本と絵画とリベラルアーツ

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Disney on CLASSIC Premiumへ行ってきました

Disney on CLASSIC Premiumへ行ってきました。

大好きな美女と野獣を題材に、予想を超えた演出も盛りだくさんで大満足の2時間40分でした!

 

 今回のDisney on CLASSIC Premiumは終わってしまいましたが、Disney on CLASSICと同じようにまた別の作品で開催されると思います。

 

今回のコンサートの内容と、シネマ・コンサートとDisney on CLASSIC Premiumの違いについてまとめました。

 

Disney on CLASSIC Premium

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シネマ・コンサートとDisney on CLASSIC Premiumの違い

2020年2月22日、23日にわたって行われたコンサートはDisney on CLASSIC Premiumといって、今まで開催されていたシネマ・コンサートよりも豪華なコンサートとなっていました!

 

私が以前見に行ったシネマ・コンサートで映画を上映しながらそこに本物のオーケストラが音楽をあてるというものでした。

今回のDisney on CLASSIC Premiumはさらにパワーアップして歌唱シーンは豪華キャストによる生歌、さらに生きる伝説であるアラン・メンケンによるトークセッションとメンケン演奏によるメドレーの披露などその内容は大変豪華なものとなっていました!

 

シネマ・コンサートはシンプルに曲のすばらしさとオーケストラの演奏を楽しむというで、Disney on CLASSIC Premiumはそのディズニー映画の曲を余すことなく楽しめるようにデザインされていました。

 

 

感想

めちゃくちゃ感動しました。ひさびさ感動して涙が出ました。

 

オーケストラはずっと好きなんですが、実はディズニーもかなり好きで多い年には100回/年ほど通っていました。特にディズニー音楽が好きで、今回のDisney on CLASSIC Premiumはとても楽しみにしていました。

 

上映の前のアラン・メンケンのトークセッションではメンケンが自身のメドレーを披露してくれました。

そのメドレーの中には歴代の名曲から近年の作品の楽曲、また東京ディズニーシーのアトラクションの曲まで含まれており、その素晴らしい演奏に引き付けられました。

エンターテイメントというのはこんなにも人の心にダイレクトに影響を与えるのかと衝撃を受けました。人生の方向が少し変わってしまうほどの、そんな圧倒的な演奏でした。

 

豪華俳優陣による生歌も圧巻で、テレビで見るクオリティを本番でそのまま出せるのはやはりプロなんだと思いました。

 

今回のコンサートを見て、本当に素晴らしいというものを本物のプロたちが本気で作るからこそ人を感動させることができるのだと強く思いました。

 

 

 

 

 

【絵画】マネ《皇帝マキシミリアンの処刑》なぜ皇帝は処刑されたか?

処刑というと極悪人に下されるものというイメージがありますが、世界史においてはしばしば国王や貴族も処刑の対象となりました。

 

処刑された貴族の中でも最も有名なのはフランスのマリーアントワネットじゃないでしょうか。彼女はオーストリア・ハプスブルク家の娘としてフランス王に嫁ぎましたが革命が起こってしまい、最後には夫とともにギロチンで処刑されました。

 

 

今回紹介するのはメキシコ皇帝マキシミリアン(マクシミリアン)の処刑を描いたマネの作品です。

この絵画を理解するうえで重要な時代背景についてわかりやすく解説しました

 

マネ《皇帝マキシミリアンの処刑》を理解するポイント

①なぜ皇帝マキシミリアンは処刑されたのか?
②マネらしい反骨的な表現

 

マネ《皇帝マキシミリアンの処刑》

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《皇帝マキシミリアンの処刑》 1869年 マンハイム市立美術館

 

メキシコ皇帝マキシミリアンの誕生

まず初めに舞台となる1860年代の世界史を整理しておきましょう。

 

まずこの事件の核となるのはフランスの皇帝として君臨していたナポレオン3世です。

このナポレオン3世は俗にナポレオンと言われるナポレオン1世の甥っ子で、国民投票によって皇帝になった人物です。

 

当時のフランスは産業革命によって階級の変化が激しく、政治的に混乱していた時代でした。

ナポレオン3世はこのような状況の中で独裁政治を行うために国内に存在する勢力間の対立をうまく利用し、どの方面にもいい顔をする人気取り政策を行っていました。これをボナパルティズムといいます。

