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【あらすじ】『ピノキオ』で妖精がかけたのは祝福か呪いか【感想】

オススメ度:★★★★★

ゼペット、あなたは人々に幸せを与えてました。願いを叶えましょう

 

『ピノキオ』

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あらすじ

昔々、ネコや金魚と暮らすゼペットというおじいさんがいた。ゼペットは松の木でできた男の子の操り人形を完成させ、願い星に「本当の子どもになりますように」と願った。

するとその晩、願い星の妖精が現れ、操り人形に命を吹き込みピノキオは動けるようなった。

しかしピノキオはまだ本当の男の子にはなっていなかった。本当の男の子になるためには、勇敢で正直で思いやりがなくてはならない。妖精はジミニー・クリケットをピノキオの良心として働くよう魔法をかけた。

明くる日、ピノキオは本当の男の子になるために学校に向かうが、道中現れた誘惑に負けてしまい...

 

感想

小学生のころ、図書館でカルロ・コッローディの『ピノッキオの冒険』を読んだ。とても分厚く重たい本だったが、とても面白く読み切った覚えがある。

 

ディズニー映画『ピノキオ』はその『ピノッキオの冒険』を原作としたアニメーション作品である。原作は社会風刺のきいた残忍なシーンもある少々グロッキーな作品であったが、映画ではディズニーらしい物語に変更されている。

さて『ピノキオ』のカギとなるのが、ただの操り人形であったピノキオに魔法をかけ人間の子供のように動けるようにしたブルー・フェアリーの存在である。ゼペットじいさんが祈った願い星の化身として、ピノキオたちの前に現れる。

ブルー・フェアリーはストーリーの中で5回魔法をかける。1回目はピノキオを意志をもった操り人形に変えた時。2回目はジミニー・クリケットをピノキオの良心に変えた時。3回目は嘘をついて伸びてしまったピノキオの鼻を元に戻す時。4回目でピノキオを人間の子供に変え、5回目でジミニー・クリケットに金のバッジを授けた。

 

そもそもなぜブルー・フェアリーはゼペットじいさんの願いを叶えたのだろうか。映画の中ではピノキオに魔法をかける際に、ブルー・フェアリーはこのように言っている。

ゼペット、あなたは人々に幸せを与えてました。願いを叶えましょう

たしかに童話としては良いことをした褒美として魔法で願いを叶えるというのは自然である。しかし、ゼペットは周りの人に幸せを与えるような利他的な人間なのだろうか。

ゼペットは時計やオルゴール、人形作りの職人として、自宅兼お店のような場所で猫と金魚と一緒に生活している。猫や金魚と仲良くしていることから、ゼペットがどちらかというと内向的な性格であることが見てとれる。

そんなゼペットを周りの人間はどのように見ていたのだろうか。おそらく一種の狂人のような扱いを受けていたのではないだろうか。老人が一人で子供の人形をつくり、ともに踊り回る様はどう見ても異様である。どのような人生を経て今の状況に落ち着いたかは分からないが、少なくとも現状として周囲から人望を集めるような雰囲気は伝わってこない。

そう考えると、ブルー・フェアリーが「ゼペット、あなたは人々に幸せを与えてました。願いを叶えましょう」と言い魔法をかけたことに違和感が湧く。本当にブルー・フェアリーは祝福をもたらす女神なのだろうか。

 

ここからは完全な妄想になってしまうが、私はブルー・フェアリーが祝福でなく呪いをかけたのではないかと思う。

祝福ではなく呪いであることを示す事柄が2つある。1つ目は先ほどのゼペットの振る舞いである。そうして2つ目がブルー・フェアリーのかけた魔法の内容である。

 

前述の通り、ブルー・フェアリーはストーリーの中で5回魔法をかけた。

これらの5回の魔法の中で重要なのが、1・2・4回目である。この3回の魔法では、登場キャラクターの存在に役割を与えている。ピノキオはただの操り人形から意思を持った操り人形、そして本当の子どもに、ジミニー・クリケットはただのコオロギから「ピノキオの良心」への変わる。

 

ピノキオは生を受けたことによって、避けることのできない苦しみを味わうことになる。愛するものとの別れ、求めるものが得られない不満、恨みや辛み、それらすべてと向き合っていかなくてはならない。もしピノキオが木の操り人形のままであれば、苦しみを知ることなく愛され続けたのにである。

