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【絵画の解説】マネ「笛を吹く少年」は日本にどう影響を受けたのか

マネの絵画の中でも特によく目にするのはこの「笛を吹く少年」ではないでしょうか。

「笛を吹く少年」はマネの特徴をよく表しており、マネを知る上でとても参考になる作品です。

 

「笛を吹く少年」に詳しくなることで、マネという画家についても知っていきましょう。

 

マネ「笛を吹く少年」を理解するポイント

・ジャポニスムから影響を受けた平面と輪郭
・巨匠ベラスケスから受け継いだ背景表現

 

マネ「笛を吹く少年」は日本にどう影響を受けたのか

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「笛を吹く少年」 1866年 オルセー美術館

マネの絵の中で最も有名なのはこの「笛を吹く少年」ではないでしょうか。

なぜマネの中でこの絵が一番有名になったのでしょうか。この絵が人気である理由の一つは日本の影響を大いに受けたとうことにあります。

 

マネが活躍した時代には開国したばかりの日本文化が欧米に急速に広まり、ジャポニスムと呼ばれる一大日本ブームが訪れていました。マネはジャポニスムに関心を寄せた一人で、その影響はマネの多くの作品に残されています。以下で具体的なジャポニスムの影響と尊敬するベラスケスについて解説していきます。

*ジャポニスムとは
ジャポニスムとは明治維新の前後に日本の芸術品が大量に欧米に流出したことによって起こった日本ブームのことです。浮世絵や屏風など、今までの欧米の芸術には無かったエキゾチックな作風や表現方法は欧米に衝撃を与えました。ジャポニスムは単なる日本文化の流出にとどまらず、変革期にあったヨーロッパの若き芸術家たちに多大な影響を及ぼしました。
 

ジャポニスムの影響①:平面的な描写

マネはジャポニスムの影響を多大に受けた画家でした。その中でも特に影響を受けたと考えられるのが平面的な表現の浮世絵です。

 

ルネサンス期以降、ヨーロッパでは遠近法を基軸とした立体的でリアルな表現が好まれてきました。一方の日本の浮世絵は現代の漫画に通ずる平面的な表現が特徴です。

この作品では浮世絵の影響を受け、あえて人物の影を最小限にとどめることで平面的な描写に仕上げています。

 

 

ジャポニスムの影響②:力強い輪郭

もう一つ、「笛を吹く少年」の中で日本の影響を感じるのが人物の輪郭が力強い筆遣いで描かれていることです。輪郭がはっきりとした筆遣いで描かれているのも浮世絵の特徴の一つで、それまでの西洋絵画では珍しいことでした。

 

マネはかねてより人物にフォーカスした絵画作りを目指しており、人物を際立たせる手法の一つとして浮世絵の独特な力強い輪郭の縁取りが採用されました。

 

 

巨匠ベラスケスから受け継いだ背景表現

何もない、わずかな影だけで背景を表現し人物を際立たせる手法はマネが最も尊敬するスペイン画家ベラスケスから受け継いだものです。

 

1865年のサロンに出品した「オランピア」が批判の嵐にさらされた後マネは、心を癒すためにスペインへ旅行へ出かけました。マネは小さなころよりルーブル美術館に足しげく通い昔からスペイン絵画に関心を持っていましたが、このスペイン旅行で出会った絵画は彼の人生に大きな影響与えました。

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ベラスケス「道化師パブロ・デ・バリャドリードの肖像」 1634年頃 プラド美術館

 

マネが手紙の中で最も賞賛しているのがこの道化師を描いた肖像画です。

わずかな影で背景を表現することによって、見る人の意識を人物に集中させるように描かれています。マネはこれを「背景が消え、空気が人物をとり囲んでいる」と表現し、生涯の研究テーマとしました。

 

この背景を省略し人物を強調する手法は、巨匠ベラスケスより受け継いだものでした。

 

 

おわりに

「笛を吹く少年」はマネが影響を受けた浮世絵とベラスケスの面影を色濃く感じられるマネを知っていくうえでとても意義ある作品でした。

これらの特徴はマネの他の画でも見ることができるので、これからマネの絵を見る際には注目してみてはいかがでしょうか。

 