 

絶大な人気を手っ取り早く取る方法は戦争で勝つことです。

戦争は他国と自国の境界を強く意識させるため、ナショナリズムを高めるのに強く作用します。また戦争に勝てば国民は優越感に浸れ、彼らはその指導者である皇帝を支持するようになります。

 

このような理由からナポレオン3世は叔父のナポレオン1世と同様に多くの戦争を繰り返したのです。1850年代までは首をつっこんだ戦争のほとんどに成功し、彼の政治はうまくいっていたのですが1860年代に入ると様子が変わってきます。

 

1861年、ナポレオン3世は国家間の借金のトラブルを口実にメキシコ侵略に乗り出します。アメリカからすればヨーロッパの大国が大西洋を渡って侵略しに来るのはうっとしいことこの上ありませんでしたが、あいにくアメリカ史史上最大の内戦である南北戦争が勃発してしまったためメキシコまで手が回らなくなっていました。

 

この隙にフランスは進撃を続け、1863年に首都であるメキシコシティを陥落させました。ナポレオン3世はカトリックの君主国を打ち立てるべく、オーストリア皇帝の弟であったマキシミリアンを担ぎ上げてメキシコ皇帝として君臨させました

 

登場人物を整理すると以下のようになります。

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マキシミリアンの処刑

メキシコ皇帝となったマキシミリアンは国民のために精力的に働きましたが、メキシコ国民の大多数は彼を受け入れようとしませんでした。

 

当時メキシコ国内で最大勢力となっていたのは臨時大統領だったフアレス率いる革命軍でした。フアレスは自国を取り戻すべくフランス軍とゲリラ的な抵抗を続けていました。

さらにマキシミリアンには不幸なことにアメリカではリンカーンによって南北戦争が終結し、アメリカは目の上のたんこぶを取ろうとフランスに圧をかけ始めます。

 

風向きが変わり、不利な状況となったフランス・ナポレオン三世は財政の悪化もありメキシコから兵を引き上げを決定しました。この際マキシミリアンにも帝位を退くよう勧めたそうですが、マキシミリアンは理想主義の性格からこれを拒み、破滅へと突き進んでいきます。

 

そしてついに1867年6月、メキシコ軍に捕らえられたマキシミリアンは銃によって処刑が行われました。フランスに担ぎ上げられ、そして見捨てられたマキシミリアンの生涯はここで幕を閉じたのです。

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マキシミリアンの処刑後、本国フランスの皇帝ナポレオン3世の任期は急落していきました。

処刑から三年後、ナポレオン3世はプロイセン(ドイツ)との戦争中に捕虜となってしまい、これをきっかけに勃発したパリでの暴動により皇帝としての地位を失いました。

 

一方で国を取り戻したフアレスは絶対的な地位を確立し、心臓発作で死ぬまでメキシコ大統領であり続けました。今ではフアレスは「メキシコ建国の父」として紙幣の肖像画にもなっています。

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マネらしい反骨的な表現

ここまで絵画のバックグラウンドである歴史について触れてきましたが、この項では作者の面から絵画を解説していきます。

 

マネといえば絵画界の異端児として、社会に対してケンカを売るような作品をいくつも制作しています。有名な《オランピア》や《草上の昼食》は当時タブーであった人間の裸婦を描き大論争 を巻き起こしました。

 

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今回紹介している《皇帝マキシミリアンの処刑》もマネの反骨精神が垣間見える作品となっています。

 

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この二枚の絵を見比べてみると、兵士の服装に若干違いがあることがわかります。

これらは両方ともマネの描いた《皇帝マキシミリアンの処刑》で、左側が今回紹介しているマンハイム市立美術館に展示されている作品、右側がボストン美術館に展示されている左の作品より一年早く描かれた未完の試作になります。

 

この兵士の服装の違いは、兵士の所属する国の違いです。

左側の兵士はフランス軍、右側の兵士はメキシコ軍の服装で描かれているのです。

 