ジミニー・クリケットも悲惨である。ただのさすらいのコオロギであったのに、ブルー・フェアリーの魔法によりピノキオから離れることができなくなってしまった。ジミニーは自由を奪う呪いを受けたのだ。

 

このように『ピノキオ』のストーリーは狂人のもとに妖精が呪いをかけに来たと見ることもできる。長々と書いたが、まあ半分冗談で半分本気である。

 

古典作品はさまざな読み方ができる。もちろんこの見方は少数派であるだろうが、他の作品についても自分なりの解釈ができると面白いかもしれない。

 

 

ポリコレで炎上した『ピノキオ(実写)』は面白いのか【感想】

オススメ度:★★★☆☆

2022年9月8日よりディズニープラスにて、実写版の『ピノキオ』が配信された。ゼペット爺さんをトム・ハンクスが演じている。

この映画は配信前から話題になっていた。というのは、アニメ版では白人であったブルー・フェアリー役として、黒人のシンシア・エリヴォがキャスティングされたために、過剰なポリコレだと騒がれたのだ。ちなみにアニメ版のブルー・フェアリーのモデルは、白雪姫のモデルにもなったマージ・チャンピオンだといわれている。

近年のディズニー作品や女性やマイノリティへの配慮が進んでおり、時折このような議論や批判が巻き起こっている。少し前に劇場公開された『バズ・ライトイヤー』でも女性同士のキスシーンが槍玉に上がり、放映禁止となる国もあった。

 

ポリコレへの配慮やキャスティングの是非が注目されることが多いが、最も重要なのは「面白いのかどうか」ということではないだろうか。いかなる信念によってつくられたにせよ、つまらなければエンターテイメント映画に意味はない。

この記事では『ピノキオ(実写)』を見た上での純粋な感想を述べている。なお実写版視聴前にアニメ版も見直してある。なお一部ネタバレを含む。

アニメ版の感想およびあらすじはこちら

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『ピノキオ(実写)』

率直な感想と不要なキャラ

まず率直なところでは「映画として面白かったが、アニメ版よりパワーダウン」というのが個人的な感想である。

当然80年前よりは技術が進歩しているし、トム・ハンクスも申し分なかったが、大きく2つの面でアニメ版よりも面白さが損なわれていると感じた。

 

まず一つ目は不要なキャラの登場である。

ストロンボリに捕まったピノキオは、同じくストロンボリにこき使われる少女ファビアナと出会う。ファビアナはストロンボリもとで働きながらも、ストロンボリの劇団を乗っ取り新たな劇団を立ち上げることを目論む強かな人物だ。

せっかくの新キャラクターだが、特に物語には絡んでこない。あまりに役割がないので、正直キャラクターの女性比率を増やすために出したとしか思えない。そもそもアニメ版の時点でストーリーは完成されており、よほど大幅に改変しない限り新キャラクターの入る余地はない。新キャラクターを出すならば、それなりに意味付けを行って欲しかった。

 

全体的な迫力の欠如

二つ目が迫力の欠如である。

アニメ版の『ピノキオ』はかなり怖い。金の亡者のストロンボリ、詐欺師のジョン、ロバになる子供たち、ピノキオを飲み込む巨大クジラとそのすべてが迫力があり、見ている子どもたちに恐怖を感じさせる。そしてこれらの恐怖がハッピーエンドを迎えた時に安堵感を増幅させ物語を印象的なものにする。

しかし遠慮した表現とテーマの改変により、物語のポイントであった恐怖がかなり小さくなってしまっている。

表現としてはアニメ版で散々登場したタバコがなくなったことを始めとし、子どもに悪影響のあるシーンがだいぶ抑えられている。悪影響を恐れながら悪い子を描こうとするので、どうしてもパンチに欠ける。

また別の意味で表現が悪い点としては、クジラの描き方がある。アニメ版のクジラはただの大きなクジラである。これが実写版ではクジラに似たモンスターとして描かれている。触手のようなものが生え、セリフの中でも明確にクジラではなくモンスターだと言われている。

そもそも、クジラというのものは怖いものである。もっと言えば自然は本来的に恐ろしいはずである。名作と言われているハーマン・メルヴィルの『白鯨』やヘミングウェイの『老人と海』でも自然や動物が迫力のある姿で描かれている。