マネについてもっと知りたい人はこちらの記事もどうぞ

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【絵画の解説】マネ「フォリー・ベルジェールのバー」【鑑賞】

マネ晩年の傑作と称される「フォリー・ベルジェールのバー」。

マネがこの絵を描いたのは彼の死の前年で、すでに梅毒による足の壊疽が進みとてもつらい状況でした。

 

この絵をよく見ていると鏡に映る像に違和感を覚えると思います。この記事では鏡に映る像の秘密を明らかにし、この絵画が傑作である所以をわかりやすく解説します。

 

マネ「フォリー・ベルジェールのバー」を理解するポイント

・浮かび上がるような人物描写
・実は科学的な鏡に映った像
・フォリー・ベルジェールのバーメイドは売春婦

 

「フォリー・ベルジェールのバー」がマネ最晩年の傑作である理由とは

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「フォリー・ベルジェールのバー」 1882年 コートールド美術館

 

「フォリー・ベルジェールのバー」はマネの人生において最晩年に描かれた作品で、当時批判の多かったマネの作品の中では珍しく好評でした。

 

マネは生涯で追い求めていたものが2つありました。1つは尊敬する画家ベラスケスが得意とした、人物が浮かび上がるように描く肖像の表現です。2つ目は従来聖書や神話に限定されていたモチーフに現実を生きる人々を持ち込むことでした。

「フォリー・ベルジェールのバー」ではこの2つに見事に成功し、まさにマネの集大成とも言える傑作になりました。

 

*フォリー・ベルジェールとは
フォリー・ベルジェールとはパリにあるミュージックホールです。パリ黄金時代ともいわれる1890年代から1920年代には絶大な人気を誇りました。
内容は歌劇やパントマイムから始まり、次第にサーカスやカンガルーのボクシングなど過激なショーが行われるようになっていきました。1895年には日本の大道芸も公演を行っています。
ホール内にはバーも併設されており、マネはこのバーを描きました。

 

人間にフォーカスした背景表現

この絵を見ていると、背景が消え女性の表情に意識が集中していきます。騒々しい場面にも関わらず音は消え失せ、静寂の中で虚ろな女性の表情だけが印象に残ります。

 

「フォリー・ベルジェールのバー」は写実主義の画家であるマネらしく、計算しつくされて描かれています。この絵をみた時、多くの人は視点や意識が中央にいる女性の顔に向かうのではないでしょうか。

女性の表情にひきつけられていると次第に背景が意識から外れていき、人物だけが浮かび上がってきます。これこそがマネが狙った効果でした。

 

 マネがこのような絵画を目指すようになったのは、ある尊敬する画家の絵を見たことがきっかけでした。

 

 

マネが最も尊敬した画家ベラスケス

 マネには6年間学んだ師匠がいましたが、マネが最も尊敬し影響を受けたのはスペイン画家のベラスケスでした。

1865年のサロンで酷評を受けた後に訪れたスペイン旅行で、マネは背景を省略しわずかな影だけのみで人物を浮かび上がらせたベラスケスの画に感銘を受けます。

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ベラスケス「道化師パブロ・デ・バリャドリードの肖像」 1634年頃 プラド美術館

 

この絵を見た後マネはオマージュとして背景を省略した作品をいくつか制作しましたが、残念ながら不評に終わりました。

しかしマネの人物を浮かび上がらせる背景の探求は終わることはありませんでした。
 

 

実は写実的な鏡に映る像

この絵をみた時に背景が意識から外れていく秘密は背景、とりわけ鏡に映る像の描き方にあります。

この絵画の背景をじっくりとみていくと、なんとなくモノや人の配置に違和感を覚えると思います。正面の女性が鏡の右に寄っていたり、遠近感がいびつであったりとズレを感じると思います。 

このことがまるで中央の女性にだけピントが合っているかのような錯覚を与え、見る人の視点を中央の女性に導いているのです。

 

また一見いびつに見える鏡に映る像ですが、詳しく調べてみると実は科学的正確性を持って描かれていることが分かります。

 