歴史の流れを思い出してみると、フランス軍は処刑の時には引き上げていますし、実際処刑を行ったのはメキシコ軍ですから歴史に即して描くならばこの作品の兵士はメキシコ軍の軍服で描かれるのが正確です。

 

しかしマキシミリアンがナポレオン3世の身勝手な野心の犠牲になったことにマネはひどく激怒し、あえて試作ではメキシコ軍で描いた兵士を、フランス軍による処刑に描き直すことで「マキシミリアンを殺したのはフランスだ」ということを強調したのです

 

このようにこの作品はマネの反骨精神がうかがえる作品でもあるのです。

 

おわりに

 今回のように絵画の中には歴史の一部を切り取ったものも多くあります。

歴史画を見るときには史実と作者の思想の両面を知ることでより絵画に近づくことができるのです!

 

今回のポイント

①皇帝マキシミリアンはナポレオン3世の政治的野心の犠牲となった
②マネはこのことに激怒し、作品に反骨心を盛り込んだ

 

 

マネについてやマネの他の作品はこちらから

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自分の機嫌は自分で取ろう

 気圧が低く気持ちが乗らない季節がやってきました。

 

冬は寒さのため換気も億劫になり、どんよりとした空気の中で長い時間を過ごしている人も多いんじゃないでしょうか。こうした毎日ではストレスがたまり、ついつい機嫌が悪くなってしまっている人も多いと思います。

 

今回は自分の機嫌を自分でとる重要性について話していきたいと思います。

 

自分の機嫌は自分で取ろう

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気持ちは伝播する

まず各自が自分で機嫌をとらなくてはならない理由として、気持ちが電波するということが挙げられます。

 

普段の生活で経験がある通り、楽しい空間にいれば人は楽しい気持ちになりますし、逆にしんみりした空気の中にいればしんみりとした気持ちになってきます。

このような極端な例に限らず、ちょっとした幸福感やピリピリ感というのが空間全体に伝播していくというのは覚えがあるんじゃないでしょうか。

 

人の気持ちは空間に流入し、そこにいる人たちのあいだでウイルスのようにあっちからこっちへと移っていきます。

ある組織や空間において自分の機嫌がとれない人間がいると、その組織の不機嫌の感染源となってしまいます。

 

例えばあなたの機嫌が悪くなったとして、自分でうまく自分の機嫌がとれないために誰か他人に自分の機嫌をとってもらおうとするとします。この時あなたの気持ちは誰かに伝播します。するとほかの誰かの機嫌や気分が悪くなり、その気持ちはほかの誰かへ伝わっていきます。

これを繰り返すとあなたの機嫌が直ったときに再びだれかの不機嫌を被ってしまうかもしれません。つまりあなたの不機嫌はあなたのもとへ帰ってくるのです。

 

インフルエンザと違って不機嫌に対する免疫はありません。自分でコントロールしようとしないかぎり何度でも不機嫌に行動や評価を阻害されることになってしますのです。

 

 

自分はプレイヤーであり、自分のコーチでもある

一流のテニスプレイヤーには一流のコーチが付いています。

 

コーチは常にプレイヤーに寄り添い、試合の途中メンタルがやられそうになったときにはあの手この手で鼓舞して、プレイヤーを最高のメンタル・コンディションでプレイできるように支えています。

このコーチのおかげで、プレイヤーは最高のパフォーマンスを発揮することができるのです。

 

私たちはトップアスリートではありませんが、それでもメンタルによって多少なりともパフォーマンスに変化が表れると思います。 やる気に満ちているときには仕事もはかどるでしょうし、イライラしているときには普段しないようなミスをしてしまうこともあるでしょう。

IQテストの開発者であるビネー教授も知能を支える三要素のなかに「熱意」を入れています。メンタルと成果にはそれなりに相関関係があるのです。

 

言うまでもなく自分のメンタル・機嫌を維持しておくのは重要な要素になってきます。

ではアスリートでない私たちのメンタルを支えてくれるのは一体誰なんでしょうか。常に私に寄り添い、高いパフォーマンスを保とうと努めてくれるのはどこの誰になるのでしょうか。

 

それは自分自身です。自分のためにも、他人のためにも自分の機嫌をとらなくてはいけないのは自分自身なのです。

 

そんなのは大人として当たり前だ、今更言及するまでもないと思うかもしれませんが、世の中には自分の機嫌が取れていない人が多くいます。とりわけ無意識のうちに他人を使って自分の機嫌をコントロールしようとしている人がかなりの数見受けられます。

 

たとえば他人の言動にイラっときたときについつい余計な一言を言ってはいませんか??あるいは優しくできたはずの場面で冷たく言い放ってしまうことはありませんか??

