今年もブックオフでウルトラセールが開催されました。
先月から欲しい本リストを作り、巡るブックオフを決め、とにかく楽しみで楽しみでしょうがありませんでした。
増税があったとはいえいまだに1冊100円以下で本が買えるというのは学生身分にはありがたい限りです。
ときには「ほんとにこの本100円でいいんですか!?」という本まで置いてあるので、ブックオフに行ったときには隅々まで確認するようにしています。貧乏性ですね。
いざブックオフで本を探していると、あの人さっき別のコーナーでも一緒だったなあと気になる人がいます。
話しかけたい衝動に襲われることもありますが、マナー違反な気なするので我慢します。
せめてフォロワーさんなあらなあ。
ちなみに今回の成果は以下の通り。
ジャレド・ダイアモンドの本の下が110円コーナーだったのは激熱でした。
この10冊で3700円くらいでした。すごい。
#本棚晒す
ウルトラセールが開催され、読書垢界隈の人の本棚も充実したようで #本棚晒す がまた盛り上がりを見せています。
#本棚晒す とはその名の通り自分の家の本棚の写真を貼りつけてつかうハッシュタグで、膨大な蔵書を持つ人ほどいいねがつくようです。
昨日のブックオフ行脚で仲間入りした本たちを棚に詰め詰め。
— 佐瀬 啓@読書垢 (@kei_sase190817) 2020年1月2日
心なしか棚が軋んでいる気が…😅#本棚晒す pic.twitter.com/evQNyDowUy
本好きな人にとって本棚というのは不思議な魔力を感じるようで、人の家に行っても本棚をついつい見てしまうという人が多いようです。
私の友人の家で古典を見かけて「こやつ、やるな」と評価が上がったことがあります。
本棚は人を写しますね。
私の本棚は今のところ読んだ本が150冊くらい、積ん読100冊くらいで構成されています。
50冊位がハードカバーで、あとは文庫本か新書です。
#本棚に晒す に投稿するための写真を撮りながら、ふと自分の本棚と自分自身に乖離があるなと思いました。
というのは、私が普段読んでいる本が"私"に近いとすると、積まれている本は本来の自分からするといくらか高尚な気がするのです。
私の本棚は上の方が積ん読で、読むと下の段に移動させるように置いてあります。
積ん読の中央に目をやると、岩波文庫の作品が鎮座しています。
社会科学系は最近買ったものも多いですが、岩波の<赤>や<青>に分類される本の多くは1年もその場所から動いていないものばかりです。
言ってしまえばインテリアになってしまってる本です。
そんな長らく取り出されていない本棚の中央に放置された岩波文庫の本たちを見ていると、「結局自分はインテリ振りたいだけで、その本棚は矮小な自分の見栄にすぎない」と思うようになってきました。
本棚にいる理想の自分
一度は自分の自己顕示欲にガッカリもしましたが、考えてみればそんなに本棚に見せたい自分ばかりが並んでいるのも悪くないなという気がしました。
というのは、「自分でお金を出して本を読むつもりで買ったならば、それが結果的に自己顕示欲を満たすためであっても虚構ではないんじゃないか」と思えたからです。
別にヘブライ語の聖書を飾っているわけでもなければ、読めない字体の古事記を置いているわけでもありません。
むしろなりたい自分がある程度見えている分、自分にとってプラスである気さえします。
人の本棚を見ると、その人の知らない一面を見ることができますが、同様に自分の本棚を眺めることで自分についてもう一度考えられるんじゃないでしょうか。