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参照元:“A Bar at the Folies-Bergere” – Art A Fact

 

上の図のように実際のバーをつかってマネが描いた状況を復元すると、絵画と同じ構図が再現できることが わかります。目の前にいるように見えた女性は実は視点のやや左側に位置していたのでした。

 

マネは写実的にバーを描きながらも、見る人には背景に違和感を与えることによって女性に意識が集中させることに成功しました。

「フォリー・ベルジェールのバー」でついに、マネがベラスケスから受け継ぎ研究していた、人物を空気で包みながら浮かび上がらせることが完成をむかえたのでした。

 

 

アンニュイな表情の女性の正体

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フォリー・ベルジェールは上記で紹介したとおりミュージックホールでした。

しかしながらフォリー・ベルジェールのバーは単なるバーではなく、売春婦を買うことのできる場所としても有名でした。

 

急劇な経済発展を遂げた1860年代のフランスでは、その代償として経済格差が広がっていました。当時のフランス女性は結婚するか娼婦になるか安い給料でお針子をするかしか道がなく、多くの女性が娼婦に流れていました。

バーメイドも「酒と性の売り子」と呼ばれ、バーで働きながら売春婦としても生きていました。

 

賑やかなバーの中のバーメイドのアンニュイな表情は、輝かしい経済発展の裏に隠れた当時のパリの陰を反映しているのです。

 

 

おわりに

豪壮であったりダイナミックな絵ではありませんが、このように背景を知っていくととても面白い作品であることが分かります。

フォリー・ベルジェールはオープンから150年が経った今でも営業を続けているので、パリを訪れた際にはぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

 

マネについてもっと知りたい人はこちらの記事もどうぞ

 

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【絵画の解説】マネ「草上の昼食」はなぜ批判されたのか

パリのオルセー美術館に飾られているマネの代表作「草上の昼食」。

一見すると娼婦と現代風の紳士がピクニックを楽しんでいるだけに見えるこの絵は、なぜ大スキャンダルを巻き起こし、なぜマネの代表作と言われるようになったのでしょうか。

 

この絵が描かれた当時の美術シーンを踏まえながらわかりやすく解説します。この記事を読んだ後、きっと「草上の昼食」を見に行きたくなるはずです。

 

マネ「草上の昼食」を理解するポイント

・タブーであった現実の女性の裸
・のちに描かれた多くのオマージュ

 

 

マネ「草上の昼食」はなぜ批判されたのか

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「草上の昼食」 1862-1863年 オルセー美術館

 1863年の「落選者展」で展示された「草上の昼食」は、当時の絵画のお約束を完全に無視した作品でした。その問題となったのは手前でこちらを見ている裸の女性でした。

 

*「落選者展」とは
「草上の昼食」が初めてお披露目されたのは1863年のサロンの「落選者展」でした。 通常サロンでは落選者の作品が展示されることはありません。
しかし1863年のサロンの審査は極端に厳しく、前の年に比べて入選者をおよそ25%も減らしてしまいました。 時のフランス皇帝ナポレオン3世はこの審査に美術家たちが憤慨している様子を見ると、サロンと同じ会場の別室で「落選者展」を開催するように命じました。 皇帝は自らの威信を示すことを目的としていましたがサロンを主催する芸術アカデミーは屈することは無く、目論見は失敗に終わりました。
 

道徳に反して描いた現実の女性の裸

当時のキリスト教社会では裸婦画は欲情を煽るものとしてタブーとされてきました。

それまでも有名な画家の作品でもヌードを描いたものはたくさん存在しました。実際1863年のサロンでも裸婦を描いたもの人気で、数多くの作品が出品されています。

 

これらの作品が批判ではなく賞賛の対象として認められていたのは、モチーフが人間の女性ではなく、女神だったからです。同じ裸体でも女神は完全な存在であるから服を着ていなくても神聖であり、不完全である人間のヌードはけがらわしいものして扱われました。

 