それにもかかわらずクジラをモンスターに変えてしまったというのは、自然に対する畏敬の念を失ったか、モンスターにしなければ迫力のあるシーンを描けなくなった技量の問題と言わざるを得ない。

 

またアニメ版では「悪ガキの改心」に重きが置かれていたのに対し、実写版では「ゼペットのピノキオへの愛情」がフォーカスしたことも、迫力の低下をもたらしている。

このテーマの改変により、ピノキオがそんなに悪い子ではなくなっている。

アニメ版で印象的なシーンに、ピノキオと一緒になって不良していた友達が、ロバになったことで発狂する場面がある。ピノキオはその様子を見て、同じくタバコやビールなど悪さをした自分もそうなってしまうのではないかと恐怖に怯える。

このシーンに迫力があるのはピノキオに感情移入している鑑賞者が、その発狂を我が事として捉えられていたためである。

ここでピノキオがいい子になってしまうと、鑑賞者にとって友人の呻き声、喚き声はすっかり他人事になる。他人事などなにも怖くはない。結果としてハッピーエンドになったときに「ああ、よかった」という安堵感も減り、見ごたえが損なわれる。

このような理由から、全体的な迫力の欠如を感じた。

 

総論としてはアニメ版の方が面白かったと思うが、ラストに関してはアップデートされていて素敵だった。あのラストのために実写化したと考えれば、それなりに意味のある実写だったといえる。

 

 

焼津観光では「さわやか」と巨大プリンを食え【グルメ】

東西に伸びる静岡県のちょうど真ん中あたりにある街、焼津市。2つの大きな港湾があり、カツオやマグロが名産となっている。

 

さてそんな焼津市に、先日ドライブがてら寄ってきた。比較的栄えている様子だったので、特にプランも立てずに行ったが、着いて早々気がついてしまった。

焼津市、なにもないぞ、、と。

たしかに全国有数の漁港ということで、港や海産物は充実している。「焼津お魚センター」というかなり大きな魚市場もあり、観光客にも人気のようだ。しかしそれを除くとほとんど観光するようなところが見当たらない。

住んだり海鮮を楽しむのには素晴らしい土地かもしれないが、ふらっと観光するような土地ではなかった。

素直に海鮮丼でも食べに行けばよかったのだろうが、残念なことに生魚が苦手な友人がいたために今回は断念。ほかの選択肢を探すことにした。

 

22分で「さわやか」入店

昼時だったのでまずは食事でもと焼津のグルメを検索するが、探せども探せども出てくるのは海鮮ばかり。間違いなく美味いのだろうが、今日は食べられない、、。

そんな中見つけたのがローカルハンバーグチェーンの「さわやか 焼津店」である。

 

「さわやか」といえばその人気からファミレスとは思えぬ長い待ち時間で知られていて、一番東京に近い御殿場アウトレット店では6時間待ちは当たり前、休日にはお昼前に受付終了となることもある。

以前御殿場アウトレット店を利用した時には、開店の2時間前から並んでやっとありつけた。

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さてそんな休日にはなかなか入れない「さわやか」だが、焼津店では様子が違った。

日曜のお昼12:30の時点で、待ち時間はたった22分であった。これはかなり早い。桁違いの人気である御殿場付近の店舗を抜きにしても、お昼時に30分を切ることはなかなかない。

焼津ICからも10分強と行きやすかったので、早速行ってみることにした。

 

お店の駐車場はとなりのTSUTAYAとの共有部分と合わせて100台ほどある。私が日曜のお昼に行った時点では8割方埋まっていた印象。

 

お店の中に入り、発券機で受付を済ませる。私が行った時には店員さんが受付を対応してくれた。券が発行されたら、代表者含め店の外で待つよう案内がある。券にはQRコードが付いており、これをスマホから読み取ることでリアルタイムで待ち時間を確認することができる。

時間が近くなったら来店するよう表示されるので、代表者だけが店に入り中で待つ。あとは時間まで待つだけだ。

 

空いているからと言って質が悪いとかそういうことは一切なく、いつも通りの美味しいハンバーグだった。大満足。

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「カントリーロード」の巨大プリン

さてせっかく3時間近くかけて焼津まで来たのに、ハンバーグだけ食べて帰るというのは少し心惜しい。何かもう一つくらい思い出を作りたいと思い次の行き先を探していると、巨大プリンなるものが見つかった。一部の商品は予約が必要だが、スーパープリンという大きなプリンは予約なしでも大丈夫そうだ。

