな子どもが雨の中タライに水を溜め楽しそうに水遊びをしていた。その光景はまるで昭和の日本を見ているようだった。

 

せっかくなのでここらの食堂で朝食を取ることにした。

店先に作り置きのおかずが並べられており、好きなものを選んで器によそってもらうのがマラテ地区のスタイル。オススメを尋ねると豚肉と白菜のスープだというのでそれをもらい、追加で豚の角煮のようなものとプレーン ライスとコーラを頼んだ。値段はおよそ500円ほど。

スープは優しい塩味で、豚肉もごろっと入っていて美味しかった。角煮も濃い味でよかったが、米がちょっと受け付けなかった。

よく美味しい米を「米が立っている」と表現することがある。これはまさにそれの反対であった。固めながら米同士が融合しており、解凍に失敗した冷凍ご飯のようだった。

これまで自分は好き嫌いなくなんでも食べられるタイプだと思っていたが、米が美味しくないのだけは厳しいとわかった。インディカ米自体は好きではあるのだが。。

 

食事を終えまたバクララン市場に向けて歩き出すと、本格的に住居ゾーンに入った。雨がザーザーと降っているが、軒先にはおかまいなしに衣類が干してある。

家はバラックのようで、ビニールで雨風をしのいでいるところもあった。住民から謝謝と話しかけられたので、ジャパンと返しておいた。

 

ショッピングモールのように大資本が入り強制的に発展させられたところがある一方で、バラック家屋のように経済発展の恩恵を受けられていない領域もまだまだ残っている。

外資の資本が入ることで発展する側面がある一方で、弱い経済圏を大資本が食い荒らし、元からいた人の生活は豊かにならない分断が生じていることにグロテスクさを感じた。

 

マニラ最大の市場 バクララン市場

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1時間ほど歩きバクララン市場に着いた。

市場は思った以上に広く、メインの通り以外にも枝分かれする形で広がっていた。商店ではマニラ市民向けの衣類や文房具のほか、観光客向けに置物などが売っていた。平日だが場所によっては子どもが店番しているところもあった。どの店主たちも基本モチベーションは高くなく、客が来ると重い腰をあげなんとか対応していたのが日本とは対照的であった。

道端のスピーカーからは音楽が(おそらく勝手に)爆音で流れ、ときには日本の音楽も流れていた。

 

天気は雨が上がってきたと思えば急激に日がさしてきたり、突如スコールのような大雨が降ったりと雨季らしく大荒れだった。晴雨兼用傘を持ってきていてとても助かった。

 

フード系のお店が多く並ぶ小道に入ったとこで、冷たいものが欲しくなった。店前で掃除をしていたお兄さんにソフトクリームを頼んだところまだやっていないと言われてしまった。

別のお店でヤクルト入りフルーツソーダ(65ペソ=約160円)を飲むと、冷たさと爽やかさで少し体力が回復した。

日陰ではおじさんたちがチェスをさしていた。

 

バクララン市場のそばにバクララン教会があったのでついでに寄ってみた。

綺麗で広い敷地を持つ教会は市民の憩いの場となっており、キリスト教がフィリピンの文化として機能していることが肌で感じられた。

誰でも自由に入り休むことができるので、バクララン観光で疲れた時にはよってみてもいいかもしれない。

 

バクラランをあとにし、カジノに向かった。街並みの変化も見たかったので、ホテルから市場同様、カジノへも歩いて行くことにした。

しかしこれが失敗の元だった。

 

ホテルからバクラランまでは市民の市場があったり、住居があったりまた多くの人が行きかっていたので見どころがあった。一方カジノがあるエンターテイメント・シティは湾岸沿いにつくられた人工開発地域であり、大きな道路の傍に大きなホテルや建設中の建造物があるだけで歩いてみられるところはほとんどない。

車がビュンビュン走る広い道路の横を、心を無にしてひたすら歩く。

 