「草上の昼食」をよく見ると女性の左下には服が無造作に脱ぎ捨てられ、この女性が現実の人間の女性であることが分かります。ましてやこの女性は娼婦を描いたもので、モデルだけでなく娼婦を娼婦として描き、正当な芸術であることを何よりも大事にするサロンで展示したことは当時のパリの知識人たちの怒りを大いに買うことになりました。

 

 

のちに描かれた多くのオマージュ作品

サロンやパリの知識人たちには批判を買ったこの作品ですが、時代の変革期に新しい芸術を求める若き芸術家たちからは尊敬を集めるきっかけともなりました。

 

その証拠として有名な画家の間でもオマージュ作品が多く作成されています。特にモネがオマージュとして同名の作品を描いた際には、逆にマネがモネを意識してもともと「水浴」というタイトルであったこの絵の名前を変更しています。

 

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モネ「草上の昼食」 1866年 オルセー美術館

 

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セザンヌ「草上の昼食」 1875年 オランジュリー美術館

 

 

おわりに

「草上の昼食」はこの他にも、ピカソやウジェーヌ・ブータンなどによってオマージュ作品が作られてきました。

タブーを犯して描かれた作品でしたが、結果として新しい芸術家たちを刺激し近代芸術、印象派を花開かせるきっかけとなる名作となりました。

 

ほかにもマネの「草上の昼食」に影響を受けた作品は数多くあるので、美術館を訪れた際には影響を受けている作品を見つけるのも面白いかもしれませんね。

 

 

マネについてのもっと知りたい方はこちらの記事もどうぞ 

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2019年8月の読書結果

7月には冷夏、冷夏と心配していましたが、蓋を開けてみれば今年もそれなりに暑かったですね。念願だったクーラーの効いた部屋でのアイスも呆れるほど食べました。ちなみにオススメは牧場しぼりのラムレーズンです。

 

休み期間は電車に乗る機会が減るので自ずと読書量も減ってしまいます。代わりといってはなんだがその分映画はいつもより多く見ました。

旅行にもあっちこっち行ったしいい夏だったのでは無いでしょうか。

 

以下8月に読んだ本のまとめです。

 

『シロクマのことだけは考えるな!』

著:植木理恵 / オススメ度:☆☆☆

最近はテレビにもたびたび出演する人気心理学者、植木先生の著書。

ややボリュームと深みには欠けますが、心理学に興味を持ちたてという人にはちょうどいい一冊になっています。

下の記事で面白かったネタをいくつか紹介しています。

 

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『「日経新聞」最大活用術 2016年版

著:小宮一慶 / オススメ度:☆☆☆☆

慣れていない人が読んでみると意外に重いのが日経新聞。

そんな日経新聞を素早く読み解き、生かしていくにはどうしたらよいかというコツを解説した本。

読むときのポイントに加え、日経新聞を読むうえで最低限知っておきたいミクロ・マクロ経済学の基礎も解説されているので知識なしでも読むことができます。

 

日経新聞を読み始めた学生や新社会人には効果覿面です。

 

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図解 眠れなくなるほど面白い 科学の大理論』

著:大宮信光 / オススメ度:☆☆☆

科学史の中でも超一級の話題を集めた本。

最新の話題から始まり物理化学の世界、歴史的大発見を経て最後は宇宙と人間に帰着します。

 

話のレベルは超ミクロ・マクロ世界を除けば高校理科の範疇で、特殊なことがらは出てきません。

説明にはイラストや図が多用されていて、数式は最低限に抑えられているため文系や中学生でも理解がしやすくなっています。

 

オススメとしては、理科の勉強を始めた高校生が新たな単元に入る前この本の該当箇所を読んでから勉強に入るとスムーズだと思います。教科書の補助+コラム的な立ち位置だと考えると、この本のレベルが分かりやすいかもしれません。

 

 

『蜜蜂と遠雷』

著:恩田陸 / オススメ度:☆☆☆☆☆

直木賞と本屋大賞をW受賞した恩田陸の傑作「蜜蜂と遠雷」。国際的なピアノコンクールを通して4人の出場者とそれを取り巻く人々の交流と成長を描いています。

 

700ページ近くある長編小説ですが、とにかく面白くテンポもいいので普段小説を読まない人でも飽きずに読み切ることができると思います。

 