 

「さわやか」でもらった口直しのアメを舐めながらナビに行き先を入れると、予定所要時間は2分。2分?恐ろしいほど近くに目的の喫茶店はあった。

しかして我々はハンバーグを食べたお腹のまま喫茶店に行くことになった。なんなら喫茶店に着いた時アメすら舐め終わっていなかった。

 

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喫茶店の名前は「カントリーロード」という。外観は年季が入っていて、手書きと思われる可愛い看板がかかっている。

 

中は広々としていて、中央付近の広い席は団体向けだそう。マスターが一人で切り盛りしているようで、たまたまお客さんが重なってしまったためにマスターが忙しなく動き回っていた。

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独特なつくりのメニューを見ながら、注文を決める。プリンやパフェは種類が豊富で、中には30人前という巨大パフェもあった(3日前までに予約必須)。

今回はスーパープリンのアラモードを選択。アラモードにすると着いてくるアイスを選ぶことができる。アイスも種類がたくさんあり、季節限定のものもあった。今回はバニラとカフェモカをチョイスした。

 

10分ほどして、プリンが到着。

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デ、、デカい。

今まで見たことないサイズのプリンに、2種類のアイスとたっぷりのホイップクリームがトッピングされている。

やや硬めの食感で甘みは抑えめのため、クリームと一緒に食べるととてもバランスが良い。一緒に頼んだアイスコーヒーは苦味少なめのスッキリとした風味で、これもまたプリンとよくマッチしていた。

ハンバーグでお腹いっぱい気味ではあったが、なんだかんだ3人で最後まで美味しく食べることができた。

 

漁港や海鮮の魅力に目が行きがちな焼津だったが、それ以外の食でも十分に楽しむことができた。ぜひ次訪れたときには30人前のプリンをお目にかかってみたい。

 

 

【あらすじ】『ヘラクレス』の曲抜きにディズニーは語れない【映画の感想】

オススメ度:★★★☆☆

時々自分らしく生きられる場所は、別の世界にあるのような気がする

 

『ヘラクレス』

 

あらすじ

神ゼウスとヘラの間にヘラクレスが生まれる。天界中が誕生を祝福する中がする中、この誕生を疎ましく思うものが一人。オリンパスの支配を目論むハデスである。

ハデスは将来ヘラクレスが自分の野望の邪魔になると悟ると、ヘラクレスを人間に変え殺すよう部下に命じる。しかし部下がドジを踏んだため、殺されることなくヘラクレスは半神半人となり人間界に落ちる。

優しい夫婦に拾われ青年にまで育ったヘラクレスだったが、わずかに残った神の力の怪力をコントロールできず、街の人から距離をとられてしまう。ヘラクレス自身も、自分らしく生きられる場所は別の世界にあると考えるようになる。

育ててくれた夫婦から真実を聞いたヘラクレスは、本当の自分を知るためゼウスの神殿に行く。しかしそこで、再び天界に戻るためには、人間界で本当のヒーローにならなくてはいけないと知る。

ヘラクレスは師匠となるピロクテテスを訪ね、ヒーローになるための修行を始めるが...。

 

 

感想

ディズニーランドの人気アトラクション「イッツ・ア・スモールワールド」。ここではエリアごと各国の衣装を着た子どもたちとともに、ディズニーのお馴染みのキャラクターたちも見ることができる。ヨーロッパエリアには「シンデレラ」や「塔の上のラプンツェル」、アフリカエリアには「ライオン・キング」といった具合である。

人気キャラクターが並ぶ中、アジアエリアに見慣れぬ人形がいる。小さなペガサスが乗っかったギリシア風の建物を、赤毛の少年が持ち上げている。

このキャラクターこそ本作品の主人公ヘラクレスである。せっかく専用の人形がつくられてはいるのに、知名度ゆえに素通りされているところをよく見る。悲しかな。

 

『ヘラクレス』は1997年に公開されたディズニー長編アニメーションである。

90年代のディズニーは「ディズニー・ルネサンス」と呼ばれる黄金期のなかにあった。90年代の他の作品には『美女と野獣』、『アラジン』、『ライオン・キング』などの名作が並んでいる。1989年の『リトル・マーメイド』から数えると、ディズニーは5作連続でアカデミー賞を受賞し、まさに人気の絶頂にあった。

 