いつしか雲は消え去り、眩しいくらいの日差しが全身に突き刺してくる。水分を多く含んだ湿潤な空気は身体にまとわりつき、汗が滝のように溢れてくる。

不足した水分を補おうとペットボトルの水を飲むが、出ていく汗に追いつかない。体を潤し切る前にもっていた水は尽きてしまった。

 

それでもなんとか1時間弱歩き、巨大なカジノホテルであるオカダ・マニラが見えてきた。

 

オカダ・マニラでカジノに初挑戦

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オカダ・マニラは日本のユニバーサル・エンターテイメントが運営する、アジア最大級の統合リゾート施設である。その規模は東京ディズニーランドをも凌駕し、マニラの商業地区であるエンターテイメント・シティの1/3にも匹敵する。

名前は当リゾートのオーナーである岡田和生氏に由来する。岡田氏はパチスロとパチンコ機の製造で財を築き、1999年には日本の長者番付で1位にまで上り詰めたことのある大物である。

 

その豪壮なつくりに、外観と内観を見た時でそれぞれ言葉を失った。

外観は曲線で構成されていながら調和が取れており、上にいくに連れ段々に小さくなる構造と黄金に輝くガラスはまさに現代のピラミッドのようである。背後が海で近くに大きな建物もないため、近づくとオカダ・マニラ以外になにも目に入らなくなる。

 

巨大な入り口には狛犬が2つシンメトリーに鎮座しており、中に入ると荷物検査になっている。高級ホテルであるため厳格な警備員がいるかもとビクビクしていたが、実際にはとてもフレンドリーな対応をとってもらえた。急に話しかけられ何かと思ったら、カバンにつけていたミッキーのペットボトルホルダーを可愛いと褒めてもらえた。

 

荷物検査を抜けると、目に飛び込んできたのは湖かと見間違うほどの巨大なプールときれいなレストラン街だった。

ホテルは中央のプールを取り囲むようにガラス張りになっており、どこのレストランからもプールを見ることができる。レストランはファストフードから高級料理まで幅広く並んでおり、この中では毎日いても食べるものに飽きることはないだろうと思った。

なぜか通路に日本のUFOキャッチャーもあり、パチモンか微妙なラインのサンリオやポケモンの景品が入っていた。

 

これまで見たことのない豪華さに目を丸くしながら2周ほど建物内を散歩し、せっかくなのでカジノに挑戦することにした。

日本でもギャンブルは一切やったことなく、ぶっつけ本番でやったことないテーブルゲームにチャレンジするのは気が引けたのでスロットマシンを試してみることにした。

 

スロットマシンと一言で言ってもかなりの数と種類があり、とりあえず何が違うかを確認しながら徘徊する。見て回るうちに少しずつ違いがわかってきたが、それ以上に印象的だったのは多くのスロットが中国向けに作られていることである。

スロットの絵柄やテーマ自体が赤を基調としたドラゴンや福に関するものが多い。

確かに言われてみればホテルの客の大半が中国人家族で、日本人や西洋人はチラホラとしか見かけなかった。やはりこの時代アジアでお金を持っているのは中国人なのだとひしひしと感じた。

 

賭け金の小さいスロットマシーンを見つけ、腰をおろす。とりあえず様子見で500ペソ(=約1,250円)を入れてスロットを回してみたが、一瞬で溶けて消えた。目押しもないので、ただお金を消費するためにボタンを押していったという感じだった。

追加で500ペソ入れてみたが結果は変わらずで、結局面白みの分からないまま人生初カジノは終わった。

 

VIPエリアにはラフな格好でありながらお金を持ってそうなアジア人がパラパラとスロットやテーブルゲームに興じていた。みな時間を持て余しているようで、楽しんでいるのか時間を潰しているのかわからない感じだった。

それにしても、人生の成功者が行き着く先がパチンコとはなんだか寂しいものだなとも感じた。

 

疲れてたのでオカダ・マニラ内のスタバで一休みし、次の場所に向かった。スタバは世界どこでも同じ雰囲気だった。

 

 

巨大ショッピングモールでお土産を探す

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夕飯にはまだ早い時間だったので、近くにある巨大ショッピングモールMOA(Mall of Asia)へ寄り、お土産を見ることにした。