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『語感トレーニング』

著:中村明 / オススメ度:☆☆☆

「快調」「好調」「順調」のうち最も調子がいいのはどれでしょうか。 

 

同じ意味の言葉でも、言葉によって「語感」に違いがあります。語感とはニュアンスに近い言葉で、単語ごとによる言葉のイメージや香りの差異を表します。

 

この本ではこのような55題のクイズを通して日本語の語感を学んでいくことができます。単に言葉遣いが正しい、正しくないというレベルではなく、この状況でこの人があの人に向かって話すときにどの言葉が適切か、ということを知ることができます。

 

言葉にすると説明するのが難しい意味のわずかな違いを、早稲田大学の中村名誉教授が見事に解説しています。

日本語の面白さを再発見できる良本です。

 

 

【画家の紹介】エドゥアール・マネ【写実主義・印象派】

近代絵画の父とも呼ばれる巨匠エドゥアール・マネ。今でこそ大画家としての名誉をほしいままにしていますが、彼のキャリアのほとんどは批判の連続で、実際に評価されるようになったのは最晩年のなってからでした。

 

彼の傑作たちは当時どのように評価され、どのような人生を送っていったのでしょうか。

この記事を読めばマネの生涯とその作風についてのおおよそをつかめるようになります

 

マネを理解するポイント

・マネが描きたかったのは"現実の社会"
・巨匠ベラスケスから受け継いだ空間表現
・ジャポニスムに影響を受けた平面的な画風

 

近代絵画の父:エドゥアール・マネの紹介

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「フォリー・ベルジェールのバー」 1882年 コートールド美術館

 

マネの生涯

少年時代

マネは1832年、パリの裕福な家庭の長男として生まれました。母方の伯父は芸術に造詣が深く、マネにデッサンの手ほどきをしたり、ルーブル美術館に連れて行ったりしました。マネはこれらの経験を通して芸術家に興味を持つようになります。

 

マネが画家への興味を強めていく一方で、司法官だった父はマネが法律家の道に進むことを望んでいました。マネもその意向を受け一度は海軍士官を志しましたが、二度の入試落第を経て芸術家に進むことになりました。

 

画家としてのキャリア

画家の道を歩み出したマネは画家トマ・クチュールの画塾に入ります。当時すでにパリは社会的にも芸術的にも変革期に入っていましたが、クチュールのアトリエでは伝統的なスタイルに強くこだわっていました。

目の前の現実を描き出す、新しい芸術を模索していたマネはクチュールとしばしば対立し、入塾から6年後アトリエを去りました。クチュールのアトリエを去った後には友人とパリの一角にアトリエを構え、ルーブル美術館で巨匠たちの作品の模写に勤しむようになります。

 

数年後、サロン(王立の美術展覧会)で入賞する画家にまでなったマネでしたが、1863年に行われたサロンの落選展で展示した「草上の昼食」がスキャンダルを巻き起こします。

 

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「草上の昼食」 1862-1863年 オルセー美術館

 

草上の昼食は当時はやっていたピクニックを題材として描かれた作品で、何人かの男女がゆったりと昼食を楽しんでいます。二人の男性は現代的な服装を纏い、左の女性は娼婦であることがうかがえます。問題はこの娼婦の女性でした

 

キリスト教では欲情をあおる裸婦画はタブーとされています。例外的に許されるのは神話や聖書など、人間でないものをモチーフとした女神像や寓意像に限定されていました。女神は人間と違いあくまで神であり、完全な神である以上布きれで体を隠す必要はない、という理屈です。

それまでの数百年間、キリスト教世界で書かれた裸婦画はすべて女神など人間の女性でないものを主題にしたものでした。

マネは人間の裸婦画、しかも娼婦を描いたことでパリの知識人から怒りを買ってしまうのでした。

 

これに懲りずマネは2年後サロンに作品を送り、入選します。この時の作品「オランピア」が再び激しい批判に火をつけます。

 

「オランピア」では人間の女性がはっきりと娼婦と分かる形で描かれ、また当時の王道の技法である立体感のあるタッチからもかけ離れたものでした。この独特の描き方については次の絵画の特徴で解説します。