 

他人を大声で怒鳴りつけるなどは論外としても、普段の生活のなかでちょっとした嫌味やそれに準ずる行動をとってしまうということは相当意識していない限り往々にしてあるはずです。

 

こうした嫌味から出るマイナスの気持ちも組織の中を静かに伝播していきます。こうした静かなる負の感情がはびこる環境からは決していいものが生まれるとは思えません。

この負の連鎖を断ち切るには、各々が意識して自分の機嫌をとっていくしかないのです。

 

 

機嫌を取るためのコストを惜しまない

自分の機嫌を取るうえで重要なポイントは、自分の不機嫌を見くびらず機嫌をとるためのコストを惜しまないということです。

 

ある程度の大人になれば常に何かしらのストレスを抱えており、まったく気に障るものがないという環境はなかなかないと思います。その中で自分が不機嫌であることに徐々になれてしまい、メンタルがむしばまれていることに関して鈍感になっているひとが多いです。

そうした人は自分が多少機嫌が悪くとも「いつも通りだから」と気にとめず、結果としてマイナスのオーラを組織に流してしまっている可能性があります。

 

自分からしたら大したことないとしても、伝播した負の感情は組織の中で成長し、乗数効果が生まれてしまいます。

結果として、自分が予想したよりも多くの悪弊を生んでしまうことになるのです。

 

そうならないためにも、自分の機嫌の安定化は自分の最重要課題だととらえ、手をかけてやらねばなりません。

この時には決してコストを惜しんではいけないのです。もし機嫌が悪い時にラーメンが猛烈に食べたいと思ったならばたとえ遠くとも好きなラーメン屋まで足を運ぶのです。このときにカップラーメンで代用しようとすればストレスは切除しきれずに再び活動を始めるガンのようにまたあなたをむしばみ始めるでしょう。

 

機嫌が悪い時の自分は徹底的に甘やかすべきです

 

たとえ機嫌が悪い時にいくら甘やかしたところで、機嫌がいい時に厳しくして生産性を上げてやればいくらでもおつりがきます。

自分の機嫌くらいと安く見積もらないで、自分の機嫌は思う存分とってあげるようにしましょう。

 

 

今回は自分の機嫌をとる意義についてお話ししました。

もし自分のメンタルが弱っているのにいつも無理くり働かせているのであれば、たまには自分のことも可愛がってあげた方がいいかもしれませんね。

 

 

 

【絵画の解説】レンブラント《ベルシャザルの饗宴》【ロンドン・ナショナル・ギャラリー】

オランダ黄金期の画家であるレンブラントはさまざまなジャンルの絵画を手掛けたことで知られています。

 

今回は西洋絵画の王道、宗教画を扱っていきます。モチーフを知ることでぐっと作品を楽しめるようになります。 

この記事を読めば、 「ベルシャザルの饗宴」とは何なのか分かるようになります

 

「ベルシャザルの饗宴」とは?? 

①「ベルシャザルの饗宴」とは??
② バビロン捕囚と「ダニエル書」
③ 描かれている言葉の意味は

 

レンブラント《ベルシャザルの饗宴》

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《ベルシャザルの饗宴》 1635年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー

 

「ベルシャザルの饗宴」とは??

