本と絵画とリベラルアーツ

本と絵画の解説

サークルのガバナンスを考える

大小多寡に関係なく、人は何かしらの共同体に所属し、それぞれにおいてふさわしい役割を果たしている(あるいは強いられている)。

 

家族や親友など極めて小さい集団においてはいかにしてその共同体を統治していくかということを考えることは少ない。

ある程度の規模、ある程度の共同意識をもった集団においては集団のあり方、統治のあり方が問題になってくる。

 

その第一歩として代表的に挙げられるのがサークルであろう。

就活ではサークルでの統率経験がしばしば話題に挙げられ、学生もそれに応えようとする。

 

現代社会において、国家単位の統治には民主主義が最も理にかなった手段だとされている。

民主主義は全員参加が基本であるため、これに反する思想を持つものは時に社会から淘汰されそうになる。

 

教育もこれに準ずるように形作られているため、小・中学生の大半は民主主義を信奉するようになっている。

一定の条件を満たせば多数決は正義であり、民意によって決まった出来事をひっくり返すのは容易ではない。

学級裁判もこれと同質のものであり、民意は権威へといつしか姿を変えている。

 

 

民主主義は大多数の合意をとりつけるには理にかなっているが、いついかなる時も最適であるというわけではない。

 

小さい集団、サークルやグループ、といったレベルでは民主主義は必要ない。

合意の取り付けが容易であり、素早い意思決定が求めるられる状況において(条件付き)多数決はストッパーになってしまう。

 

このような集団の統治において、カリスマ的支配集団主義が組織を最適化させるのに有効な手段である。

 

カリスマ的支配

カリスマ的支配とは、社会学者マックス・ウェーバーが提唱した支配の三類型(カリスマ的支配、伝統的支配、合理的支配)のうちの一つである。

 

超自然的現象(呪術など)や特出した人格によって人々を治める。

古代においては卑弥呼、最近ではヒトラーなどがこれにあたるとされる。

 

群衆はなにも考えないことを望む。

自分の意見なしでも自分のためのルールが定められていくのを望む。

自分で決めることを快感に思うのと同じように、誰かに決められたいとも思っているのだ。

 

ある意味一時的な組織であるサークルに伝統的支配者が存在するのは難しい。

 それであればカリスマが小組織を率いていくのがもっとも効率的だろう。

 

集団主義

 集団主義とは個人主義と対極にある概念で、集団を第一に考える。集団第一主義ともいえる。

 

集団のことを第一に考えるということももう少し掘り下げると、主語はだれかという問いに行き当たる。

 

大哲学者ルソーは世の中には3種類の意志(特殊意志、全体意思、一般意思)が存在すると言った。

特殊意志とは自分のことを第一に考えた意志のことで、おなかが空いた、税金は安いほうがいい、つらい思いはしたくない、といった欲望や願望の表れである。全体意思はこれが集まったもので、いわゆる衆愚の意志である。

一方一般意思は全体のことを第一に考えた意志であり、弱者のために税金が上がるのは仕方がないだろう、全体のためにここは我慢しようなど、全体を優先するため一部の自己犠牲をはらむ可能性がある。

 

理想はみんなが一般意思を持って選択・行動することだが、実際にはありえない。人が寄ればたちまち衆愚へと変わってしまう。

みんながみんなのことを考えることなどできないのだ。

 

みんなが、みんなのことを考えることはできないが、誰かがみんなのことを考えることはできる。世の中には生まれながらの善人、利他心の塊みたいな人間が一定数存在する。

 

組織のためにもだれかがみんなのことを考えてやれねばならない。

 

以上をまとめると最も合理的なサークルの組織運営としてはカリスマ的支配者が、集団主義に立って行動することではないだろうか。

またどちらかの素質が欠けていたとしても、それを少数によって補完することで健全な組織運営の道が切り開かれる。