「オランピア」は「草上の昼食」にもましてパリの紳士淑女の怒りを買い、この絵を見たうちの一人が怒りのあまりステッキを振り回したため急きょ絵画に2人の守衛をつけるという事態にまで及びました。

 

このように、現在ではマネの代表作とされるこれらの作品も当時は悪評にさらされた不遇の作品だったのです。

 

晩年

彼がついに名声を得ることが出来たのは晩年になってからでした。

50歳を目前にした頃からマネは、16歳の時にブラジルで感染した梅毒の症状が悪化するようになり、左脚の壊疽が進んできました。そんな中でも制作を続け、1881年のサロンに出品した肖像画で銀賞を獲得し、この功績により以後サロンに無審査で出品できることになりました。

また親友が美術大臣になった際にはフランスの最高クラスの勲章を受章することができました。

 

晩年にして認められるようになってきたマネは1881年末から最後の大作「フォリー・ベルジェールのバー」の制作に取り掛かります。フォリー・ベルジェール劇場とはパリの有名はミュージックホールで、著名なスターを数多く輩出したことでも知られています。

「フォリー・ベルジェールのバー」は好評を博し、マネの画家としての地位は確固たるものになりました。

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「フォリー・ベルジェールのバー」 1882年 コートールド美術館

 

マネはこの大作を制作して一年後より著しく衰弱していき、壊疽が進んだ左足を切断する手術を受けましたが体調が回復することなく51歳でその生涯を閉じました。

面倒見の良かったことで知られるマネの葬儀には様々なグループ画家が参列し、マネより2歳年下で親交も深かった印象派のドガは、「我々が考えていた以上に彼は偉大であった」と語りました。

 

 

マネの絵画の特徴 -ベラスケスとジャポニスム-

近代絵画の父と呼ばれるマネは、それまでに活躍した巨匠たちの技法を受け継ぎながらマネ自らも新しい芸術にチャレンジしていきました。

 

巨匠ベラスケスから受け継いだ空間表現

マネがルーブル美術館で模写や研究を繰り返す中で最も影響を受けたのが17世紀スペイン絵画の巨匠ベラスケスでした。「オランピア」騒動のあとのスペイン旅行以降は特にベラスケスへの心酔するようになり、ベラスケスの中に自分の理想を見出したとまで手紙に残しています。

マネがベラスケスから受け継いだのは背景の表現技法です。ルネサンス以降絵画の背景は遠近法を用いて立体的に表現されるのが普通でしたが、ベラスケスは遠近法を捨てわずかな影によって奥行きを表現することに成功しました。

ベラスケスの背景表現は自然に見る人を人物に導きます。マネはこのことを空気が人物を包んでいると表現し、生涯研究の対象にしました。

 

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左:ベラスケス「道化師パブロ・デ・バリャドリードの肖像道化師パブロ・デ・バリャドリードの肖像」 1634年頃 プラド美術館 
右:マネ「笛を吹く少年」 1866年 オルセー美術館


敬愛するベラスケスにインスピレーションを受けた「笛を吹く少年」でしたが、残念ながらこの作品もまたパリでは不評でした。ちなみに描かれている笛は木製のファイフという横笛で、この指の形で吹くとソが鳴るそうです。

 

ジャポニスムに影響を受けた平面的な画風

1868年から始まった明治維新前後、多くの浮世絵・屏風・染め物などの日本の芸術品がヨーロッパやアメリカに流出し、欧米ではジャポニスムと呼ばれる日本ブームが起こりました。近代への過渡期にあった芸術分野でも日本文化はもてはやされ、多くの芸術家がその影響を受けた作品を制作しています。

 

マネもジャポニスムの影響を強く受けた画家の一人です。それまでの西洋絵画は科学的に正しく描くことが良しとされ、遠近法や影を用いて三次元空間を表現する明暗法により立体的に描かれてきました。

 

