オススメ度:★★★☆☆
プリンシプルは何と訳してよいか知らない。原則とでもいうのか。日本も、ますます国際社会の一員となり、我々もますます外国人との接触が多くなる。西洋人とつき合うには、すべての言動にプリンシプルがはっきりしていることが絶対に必要である。(p.216)
白洲次郎『プリンシプルのない日本』
著者:白洲次郎(1902~1985)
兵庫芦屋生れ。神戸一中を卒業後、ケンブリッジ大学に留学。父親の経営していた白洲商店の倒産を期に帰国。英字新聞記者を経ていくつかの会社の取締役を歴任。終戦後は終連の参与に就任、GHQから「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた。その後貿易庁長官、吉田茂の側近、東北電力会長など要職を歴任した。
本書のエッセンス
・白洲次郎の考え方
・サンフランシスコ講和会議の裏側
・内容の大半はぼやき
白洲次郎のプリンシプル
世の中にはホンモノとニセモノがいる。
ではどのような人がホンモノでどのような人がニセモノなのだろうか。この答えを出すことは難しいが、一つ言えることは白洲次郎はホンモノだということだ。
名家に生まれ、ケンブリッジ大学で青年時代を過ごし、吉田政権下では側近として首相を支えた。第二次世界大戦中には「日本は負ける」と確信し、郊外で農業に勤しんだ。
時代や権力に屈せず生きた白洲次郎にはプリンシプルがあった。では彼のプリンシプルとはいったい何であったのだろうか。この本では白洲が寄稿した言葉を通じて、彼が何を軸にどのように物事を捉え、考えていたのかを垣間見ることができる。
抽象化せず、そのものを捉える
凡そ複雑な事程簡単に片付けてしまいたいらしい。英語でいうGeneralizationという意味の日本語の適訳はしらないが、Generalizationはあまり智恵のある奴のすることとは思わない。(p.60)
よく物事の本質を捉えろということが言われる。本質とはサンプルである物事の背後にある構造のことを指すことが多い。
しかし背後にあるものを意識を向け過ぎた結果、今目の前にあるものを見えなくなってしまってはいないだろうか。一般化=Generalizationsすることで整理され、理解が容易になる。他方、素直に見れば見落とすことのなかった大事なものを、見落とす原因にもなりかねない。
在るものを在るがままに捉え、そのものとして理解することも同様に重要なのである。
法律や常識を抜きにゼロベースで正しい事を考える
紙の色の変わった様な古証文を振り廻した処で、関心を持つのは弁護士だけで国民はそんな笛では踊らない。国民の納得しないことで国民の支持なくて、どうしようたってそれは駄目だ。そんな時代はとっくに過ぎた。(p.71)
ルールや法を遵守できるという優れた国民性を持つ一方で、とらわれ過ぎてしまうのも我々日本人の特徴の一つである。それは白洲次郎の時代から変わっていないらしい。
ゼロベースで物事を考えられない限り、"アンシャンレジーム"からは抜け出すことができない。
上に立つ者の目線
未だに世の中には矛盾というか、虚言というかが多過ぎる。国民は益々迷うばかりだ。(p.86)
最後に、世の中を変えるにはリーダーシップは不可欠である。そしてリーダーシップを持っている人間というのは視座が自然と人の上に立った前提で存在している。
この視座を自然に持てるということ自体が、白洲が生粋のリーダーであったことを示していると思う。
サンフランシスコ講和会議の裏側
歴史であれ公民であれ、現在の日本の出発点のひとつでもあるサンフランシスコ講和会議については必ず目にする。
そしてその講和会議でもっとも有名な写真は、日本全権団の代表としてサインをする吉田茂首相の姿ではないだろうか。
条約受諾にあたり吉田茂による演説が日本語で行われたが、実は準備の段階では英語での演説の予定であり、日本語での演説は吉田茂の独断によるものであった。
総理がなぜ日本語で演説したかという理由については、こまかいことは知らないが、英語でやるか、日本語でやるかを、前からはっきりきめていたわけではない。演説の草稿は英語で書き、それを日本語に直して演説したのだ。(p.41)
一世一代の大演説の場で、急遽言語を変えようなどとよく思えるものだと思った。すさまじい吉田茂の胆力に、ただただ驚かされた。
さて歴史の裏話として、もう一つ印象に残ったエピソードがあった。
それは米国から突き付けられた新憲法の日本語訳を進めているときの話である。
この翻訳遂行中のことはあまり記憶にないが、一つだけある。原文に天皇はシンボルであると書いてあった。翻訳官の一人に「シンボルって何というのや」と聞かれたから、私が彼のそばにあった英和辞書を引いて、この字引きには「象徴」と書いてある、と言ったのが、現在の憲法に「象徴」という字が使ってある所以である。(p.240)
現在憲法の解釈として多くの議論がなされているが、天皇を象徴とみなす憲法の在り方もたびたび議題に上がる。良くも悪くも重んじられている天皇=象徴という言葉が、意外にもフランクな経緯で決定されたというのが、なんとも面白く感じられた。