そんな黄金期の作品ではあったが、「イッツ・ア・スモールワールド」の例に見るように『ヘラクレス』はやや影が薄い。

私が思うに、人気のあるディズニー映画は3つの要素を満たしている。その3つとは①魅力的なキャラクター、②ステキな世界観、そして③素晴らしい音楽である。

『ヘラクレス』に関して言えば、③は申し分ないが、①と②についてやや問題がある。

 

まず①魅力的なキャラクターについて。

『ヘラクレス』にも魅力的なキャラは存在する。厭世的でミステリアスなメガラ(メグ)や野心家ながら出来の悪い部下にいつも苛立っているハデスは人気があり、よくコスプレされたりディズニーのショーに登場したりしている。

一方でヘラクレスは主人公であるにも関わらず、キャラクターとしての深みにかける。

たとえばアラジンは自分より貧しいものに優しくする強さを持ちながら、一方で恋するジャスミンと結婚するために嘘をついてしまう弱さも待ち合わせる。『美女と野獣』のベルは父を助けるために愛する野獣を危険に晒してしまったことに嘆く。

こうしたギャップや葛藤は個性を立たせる。そしてキャラクターに深みが与えられ、ひいては物語自体の深みにもつながっていく。こうした深みが、主人公であるヘラクレスには無い。

 

次に②世界観について。

『ヘラクレス』の舞台は古代ギリシアと、設定としてはかなり良いように思える。古代ギリシアには独特な建造物や街並みがあり、他との差別化もしやすい。

しかし作中の描かれている街の風景はディズニーとしては珍しくディテールに欠けている。見ていて「この街に行ってみたい」と思わせるような迫力がない。この問題はパークに『ヘラクレス』のアトラクションがないことにも繋がっているように思える。

 

ここまであまり良い点が無かったが、③音楽についてはディズニー映画の中でもトップクラスではないだろうか。

「Go the Distance」をはじめ、「Zero to Hero」、メガラの歌う「恋してるなんて言えない」と素晴らしい曲が揃っている。

ディズニーの名曲がオーケストラによって演奏される「ディズニー・オン・クラシック」でも、『ヘラクレス』の曲はよく演奏されている。

 

さらに日本語版の「Go the Distance」は藤井フミヤによる歌唱であり、これがまた素晴らしい。ディズニー+でもエンドロールを日本語にすると聴けるので、本編を英語で楽しんだ人にも是非エンドロールは日本語で聞いてもらいたい。さすがは名作曲家アラン・メンケンの作品である。

いつか「ディズニー・オン・クラシック」で『ヘラクレス』メインの回をやってくれたら嬉しいなあと思う。

 

『バンビ』狂、手塚治虫という男【映画の感想】

オススメ度:★★★☆☆

きれいなフラワー!

 

『バンビ』

 

あらすじ

ある春の日、バンビが森の王子として誕生した。バンビは美しい森の中で、子ウサギのとんすけやスカンクのフラワーとともにすくすくと成長していく。

しかしとある日、母親と草原に来たバンビたちは人間に見つかってしまい、バンビの母親は殺されてしまう。母を失ったバンビは父親である森の王様のもとで育てられ、王子として逞しく成長していく。

季節が巡り、ファリーンというパートナーも得て幸せな日々を送っていたバンビだったが、再び人間が森に押し寄せる。森は山火事になり、バンビと森の仲間たちは深い森の奥へ逃げてゆく。

 

感想

小学生の頃、なぜだか分からないが伝記ばかり読み漁っている時期があった。講談社が出版していた「火の鳥文庫」という子供向けの伝記レーベルが学校にたくさんあり、休み時間に貪るように読んでいた覚えがある。

小学校の4,5年あたりのときには戦国武将の伝記が好きで、本で読んだ武将を友達の家に有った「戦国無双」で使うのが楽しかった。お気に入りだった武田信玄は赤い軍配で戦っていたが、いま考えると訳がわからない。

 

小学6年生くらいのとき漫画にハマったのをきっかけに、火の鳥文庫で「手塚治虫」の伝記を読んだ。これにどハマりし、卒業までに10回以上図書室で借りた。

そのおかげで伝記の内容は今でもよく覚えている。手書きの昆虫図鑑を描く上で理想的な赤いインクがなかったため、自分の指の血をインク代わりにしていたり(昆虫図鑑の絵も天才的に上手かった)、戦争中大っぴらに漫画が書けなかった時代には、トイレに漫画を貼り付けてみんなに見せていたそうだ。