これに対して極めて平面的に描かれた浮世絵は当時のヨーロッパでは斬新に映りました。マネはこの浮世絵の大胆な色遣いに感銘を受け、平面的で影の少ない新しい画風を生み出しました。また人物の輪郭を力強い筆使いで描くのもマネが浮世絵から取り入れた表現の一つです。

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「バルコニー」 1868-1869年 オルセー美術館

 

新しすぎたこれらの芸術は当時のパリでは受けませんでしたが、のちに近代絵画の父と称される所以となりました。

 

 

マネの代表作の紹介

 ここまで有名な作品を取り上げてきましたが、ぜひ知っておきたい他の作品も紹介しておきます。

 

「エミール=ゾラの肖像」

マネの友人で小説家のゾラを描いた肖像画。後ろに相撲絵の浮世絵が飾られています。また相撲絵の右下に飾られているモノクロの作品はサロンで酷評を受けた「オランピア」。

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「エミール=ゾラの肖像」 1868年 オルセー美術館

 

「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」

女流画家としても有名なモリゾをモデルとして描いた作品。モリゾはのちにマネの弟と結婚しました。先ほど紹介した「バルコニー」で手前に腰かけている女性もモリゾをモデルにしています。

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「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」 1872年 オルセー美術館

 

 

マネの有名な作品の詳しい解説はこちら

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「辞める」技術

何もかも似ていない私の兄弟で、ただ一つ似ているところがあるとしたらそれは嫌なことはすぐ辞めるということだろう。

 

バイトでもタスクでもストレスがかかればすぐ辞める。妹は1日でバイトを辞めたし、私は3時間で辞めたこともある。

 

大抵こういう話をすると根性なしのように思われて印象が悪くなる。確かに雇用主からすればすぐ辞められちゃたまらないし、都合の悪いやつらだと思う。

こちらから合わせてもらえば速攻やめるほうが度胸があると思うのだが、世間はそうはみてくれないらしい。

 

 

辞めることは悪ではない

そもそも辞めることは悪いことでは決してない。

仕事でも結婚でもイヤイヤ続けていいことは少ない。好きなことであったとしても続けるということはストレスのかかるものである。ましてや嫌なことを続けるストレスといえば計り知れない。

 

人生の目的が幸福である以上、どう考えても幸福に結びつかないと判断したものは切っていくべきである。

 

片付けのプロによると、物を捨てるか捨てないかな基準はときめくかときめかないかであるという。

これは行動においても同じである。資本になりえないときめかない行動はどんどん捨てていくべきだろう。

 

この広い世界で、捨てて拾えないものなど何もない。仕事だって人間だって自分に向いてるものがあるはずだ。

天職は見つけられなくとも、自分の負担にならないレベルの相性の仕事は見つけられるだろう。

 

経済学や株の世界では損切りという言葉が使われる。ダラダラと負け続けるより、サッパリ切ってしまったほうが全体の利益が大きくなることをいう。

そうであるならばダラダラと好きでもないことを続けるほうが全体から見て悪では無いだろうか。

 

 

なんでもやめられる

あまりに嫌だ嫌だ言う人に辞めることを進めると、大概の場合「いや、事情があるんだよ」と返ってくる。

確かに金銭的事情や係累など、人は多くの人に縛られている。それまで築いてきた地位やプライドが行動を制限する場合もある。

 

だが、どんなに枷に縛り付けられがんじがらめだとしても全くやめられないことなどない。

 

親から離れたいならば縁を切ればいい、配偶者と別れたければ離婚すれば良い、子供を育てられないなら養子に出すか施設に預けることもできる。

土地に不満があれば引っ越せばいいし、日本が嫌ならば出ていくことも出来る。

お金がなければNPOを頼りに生活保護を受給することもできるし、そもそもこの日本でお金がないことが理由で死ぬことは逆に難しいとも言える。

 

 

なんにせよ、自分のプライド以外に本当に自分を縛り付けるものなどないのだ。

もし何かに縛られて苦しいと感じている人がいるならば、きっとそれは自分自身ではないだろうか。

 

自分の人生を生きるために、ときには辞めることも重要である。何かを始めることと同じように辞めるということもまた、能動的な行動であり、自分の人生を選択することなのだ。