そう遠く無い距離ではあったが、 エンターテイメント・シティの移動に徒歩は不向きだと昼間に痛いほど分かったので大人しくGrabタクシーを使うことにした。

ホテルの外でタクシーを待っていると、ボーイがタクシーが来たら呼ぶからエントランスで待っていてよいと案内してくれた。こういったサラッとした気遣いはやはり高級ホテルなのだと思ったと同時に、半分冷やかしに来た貧乏人がこのような扱いをしてもらい申し訳なさも感じた。

 

MOAは日本のイオン・レイクタウンと同じような感じだった。というか前のショッピングモール同様日本のチェーン店も多く進出し、視界にユニクロ、ニトリ、無印が揃った時には脳がちょっとした混乱を起こしていた。

特出すべき点としては子供が多いためか子供向けのお店が多く、店内には大きなメリーゴーランドまであった。

モールの規模に対し本屋の規模が小さいのも気になった。フィリピンではあまり紙の本を読む文化がないのだろうか。

 

暇だったので飲食物のスーパーマーケットにも行ってみた。建物ワンフロアまるまる食料売り場となっていて、生鮮食品から輸入品まで幅広く揃えられていた。

袋麺ゾーンには日本の袋麺も多く並べてあった。しかし5食入りのサッポロ一番は500ペソ(=約1250円)と超高額で驚いた。このスーパーは庶民のためというより、高級住宅街に住む富裕層向けなのであろう。あとはフィリピン駐在の日本の商社マンなどが買いに来るのだろうか。

 

17時を過ぎ、ゆっくりと日が傾いてきた頃お腹も空いてきた。

ここまで行き当たりばったりで食事をしてきたが、せっかくマニラに来たので美味しいフィリピン料理を食べたくなり、ガイドブックや多くのブログでも紹介されていたレストランに向かうことにした。

 

レストランまでは例にもれずGlabタクシーで移動した。夕方のマニラは一番道が混雑する時間帯で、15分の予定が40分ほどかかった。

 

相変わらず運転の荒さには肝が冷やすが、だんだんとマニラの交通ルールが単に無秩序なのではなく、彼らが暗黙で共有しているリズムがあることに気がついてきた。

車線変更する際にどのタイミングまでに入れるか入れないかの判断をするか、交差点で歩行者が渡ろうとしているときどのタイミングで行けば良いかなど、日本人とは違う彼らの感覚があり、それらにしたがっているためにスレスレでも事故らず済んでいるのだ。日本人が日本人のリズムや暗黙知の共有して生きているように、フィリピン人にもまた彼らのリズムがあるのだった。

 

それにしても危ないなと車体の隙間を抜けているオートバイを横目に、となりでは仕事を終えた土木作業員が軽トラの荷台に乗り資材の影で太陽を遮りながら帰っていた。

 

人気のフィリピン料理レストランで旅を締めくくる

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向かったのはマニラの夕日を見ながら食事ができることで人気の「ハーバービューレストラン」である。

マニラの夕日は釧路、バリ島と並び世界三大夕日の一つとも言われ、真っ赤に燃えながら沈んでゆく夕日は見るものに忘れえぬ感動を与える。

もちろん私も夕日を楽しみに訪れていたが、残念ながらその日は夕日が落ちる方向に大きな雲があり、晴れてはいたがその絶景を味わうことはできなかった。

 

海に向かって伸びる桟橋の上に建てられたようなレストランは、どの席からでも海を見ることができる。観光客だけなくマニラ市民にも人気なようで、家族で楽しそうに食事をする姿を多く見られた。

 

予約無しで行ったため入れるか少し心配であったが、平日のためかすんなり席に通してもらえた。

 

メニューは写真付きでわかりやすく、肉料理や麺料理、寿司も選ぶことができた。

私はミミガーの炒め物とフィリピン風焼きそば、ウェイターのおすすめであるシーザーサラダそしてフィリピンの代表的なビールであるSMB(サンミゲル)をオーダーした。

 