「ベルシャザルの饗宴」は旧約聖書「ダニエル書」5章に出てくるエピソードです。

*ベルシャザルの饗宴
新バビロニアの王子ベルシャザルはエルサレムの神殿を破壊、略奪した金銀の器を使って豪華な饗宴を開いていた。すると突然人間の手があらわれ、壁に文字を残していった。
多くの賢者が解読を試みたが失敗し、ユダヤ人のダニエルがこれを読み解いた。

 新バビロニアとは古代オリエント(現在のイラクあたり)に実際に存在した国で、「バビロン捕囚」(次項でくわしく説明)したことが特に有名です。

 

王子ベルシャザルは新バビロニア最後の王ナボニドゥスの子供で、首都であったバビロンの統治を任されていました。

 

 

バビロン捕囚と「ダニエル書」

「ダニエル書」は旧約聖書の一書で、主人公ダニエルがバビロン捕囚されてからの出来事が語られています。(ただし一部史実と異なる)

 

「バビロン捕囚」とはヘブライ人(ユダヤ人)の国であったユダ王国が新バビロニアのネブカドネザル2世に滅ぼされ、バビロニア地方に強制移住させられた出来事です。初めはすぐ戻れると楽観視していた捕囚民たちでしたが、実際には半世紀にもわたる暗い時代の幕開けになりました。

 

バビロン捕囚約50年後、新バビロニアがアケメネス朝ペルシアによって滅ぼされると、ついにユダヤ人たちは帰還することが許されました。こうしてつらい時代を乗り越え故郷にもどったユダヤ人たちはユダヤ教を確立します。

ユダヤ教はこのような経緯を経て成立したため、選民思想(ユダヤ人だけが神に救われる)がその特徴として色濃くでているのです。

 

 

描かれている言葉の意味は

さてこの絵画で描かれている文字はどのような意味なのでしょうか。

書き起こすとヘブライ語で「מנא מנא תקל ופרסין‬」(ヘブライ語は右から左に読む)となり、読みは「メネ、メネ、テケル、ウパルシン」となります。

 

意味は「神があなたの治世を数えて、これをその終りに至らせた。(メネ)あなたがはかりで量られて、その量の足りないことがあらわれた。(テケル)あなたの国が分かたれて、メデアとペルシャの人々に与えられる。(ぺルス)」、すなわち「神はあなたに王としての資格がもはやないと判断した、国はメディア・ペルシアの人々に分け与えられるだろう」という意味になります。この文章は「王の終わりを告げるメッセージ」なんですね。

 

その夜ベルシャザルは殺されてしまいました。

 

 

おわりに

聖書や歴史を知るとより絵画を楽しむことができます。

古代オリエントは固有名詞が多くわかりにくいですが、ロマンあふれる時代でもあります。もし勉強するならば高校世界史のテキストからがお勧めです。

 

まとめ

①「ベルシャザルの饗宴」とは旧約聖書「ダニエル書」のエピソード
②バビロン捕囚がユダヤ教に影響を与えた
③描かれている言葉の意味は「王の終わりを告げるメッセージ」

 

 

今回紹介したレンブラント《ベルシャザルの饗宴》はロンドン・ナショナル・ギャラリー展で楽しむことができます!!

もし今回この作品に興味を持たれましたら実際に見てみることをおススメします!!

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展

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会場:国立西洋美術館(東京都)

開催期間: 2020/03/03(火) 〜 2020/06/14(日)

開館時間:9:30 〜 17:30(金・土曜日は20:00まで)

休館日:月曜日(但し3/30、5/4は開館)

(詳しくは公式HPをご覧ください)

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展|国立西洋美術館

 

 

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展でみられるほかの作品はこちら

www.artbook2020.com

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ティッツィアーノ「ノリ・メ・タンゲレ」【言葉の意味は??】

今回は新約聖書の一説をモチーフとするティッツィアーノの「ノリ・メ・タンゲレ」 を紹介します。

 

「ノリ・メ・タンゲレ」を理解する2つのポイント

①「ノリ・メ・タンゲレ」の意味とは??
② 抒情的な表現

 

ティッツィアーノ「ノリ・メ・タンゲレ」

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「ノリ・メ・タンゲレ」 1514年頃 ロンドン・ナショナル・ギャラリー

 

「ノリ・メ・タンゲレ」の意味とは??