 

【本の紹介】恩田陸『蜜蜂と遠雷』【感想】

オススメ度:☆☆☆☆☆

久々に恩田陸さんの小説を読んだ。

前に高校生の時に読んだ『夜のピクニック』以来、数年ぶりに読んだ。

 

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調べてみると『寄るのピクニック』も『蜜蜂と遠雷』も本屋大賞を受賞した作品らしく、いいとこどりしてしまったなというもったいなさがある。どちらもとても面白かったので是非とも他の作品も読んでみたい。

 

 

あらすじ

舞台は優勝者がのちのコンクールで結果を残してきていることから、近年評価を伸ばしてきている芳ヶ江国際ピアノコンクール。 

 

5ヶ国で行われたオーディションのうち、パリ会場の審査員を担当していた嵯峨三枝子は突如現れた型破りな天才・風間塵に衝撃を受ける。彼は2ヶ月前に逝去した大物音楽家・ホフマンの愛弟子であった。

 

この年に行われた芳ヶ江国際ピアノコンクールには風間をはじめとし、消えた天才少女・栄伝亜夜やジュリアードの王子様と呼ばれるマサル・カルロス、そして妻子持ちのサラリーマン・高島明石が集い、さまざまなドラマが生み、交錯しながら最後には劇的な結末を迎えることとなる。

 

 

感想

≪恩田陸の真骨頂≫

恩田陸はなんといっても本全体の世界観、登場人物の世界観をそれぞれ創り出すのがうまい。またそれらを一つの世界に配置するときも、決して水彩絵の具に新しい色を落とした時のように濁り混ざることなく、それぞれの登場人物の世界観を保ったまま全体の調和が保たれている

 

登場人物それぞれの視点にドラマがあり、それらは同じ時間・空間で起こっていることながら全然違って見える。

 

登場人物の世界が交わるわずかな領域はまるでファンタジーで、そこに出てくるどの登場人物にも感情移入できるため物語の壮大さと物語に対する愛着が増していく。

 

 

≪浮かんでくるキャラクター像≫

恩田陸の作品を読んでいるとキャラクターの全体像がありありと浮かんでくる。まるで前から知っていたかのような、ずっとその人を知っているかのような気持ちにさえなってくる。

 

他の方とどこまでイメージを共有できるか分からないけれど、自分なりに浮かんできたイメージをまとめてみた。

 

風間塵:身長はやや低く、髪型は毛量の多い黒髪がところどころはねている。瞳は大きくキレイで、見ていると吸い込まれそうな色をしている。耳が大きい。普段は服に着られているような印象を受けるが、ピアノを弾いている間はその存在感から服も彼のために仕立て上げられたかのようにぴったりになる。寝起きがいい。

栄伝亜夜平均より少し高い身長に、一般人離れはしない程度にすらっとしたスタイル。髪はほんのり明るい黒で、腰ほどまで伸びたその髪は艶から若さを感じさせる。口元は軽くきゅっと閉まっている。気を抜くと猫背になりそうだが、基本的にはいい姿勢を保っている。赤いヒールと黒ドレスがよく似合う。化粧映えする顔。

 

マサル・カルロス王子様。高い身長でスタイル抜群。普段は愛想のいい笑い方をしているが一人の時や考え込んでいる時には年の割に貫録のある顔を見せる。手が大きく、指がきれい。一人の時間がないと耐えられない。

 

高島明石日本人にしては身長も高く、スタイルもいい方だが学生時代と比べるといくらか太った。大きくて厚みのある優しい手をしている。メガネ。落ち着いた緑や茶色など秋を思わせる色が好きで、服もこれらの色が多い。食べ物の好き嫌いは少ない方で特に焼き魚が好き。

 


映像だけでなく音楽さえ浮かんできて、まさに映画を見ているような感じだった。知らない曲は頭が勝手なクラシックを割り当てて流れていたが、もしもっとクラシックの知識があれば楽しめたのかなと思う。

さすがは本屋大賞らしく、誰が読んでも面白いと思える作品であった。

10月には映画も公開されるということで、そちらにも注目していきたい。