すぐにビンのサンミゲルと氷の入ったグラスを持ってきてくれた。グラス付きには少し驚いたが、冷蔵設備の整備が遅れていた東南アジアではビールに氷はよくあることらしい。

高温湿潤な気候の中でベタベタに汗をかいた身体に、キンキンに冷えたビールが注がれていく。

サンマゲルはスッキリと飲みやすく、海からの風も相まって爽やかな気持ちになった。

 

浅瀬で水遊びをする人や、遠くの船や雲を見ながら料理を待つ。しかし待てども待てども料理は来ず、気が付けば自分より後にオーダーした他の卓で料理が届き始めていた。さすがに30分を過ぎたあたりで様子が気になり、先ほどのウェイターに状況を確認する。

初めは優雅な気持ちで海を眺めていたものの、次第に空が暗くなり風が強くなってくると、料理がこないことに神経を持っていかれるようになってきた。

ウェイターは確認しますと言い、サラダだけでも先持ってきてくれれば嬉しいなと思っているところ、10数分後に一気に料理が運ばれてきた。やはりオーダーが通っていなかったようであった。

 

料理が来たころには風は一層強くなっており、フォークやスプーンはカタカタと揺れ、紙もバサバサと激しく音を立てなびいていた。

顔にもガンガン海風が当たるのが気になるが、空腹も限界に達していたのでとりあえず食べ始める。

 

人気店というだけあり、料理はどれも美味しく、日本人好みの味である。

 

ただ食べていく中で困ったことが3つあった。

一つ目はとても量が多いということである。どの料理も大皿で運ばれてきており、だいたいそれぞれ3人前くらいはある。そもそもこのお店は家族連れや友人グループで訪れることを全体としているようで(席の配置も概ねそうなっている)、料理も取り分けて食べる全体なのだろう。値段もやや高めだなと感じていたが、3人で分ければ妥当な金額ではある。

二つ目は3皿ともかなりオイリーであることである。味はとても美味しいのだが、炒め物も焼きそばもサラダもたっぷりの油でコーティングされているので、食べているうちに胃がもたれてくる。特にミミガーの炒め物は鶏皮くらい油が出てきており、だんだんと辛くなり途中で手が止まってしまった。

最後は風の問題で、日が落ちてからというもの風威は強まるばかりで、店内の照明も大きく揺れている。ときにサラダの葉が飛んでいってしまうこともあり、さすがに食べにくいなと感じていると、ほかの席でカーテンを下ろしているところが目に入った。

なんだ、カーテン下ろせるのかとわかり、すぐにウェイターを呼びカーテンを下ろしてもらう。すると散食事を妨害してきた忌々しき風はパタリとなくなり、意外快適に食事をすることができた。

 

量と油に圧倒されながらなんとか食べられる分を食べ、若干のギルティにごめんなさいをし会計をして出た。

食べログにはクレジットカードが使えるとあったが、ウェイターに確認したところ現金オンリーだと言われたので注意が必要である。

料金はビール3本と料理3皿で5,000円ほどだった。3人で食べに行けば一人2,000円くらいになると思うので、コスパ的にも悪くない店であった。

 

店を出ると、まばゆい光線と激しい音楽が聞こえてきた。どうやら近くでライブをやっているようである。横では客のいない物売りが、所在なくライブの光を眺めていた。

 

歩行者のほぼいない大きな道路を一人で歩きホテルに向かう。

残り少なくなったペソを最後に使ってしまおうとついでに昨日も訪れたバー・LAカフェに寄り道し、少し酔いのさめつつあるほてった身体に再びサンミゲルを流し込んだ。

 

あっという間の2日間だった。

直前に思いつきで航空券をとり、ほぼ何も準備をしないまま飛行機に飛び乗りここまできた。

初日のイントラムロスではぼったくりガイドに遭い、二日目は貧しい中暮らす人々の生活と金持ちの道楽の対比を見た。

もちろん今回見ることができたのはマニラのごく一部に過ぎない。しかし初めての1人海外旅行で味わえた光景と後半はいつまでも記憶に残り続けるだろう。