「ノリ・メ・タンゲレ」とはラテン語で「わたしに触るな」という意味です。

 

 

この絵画は新約聖書:ヨハネによる福音書20章14 - 18をモチーフにしています。

*ノリ・メ・タンゲレ

イエスの処刑後、マグダラのマリアがイエスの墓の前で泣いているところに復活したイエスが現れました。はじめマリアは復活したイエスをここの墓地の番人と勘違いしますが、イエスが「マリア」と語りかけると気が付き彼に向って「ラボニ(先生)」と呼びかけます。

マリアがイエスに触れそうになると、イエスは「ノリ・メ・タンゲレ私に触ってはいけない)私は、まだ父のみもとに上っていないのだから。ただ、わたしの兄弟たちの所に行って、『私は、私の父またあなたがたの父であって、私の神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く』と、彼らに伝えなさい」とマリアに言い渡しました。マリアは言いつけ通りにイエスの弟子たちにこのことを伝えました。

ちなみにこのマグダラのマリアとイエスの母である聖母マリアは別人です。

マグダラのマリアは七つの悪霊をイエスに追い出してもらい、またイエスの埋葬を見届けた人物で西方・東方の両キリスト教協会において聖人のひとりとして数えられています。

 

抒情的な表現

この絵画はティッツィアーノのキャリアの初期に描かれた作品で、この時期に描かれた作品は兄弟子・師匠だったジョルジョーネの影響を受けているものが多いです。

 

ジョルジョーネは若くして亡くなってしまい、その確実な真作の数は数点しか存在しません。しかし彼が美術界にもたらした影響は大きく、とりわけティッツィアーノはジョルジョーネの助手を務めるなど深い関りを持ちました。

 

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ジョルジョーネ「テンペスタ」 1508年頃 アカデミア美術館

 

ジョルジョーネの作品の特徴はなんといってもその「抒情的な表現と色使い」にあります。

 

従来の西洋絵画は先にデッサンをしっかりと行い、最後に塗り絵のように色が付けるのが一般的でしたが、ジョルジョーネは初めから絵の具を使用することで今までにない色彩感あふれる印象的な作品を生み出しました。また先に構図を決定しなくなったため、描きながらイメージを変更することも可能になりました。

現在では普通である絵の具をはじめから使って描く手法も、当時はかなり斬新なものだったのですね。

 

ティッツィアーノの「ノリ・メ・タンゲレ」もX線による調査の結果、風景に描きなおしたあとが多くあったことが明らかになっています。

 

 

まとめ

「ノリ・メ・タンゲレ」の意味は「私に触れるな」というなかなか強烈なものでした。

聖書の知識があるとより西洋絵画を楽しむことができます。逆に絵画を鑑賞することでキリスト教の教養が身についていくのも絵画鑑賞の醍醐味の一つなのです。

 

本日のまとめ

①「ノリ・メ・タンゲレ」の意味は「私に触れるな」
② ジョルジョーネから影響を受けた抒情的な表現

 

 

今回紹介したティッツィアーノ「ノリ・メ・タンゲレ」はロンドン・ナショナル・ギャラリー展で楽しむことができます。

もし今回この作品に興味を持たれましたら実際に見てみることをおススメします!

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展

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会場:国立西洋美術館(東京都)

開催期間: 2020/03/03(火) 〜 2020/06/14(日)

開館時間:9:30 〜 17:30(金・土曜日は20:00まで)

休館日:月曜日(但し3/30、5/4は開館)

(詳しくは公式HPをご覧ください)

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展|国立西洋美術館

 

 

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展で展示されるほかの作品はこちら

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現役文系大学生がPython3エンジニア認定基礎試験合格を目指す【資格試験】

去年の8月にもエンジニア認定基礎試験に向けて勉強をしていたのですが、途中で失速してフェードアウトしてしまいました。

前回の記事はこちら

www.artbook2020.com

 

 

それから半年、また時間ができて気力も回復してきたので再び合格を目指して活動していこうと思います。今回は前回の反省を活かして勉強を進めているので、とりあえずここまでの内容をまとめておこうと思います。

 

 

現役文系大学生がPython3エンジニア認定基礎試験合格を目指す

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資格の難易度

ネットでほかの方の評判拝見した範囲ですとPython3エンジニア認定基礎試験は比較的簡単な試験に入るようです。

 

仕事でPythonを使っている人ならノー勉合格は当たり前、ある程度かじった人でも10時間くらい勉強して出題されるテキストを一通り読んでおけば合格でるでしょう。

 

1から始める場合は40時間~ほどかかりそうです

 

 

