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『バンビ』狂、手塚治虫という男【映画の感想】

オススメ度:★★★☆☆

きれいなフラワー!

 

『バンビ』

 

あらすじ

ある春の日、バンビが森の王子として誕生した。バンビは美しい森の中で、子ウサギのとんすけやスカンクのフラワーとともにすくすくと成長していく。

しかしとある日、母親と草原に来たバンビたちは人間に見つかってしまい、バンビの母親は殺されてしまう。母を失ったバンビは父親である森の王様のもとで育てられ、王子として逞しく成長していく。

季節が巡り、ファリーンというパートナーも得て幸せな日々を送っていたバンビだったが、再び人間が森に押し寄せる。森は山火事になり、バンビと森の仲間たちは深い森の奥へ逃げてゆく。

 

感想

小学生の頃、なぜだか分からないが伝記ばかり読み漁っている時期があった。講談社が出版していた「火の鳥文庫」という子供向けの伝記レーベルが学校にたくさんあり、休み時間に貪るように読んでいた覚えがある。

小学校の4,5年あたりのときには戦国武将の伝記が好きで、本で読んだ武将を友達の家に有った「戦国無双」で使うのが楽しかった。お気に入りだった武田信玄は赤い軍配で戦っていたが、いま考えると訳がわからない。

 

小学6年生くらいのとき漫画にハマったのをきっかけに、火の鳥文庫で「手塚治虫」の伝記を読んだ。これにどハマりし、卒業までに10回以上図書室で借りた。

そのおかげで伝記の内容は今でもよく覚えている。手書きの昆虫図鑑を描く上で理想的な赤いインクがなかったため、自分の指の血をインク代わりにしていたり(昆虫図鑑の絵も天才的に上手かった)、戦争中大っぴらに漫画が書けなかった時代には、トイレに漫画を貼り付けてみんなに見せていたそうだ。

そんな中でも特に印象に残っているのが『バンビ』のエピソードである。

 

『バンビ』は1942年アメリカで公開された。戦争中の日本にはアメリカのアニメーションが入ってこなかったため、日本で初めて公開されたのは1951年になってからになる。

日本で公開された当時22歳であった手塚治虫は、この『バンビ』に強い衝撃を受けた。この日から手塚は毎日映画館に通い、初回から最終回までぶっ通しで見続けた。(昔の映画館は一度入場すると何回でも上映を見ることができた。)この経験はのちのアニメ『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』につながっていく。

 

正直私自身は『バンビ』を何周も見るほどの感性を持ち合わせていなかった。この受け取り方の違いは、戦後娯楽に飢えた時代と現代という娯楽が飽和した時代との違いによる部分が大きいと思う。

ただ現代日本を代表するカルチャーであるアニメ・漫画の祖である手塚治虫に強い影響を与えたという点で、『バンビ』は日本にとっても歴史的な作品と言えるのではないだろうか。

こう見ると、つくづく戦後日本はアメリカの影響は色濃いのだなあと感じるばかりである。