本と絵画とリベラルアーツ

本と絵画の解説

映画『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』を子どもは絶対に見るな【映画の紹介】

オススメ度:☆☆☆

 

国民的RPGである「ドラゴンクエストシリーズ」。

 

伝説の血を引く勇者たちが、世界を支配しようと企む大魔王を倒す壮大な旅に出る大人気シリーズである。

一作目が1986年に発売されてから30年以上にわたり、本編はのべ11作が発表されている。

 

この度そんなドラクエのうち屈指の名作である「ドラゴンクエストⅤ 天空の花嫁」の映画化がなされた。

 

先日見てきて色んな意味で衝撃を受けたのでまとめた。

 

ドラクエⅤとは

「ドラゴンクエストⅤ 天空の花嫁」は1992年にスーパーファミコン用ソフトとして発売されたロールプレイングゲームである。

その後2004年にプレステ2版、2008年にDS版、そして2014年にスマートフォン版がそれぞれ発売されている。

 

ドラクエⅤの魅力は主人公の人生を追体験できることにある。

ストーリーは主人公の年齢によって「幼年時代」、「青年時代前半」、「青年時代後半」の三本立てになっている。

 

 

幼年時代:父・パパスとともに母を探す旅にでた主人公だったが、光の教団の幹部ゲマとの戦いに敗れ教団の奴隷にされてしまう。

青年時代前半:妙案によって教団を脱走した主人公は冒険を続ける。妻をめとり、子供も授かった主人公であったがその晩妻が連れ去られ、助けに向かった主人公も石化されてしまう。

青年時代後半:石化から8年後、子どもたちによって呪いを解かれた主人公は息子が伝説の勇者だということを知り、マスタードラゴンとともに教団の本部に乗り込む。そこで妻と再会し教祖を撃破する。その後魔界に行き母と再会し、魔王ミルドラースと対峙する。

 

 

特にドラクエⅤを名作たらしめているポイントは「青年時代前半」に訪れる結婚である。

 

f:id:K_ArtforB:20190812235730j:plain

結婚相手は幼馴染で活発な性格のビアンカ、清楚で王の娘であるフローラからプレイヤーが自由に選ぶことができる。(DS版では派手で高飛車なデボラも選択肢に入る)

男心をくすぐる対照的な二人の女性をめぐる議論は過熱し、ドラクエ世代の間では定番の話題さえなっている。

 

 

蘇る少年時代

ドラクエからはしばらく離れていた私だったが、この映画を見てすぐに懐かしい思いが込み上げてきた。

 

私は小学校高学年のときにDS版がどんぴしゃで発売された世代である。

正直パパスを見た瞬間やばかった。最初に戦闘の音楽が流れた瞬間エモさが振り切れた。

ゲームがなによりも楽しかったあのころを思い出した。ビアンカにグリンガムのムチを持たせたくてゲーセンでひたすらコインを稼ぎまくっていたことを思い出した。キラーパンサーが後半使い物にならなくてパーティから外したことを思い出した。

 

ふと自分が映画の中で出てくるモンスターや呪文の名前をすべて覚えていることにびっくりした。 

ドラクエは9を最後にやるのをやめてしまった。ドラクエがつまらなくなったとかそういうことではなく、シンプルに自分がドラクエを卒業する年齢になってしまったのだろう。

それ以来とくに触れることもなく何年も経ってしまった。

 

それでも覚えているのだ。

小学校の頃まだ見難かったネットの攻略サイトを頼りに呪文を小さなメモに書きとめ暗記していったのを思い出した。

あのころはただ純粋にドラクエが好きだった。

 

映画を見ながら、そんな日々を追懐していた。

 

子どもは見るな

ストーリーだけでなく映像にも力が入っている。最初に背景の映像を見たときには本物かと勘違いするほどのクオリティであった。人間の造形もすばらしく、フローラはめちゃくちゃ可愛い。

 

その一方で魔物たちの迫力もゲームから数段あがっている。

特に物語のキーである光の教団の幹部ゲマの形相はすさまじく、小さな子供なら泣いてしまうのではないだろうか。いい意味で迫力があった。

 

 

またドラクエファンにはたまらないストーリーとなっている本作品だが、ラスボスを前にして衝撃的な展開をむかえる。

 

-----------------これよりネタバレ注意-----------------

 

ミルドラースの復活を阻止するために天空の剣を魔界に通じる渦巻きに伝説の勇者である主人公の息子が天空の剣を投げこむが、その直後主人公以外の時間が停止し、世界の解像度が下がりブロック状に崩壊していく。

困惑する主人公の前に現れたのはこのゲームに侵入したウイルスを名乗る謎のアンドロイドで、この世界がゲームであり、主人公はこのゲームのプレイヤーに過ぎないことを伝える。

アンドロイドはプレイヤーに「大人になれ」と語りかけ、ゲームはただの虚構でありナンセンスであると主張する。

動揺する主人公であったが、ゲームは第二の現実だと確信し、ゲームの監視役であったスライムからワクチンであるロトの剣を受け取りアンドロイドを撃破する。

 

 

ここまで一部ストーリーを改変しながらも王道を進んできた中で、この展開にはびっくりした人が多いと思う。

正直私もミルドラースとの最終決戦を楽しみにしていたので若干の裏切られた感は否めなかった。

 

作中にスーファミのソフトが出てきてこの世界はリメイクだというメタ的な発言が出たときには新しいリメイクの広告なのかと疑った。

 

最終的にゲームは虚構派のウイルスvs第二の現実派の主人公となり主人公が勝ったところを見ると、今まで懐かしい思いのなかで見てきた大人たちを肯定している内容にはなっている。

 

青春時代の一ページとしてドラクエに熱中し、その後ドラクエを懐かしい思い出に昇華させられている大人であればある程度納得のいく終わりにはなっている。

 

しかしこれがドラクエにはまっていったばかりの小学生・中学生が見たらどうだろうか。

自分の好きなドラクエの世界がただ単に破壊されただけのように映るだろう。

せっかくのかっこいい映画が最後で台無しになったと感じるかもしれない。

 

この映画は青春時代にドラクエを置いてきた大人たちのための映画なのだ。

これからまだまだドラクエやゲームを楽しみたい子どもたちにはとにかく後味が悪いだけの映画になってしまうので見るのは控えることをおすすめしておく。

 

 

www.artbook2020.com