そんな中でも特に印象に残っているのが『バンビ』のエピソードである。

 

『バンビ』は1942年アメリカで公開された。戦争中の日本にはアメリカのアニメーションが入ってこなかったため、日本で初めて公開されたのは1951年になってからになる。

日本で公開された当時22歳であった手塚治虫は、この『バンビ』に強い衝撃を受けた。この日から手塚は毎日映画館に通い、初回から最終回までぶっ通しで見続けた。(昔の映画館は一度入場すると何回でも上映を見ることができた。)この経験はのちのアニメ『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』につながっていく。

 

正直私自身は『バンビ』を何周も見るほどの感性を持ち合わせていなかった。この受け取り方の違いは、戦後娯楽に飢えた時代と現代という娯楽が飽和した時代との違いによる部分が大きいと思う。

ただ現代日本を代表するカルチャーであるアニメ・漫画の祖である手塚治虫に強い影響を与えたという点で、『バンビ』は日本にとっても歴史的な作品と言えるのではないだろうか。

こう見ると、つくづく戦後日本はアメリカの影響は色濃いのだなあと感じるばかりである。

 

 

 

読書感想文にオススメの作品7選【感想付き】

なんでせっかくの休みに本なんて読まなくてはいけないのか。

全国の学生の8割くらいはきっとこう思っているだろう。

夏休みの宿題の定番、読書感想文

 

プリントやワークならば最悪答えを写していけば終わるが、読書感想文となるとそうはいかない。

大前提として、本を一冊読まなくてはいけない。

いや、それ以前に手ごろな本が家になければ図書館で借りるか、本屋まで買いに行く必要もある。セミしかよろこばないような炎天下のなか、冗談じゃない。この時点で半分くらいの人はげんなりする。ちなみにセミは夏の代表みたいな顔しておきながら、実際は暑さに弱いらしい。

 

いざ図書館や本屋にたどり着いても、今度は本選びが待っている。

一生かかっても読み切れない本の山から、読書感想文に向いていて、読みやすくて、それなりに面白いものを選ばなくてはならない。これでは心が折れるのも無理はない。

私は中学2年生の時、読書感想文の宿題に手を付けぬまま夏休みの最終日を迎え、苦肉の策として家に有ったプログラミングの本で感想文を書いて国語の教師に嫌われた。

 

この記事では塾講師の経験とこれまでの読書体験から、読書感想文向きで、読みやすい作品をピックアップした。選びやすいよう、読みやすさと読書感想の書きやすさについて5段階で評価してある。

またそれぞれのリンクから具体的な感想に飛べる。

読書感想文にオススメの作品7選

 

角田光代『キッドナップ・ツアー』

読みやすさ:★★★★★/書きやすさ:★★★☆☆

キッドナップとは誘拐のこと。つまりタイトルは「誘拐ツアー」。

タイトル通り、主人公である小学5年生のハルは、夏休みの初日にユウカイされてしまう。その犯人はなんとハルのお父さん。はじめはなんだかぎこちなかったハルとお父さんの関係が、ユウカイを通して次第に変化していく。夏休みにぴったりの作品。

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ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』

読みやすさ:★★★★☆/書きやすさ:★★★★★

 ブレイディみかこの息子である「ぼく」の中学生活の最初の1年半をえがいたエッセイ作品。日本にいるとなかなか自分が日本人であることを意識することは少ないが、海外に行けばイヤでもそれを意識させられる。差別や格差など、読書感想文が書きやすい作品になっている。

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梨木香歩『西の魔女が死んだ』

読みやすさ:★★★★★/書きやすさ:★★★★☆

学校に足が向かなくなってしまった中学生のまいは、初夏の1ヶ月ほどを"西の魔女"のもとで過ごし、魔女になる手ほどきを受ける。ファンタジーのようなタイトルだが、中身は誰しもが共感できる身近な物語。自分に自信が持てなくなってしまった人にぜひ読んでほしい作品。

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湯本香樹実『夏の庭』

読みやすさ:★★★★☆/書きやすさ:★★★★★

小学6年の3人の少年たちが、「人が死ぬところが見たい」という純粋な好奇心から近くに住む独居老人を観察する。ひそかに観察していた3人だったが、ある日おじいさんに見つかってしまい、交流がはじまる…。中学生に1冊オススメするならこの本で決まり。