私のレベル

私のレベルとしてましては

・プログラミンは何度かかじりそのたびに挫折している
・四則演算はわかるが、関数やクラスはわからない
・模擬試験の結果は300/1000点

 と、完全なるド素人でした。

 

exam.diveintocode.jp

模擬試験はこちらのサイトで無料で受けることができます。受験する予定がある人や興味がある人はぜひ受けてみてください。

 

とにかく半年前に勉強したこともほぼほぼ忘れ、レベルとしては初学者と変わらない状況にあります。 

 

 

前回の反省

前回の最大の反省は、受験する日をあらかじめ決めておかなかったことだといえます。ある程度勉強が仕上がってから受験しようと考えた結果、だらだらと勉強が伸び最終的に受験することなく夏を終えてしまいました。

 

今回はその反省を活かし、勉強を始める前に資格試験の申し込みを済ませてしまいました

学生割があるとはいえ大学生に5000円はなかなかきついものです。否が応でも勉強するしかなくなりました。正直勉強時間が足りるのかどうかわかりません。しかしやるしかなくなった以上締め切り効果を活用しながらやっていこうと思います。

 

 

具体的な勉強法

具体的には以下の3つを使って勉強していく予定です。

①ProgateのPython講座

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こちらは月額980円でプログラミングを1から勉強することができるサービスです。自分の書いたコードのどこが間違っているのかすぐに確認することができるので初心者には使いやすいサービスといえます。

 

 

②「Pythonスタートブック[増補改訂版]」

こちらもPythonを学ぶ最初の一冊としてとても人気がある本です。この本で使われているテキストエディタをダウンロードして使うことでより分かりやすく勉強を進めることができます。

 

 

③「Pythonチュートリアル」

こちらがPython3エンジニア認定基礎試験の試験範囲となる本です。まったくプログラミングにかかわったことのない人がこれを読み通すのはなかなか根気がいるので、先により優しい本を使って勉強するのをおススメします。

 

今回はここに挙げた順に勉強を進めていこうと思っています。

 

それぞれを使ってみた感想は後々上げていく予定です。

 

それでは勉強の方頑張っていきます!

 

【画家の紹介】ディエゴ・ベラスケス【バロック美術】

スペイン黄金期を代表する宮廷画家ベラスケス。

 

時のスペイン王フェリペ4世に気に入られたベラスケスは生涯をスペイン・ハプスブルク家に捧げ、画家としてだけでなく城の役人としても活躍しました。

 

宮廷画家であったベラスケスはひとつひとつの作品に時間をかけたため各作品の完成度が高く、残した作品の数は少ないことで知られています。

 

今回はベラスケスの作品を鑑賞するときのポイントを3つのポイントからわかりやすく解説していきたいと思います!

 

ベラスケスの作品の鑑賞の3つのポイント

①スペイン・ハプスブルク家の宮廷画家
②巧みな人物の内面表現
③印象派に与えた影響

 

スペイン宮廷画家:ディエゴ・ベラスケスの紹介

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「ラス・メニーナス」 1656年 プラド美術館

 

①スペイン・ハプスブルク家の宮廷画家

ベラスケスはそのキャリアの大半を宮廷画家として過ごしました。 

ベラスケスは11歳から18歳までをパチェーコという当時有名だった画家の下で修業した後、独立して画家になりました。24歳とときに時の訪れたスペインで時の国王フェリペ4世にたいそう気に入られ、宮廷画家としてのキャリアをスタートさせます。ベラスケスは宮廷画家としてだけでなく王宮職員の役職も与えれ、その後死ぬ直前までハプスブルク家のために働き続けました

 

彼は61歳で死にましたが、これも王宮での仕事による過労が原因でした。

1660年に主君のフェリペ4世の娘マリア・テレサと、太陽王とも呼ばれたフランス・ブルボン朝の国王ルイ14世との結婚式が行われました。(ちなみにこの結婚により継承関係がややこしくなり、数十年後幾度にわたる継承戦争が勃発する原因にもなります)

この時結婚式の総責任者の白羽の矢が立ったのがベラスケスでした。当時60歳だった彼はとてつもないプレッシャーの中で職務を全うし、式を見届けるとその翌年役目を終えたかのようにこの世を去ったのです。