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山田詠美『ぼくは勉強ができない』

読みやすさ:★★★★☆/書きやすさ:★★☆☆☆

勉強よりもっと大事なことがあるんじゃないか、学校ってなんだかおかしくないか。そう思う人にオススメの作品。バーで働く年上の女性と付き合っている高校生:時田秀美が素直に生きるさまを描いた作品。

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恩田陸『蜜蜂と遠雷』

読みやすさ:★★★☆☆/書きやすさ:★★★☆☆

天才・鬼才がひしめくピアノコンクール。だれもが主役であり、誰かのライバルである舞台でドラマが生まれる。上下巻と他の本に比べると少し長いが、読み終わった後にはすばらしい映画を一本見終わったときのような感覚が残る。本屋大賞受賞作品。

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宗田理『ぼくらの七日間戦争』

読みやすさ:★★★★☆/書きやすさ:★★★☆☆

ある夏休みを翌日に控えた暑い夏の日、東京の下町にある1年生のクラスの男子生徒全員が忽然と消えてしまった。大人たちは事故か誘拐かと困惑する。彼らはどこに消えたのであろうか。大人たちの心配をよそに、彼らはある場所に集まっていた。それは荒川の河川敷に放置されたある工場跡。彼らはその工場跡にバリケードをつくり、立てこもっていた!

そして彼らはそこを“解放区”と呼び、理不尽な大人たちに対し七日間にわたる戦いを繰り広げる

ワクワク度合ならぶっちぎりの1位。ぜひ高校生になる前に読んでほしい作品。

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【ディズニー】『きつねと猟犬』は『MAJOR』に似ている【映画の感想】

オススメ度:★★☆☆☆

僕らは今でも友達だろ?

 

『きつねと猟犬』

 

あらすじ

母を殺された子きつね・トッドは、森の動物たちの助けを得て人間のおばあさんであるトゥイード夫人のもと育てられる。同時期、近くに住む猟師・スライドのもとに子犬のコッパーがやってくる。近くに住む2匹はすぐに仲良くなり、毎日のように遊び、親友となった。

月日が過ぎ、わんぱくなままのトッドに対し、コッパーは立派な猟犬として成長した。

ある日久々にコッパーのもとを訪れたトッドは、猟犬チーフに見つかり、コッパーと共にスライドに追いかけ回される。コッパーに居場所がバレ絶体絶命のトッドだったが、友人のよしみで見逃してもらう。しかしこの猟でチーフが大怪我を負い、怒り狂ったスライドは必ずトッドを捕らえると完全に目を付けられてしまった。またこの件で友人で会ったコッパーもトッドを恨んでしまう。

トゥイード夫人はこのままトッドを守り切れないと、森の奥へトッドを放す。スライドは執拗にもトッドを追い、ついにトッドとコッパーが衝突してしまう。

 

感想

この映画を見たときには、純粋に「トッド可哀そうだな」という感想をもった。トッドは母を失い、愛してくれた人間のおばあさんとも別れることになり、さらには友人のコッパーに憎まれてしまうという、多くの悲劇に直面する。

一方で猟師の家で育てられたコッパーは、もともとは臆病な性格で、トッドに様々な遊びを教えもらいながら幼少期を過ごす。その後先輩猟犬チーフとの訓練を繰り返し立派な猟犬へと成長した。

 

さて、この話の流れと登場人物だが、どこかで見たことある。

 

そう、この記事のタイトルにもある通り、野球漫画の『MAJOR』である

『MAJOR』の主要人物は主人公であるピッチャー:茂野吾郎とキャッチャー:佐藤寿也である。

茂野吾郎は3歳の時に母を失い、野球選手で憧れの対象であった父も試合中の事故で亡くしてしまう。それでも野球への情熱と持ち前の明るさを失うことなく、純真な性格のまま成長していく。

一方佐藤寿也は小さいころ、「お受験」のために家で勉強を強いられる生活を送っていた。そんなある日キャッチボール相手を探していた吾郎と出会い、野球に目覚める。その後はリトルリーグに入り、吾郎を追い越すほどに才能を開花させていく。

 

細かい点を言ってしまえば違う部分もいくらでもあるが、「悲劇のなかでも純真なまま成長した主人公と、努力して一足先に大人になったもともと気弱な少年」という構図はよく似ている。

変わらないものと変わっていくものを描くうえで優れた構造なのだと思った。