 

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ルイ14世とマリア・テレサとの婚儀の様子(デストラン作)

宮廷画家として王宮で働けたことは多忙という面でベラスケスを苦しめましたが、一方で彼を画家として大成させる要因にもなりました

 

ベラスケスは宮廷画家として働く中で、スペイン領ネーデルラント(現:ベルギー)から外交官として派遣されてきたルーベンスと出会い親交を深め、宮廷の豪華なコレクションを研究や時には買い付けのために行ったイタリアでの修行などを通して作風を発展させていきました。

 

こうした多くの“本物”の絵画や画家との接触の中でベラスケスは教養と実力を高め、ついにはマネをして「画家の中の画家」と言わせしむ高みにまでたどり着いたのです。



②巧みな人物の内面表現

宮廷で長い時間を過ごしたベラスケスは宮廷内で暮らす多くの人々の肖像を残しました。そして身分を問わずそれらの作品に共通している特徴として、人物の尊厳や威厳といった内面を巧みに描き出していることがあげられます。

 

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左:ベラスケス「スペイン王フェリペ4世」 1631-32年 プラド美術館
右:リゴー「ルイ14世の肖像」 1701年 ルーブル美術館

以上の2枚の絵は同じバロック美術の画家が描いた国王の肖像画になります。

 

これらは似た構図で威厳がよく表現された二枚でありますが、その表現方法には大きな違いがあります

まずリゴーの描いたルイ14世の方では後ろの柱から絨毯にいたるまで金色がふんだんに使われ、バロック美術らしい“豪華絢爛” というイメージが強く伝わってきます。さすがヴェルサイユ宮殿の主らしい金と権力の強さが感じられます。

 

一方のベラスケスの描いたフェリペ4世の肖像画を見ると、登場する一つ一つの小道具が比較的質素であることがわかります。絶頂期ではないといえかの世界一の名家ハプスブルク家です。豪華にしようと思えばいくらでもできたはずです。しかしベラスケスはあえてそれらの要素を排除して、国王の人格の気高さを描き出すことに成功しました

 

ベラスケスが描いたのは宮廷の王族だけではありません。彼は宮廷で暮らす小人や道化師についてもしばしば描いています。

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「バリェーカスの少年」 1643-45年 プラド美術館

 

この絵は王太子の遊び相手として宮廷で暮らしていた矮人を描いたものです。

この絵の特徴は、矮人の目線が見る人と同じ高さになるように描かれていることです。こうすることで見る人と絵の中の人物が“対等”になり、作中の人物の尊厳がダイレクトに伝わってきます。また顔の周りの背景が影で暗くデザインされており、見る人の視点が人物の顔に向かっていきます。

 

この絵画を眺めていると、中の人物が「ある」のではなく、「いる」のであることがひしひしと伝わってくるでしょう。この矮人の中に存在する尊厳が見事に表現されています

 

洗練された技術力の高さによってベラスケスは人物の尊厳を巧みに描き出しているのです

 

 

③印象派に与えた影響

もう一つ、ベラスケスが絵画史において重要である点として彼が印象派に影響を与えたということがあります。

 

こちらは先ほどのベラスケス「スペイン王フェリペ4世」を拡大した画像になります。

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離れてみると模様であった部分が、拡大すると筆の跡の集まりであることがわかります。このように筆の跡を並べて描くスタイルはのちの印象派が好んで用いられました。

ベラスケスの作品はのちの美術史における一大ムーブメントの布石となったのです。

 

印象派のなかでもマネは特にベラスケスに心酔し、背景表現の面でその影響を色濃く受けています。こちらについては以下の記事で詳しく解説しているので参考にしてみてください。

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まとめ

宮廷画家として活躍したベラスケスは、本物の美術に触れながら独自の作風を確立していきました。そしてそれらの息遣いは印象派へと受け継がれ、また美術史の一ページとして刻まれていったのです。

ベラスケスを理解するポイントは以下の三つになります。

①スペイン・ハプスブルク家の宮廷画家
②巧みな人物の内面表現
③印象派に与えた影響

これらを踏まえたうえでベラスケスの作品や、印象派の作品を鑑賞することで一層体験価値が高まるはずです!

 

 

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